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画菊

学名:Chrysanthemum 科名:キク科 属名:キク属 和名:菊


開花時期は、園芸品種が多様化していますが、 秋に咲くものは、10月下旬~11月頃 夏に咲くものは、6~7月 冬に咲くものは、12~1月


『画菊』とは、日本のキクを描いた図譜の嚆矢ともいえる作品。 永正16年 (1519) に描かれた100品の図と花銘に、 新たに七言絶句の詩を添えて元禄4年 (1691) に刊行されたものです。 著者の潤甫 周玉は、戦国時代の臨済宗の僧。

若狭武田氏の第5代武田元信の庶長子。

京都にある建仁寺の282世となった僧侶です。



菊は、日本を代表する園芸植物のひとつです。菊は日本在来の植物ではないが、平安時代の宮廷ですでに菊花の宴が流行していることにより、律令期に他の文物とともに中国からもたらされたと考えられています。 平安・鎌倉時代からは日本独自の美意識により、支配者層の間で独特の花が作り出されました。筆先のような花弁をもつ「嵯峨菊(さがぎく)」は京都の大覚寺で門外不出とされ、花弁の垂れ下がった「伊勢菊(いせぎく)」は伊勢の国司や伊勢神宮との関わりで栽培されました。そして、菊は支配者層の中で宴に、美術工芸品に、不老不死のシンボルとして特権的な地位を築いていったのです。 それが、近世中頃以降になると大衆化し、変化に富む園芸種の菊花壇や、菊細工の見世物が流行したと言われています。それらの流行を支えたのが、花弁のまばらな「肥後菊(ひごぎく)」と花弁が咲き始めてから変化していく「江戸菊(えどぎく)」です。これらに花の中心が盛り上がって咲く丁子菊(ちょうじぎく)を加えた伝統的な中輪種は「古典菊」と呼ばれています。 くらしの植物苑では、このような「古典菊」を2000年から収集・展示してきました。今回は、「明治時代の菊ブーム」をテーマとして、華族の菊作りとその大衆化の過程を雑誌の記事や絵葉書を通じて紹介します。

国立歴史民族博物館



潤甫<周玉>//〔原画〕『画菊』元禄4(1691)刊. 

国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1288399









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