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漆工と絵画の両方で優れた才能を発揮した柴田是真の画帖:是真画帖

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2024年12月14日
  • 読了時間: 15分

更新日:2 日前



日本の文化に深く根ざす花卉や園芸は、単なる美の追求に留まらず、自然への敬意、生命への慈しみ、そして困難を乗り越えるための知恵が息づいています。庭園に宿る、無限の宇宙を感じたことはありますか?一輪の花に、移ろいゆく季節の詩を読み解く。日本人が育んできた、そんな繊細な感性の源流に触れてみませんか?   


この豊かな文化の中で、江戸時代末期から明治時代にかけて、漆工と絵画の両分野で卓越した才能を発揮した一人の芸術家がいます。その名は柴田是真(しばた ぜしん)。是真が手掛けた図譜「是真画帖」は、単なる植物の記録に留まらず、日本の花卉・園芸文化の真髄と、そこに込められた深遠な哲学を現代に伝える貴重な遺産であり、その奥深さを紐解く鍵となるでしょう。   


本稿では、「是真画帖」がどのような図譜であるか、作者である柴田是真の類稀な経歴と時代背景、そしてこの画帖が持つ文化的意義や哲学を深く掘り下げていきます。是真画帖は、個々の植物の描写に留まらず、日本人の自然観、ひいては宇宙観が凝縮された「小さな宇宙」として機能していると言えるでしょう。これは、単なる植物図譜ではなく、文化と精神性の象徴としての画帖の価値を示唆しています。



1. 「是真画帖」とは:漆と絵画が織りなす植物の詩


「是真画帖」とは、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した稀代の芸術家、柴田是真が手掛けた、植物、特に花卉や園芸に関する描写が豊富に含まれる図譜です。彼の漆工と絵画における卓越した才能が遺憾なく発揮されており、単なる植物図鑑の枠を超えた芸術作品として位置づけられます。この画帖には、自然や日常生活を題材にした作品が多く収められており、是真の細部へのこだわりと色彩感覚が際立っています。彼の優れた画力と観察眼、そして豊かな表現力を感じることができ、精密な描写と大胆な構図、洒脱な色彩感覚、さらにはユーモアとウィットに富んだ表現は、見る者を魅了します。   


柴田是真は、漆工と絵画という異なる分野で高水準の技術と芸術性を兼ね備えていた芸術家でした。是真の画帖は、画家と漆芸家の両方の顔を持ち合わせていたからこそ生まれた、独自の表現形式であると言えます。是真は、透漆に顔料を混ぜた「漆絵」という特殊な手法を創案し、油絵のように濃く厚い色彩感や光沢を、伝統的な漆の材料で表現しようと試みました。是真画帖は、彼の多岐にわたる活動の一環として、絵画と漆工の技術を融合させた表現を追求する中でまとめられたものと推測され、まさに是真の芸術哲学である「漆と絵画の境界を越える試み」の具体的な成果であり、その思想が凝縮された形であると言えるでしょう。この画帖は単なる植物画集ではなく、柴田是真という芸術家が、伝統的な素材と技法を用いながらも、西洋の絵画表現を取り入れ、芸術の既成概念を打ち破ろうとした革新的な精神の結晶であり、彼の芸術的探求の最前線を視覚的に示す資料となっています。   


特に注目すべきは、この画帖に収められた植物画が、かつての皇居、通称「明治宮殿」の一室「千種之間」の天井を飾る極彩色の織物の下絵となったという歴史的側面です。明治宮殿は戦災により消失しましたが、是真の植物画の下絵は残り、現代にその美しさを伝えています。この事実は、画帖が単なる芸術作品以上の意味を持つことを示唆しています。それは、失われた日本の壮麗な建築と装飾芸術の姿を現代に伝える、極めて貴重な「歴史的証言」としての役割を担っていると言えるでしょう。この画帖は、柴田是真の芸術的才能を伝えるだけでなく、日本の近代史における重要な文化財の喪失と、それでもなお芸術がその記憶を繋ぎ、後世に伝える力を持つことを象徴しています。   



2. 柴田是真の足跡と「是真画帖」誕生の背景



2.1. 漆工と絵画の革新者:柴田是真の生涯と芸術


柴田是真(文化4年(1807)-明治24年(1891))は、江戸時代末期に江戸両国で生まれました。11歳で印籠蒔絵師・古満寛哉に師事し、伝統的な蒔絵技術を習得。さらに16歳からは四条派の絵画を学び、京都に遊学して岡本豊彦に師事するなど、漆工と絵画の双方で研鑽を積みました。是真は下絵から蒔絵までを自ら手掛ける独自の制作態度を確立し、従来の蒔絵師の枠を超えた存在となりました。   


是真の真骨頂は、伝統技術の継承に留まらない革新性でした。特に、透漆に顔料を混ぜた「漆絵」を創案し、紙や絹の上に油絵のような厚みと色彩感を持つ絵画を描くことを可能にしました。これは、当時の日本画には乏しかった表現を、伝統的な漆の材料で実現しようとする画期的な試みでした。また、青海波塗の復興や、青銅塗、四分一塗など、数々の独創的な変塗技法を開発し、漆芸の世界に新たな地平を切り開きました 。漆という伝統素材を用いて油絵のような表現を目指したことは、単に新しい絵画表現を求めただけでなく、漆という素材が持つ潜在的な可能性を極限まで引き出そうとする深い探求心を示しています。彼は漆を単なる工芸の材料としてではなく、絵画表現の新たな媒体として昇華させました。これは、日本の職人が素材そのものに宿る特性を深く理解し、その可能性を最大限に引き出すことで、新たな美を生み出すという伝統的な美意識と通底しています。   


是真が活躍した時代は、鎖国が解かれ西洋文化が流入する激動期であり、日本の伝統芸術は大きな転換期を迎えていました。このような時代背景の中で、是真は伝統的な日本の美意識を守りつつ、西洋の技術や表現を取り入れることに意欲的でした。是真は日本の漆工分野において、近世から近代への橋渡し役を果たした「近代的な工芸家の嚆矢」と評されています。作品は「江戸らしさ」や「いき」を感じさせ、洒脱でウィットに富んだ画風が特長です。一見地味に見える黒を基調とした作品も、近づいて注意深く見ると、気の遠くなるような超絶技巧が駆使されており、「玄人好み」の深遠な美を宿しています。これは単なる技術力の高さだけでなく、表層的な華やかさよりも、見えない部分、細部にこそ真の価値を見出すという日本の職人精神、そして「わび・さび」にも通じる奥ゆかしい美意識の現れと捉えられます。彼の「生涯ずっと研究・制作をし続けました」という探求心も、この精神性を裏付けています。柴田是真の芸術は、技術の粋を極めることで、見る者に深い洞察と感動を与えるという、日本の伝統工芸が持つ普遍的な価値を体現しています。これは、単なる視覚的な美を超え、作り手の精神性や哲学が作品に宿るという、日本文化の核心的な側面を示しています。   


是真は帝室技芸員に任命され、明治時代には国の委嘱により万国博覧会に漆工品や漆絵、絵画を出品し、その作品は世界的に知られるようになりました 。柴田是真は、直接的な師弟関係ではなく「私淑」という形で継承されてきた琳派の影響を受けていることが指摘されています。琳派は「個々の美的感性によって繋がっている流派」であり、古典的主題や私淑する絵師の作品を「アレンジする作風」が特徴です。是真が伝統的な蒔絵技法を工夫し、独自の芸術を確立したり 、青海波塗の復興や新たな変塗を開発した ことは、琳派の精神である「伝統の創造的再解釈」を体現していると言えます。彼は過去の美意識をただ模倣するのではなく、自身の卓越した技術と時代感覚を融合させることで、伝統を現代に蘇らせ、さらに発展させたのです。柴田是真の芸術活動は、日本の伝統芸術が、いかにして過去の遺産を尊重しつつも、時代と共に進化し、新たな価値を創造してきたかを示す好例であり、伝統が単なる固定されたものではなく、常に変化し、再解釈される生きた文化であることを示唆しています。   



2.2. 時代が育んだ美意識:是真画帖が生まれた経緯


是真が活躍した江戸時代末期から明治時代への移行期は、日本の社会、政治、文化が大きく変革した激動の時代でした。鎖国が解かれ、西洋文化が急速に流入する中で、日本の伝統芸術は存続の危機に瀕しながらも、新たな表現の可能性を模索する転換期を迎えていました。このような時代背景の中で、是真は伝統的な日本の美意識を守りつつ、西洋の技術や表現を取り入れることに意欲的でした。彼は、日本の伝統芸術が近代化の波の中でその価値を失うことなく、むしろ新たな魅力を発揮できることを自らの作品で証明しようとしました。   


「是真画帖」が制作された具体的な経緯については諸説ありますが、是真が自身の多岐にわたる作品や技術、特に花卉や園芸に関する深い洞察を記録・研究するため、あるいは弟子への指導用、さらには自身の芸術活動の集大成として編纂された可能性が考えられます。この画帖は、是真自身の創造的な解釈や表現が加えられたものであり、彼の観察眼と芸術性が融合した、新たな植物表現の創出であったと言えるでしょう。これは、芸術家が対象を客観的に記録する行為と、それを自身の内面を通して再創造する行為が、いかに密接に結びついているかを示しています。日本の伝統芸術における写実と創造性のバランス、そして自然を単に模写するのではなく、その本質を捉え、精神性を表現しようとする姿勢を反映しているのです。   


特筆すべきは、この画帖に収められた植物画が、明治宮殿の天井画の下絵として採用されたという事実です。これは、是真の芸術が個人の創作活動に留まらず、国家的な文化事業にも貢献し、日本の美意識を象徴する存在として認識されていたことを示しています。明治宮殿は、明治維新後の日本の近代化と国家としての威厳を示す重要な建築物であったと推測されます。その宮殿の「千種之間」の天井を飾る植物画の下絵に是真の作品が選ばれたという事実は、彼の芸術が単なる個人的な趣味や工芸品の域を超え、新生日本の「国家的な美意識」を象徴する存在として認識されていたことを意味します。これは、西洋化が進む中で、日本の伝統的な花卉文化が、国家のアイデンティティを表現する重要な要素として位置づけられていたことを示唆しています。是真画帖は、個人の芸術的探求の成果であると同時に、明治期における日本の文化政策や、伝統芸術が近代国家の形成において果たした役割を読み解く上での重要な手がかりとなります。それは、日本の美意識が、内的な精神性だけでなく、対外的な表現としても重視されていたことを示唆しています。   



3. 「是真画帖」に宿る日本の心:文化的意義と哲学



3.1. 伝統技術の継承と革新の象徴


「是真画帖」は、柴田是真の卓越した技術と革新的なデザインの源泉、そしてその発展の過程を示す貴重な資料です。特に、是真が漆工と絵画という異なる分野を融合させた独自の哲学が、この画帖の中に色濃く表現されています。画家と漆芸家の両方の顔を持つ是真だからこそ生み出された、独自の表現形式と言えるでしょう。   


是真の創案した「漆絵」は、漆を絵画の表現手段として用いることで、工芸と絵画の境界を越える試みでした。これは、西洋絵画の表現力を日本の伝統素材で実現しようとする、是真の芸術に対する深い洞察と挑戦的な精神を象徴しています。是真画帖は、この画期的な表現形式の可能性を探求し、その複雑な性質と独自の存在意義を深く考察するための手がかりとなります。漆という伝統素材を用いて「油絵のように濃く厚い色彩感や光沢」を表現しようとした「漆絵」の創案は、単に新しい絵画表現を求めただけでなく、漆という素材が持つ潜在的な可能性を極限まで引き出そうとする深い探求心を示しています。漆を単なる工芸の材料としてではなく、絵画表現の新たな媒体として昇華させました。これは、日本の職人が素材そのものに宿る特性を深く理解し、その可能性を最大限に引き出すことで、新たな美を生み出すという伝統的な美意識と通底しています。是真画帖は、日本の芸術家が素材に対して抱く深い敬意と、その素材の限界を超えようとする飽くなき探求心を象徴しており、これは日本の伝統工芸が今日まで発展し続けてきた根源的な精神性を示唆しています。   


是真が「漆工と絵画という異なる分野で高水準の技術と芸術性を兼ね備えていた」こと 、そして画帖が「画家と漆芸家の両方の顔を持ち合わせていたからこそ生まれた、独自の表現形式」であること は、当時の工芸と美術の間にあったとされる垣根を意識的に、あるいは無意識的に越えようとしていたことを示唆します。特に、明治時代に万国博覧会に漆工品や漆絵、絵画を出品し世界的に知られたことは 、彼の作品が国際的な文脈で「工芸」としてだけでなく「美術」としても評価されたことを意味し、現代の「アート」と「デザイン」の融合といった概念の先駆けとも言えるでしょう。是真画帖は、日本の芸術が、西洋的な「純粋芸術」と「応用芸術」の区別にとらわれず、素材と技術の可能性を追求することで、新たな芸術領域を切り開いてきた歴史の一端を物語っています。これは、現代の多様な表現形態を理解する上でも重要な視点を提供します。   



3.2. 自然観と美意識の表現:花々に映る「わび・さび」と「無常」


「是真画帖」に描かれた花卉は、柴田是真の日本の自然に対する深い洞察と、そこから生まれる繊細な美意識を反映しています。日本人は古くから、四季折々の美しい風景を通して自然とのつながりを強く意識し、その姿に人生の機微や哲学を見出してきました。日本には「自然のもの全てに神が宿る」という「八百万の神」の神道の考え方があるとされます。これは、日本が変化に富んだ気候や複雑な地形、そして地震や台風といった自然災害が多い環境の中で、人々が自然を「敬いかつ恐れる意識」から生まれたものです。是真の植物画が「ダイナミックかつ生命力たっぷりに描かれ」ていることは、単なる写実を超え、植物一つ一つに宿る生命の輝きや神秘性、すなわち「神性」を捉えようとする姿勢を示唆しています。彼の作品は、自然を単なる風景としてではなく、畏敬の対象としての生命体として描いていると言えるでしょう。柴田是真の植物画は、日本の根源的な自然観である「八百万の神」の思想を視覚的に表現したものであり、見る者に自然との共生、そしてその中に宿る神聖な存在への気づきを促します。これは、日本の花卉・園芸文化が単なる趣味の領域を超え、精神的な営みと深く結びついていることを示しています。   


画帖に描かれる桜、山吹(春)、睡蓮、向日葵(夏)、菊、萩(秋)、蕗、梅、水仙(冬)といった四季折々の植物は、移ろいゆく季節の美しさと、あらゆるものは流転していくという「無常」の思想を象徴しています。日本人が散りゆく桜に美しさを感じるのは、単に色や景色が綺麗だからではなく、この世の無常を感じ取るからです。是真は、植物の生命力と繊細な筆致で、この儚くも美しい自然の循環を表現しています。是真の画風は洒脱でウィットに富んだ画風が特長であり、粋な計らいがそれぞれの作品に埋め込まれていると評されています。この「粋」の美意識は、直接的な表現を避け、暗示や余白、あるいは細部に宿る洗練された感覚を重視します。花卉描写において、これは満開の豪華さだけでなく、雨に打たれるあやめのように、一瞬の情景や、散りゆく姿、あるいは季節の移ろいの中に宿る「儚さ」や「無常」の美を、繊細かつ示唆的に表現することに繋がります。これは、日本の花卉/園芸文化が、単なる「咲く」ことだけでなく、「散る」ことにも美を見出す感性と深く共鳴しています。柴田是真の「粋」の美学は、日本の花卉・園芸文化が持つ「移ろいゆく美」への深い洞察を視覚化したものであり、自然のサイクルの中に人生の哲学を見出すという、日本独自の感性を際立たせています。これは、鑑賞者に対し、表面的な美しさだけでなく、その背後にある深い意味合いを読み解くことを促します。   


是真の精密かつ洒脱な描写、そして大胆な構図は、「わび・さび」に代表される、シンプルで自然な美を尊重する精神や、「間」という空間の使い方や時間の流れを意識する日本の伝統美意識と深く関連しています。彼の作品は、植物の持つ生命力や造形美を再認識させると同時に、その背景にある静謐な精神性を伝えます。さらに、画帖には撫子(大和撫子として女性の清楚さを象徴)、稲花(豊穣や富貴の願いを込める)など、日本の文化に深く根ざした植物の象徴性が込められています。是真は、これらの植物が持つ文化的意味合いを巧みに作品に織り込み、単なる植物図鑑を超えた、精神性豊かな表現を追求しました。   



結び


田是真の「是真画帖」は、漆工と絵画という二つの芸術分野を融合させた彼の卓越した才能と、日本の自然に対する深い洞察、そして独自の美意識が凝縮された、まさに「花々の宇宙」と呼ぶにふさわしい作品集です。精密な描写、大胆な構図、洒脱な色彩、そしてユーモアとウィットに富んだ表現は、見る者を魅了し、単なる植物図譜を超えた貴重な資料として、現代にその輝きを放ち続けています。   


この画帖は、日本の花卉・園芸文化が持つ「自然との共生、移ろいゆく美を慈しむ日本の精神性」を深く理解するための道標であり、私たちに、一輪の花に宿る生命の輝きや、四季の移ろいの中に人生の機微を見出す感性の大切さを教えてくれます。現代社会は情報過多であり、自然との直接的な触れ合いが減少している傾向がありますが、日常生活の中で意識的に美を探求し、体験すること、特に自然と触れ合う時間を増やし、四季の変化を感じ取り、自然の美しさを観察することは、感性を豊かにするために重要です 。是真画帖は、まさにその「自然の美しさを観察する」という行為を、芸術作品を通して提供します。是真の作品に込められた「生命力」や「繊細な筆致」は、現代人が忘れがちな自然の細部への注意と、そこから得られる「心の豊かさ」を再発見するきっかけとなり得ます。是真画帖は、単なる過去の遺産ではなく、現代社会において人々が失いがちな「自然とのつながり」や「繊細な美意識」を再構築するための具体的なツールとしての価値を持っています。それは、芸術が時代を超えて人々の感性を育み、生活を豊かにする力を持つことを示唆しています。   


「是真画帖」を通して、私たちは柴田是真という稀代の芸術家の足跡を辿りながら、日本の伝統に息づく美意識と哲学に触れることができます。この奥深い花々の世界への旅は、きっとあなたの心に豊かな彩りと新たな発見をもたらすことでしょう。





柴田是真 画『是真画帖』国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12939007

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