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服部雪斎が描く、花と科学の美しき融合:写生帖「百合花図/椿花図」が誘う日本の花卉文化の深淵

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2月1日
  • 読了時間: 13分

花鳥
「花鳥」 著者:服部雪筆 時代世紀:明治4年(1871) 品質形状:絹本着色 所蔵者:東京国立博物館


1. 時を超えて咲き誇る、日本の花卉文化の真髄へ


あなたは、一輪の花にどれほどの物語が宿っているか、考えたことがありますか?その花が、単なる美しさだけでなく、歴史の息吹、哲学の深遠、そして人々の心の移ろいを映し出す鏡だとしたら、その物語を紐解いてみたくはないでしょうか。日本の花卉文化は、単に植物を鑑賞するに留まらず、歴史、哲学、美意識と深く結びついています。四季折々の花々が織りなす風景は、古来より日本人の精神性に深く影響を与え、数々の芸術作品や生活習慣の中に息づいてきました。   


本稿では、その中でも特に注目すべき、江戸時代後期から明治初期にかけての激動の時代に活躍した博物画家、服部雪斎(はっとりせっさい)の写生帖「百合花図/椿花図」に焦点を当てます。この貴重な遺産は、日本の花卉文化の真髄を今に伝えるだけでなく、科学的な探求心と、花を慈しむ芸術的な感性が美しく融合した稀有な作品群です。彼の筆致には、植物の正確な記録と、それを超えた生命への深い洞察が込められており、見る者を時を超えた花の旅へと誘います。この画譜は、単なる美術史や植物学の解説に留まらず、その両側面から文化の深層に迫るものであり、日本文化の初心者から植物に深い関心を持つ専門家まで、幅広い読者にとって新たな発見の扉を開くことでしょう。



2. 服部雪斎の写生帖「百合花図/椿花図」とは


服部雪斎の写生帖「百合花図/椿花図」は、百合と椿の花を極めて写実的に描いた植物図譜であり、彼の代表作の一つとして高く評価されています。この画譜の最大の特徴は、その卓越した観察眼と描写力によって、花々の繊細な美しさが余すところなく表現されている点にあります。例えば、花びらの微細な脈理、しべの構造、葉の質感、そして露に濡れたような生命感が、緻密な筆致と鮮やかな色彩で描き出されています。   


雪斎の作品は、単なる植物の形を正確に記録するだけでなく、それを洗練された芸術作品として完成させる強い意図を持って制作されました。作品は第一次的な写生というよりは、後に清書して仕立てられた画巻といえ、これは写実性が、科学的観察に裏打ちされつつも、最終的には芸術性を追求するための手段であったことを示唆しています。細部まで丁寧に観察し、花々の特徴を正確に捉えるだけでなく、構図や色彩にも工夫を凝らし、絵画としての美しさも追求しました。この「昇華」の過程は、彼の博物画が持つ単なる記録以上の価値、すなわち「花と科学の美しき融合」という本稿の主題の根幹をなすものです。   


さらに、彼の観察の深さと表現の多様性は、作品の随所に見られます。例えば、特定の品種を描く際には様々な角度から数カット描かれ紙幅は異なり、画面の天地と左右を代えているものもある。これは、雪斎が対象となる植物を多角的に、かつ徹底的に観察していた証拠であり、単一の視点からの記録に留まらない、より深い理解と表現を追求していたことを示唆します。このような多様な視点からの描写は、植物の生態や成長の過程をも示唆し、博物画としての科学的価値を一層高めると同時に、鑑賞者により豊かな視覚体験を提供します。これは、彼の作品が単なる「図鑑」ではなく、生命そのものへの深い洞察を伴う芸術作品であることを示しています。   


「百合花図」には、ヤマユリ、ササユリ、テッポウユリなど、日本に自生する代表的なユリが描かれています。これらのユリは、その清楚で高貴な姿から、古くから日本人に愛されてきました。「椿花図」には、ヤブツバキ、ユキツバキ、ワビスケなど、様々な種類の椿が描かれていると考えられています。ただし、正確な種類を特定するにはさらなる調査が必要であるという記述も付記されています。   



3. 歴史と背景:幕末・明治を駆け抜けた博物画家の足跡



3.1 服部雪斎の経歴


服部雪斎は、文化4年(1807)に生まれ、没年は不詳ながら明治中期(明治21年/1888までは存命が確認されています)まで活躍した、江戸時代後期から明治初期にかけての博物画家です。雪斎の活動は、まさに日本が封建社会から近代国家へと変貌を遂げる激動の時代と重なります。雪斎は谷文晁門下で、田安家の家臣であった南画家・遠坂文雍の弟子であったとされ、武家出身の可能性が高いとされています。この出自は、雪斎が単なる職人画家ではなく、一定の教養と学識を持っていたことを示唆します。   


雪斎は、関根雲停と並び称される博物画の名手であり、その作品は写実性が高く、細部まで丁寧に描かれているのが特徴です。明治維新後は文部省に勤務し、啓蒙的な図譜類の原画を描くなど、新政府の下でもその才能を活かし、新しい時代の知識普及に貢献しました。   



3.2 時代背景と「百合花図/椿花図」の制作経緯


雪斎が活動した幕末から明治中期は、日本が大きな変革期を迎えていた「美術の激動期」であり、社会全体が新しい知識や技術に飢えていた時代でした。この時代は、蘭学(西洋の学問)の興隆や本草学(動植物や鉱物を研究する学問)の流行により、自然科学への関心が非常に高まっていました。宇田川榕菴が文政5年(1822)に日本で初めて西洋植物学を概説した『菩多尼訶』を刊行するなど、西洋の科学的知識が流入し、日本の伝統的な本草学と融合しようとしていました。   


こうした中で、雪斎は写実的な博物画を描くことで、動植物の姿を正確に記録し、当時の自然科学の発展に大きく貢献しました。雪斎の作品は、単なる美の追求だけでなく、学術的な探求心に裏打ちされたものでした。博物画は、旧来の学問と新時代の科学が交錯する中で、視覚を通じて知識を普及させる重要なツールであり、まさに時代変革の媒介としての役割を担っていました。   


「百合花図/椿花図」の正確な制作年代は不明ですが、雪斎の活動時期から、この幕末から明治中期にかけて制作されたと考えられています。この画譜は、当時の博物学的な探求心と、花卉園芸への熱い情熱が背景にあったことを示唆しています。また、嘉永7年(1854)に刊行された『朝顔三十六花撰』の図を担当するなど、当時の園芸ブーム、特に「変化朝顔」の第二次ブームにも深く関わっていました。これは、彼の作品が単なる学術的な記録だけでなく、当時の人々の生活や趣味にも密接に結びついていたことを示しており、博物画が社会の中で多様な役割を担っていたことを物語っています。この園芸ブームと博物画の相互作用は、専門家や貴族階級だけでなく、一般の人々も植物の多様性や美しさに深い関心を抱き、それを正確に記録し、共有しようとする文化が醸成されていたことを意味します。博物画は、単なる研究資料としてだけでなく、人々の好奇心を満たし、知識を共有し、美を享受するための手段として機能しており、これはある種の「美と知識の民主化」の萌芽と捉えることができます。   


服部雪斎の多岐にわたる博物画の業績を一覧で示すことで、彼の画家としての広範な影響力と専門性を視覚的に理解することができます。彼の作品が自然科学の発展に貢献したという抽象的な記述は、具体的な作品名と内容を結びつけることで、その貢献がいかに多角的であったかを明確に示します。例えば、『目八譜』が貝類学に貢献したという事実は、彼が植物だけでなく動物学にも精通していたことを示唆し、彼の博物学への深い関心を裏付けます。


表2: 服部雪斎の主要博物画とその貢献

作品名

主な内容/特徴

時代/制作年 (判明しているもの)

文化的・学術的貢献

百合花図/椿花図

百合と椿の写実的な植物図譜、科学性と芸術性の融合、繊細な美しさの表現

幕末から明治中期(正確な年代不明)

自然科学(本草学・蘭学)の発展への貢献、貴重な資料としての価値、科学的正確さと芸術的表現の融合

朝顔三十六花撰

変化朝顔の多様な形態を詳細に記録

嘉永7年(1854年)

当時の園芸ブーム(特に変化朝顔)を反映、園芸文化の記録と普及

ヒヤシント図

江戸末期〜明治初期に渡来したヒヤシンスの図譜

江戸末期〜明治初期

新しい外来植物への関心を示す、博物画家間の共同制作の例

目八譜

991種の貝を収録した精緻な図譜

武蔵石壽編

日本貝類学の画期的な資料、博物学への多岐にわたる貢献

有用植物図説

有用植物の正確な描写

田中芳男・小野職愨編

明治初期の博物学の成果、知識の啓蒙



4. 文化的意義と哲学:花に宿る精神性と美意識



4.1 科学性と芸術性の融合:博物画の真髄


服部雪斎の博物画は、単なる科学的な記録に留まらず、精緻な描写と鮮やかな色彩表現によって、比類ない芸術作品としての美しさを追求しました。雪斎の作品に見られる細密な筆致と生き生きとした色彩は、対象となる植物の生命感を際立たせ、見る者に深い感動を与えます。これは、江戸時代の学問と芸術が融合した「博物学」の本質を体現しており、現代の専門分化された学問分野とは異なる、多角的な視点から自然を理解し、その本質を全体的に表現しようとする包括的なアプローチを示しています。   


雪斎は、科学的な正確さを追求しながらも、それを芸術的な表現へと昇華させることで、知識と美の調和を図りました。雪斎の作品においては、科学的な観察による正確さが、対象の持つ本質を深く捉えることを可能にし、それによって芸術作品としての深みや説得力が増幅されるという、相互作用の関係性が存在します。つまり、雪斎の博物画は、科学的知見が芸術表現を豊かにする好例であり、この融合こそが、鑑賞者に単なる美しさ以上の学びと発見を与える基盤となっているのです。雪斎の画風は、中国の南蘋派の影響を受けており、写実的な表現と装飾的な要素を融合させた独自のスタイルを確立しました 。この中国趣味の取り入れは、当時の日本の知識人や芸術家が、東洋の多様な文化から学び、自らの表現を豊かにしようとした姿勢を反映しています。   


『目八譜』(貝類図譜)や『有用植物図説』といった他の作品にも、その鋭い観察眼と正確な描写力が表れており、雪斎の作品は現代においても動植物の貴重な資料として評価されています。これらの作品群は、雪斎が博物学という分野において、いかに多岐にわたる貢献をしたかを示しています。   



4.2 百合と椿に込められた日本の美意識と象徴性


服部雪斎の写生帖「百合花図/椿花図」は、描かれた花々が持つ象徴性を通じて、日本の豊かな美意識と精神性を深く示唆しています。


百合の象徴性:「百合花図」に描かれたヤマユリ、ササユリ、テッポウユリなどのユリは、日本では古くからその清楚で堂々とした姿から「純粋さ」や「高貴さ」を象徴するものとして愛されてきました。その優雅な佇まいは、日本の伝統的な美意識に深く響くものでした。西洋では聖母マリアの純潔や復活の象徴とされるなど、東洋・西洋を問わず、様々な文化圏で重要な意味を持つ花です。雪斎の精緻な描写は、これらの象徴性を視覚的に高め、鑑賞者に花の持つ精神的な美しさを深く感じさせます。   


椿の象徴性:二面性を持つ日本の心 「椿花図」に描かれた椿は、厳しい冬の寒さの中で鮮やかに花を咲かせることから、「生命力」や「強さ」、「忍耐」の象徴とされてきました。平安時代には「高貴な花」「聖なる花」ともされ、その存在は吉祥木として尊ばれていました。   


しかし、椿の花が咲き終わりに近づくと、花の根元からポトリと落ちるという独特の特徴から、日本では古くから「死」や「潔さ」、あるいは「武士道精神」を連想させる花としても捉えられてきました。特に喪中ハガキのデザインに用いられるなど、その「首が落ちる」ような散り方が、人の死を暗に意味する奥ゆかしい表現として使われることもあります。時代劇では、残酷な死のシーンを直接描かず、椿が落ちることでそれを暗示する演出も見られました。   


この二面性こそが、椿が日本人の自然観や美意識に深く根ざしている証であり、生と死、強さと儚さといった対極的な概念を内包する日本の精神性を象徴しています。椿の花は、冬に咲く「生命力」や「強さ」の象徴である一方で、花が丸ごと落ちる様が「死」や「潔さ」を連想させるという明確な二面性を持つことが、日本文化が自然現象の中に生と死、美と儚さといった対極的な意味を見出し、それを「奥ゆかしい表現」として受け入れてきた精神性を示しています。雪斎の写実的な描写は、この多層的な意味合いを鑑賞者に問いかけ、単なる花の絵を超えた哲学的な深みを与えます。これは、単なる「縁起の良し悪し」を超えた、日本独自の自然観と死生観の表れであり、彼の作品を通じて、日本の伝統的な美意識の深淵に触れることができるでしょう。

百合と椿に込められた象徴性を整理することで、読者はその多層的な意味合いを一度に理解し、比較することができます。特に椿の持つ二面性は、文章だけでは理解しにくい複雑な概念であり、表にすることでその対比が明確になり、読者の理解を深めることができます。



4.3 自然観と美意識への影響


服部雪斎の博物画は、当時の人々の自然への好奇心と探求心を刺激し、植物の多様性や生命の神秘に対する深い洞察を促しました。彼の作品は、西洋の科学的視点と日本の伝統的な美意識を融合させ、新たな自然観を提示したと言えるでしょう。彼の作品は、単に植物を分類・記録するだけでなく、その中に宿る普遍的な美や、日本文化が花に託してきた精神性を視覚的に表現することで、当時の人々の自然観や美意識に大きな影響を与えました。これは、江戸時代から続く「花を愛でる心」が、単なる風流に留まらず、科学的な探求心と芸術的な表現力によって深められていった過程を示しています。雪斎の作品は、自然を深く観察し、その本質を捉えようとする日本人の精神性を象徴するものです。



5. 結び:未来へ繋ぐ、花卉文化の遺産


服部雪斎の写生帖「百合花図/椿花図」は、単なる過去の遺産ではなく、現代に生きる私たちにとっても多大な価値を持つ作品です。彼の作品は、時を超えて語りかける普遍的な美と知の結晶であり、江戸時代から明治にかけての日本の自然科学の発展、園芸文化の隆盛、そして日本人の自然観と美意識の変遷を今に伝える貴重な資料です。それは、当時の人々の知的好奇心と、花への深い愛情の証でもあります。   


現代においても、雪斎の作品が持つ科学的正確さと芸術的魅力は色褪せることなく、私たちに植物の多様な美しさ、生命の尊さ、そして文化の奥深さを教えてくれます。デジタル化された資料を通じて、私たちは彼の緻密な筆致を細部まで鑑賞し、新たな発見をすることができます。彼の作品は、江戸から明治にかけて自然科学の発展に貢献し、明治期には文部省の啓蒙的な図譜の原画も担当したことからもわかるように、時代を超えて人々に知識や美意識を伝える教育的かつ啓蒙的な役割を担っていました。現代においても、彼の作品は江戸時代の園芸文化や植物研究を知る上で貴重な資料であり、その精緻な描写と芸術性の高さは驚きと感動を与える存在として、現代の私たちにも学びと発見を提供し続けています。   


雪斎の作品は、江戸時代の園芸愛好家の熱意と、植物の多様性への深い探求心を反映しています。彼の作品が現代においても貴重な資料として評価され、人々を魅了し続けることは、日本人が古くから持ち続けてきた「花を愛でる心」が、時代や社会の変化を超えて持続していることを示唆しています。この持続性は、単なる美的嗜好だけでなく、自然との共生、生命への敬意、そして季節の移ろいを感じ取る繊細な感性といった、日本の根源的な文化精神に深く根ざしています。   




百合花図


『写生帖』百合花図著者  服部雪斎//〔画〕出版社 写し 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1286765




椿花図


『写生帖』椿花図著者  服部雪斎出版社 写し 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1286766


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