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菊に秘められた美の系譜:『菊花明治撰』が語る日本の花卉文化と精神性

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2025年4月1日
  • 読了時間: 11分

日本の秋を彩る花といえば、何を思い浮かべるでしょうか。その優雅な姿と多様な品種で人々を魅了し続ける菊は、単なる観賞植物以上の存在として、日本の文化と深く結びついてきました。皇室の紋章にも用いられ、長寿や繁栄の象徴とされる菊には、日本人の繊細な美意識と、自然への深い敬意が込められています。この花は、日本の文化を理解するための重要な視点を提供します。   


しかし、この菊の文化が、ある時代にどのようにして隆盛を極め、そしてその美しさがどのように記録され、後世に伝えられたのかは、あまり知られていないかもしれません。この文化がこれほどまでに精緻に記録され、現代に伝えられているという事実は、当時の人々がその美とそこに含まれる精神性をいかに重要視し、後世に遺すことを文化的な責務と考えていたかを示唆しています。本稿では、明治時代に編纂された稀代の画譜『菊花明治撰』に焦点を当て、その概要から、編纂者である今井兼角の生涯、そして画を担当した長田雲堂の筆致、そしてこの画譜が持つ文化的・哲学的な意味までを深く掘り下げていきます 。一輪の菊に込められた、日本の豊かな歴史と精神性を巡る旅にご案内します。   



2. 『菊花明治撰』の概要と画譜としての特徴



2.1. 『菊花明治撰』とはどのような画譜か


『菊花明治撰』(きっかめいじせん)は、明治時代に編纂された、菊の品種を詳細かつ精緻に描写した画譜です 。この画譜は、単なる植物図鑑の域を超え、当時の菊栽培の隆盛と、それに関わる人々の情熱を伝える貴重な文化財として位置づけられています。その価値は、単に植物の分類や形態を記録する科学的な側面にとどまらず、当時の園芸文化における人間的な情熱や美への探求を鮮やかに映し出している点にあります。多岐にわたる菊の品種を網羅し、それぞれの花弁の形、色合い、葉の様子、全体の姿に至るまで、極めて写実的に、かつ芸術的な感性をもって描き出されています。   



2.2. 画譜としての特徴


『菊花明治撰』の最大の特徴は、その圧倒的な描写力と、細部にわたる正確性にあります。掲載されている菊の絵は、単なる写生ではなく、それぞれの品種が持つ個性を最大限に引き出し、生命力あふれる姿を捉えています。日本画家の長田雲堂が対象とする菊の生命そのものと深く向き合い、その本質を捉えようとした証拠と言えるでしょう。色彩は豊かで繊細であり、花弁一枚一枚のグラデーションや、光の当たり具合による陰影までが丁寧に表現されています。   


また、この画譜は、当時の菊の流行品種や、新しく作出された品種を記録する役割も果たしていました。明治時代は、日本の伝統文化と西洋文化が交錯し、様々な分野で新しい試みがなされた時代です。園芸の世界においても、新しい品種の導入や育種が盛んに行われ、菊はその多様な姿で人々を魅了しました。『菊花明治撰』は、そうした時代の息吹を伝える、生きた記録とも言えるでしょう。特に、写真技術がまだ未発達であった時代において、これらの美しい菊の姿を正確に記録し、広く共有するためには、このような精緻な手描きの画譜が不可欠でした。その詳細な描写は、単なる芸術作品としてだけでなく、当時の植物学や園芸技術を後世に伝える上で、かけがえのない役割を担っていたのです。   


さらに、画譜としての構成も特筆すべき点です。単に絵が並べられているだけでなく、各品種には名称が記され、時にはその特徴や由来に関する簡潔な解説が付されています。これにより、観賞するだけでなく、菊に関する知識を深めるための資料としても機能します。長田雲堂の卓越した技術と、植物学者あるいは園芸家としての深い知識と観察眼が融合した、まさに「画譜」と呼ぶにふさわしい作品と言えます。この構成は、単なる記録を超え、菊という題材を通して、当時の人々の美意識、探求心、そして自然への深い洞察がどのように具現化されたかを示しています。   



3. 歴史と背景:今井兼角の経歴と時代背景、制作経緯



3.1. 今井兼角の経歴と時代背景


『菊花明治撰』の編纂に深く関わった今井兼角(いまい けんかく)は、明治時代に活躍した人物であり、その詳細な経歴については、現存する資料が限られているものの、当時の園芸、特に菊の栽培と研究に多大な貢献をしたことは間違いありません。兼角は、植物に対する深い愛情と知識を持った人物であったと推測されます。


この画譜の出版者である今井兼角に加え、その精緻な絵画を担当したのは、日本画家の長田雲堂(おさだ うんどう、安政2年/1849年~大正11年/1922年)です。長田雲堂は、明治時代に活躍した日本画家であり、彼の卓越した筆致が『菊花明治撰』の芸術的価値を一層高めています。今井兼角が菊の栽培と研究に貢献した人物である一方、長田雲堂は、その美を視覚的に捉え、後世に伝える役割を担いました。   


今井兼角と長田雲堂が生きた明治時代(明治元年/1868~明治45年/1912)は、日本が封建社会から近代国家へと大きく変貌を遂げた激動の時代でした。文明開化の名のもとに西洋の文化や技術が積極的に導入され、社会のあらゆる側面で大きな変化が起こりました。一方で、日本の伝統文化が見直され、保護・継承されていく動きも活発でした。この時代は、西洋の模倣と日本の独自性の再確認という、ある種の矛盾を抱えながら進んでいました。   


園芸の世界においても、この時代は大きな転換期を迎えていました。江戸時代に培われた独自の園芸文化は、明治維新後もその命脈を保ちつつ、西洋の園芸技術や植物の導入によって、さらなる発展を遂げました。特に菊は、その多様な品種と栽培技術の奥深さから、多くの人々に愛され、品評会なども盛んに開催されるようになりました。このような時代背景の中で、今井兼角と長田雲堂は、菊の美しさとその多様性を後世に伝えることの重要性を感じていたのかもしれません。彼らの活動は、急速な西洋化の波の中で、日本の固有の美意識と伝統を記録し、未来へと繋ぐという、重要な文化的アーカイブの役割を担っていたと考えられます。   



3.2. 『菊花明治撰』が作られた経緯


『菊花明治撰』は、明治24年(1891)に鹿児島縣士族の今井兼角によって出版された菊の画集であり、その精緻な絵画は日本画家の長田雲堂によって描かれました。当時の菊文化の隆盛と、それを記録に残したいという強い要望があったことが、この画譜制作の背景にはあります。明治時代には、各地で菊の品評会が開催され、新しい品種が次々と生み出されていました。しかし、写真技術がまだ未発達であった時代において、これらの美しい菊の姿を正確に記録し、広く共有するためには、長田雲堂のような精緻な手描きの画譜が不可欠でした。   


今井兼角は、おそらくそうした時代のニーズに応える形で、あるいは自らの菊への深い情熱から、この画譜の出版に着手したと考えられます。一方、長田雲堂は、全国各地の優れた菊の品種を訪ね歩き、その姿を丹念に観察し、筆に収めていったのでしょう。その制作過程は、単なる作業ではなく、菊という植物との対話であり、その美の本質を追求する芸術的な探求であったと言えます。彼のこの探求は、単に美しい絵を描くことに留まらず、日本の園芸文化の粋を後世に伝えるという、歴史的な使命感に裏打ちされていたと推測されます。   


また、この画譜の制作には、当時の政府関係者や富裕な園芸愛好家からの支援があった可能性も考えられます。菊は、日本の象徴的な花であり、その文化を記録し、国内外に紹介することは、国家の威信を示す上でも重要な意味を持っていたからです 。このような大規模で精緻な画譜の制作には、個人の情熱だけでは成し得ない、組織的あるいは経済的な支援が必要であったと考えるのが自然です。このようにして、『菊花明治撰』は、今井兼角と長田雲堂個人の情熱と、時代の要請、そして多くの人々の支援が結実して生まれた、稀有な作品となったのです 。それは、明治という変革期において、日本の文化的なアイデンティティを再確認し、内外に示すための重要な手段でもあったと言えるでしょう。   



4. 文化的意義と哲学:『菊花明治撰』が持つ意味



4.1. 『菊花明治撰』の文化的意義


『菊花明治撰』は、単なる植物画譜としてだけでなく、日本の文化史において非常に重要な意味を持っています。


まず、園芸文化の記録と継承という点です。明治時代に隆盛を極めた菊の多様な品種や栽培技術は、この画譜によって詳細に記録され、後世に伝えられました。もしこの画譜がなければ、失われてしまった品種や、その時代の育種技術の粋を知ることは困難であったかもしれません。それは、日本の園芸文化の豊かな歴史を現代に伝える、貴重なタイムカプセルのような役割を果たしています。この記録は、単なる過去の遺物ではなく、現代の育種家や園芸愛好家にとっても、過去の知恵と美意識を学ぶための生きた資料となっています。   


次に、美意識の具現化という側面です。菊は、その完璧なまでの造形美と、多様な変化を見せる姿から、古くから日本人の美意識を刺激してきました。左右対称の整然とした美しさ、あるいは奔放に咲き誇る力強さ、繊細な色彩の移ろいなど、菊には様々な美の要素が凝縮されています。『菊花明治撰』は、そうした日本人が菊に見出した美を、絵画という形で具現化し、視覚的に共有することを可能にしました。それは、単なる花の絵ではなく、日本人が自然の中に発見し、育んできた美の規範を示すものと言えるでしょう。この画譜は、日本人が自然の細部に宿る美を見出し、それを洗練された形で表現する能力を象徴しています。   


さらに、近代化の中での伝統文化の再評価という文脈も重要です。明治時代は、西洋化が急速に進む一方で、日本の伝統文化が軽視される風潮もありました。しかし、『菊花明治撰』のような作品が制作されたことは、そうした時代にあっても、日本の固有の文化、特に自然と共生する中で育まれた園芸文化の価値が再認識され、大切にされていたことを示しています。この画譜は、伝統と革新が交錯する時代において、日本のアイデンティティを再確認する象徴の一つであったとも解釈できます。それは、単に過去を守るだけでなく、変化する時代の中で伝統の価値を再発見し、未来へと繋ぐ意志の表れでもありました。   



4.2. 『菊花明治撰』に込められた哲学的な側面


『菊花明治撰』には、単なる記録や美の表現を超えた深い哲学的な側面が込められています。


一つは、「生」と「時間」への洞察です。菊は、種から芽吹き、成長し、花を咲かせ、そして枯れていくという生命のサイクルを明確に示します。画譜に描かれた菊は、その一瞬の最も美しい姿を捉えていますが、それは同時に、その美が限りある時間の中に存在するという事実を私たちに示唆します。移ろいゆくものの中に永遠の美を見出し、それを記録しようとする行為は、生命の尊さや時間の有限性に対する深い洞察に基づいています。この画譜は、刹那の美を捉えることで、生命の循環と、その中に宿る普遍的な価値を浮き彫りにしています。   


また、「自然との共生」と「人工の美」の調和という哲学も読み取れます。菊の育種は、自然の摂理に従いつつも、人間の手によって新しい美を創造する行為です。今井兼角と長田雲堂が描いた菊は、自然が持つ本来の美しさを尊重しつつ、人間の知恵と努力によって引き出された「人工の美」が融合した姿です。この画譜は、自然を支配するのではなく、自然と対話し、その潜在的な美を引き出すという、日本独自の自然観を反映していると言えるでしょう。それは、人間が自然の一部であり、自然との調和の中にこそ真の豊かさがあるという思想に通じています。この思想は、日本の庭園や生け花といった他の伝統芸術にも共通する、根源的な価値観です。   


さらに、「完璧さへの追求」と「多様性の受容」という二律背反する概念の共存も示唆しています。画譜に描かれた菊は、それぞれが完璧な造形美を追求して育種された結果であり、絵師もまたその完璧さを表現しようと努めています。しかし同時に、そこには多種多様な菊の姿が描かれており、それぞれの個性や違いが尊重されています。これは、一つの理想を追求しつつも、異なるもの、多様なものを認め、受け入れるという、日本文化に根差した寛容な精神性を表しているのかもしれません。完璧な美を追求しながらも、その多様性を慈しむという姿勢は、日本の美意識の奥深さを示すものです。   



結論


『菊花明治撰』は、単に美しい菊の絵を集めたものではありません。それは、明治という時代に生きた人々の、菊への深い愛情、美への飽くなき探求心、そして自然や生命に対する敬意と哲学が凝縮された、まさに「生きた文化遺産」なのです。この画譜は、過去の歴史を伝えるだけでなく、現代を生きる私たちに、日本の花卉/園芸文化の奥深さ、そしてその根底に流れる豊かな精神性に触れる機会を与えてくれます。   


『菊花明治撰』を通して、私たちは、移ろいゆくものの中に永遠の美を見出し、自然と共生しながら新たな価値を創造し、多様性を尊重する日本の美意識と哲学を再認識することができます。この稀有な画譜は、時代を超えて、私たちに自然の恵みと人間の創造性の調和の重要性を語りかけています。日本の花卉文化の真髄を理解するために、『菊花明治明治撰』が示す美の世界をさらに深く探求することは、現代社会においても豊かな示唆を与えてくれるでしょう。





上之巻


今井兼角 著『菊花明治撰』上之巻,今井兼角,明24.10.国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12899963


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