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古書/古写真
忘れてはならない日本の美しさが、古書や古写真の中に息づいています。このブログでは、そこに写る日本の植物に焦点を当て、その魅力や歴史、そして人々の想いを紐解きます。古典に描かれた花々、失われた街並みに咲く植物、貴重な自然の記録など、時代を超えて繋がる植物と人々の物語を辿ります。


江戸の知の探求者たち:「赭鞭会」が育んだ本草学と博物学の精神
赭鞭会は、江戸時代後期、特に天保年間(1830頃から1840頃)に設立された、本草学と博物学を専門とする研究会です。この会は、単なる趣味の集まりではなく、明確な学術的テーマと目的を持った組織として機能していました。当時の学術活動は、現代のような公的な研究機関ではなく、有力者たちの私的な集まり、すなわち「サロン」のような形で発展することが多く、赭鞭会もその典型でした。
1月25日


漆工と絵画の両方で優れた才能を発揮した柴田是真の画帖:是真画帖
この豊かな文化の中で、江戸時代末期から明治時代にかけて、漆工と絵画の両分野で卓越した才能を発揮した一人の芸術家がいます。その名は柴田是真(しばた ぜしん)。是真が手掛けた図譜「是真画帖」は、単なる植物の記録に留まらず、日本の花卉・園芸文化の真髄と、そこに込められた深遠な哲学を現代に伝える貴重な遺産であり、その奥深さを紐解く鍵となるでしょう。
2024年12月14日


『聚芳図説』が語る江戸の華:花卉・園芸文化に息づく美と知の探求
日本の四季が織りなす豊かな自然は、古くから人々の心に深く寄り添い、生活に彩りを加えてきました。花々は単にその美しさゆえに愛でられるだけでなく、そこには深い精神性や知的な探求が息づく、独自の文化が育まれてきました。江戸時代に生み出された一冊の植物図譜、『聚芳図説』(じゅほうずせつ)は、当時の人々の花への情熱、そして自然と向き合う真摯な姿勢を現代に伝える貴重な資料です。
2024年11月24日


江戸時代後期に刊行された、鉢植え・盆栽などの園芸指南書:金生樹譜
本稿では、江戸時代後期に刊行された稀代の園芸指南書、『金生樹譜(きんせいじゅふ)』に焦点を当てます。長生舎主人、すなわち栗原信充(くりはらのぶみつ)によって著されたこの図譜は、当時の園芸文化の精髄と、そこに込められた深遠な哲学を現代に伝える貴重な遺産であり、日本の花卉・園芸文化を深く理解するための道標となるでしょう。この古き書物が、いかにして江戸の人々の心を捉え、現代に生きる私たちに何を語りかけるのか、その魅力を探求いたします。
2024年10月20日


『非水百花譜』が織りなす美の世界:杉浦非水が描いた花卉文化の真髄
日本の四季折々の美しさを彩る花々。古くから、日本人は花に特別な感情を抱き、その姿に人生の機微や哲学を見出してきました。庭園、生け花、そして様々な芸術作品に息づく花卉文化は、私たちの心に深く響く日本の伝統そのものです。この豊かな文化の中で、明治から昭和にかけて活躍した一人の芸術家がいます。その名は杉浦非水。彼は、日本のグラフィックデザインの黎明期を築き、西洋のモダンな感性と日本の伝統美を融合させた独自のスタイルを確立しました。
2024年9月22日


江戸の知の宝庫:中村惕斎が編纂した『訓蒙図彙』が拓く、日本の植物文化の深淵
もし、江戸時代の人々が、現代の私たちと同じように、身の回りのあらゆるものを図鑑で学び、知識を深めていたとしたら、あなたは驚かれるでしょうか?当時の人々が、自然の神秘から日用品の機能、さらには遠い国の風俗まで、あらゆる事象を体系的に理解しようと努めていたとすれば、その知的好奇心の深さに心を揺さぶられるかもしれません。今回ご紹介する『訓蒙図彙(きんもうずい)』は、まさにそのような江戸の人々の知への渇望に応え、文化の発展に大きく貢献した稀有な書物です。単なる図鑑の枠を超え、当時の人々の自然への敬意や知的な探求心、そして日本の花卉・園芸文化の発展にどのように寄与したのか、その深淵を紐解いていきましょう。
2024年5月5日


筆に宿る生命:幸野楳嶺の花鳥画の世界
幸野楳嶺は、弘化元年(1844)、京都において金穀貸付業を営む安田四郎兵衛の第四子として誕生し、幼名を角三郎と称しました。後に父の本姓である幸野家を継ぐこととなります。その画業の第一歩は、嘉永5年(1852)、円山派の中島来章の門下に入ったことに始まります。来章より雅号を梅嶺、名を直豊、字を思順と授けられました。この円山派における修練は、後に楳嶺の画風の根幹を成す「写生」(実物写生)の重視という姿勢を育みました。明治4年(1871)、師である来章の許しを得て、四条派の塩川文麟に師事します。これにより、円山派の写実性に加え、四条派特有の詩情豊かな表現や装飾的な要素も吸収しました。雅号を「楳嶺」と改めたのは明治5年(1872)頃のことです。さらに、神山鳳陽について漢籍を学び、文人画家たちとも親交を深めたことは、楳嶺の芸術に知的な深みと幅広い視野を与える上で重要でした。
2024年4月17日


日本の園芸美学の精髄:小沢圭次郎が描いた『園籬圖譜』の世界
庭園に宿る、無限の宇宙を感じたことはありますか? 一輪の花に、移ろいゆく季節の詩を読み解く。日本人が育んできた、そんな繊細な感性の源流に触れてみませんか? 日本の花卉・園芸文化の奥深さを探る旅は、単なる植物の知識を超え、自然との共生、そして移ろいゆく美を慈しむ日本の精神性に触れるものです。この豊かな文化の核心を理解する鍵となるのが、幕末から明治にかけて活躍した小沢圭次郎が遺した傑作『園籬圖譜』です。この画譜は、単なる植物の記録に留まらず、当時の園芸文化の精髄と、そこに込められた深遠な哲学を現代に伝える貴重な遺産であり、日本の花卉/園芸文化を深く理解するための道標となるでしょう。
2024年4月15日


『万葉集』に息づく植物の魂:鹿持雅澄『万葉集品物図絵』が誘う古の園芸世界
本記事では、江戸時代後期に生きた一人の国学者、鹿持雅澄(かもち まさずみ)が、その深い学識と情熱を注ぎ込んで生み出した稀有な画譜、『万葉集品物図絵(まんようしゅうひんぶつずえ)』に焦点を当てます。この画譜は、単なる植物図鑑を超え、『万葉集』の世界を視覚的に、そして精神的に深く理解するための画期的な試みでした。雅澄の視点を通して、いにしえの人々が愛でた植物の姿と、そこに込められた日本の花卉・園芸文化の真髄を探求し、現代に生きる私たちへと繋がるその魅力を紐解いていきます。
2024年4月15日


艸花絵前集 - 江戸前期の園芸文化を彩る草花図譜
元禄12年(1699)に出版された『艸花絵前集』(草花絵前集とも記されます)は、江戸時代前期の園芸文化を象徴する重要な草花図譜です。本書は、草花の絵を中心とし、その余白に花の色や開花時期などの解説を付したもので、視覚的な美しさと実用的な情報を兼ね備えています。この図譜が刊行された元禄年間(1688~1704)は、町人文化が爛熟期を迎え、園芸を含む多様な文化芸術が隆盛を極めた時代でした。このような時代背景のもと、『艸花絵前集』は、園芸を愛好する人々の間で広く受け入れられたと考えられます。
2024年4月14日


幕末期渡来植物の図譜:新渡花葉圖譜
本書は国立国会図書館に収蔵されているもので、1914年に伊藤圭介(幕末から明治期の本草学者・蘭学者・博物学者・医学者日本初の理学博士)の孫・伊藤篤太郎が母の小春(圭介の五女)に転写してもらった写本です。
2024年4月13日


飢饉を乗り越えた知恵の結晶:建部清庵と『備荒草木図』
日本の文化に深く根ざす花卉や園芸は、単なる美の追求に留まりません。そこには、自然への敬意、生命への慈しみ、そして困難を乗り越えるための知恵が息づいています。この奥深い精神性は、日本の花卉・園芸文化の核心を成すものです。今回は、江戸時代に一関藩の藩医であった建部清庵が編纂した『備荒草木図』という一冊の書物を通して、その知られざる叡智に触れていきます。飢饉という極限状況下で、人々がいかに植物と向き合い、生き抜く知恵を見出したのか。この古書が現代に伝えるメッセージとは何か、その魅力を探る旅に出かけましょう。
『備荒草木図』は、直接的に観賞用の花卉や園芸技術を解説するものではありませんが、その根底には、自然の恵みを最大限に活かし、生命を尊び、困難を乗り越えようとする、日本文化に共通する普遍的な価値観が流れています。この書物が示すのは、単なる歴史的事実を超え、現代の私たちにも通じる、自然との共生と持続可能な暮らしへの示唆です。
2024年4月5日


汐入りの庭:江風山月樓から浴恩園へ
松平定信は、江戸時代後期の政治において、「寛政の改革」を主導したことで知られる卓越した経世家でした。徳川八代将軍吉宗の孫という血筋を引き 、老中首座として幕政を担ったその手腕は、厳格な改革者のイメージを伴うことが多いです。しかし、定信の人物像はそれだけに留まりません。彼はまた、文学、美術、そして作庭といった分野にも深い造詣と情熱を注いだ文化人でもありました 。江戸時代の大名にとって、庭園の造営は単なる慰楽のためだけでなく、政治的駆け引きの場、洗練された文化の誇示、そして個人的な美意識の表現の手段でもありました。定信の作庭活動は、こうした時代背景の中で、彼の多面的な個性を映し出す鏡であったと言えるでしょう。
2024年3月24日


江戸桜、紙上に永遠の春を刻む:『古今要覧稿』の桜図譜
江戸時代後期に活躍した国学者、屋代弘賢(1758~1841)は、近世日本の知の集積と編纂事業に多大な貢献を果たした人物です。江戸に生まれた弘賢は、塙保己一に国学を、山本北山に儒学を、冷泉為村に和歌を学ぶなど、広範な学問分野に精通していました。その学識は幕府にも認められ、書役から右筆へと昇進し、最終的には奥右筆格旗本として幕政の中枢にも関与しました。
2024年3月8日


金井紫雲:美術と園芸を探求した碩学
金井紫雲(本名:金井泰三郎)は、大正時代(1912-1926)から昭和時代(1926-1989)にかけて活躍した著名な美術記者であり、評論家、そして研究者でした。彼の活動は、日々の報道に留まらず、美術史、美術評論、さらには盆栽や花鳥といった日本文化の深奥に関わる分野での専門的な研究と著作活動にまで及びました。特に、都新聞社での長年にわたる美術記者および学芸部長としての経歴は、当時の美術界に対する彼の影響力の大きさを物語っています。
2023年9月23日


色彩が織りなす江戸の植物美学:日本初の色刷り画譜「明朝紫硯」が拓いた世界
本稿では、江戸時代中期に誕生した、まさにその「色彩の楽園」を体現する稀有な画譜、『明朝紫硯(みんちょうしけん)』に焦点を当てます。この画譜は、日本で初めて本格的な「色刷り」を導入した画期的な作品であり、その後の日本の美術史に多大な影響を与えました 。この作品は単なる古い書物ではなく、現代においても驚きと感動を与える存在として、過去の技術革新が現代の視覚文化の基盤を築いたという普遍的な価値を宿しています。
2023年9月23日


菊花明治撰:明治時代に描かれた江戸菊の美
菊花明治撰は、明治24年(1891)に当時の鹿児島縣士族・今井兼角によって出版された菊の画集です 。本書は少なくとも上之巻が存在し、江戸時代に発達した多様な菊の品種を、日本画家の長田雲堂 (1849-1922) が精緻な筆致で描き出しています。
2023年8月21日


服部雪斎:花咲く調べ
服部雪斎は、江戸時代後期の博物画家で、幕末から明治中期にかけて活動しました 。関根雲停らとともに活躍し、博物画の分野で重要な役割を果たしました。彼の作品は写実性が高く、細部まで丁寧に描かれているのが特徴です。
2023年8月13日


墨菊が彩る戦国の世:潤甫周玉の画菊
『画菊』とは、日本のキクを描いた図譜の嚆矢ともいえる作品。永正16年 (1519) に描かれた100品の図と花銘に、新たに七言絶句の詩を添えて元禄4年 (1691) に刊行されたものです。
2023年8月13日
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