『素晴らしき日本の六十の風景』が織りなす魅惑の日本風景
- JBC
- 2025年5月1日
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1. 時を超えて息づく日本の美
日本の四季折々の風景、特にそこに咲き誇る花々や息づく植物は、古くから日本人の心に深く根ざし、豊かな文化を育んできました。私たちは、ただその美しさを眺めるだけでなく、自然の中に人知を超えた崇高なものを見出し、精神的な深みを感じ取ってきました。この感性は、「花鳥風月」や「侘び寂び」といった言葉に象徴される日本の根源的な美意識として、文化全体に深く浸透しています。
本稿では、大正時代に刊行された貴重な写真集『素晴らしき日本の六十の風景 (For remembrance: sixty views of sights and scenes in unique Japan)』を通じて、日本の花卉・園芸文化の真髄とその魅力に迫ります。この写真集が、その豊かな美意識をどのように捉え、私たちに伝えているのか、その本質を探求する旅へと読者を誘います。単なる過去の記録に留まらず、日本の美と精神性が織りなす奥深い世界を巡ることで、日本の伝統文化が持つ普遍的な価値を再発見する機会となるでしょう。
2. 『素晴らしき日本の六十の風景』の概要
『素晴らしき日本の六十の風景』は、大正時代中期、具体的には1920年代半ばに、当時の日本の政府機関であった鉄道省によって発行された、非常に貴重な写真集です。この写真集は、特定の個人の芸術的表現としてではなく、国家的な目的のもとに制作された点が大きな特徴です。
この写真集の際立った点は、元々モノクロであった写真に、熟練した職人の手によって一つ一つ丁寧に手彩色が施され、印刷されていることです。これにより、当時の日本の風景が、より色彩豊かで魅力的な姿で表現されています。これは、当時の写真技術の限界を補いつつ、日本の伝統的な色彩感覚や美意識を反映させようとする意図が強く読み取れる部分です。単に風景を記録するだけでなく、日本の美を視覚的に最大限に引き出し、見る者の心に訴えかける工夫が凝らされています。
収録されている内容は多岐にわたり、当時の日本の多様な風景、文化、そしてそこに息づく人々の営みの一端を映し出しています。例えば、東京の二重橋や上野公園、亀戸天神、歌舞伎座といった都市の象徴的な名所が収められています。さらに、日本の花卉・園芸文化と深く関連する場所として、優美な日本庭園や、季節の花々が咲き誇る堀切菖蒲園の情景も含まれています。また、日光東照宮、華厳の滝、中禅寺湖、榛名湖、妙義山といった、日本各地の息をのむような自然の絶景も多数掲載されています。
この写真集は、単なる観光ガイドブックの枠を超え、当時の日本の風景が持つ美しさ、文化の多様性、そしてそこに息づく人々の暮らしを映し出す、時代を象徴する作品として位置づけられます。特に、日本庭園や堀切菖蒲園といった花卉/園芸関連の場所が収録されていることは、当時の政府の観光戦略において、日本の花卉/園芸文化が重要な観光資源として認識されていたことを示しています。これは、写真集が単なる一般的な風景の記録ではなく、日本の伝統的な美意識や文化資産を深く理解し、それを戦略的に活用しようとしていた証拠であり、本記事の主要テーマである日本の花卉・園芸文化との直接的な関連性を強化しています。
3. 時代背景と制作の意図:観光振興と美の記録
3.1. 「作者」としての鉄道省の役割
『素晴らしき日本の六十の風景』の「作者」は、特定の写真家ではなく、当時の政府機関である鉄道省です。この事実は、写真集が個人の芸術的表現というよりも、国家的な目的のために制作されたことを明確に示しています。鉄道省は、大正時代(1912~1926)から昭和初期(1926~)にかけて、日本の鉄道網の拡大と並行して、国内および国際観光の振興に極めて重要な役割を担っていました。
この写真集は、単なる風景の記録に留まらず、日本の魅力を国内外に広く発信し、観光客を誘致するための戦略的なプロモーションツールとして制作されたと考えられます 。鉄道省がこの写真集を制作した背景には、日本の美しさを「商品」として世界に売り込み、観光客を誘致するという、当時の国家的な経済戦略が深く関わっていました。美の追求が、時に国家の政策と深く結びつくという、より広範な文化的・経済的動向を示していると言えるでしょう。
3.2. 大正・昭和初期の観光政策と写真の役割
大正時代から昭和初期にかけて、日本政府は国際協調外交の機運の高まりやシベリア鉄道の完成などを背景に、外貨獲得を主要な目的とした国際観光振興策を積極的に推進しました。大正5年(1916)には経済調査会が国際観光振興策を決議し、政府に提言しています。この提言に基づき、観光地の整備、案内所の設置、案内地図の刊行、目新しいポスター制作、運賃割引、臨時列車の運行など、多岐にわたる施策が試みられました。
特に、未開発の観光資源の紹介やスキー、スケートといった新しいレクリエーション活動の普及には、写真や観光映画の制作が積極的に活用されました。『素晴らしき日本の六十の風景』は、こうした政府主導の観光プロモーションの一環として、日本の美しい風景を視覚的に提示し、旅行への関心を高める役割を担った、まさに時代の要請に応える作品でした。この写真集の制作は、当時の日本が、西洋の新しい技術を取り入れつつも、自国の伝統的な美意識や表現方法を融合させ、独自の文化を形成していった過程を象徴しています。
表1:大正・昭和初期の主要な観光振興策と出来事
年(和暦/西暦) | 主な出来事/政策 | 目的/背景 |
大正5年(1916年) | 経済調査会が外貨獲得を目的とする国際観光振興策を決議し、政府に提言 | 国際協調外交の機運、シベリア鉄道の完成、外貨獲得 |
大正9年(1920年) | 団体旅客のための割引を導入 | 貨物輸送優先から旅客輸送への転換、観光振興 |
大正時代~昭和初期 | 観光地の整備(観光案内所、宿泊施設など) | 鉄道網の拡大、観光産業の発展 |
昭和5年(1930年)~ | 未開発観光資源の紹介、新しいレクリエーション活動(スキー、スケートなど)の普及、観光映画の作成 | 経済不況下の国内旅行需要喚起、多角的な観光宣伝 |
1930年代 | 国際観光局設立 | 観光宣伝、観光地の整備、観光客誘致の推進 |
3.3. 日本の風景写真の黎明期と手彩色の文化
写真は弘化3年(1846)頃にダゲレオタイプカメラが日本に伝来し、幕末から明治初期にかけて上野彦馬やフェリーチェ・ベアトといった先駆者たちによって発展しました。当時の写真は基本的に白黒でしたが、観光客向けには手彩色が施されることが一般的でした。桜はピンクに、垂れ下がる藤は青に、といった具合に、油絵具で鮮やかな色彩が加えられ、現実の風景をより魅力的に表現しようとしました。
鉄道省の写真集もこの手彩色の流れの中にあり 、これは単に技術的な制約があっただけでなく、日本の視覚文化が色彩豊かな表現(例えば浮世絵 )を重視していたため、白黒写真では伝えきれない魅力を補完しようとした意図があったと考えられます。これにより、日本の風景を単に記録するだけでなく、日本人が心に描く理想化された美を表現しようとした、当時の技術と美意識の融合が見て取れます。この手法は、写真が単なる客観的記録媒体ではなく、文化的な表現手段、さらには経済的戦略ツールとして用いられた証拠とも言えるでしょう。
4. 自然への深い敬愛と哲学:写真集に込められた文化的意義
4.1. 日本の自然観と美意識の根源
日本人は古来より、自然の中に神聖さや美を見出す独自の感性を持ってきました。この感性は、日本の国教である神道(自然崇拝)にルーツを持ち、八百万の神々が森羅万象に宿ると考える思想に深く根差しています 。富士山が神のいます場所、信仰の対象とされてきたことや、注連縄で印された珍しい岩や木が神聖な場所とされたことは、その象徴です。
「花鳥風月」(花、鳥、風、月を通じて自然の美を鑑賞し、自己を発見する哲学)や「雪月花」(四季折々の風雅な眺め)といった言葉に象徴されるように、自然は単なる背景ではなく、精神的な探求の対象であり、芸術表現の源泉でした。また、「侘び寂び」(不完全さの中に見出す美、時の流れや儚さの受容)、「もののあはれ」(移ろいゆくものへの深い共感)、「自然」(あるがままの姿の美しさ)といった美意識も、日本の文化と芸術の根底に深く根差しています。
『素晴らしき日本の六十の風景』に収められた多様な風景は、これらの美意識を視覚的に表現しており、日本の自然が持つ精神性や思想を深く映し出しています。例えば、富士山の写真は、単なる山ではなく、神聖な存在としての象徴性を帯び、日本人の精神的な拠り所としての意味合いを強く持ちます。写真集に収められた多様な風景は、これらの美意識を視覚的に具現化したものであり、抽象的な哲学概念が具体的なイメージと結びつくことで、読者は日本の美意識をより深く「体験」することができます。
表2:日本の主要な美意識と概念
概念 | 意味/特徴 | 関連する文化/芸術 |
花鳥風月(Kachou Fuugetsu) | 自然(花、鳥、風、月)の美を鑑賞し、自己を発見する哲学。四季の移ろいの中に美を見出す。 | 和歌、日本庭園、生け花、絵画 |
侘び寂び(Wabi-Sabi) | 不完全さ、簡素さ、時間の経過、儚さの中に見出す静かで奥深い美。 | 茶道、枯山水庭園、陶芸(金継ぎ) |
もののあはれ(Mono-no-aware) | 移ろいゆくもの、儚いものへの深い共感や哀愁。自然の移ろいや人生の無常に対する感情。 | 源氏物語、和歌、桜の鑑賞 |
自然(Shizen) | あるがままの姿、作為のない自然な状態の美しさ。 | 日本庭園、盆栽、生け花 |
4.2. 花卉/園芸文化における自然との共生
日本の花卉/園芸文化は、自然への深い敬愛と美意識の具現化として発展してきました。
生け花:生け花の起源は、6世紀から8世紀にかけて仏教が伝来した際に、仏に花を供える習慣から始まったとされています。これは、神道の自然への畏敬の念とも深く結びついています。室町時代には「立て花」として様式化され、江戸時代には「立花」や「生花」へと発展しました。生け花は単なる装飾を超え、「天・地・人」の三位一体を表すなど、宇宙観や哲学的な意味を持つ芸術形式へと昇華されました。明治期には、政府が「良妻賢母」教育の一環として女性の教育に生け花を組み込んだという事実が示すように 、生け花は単なる趣味や芸術を超え、国民の品性や価値観を形成するための社会的なツールとして活用されました。これは、文化が時代や社会の要請に応じてその形態や役割を変えながらも、本質的な価値を保ち続けるという、より広範な文化的適応のメカニズムを浮き彫りにしています。西洋花を取り入れた「盛花」も登場するなど、時代とともに進化し続けています。
日本庭園:日本庭園は、神道、道教、仏教の影響を強く受け、自然の風景を凝縮し、理想化された形で表現する芸術です。水、岩、砂、植物といった要素が象徴的に配置され、「ミニチュア化」(岩が山を、池が海を表す)、「隠蔽(見え隠れ)」(歩くことで景色が徐々に現れる)、「借景」(庭の外の風景を庭の一部として取り込む)、「非対称性」(直線的な配置を避ける)といった美的原則に基づいて設計されます。特に「借景」の概念は、庭園の物理的な境界を超えて、遠くの山々や建物までを庭園の構成要素として取り込むという、日本人特有の自然との一体感や空間認識を示しています。これは、人間が自然を支配するのではなく、自然の中に溶け込み、共存しようとする日本の哲学を象徴しています。枯山水庭園は瞑想を促し、回遊式庭園は歩きながら景色を「発見」する体験を提供します。庭園は単なる景観ではなく、宇宙観や哲学を表現する生きた芸術作品です。
盆栽:日本の花卉/園芸文化の重要な要素として、自然を凝縮し、小さな鉢の中に大自然を表現する芸術であり、花卉・園芸文化における自然との共生の精神を体現するものです。
4.3. 写真集が伝える「心の風景」
『素晴らしき日本の六十の風景』は、単に美しい景色を記録しただけでなく、その背後にある日本人の自然に対する畏敬の念、儚さへの共感、そして季節の移ろいの中に美を見出す感性を伝えています。手彩色された色彩は、現実の忠実な再現だけでなく、日本人が心に描く理想化された「心の風景」を表現しようとした試みとも解釈でき、当時の日本人がどのような美を追求していたかを物語っています。この写真集に収められた風景は、単なる物理的な景観ではなく、日本の精神性と深く結びついた、まさに「心の風景」として私たちに語りかけています。
5. 結び:未来へ繋ぐ日本の花卉/園芸文化
『素晴らしき日本の六十の風景』は、単なる過去の記録や観光プロモーションの遺産に留まらず、現代を生きる私たちに、日本の自然と文化の深い結びつき、そしてその中に息づく美意識の普遍的な価値を再認識させる、時を超えたメッセージを伝えています。
この写真集は、鉄道省による観光振興という実用的な目的を超え、日本の風景が持つ精神性、花卉・園芸文化が育んできた自然との共生、そして「花鳥風月」や「侘び寂び」に代表される美意識の奥深さを、視覚的に雄弁に語りかけています。この歴史的な作品は、過去の文化遺産が持つ現代的な意義と普遍性を強調し、読者が記事で得た知識を自身の日常生活に結びつけ、文化への関心を継続させるきっかけとなるでしょう。
現代においても、日本の花卉/園芸文化は、都市空間における「坪庭」のように限られた空間で自然を享受する工夫 や、身近な生け花、盆栽といった形で私たちの生活に潤いと発見をもたらし続けています。また、「森林浴」のように、自然との触れ合いを通じて心身の健康を促す新たな実践も生まれており、科学的な研究によってその効果も裏付けられています。
これらの現代的な実践は、日本の花卉・園芸文化が過去の遺産に留まらず、現代社会のニーズ(都市生活における自然との触れ合い、ストレス軽減など)にも応えながら進化し続けていることを示唆しています。日本の伝統文化は、その柔軟性と生命力によって、未来へと続く道筋を拓いています。
本写真集をきっかけに、身近な自然の中に日本の美を見出し、日々の暮らしの中で「花卉・園芸文化」の精神性を体験することは、私たち自身の内なる好奇心と発見の喜びを育むことにも繋がります。日本の伝統が織りなす豊かな世界は、これからも私たちに深い感動と新たな視点を与え続けるでしょう。
表紙

上野公園の桜

堀切菖蒲園

妙義山

場所不明

須賀川市の牡丹

日光市の杉並木

札幌の神社の桜並木

金閣寺

亀戸天神

日光東照宮



