top of page

「画菊」が織りなす日本の心:戦国の世に咲いた菊の画譜が伝える美と哲学

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 1月1日
  • 読了時間: 12分

ree


日本の花卉文化は、単なる植物の栽培に留まらず、その奥深くに日本の美意識や哲学が息づいています。私たちは日々の暮らしの中で、季節の移ろいを花に感じ、その姿に心を寄せます。しかし、花が持つ真の魅力、そしてそれが文化や歴史とどのように結びついてきたのか、深く探求したことはあるでしょうか。特に、秋の訪れを告げる菊は、古くから日本の象徴として特別な存在であり、その高潔な美しさは、皇室の紋章や武家の家紋、さらには数々の詩歌や文学作品にも登場し、普遍的に愛されてきました。   


今回、私たちは「画菊」という稀有な画譜を通して、日本の花卉文化の深淵へと誘う旅に出かけます。この作品は、単なる植物図鑑や絵画集ではありません。それは、知られざる日本の美の深淵に触れる扉であり、菊という花が日本人の精神性、社会構造、そして季節感をいかに凝縮してきたかを解き明かす鍵となるでしょう。



1. 「画菊」とは:日本初の菊の画譜が描く世界


「画菊」とは、室町時代に臨済宗の僧侶である潤甫周玉によって描かれた菊の画譜です。この画譜は、菊の様々な姿や特徴を詳細に捉え、絵として表現したものであり、単なる植物の図鑑という枠を超え、菊が持つ美しさや象徴的な意味合いを絵画を通して伝えることを意図しています。   


「画菊」は、100種類もの菊の絵と、それぞれの名称、そして漢詩の形をとった説明が付されており、丁寧な筆彩色が施されている点が特徴です。この精緻な描写は、当時の菊の多様な品種や、それに対応する名称、そして菊に寄せる人々の想いを現代に伝えています。   


この画譜の特筆すべき点は、「わが国最初の菊の図譜」としての画期的な意義にあります。これは、単なる植物の形態を記録するだけでなく、その美しさを芸術的に表現し、さらに漢詩を通じて象徴的な意味や哲学的な解釈を加えている点で、植物学、芸術、哲学が融合した多層的な文化財と言えます。当時の人々が植物を単なる自然物としてではなく、知的な探求、美的鑑賞、精神的思索の対象として捉えていたことを示す、極めて複合的な文化の結晶がここにあります。   


「画菊」は、日本における植物画譜というジャンルの確立、ひいては江戸時代に花開く園芸文化と出版文化の発展に繋がる重要な一歩であったと考えられます。中国からの画譜輸入がきっかけで江戸時代に画譜の出版が盛んになった背景を考えると 、「画菊」は、中国の画譜文化の影響を受けつつも、日本の特定の植物(菊)に特化し、独自の表現で制作された初期の試みであったことがうかがえます。   


以下に、「画菊」と作者である潤甫周玉に関する主要な情報をまとめます。

項目

詳細

作品名

画菊 (Gagiku)

作者

潤甫 周玉 (Junpo Shugyoku)

作者の生没年

永正元年 (1504年) - 天文18年 (1549年)

作成時期

永正16年 (1519年) (16歳時)

刊行時期

元禄4年 (1691年)

内容

100種類の菊の絵と名称、漢詩の形をとった説明

特徴

日本初の菊の画譜、丁寧な筆彩色

作者の身分

臨済宗の僧、若狭武田氏第5代武田元信の庶長子



2. 歴史と背景:戦国の世に咲いた高潔な美



2.1. 著者・潤甫周玉の生涯と時代


「画菊」の作者である潤甫周玉は、永正元年(1504)に生まれ、天文18年(1549)に没した戦国時代の臨済宗の僧侶です。彼は若狭国の守護大名、武田元信の庶長子として生まれましたが、庶子であったため若くして出家しました。僧侶としての経歴は確かなもので、天文8年(1539)には雲外寺を開山し、天文12年(1543)には建仁寺の第282世に迎えられています。また、公家の三条西実隆とも交流があったことが『実隆公記』に記されており、彼が単なる僧侶に留まらない教養人であったことを示しています。   



2.2. 「画菊」制作の経緯と室町時代の文化


潤甫周玉が「画菊」を著したのは、彼が16歳の時、すなわち永正16年(1519)のことでした。この時期は、室町幕府の権威が失墜し、下克上が横行する戦国時代へと突入していく激動の過渡期にあたります。社会全体が混乱と不安に包まれる中で、若き禅僧が菊という繊細で高潔な花を100種も描き、漢詩を添えた画譜を制作したことは、単なる余技を超えた深い意味を持っています。それは、世の混乱とは対照的な、内面的な平和と秩序、そして美の追求であったと考えられます。この作品は、激動の時代にあって人々が精神的な支えや希望を見出そうとした営み、あるいは芸術と信仰が乱世を生き抜くための手段となったことを象徴するものです。   


当時の文化・芸術においては、禅宗の影響が強く、水墨画が盛んに描かれた時代でした。鎌倉時代に禅宗とともに日本に伝わった水墨画は、当初は禅の思想を表す信仰的な画題が中心でしたが、次第に山水や花鳥など、より世俗的な題材も描かれるようになりました。特に中国から輸入された宋元画の影響を受け、如拙や周文といった画僧たちが活躍し、日本独自の水墨画様式を確立していきました。禅寺には絵画を専門とする画僧が存在し、花鳥画も描かれていました。菊は、その高潔な姿から蘭、竹、梅とともに「四君子」の一つとして、また長寿の象徴として、中国をはじめ日本でも広く親しまれており、特に水墨画や文人画の画題として好まれました。   



2.3. 刊行までの道のり:時を超えて受け継がれた価値


「画菊」が制作されたのは永正16年(1519)でしたが、実際に刊行されたのはそれから約170年後の元禄4年(1691)でした。この長い時間の隔たりは、当時の社会・文化状況の大きな変遷を物語っています。   


「画菊」が制作された室町時代末期は、前述の通り戦乱の時代であり、大規模な商業出版のインフラや、一般大衆にまで広がる園芸文化の需要は未成熟であったと考えられます。潤甫周玉のような教養人の間では私的に写本として流通していた可能性はありますが、広く世に出る土壌はまだ整っていませんでした。

しかし、江戸時代に入ると、社会は安定し、経済が発展しました。徳川将軍家が花好きであったことも手伝い、大名から庶民まで身分を問わず園芸に親しむようになり、園芸文化が発展しました 。椿や躑躅、菊、牡丹など様々な植物が人気を博し、盛んに栽培され、特に江戸時代後期には朝顔や花菖蒲などで数多くの新しい品種が作り出されました。園芸を楽しむ文化が広がるにつれて、品種の紹介や栽培方法の解説が載った園芸書が次々と出版されるようになります。画譜は学術的な本を扱う書物問屋から刊行され、中国からの画譜輸入がその流行のきっかけとなりました。   


このような社会状況の変化、すなわち平和な時代における経済発展、庶民の園芸熱の高まり、そして出版技術と流通網の発展が、「画菊」という優れた作品を世に出す土壌を整えたと言えます。永正16年に記された臨済宗の僧永瑾による序文が存在すること は、作品の成立時期が確かであることを補強し、その価値が時代を超えて認識され、より広い層に受け入れられる準備が整うまで待たれたことを示しています。この刊行の遅延は、「画菊」がその時代において先駆的な作品であったこと、そして文化財が時代とともにその受容のされ方を変え、新たな価値を見出される過程を雄弁に物語っているのです。   



3. 文化的意義と哲学:「画菊」に込められた精神性



3.1. 菊の象徴性と日本文化


菊は、古くから日本の文化において「美の象徴」として深く根ざしてきました。その格式と普遍的な愛され方は、皇室の「菊の御紋」や武家の家紋、さらには数々の詩歌や文学作品への登場例からも明らかです。菊の花言葉である「品位、高潔、誠実さ」は、その優雅な姿と共鳴し、日本の伝統的な美意識と深く結びついています。   


また、菊は「長寿」や「不老不死」の象徴としても重んじられてきました。中国から伝来した「重陽の節句」(菊の節句)では、菊の花を飾ったり、菊酒を飲んだりして不老長寿や無病息災を願い、邪気払いのシンボルとされてきました。特に「画菊」が制作された戦乱の室町時代においては、菊は「高潔な姿や不老長寿の象徴性から、人々に希望や勇気を与える存在として、より一層重要視された」可能性があります。   


菊の象徴性は、時代とともにその強調される側面を変えながら、常に人々の精神的な支えとなってきたと言えるでしょう。戦国時代には乱世を生き抜くための希望や勇気の象徴として、江戸時代には平和な世で品種改良が進み、多様な美しさが追求される中で、人々の生活に潤いと豊かさをもたらす存在として愛されました。このように、「画菊」は、菊の多層的な意味合いを視覚的に捉えた貴重な証拠であり、時代ごとの社会状況や人々の心の状態に応じて、菊の異なる側面が強調されてきたことを示しています。


以下に、菊の多層的な象徴性をまとめます。

カテゴリ

象徴的意味・文化的役割

象徴的意味

美、品位・高潔・誠実さ、長寿・不老不死、希望・勇気(特に乱世において)

文化的役割

皇室の紋章、武家の家紋、詩歌・文学作品の題材、秋の到来を告げる花、重陽の節句(菊の節句)

関連する思想・美意識

四君子の一つ、もののあはれ・わびさび、禅宗的な美意識



3.2. 禅僧の眼差しと自然観


潤甫周玉が臨済宗の僧侶であったことは、「画菊」に禅宗的な思想や美意識が反映されている可能性を深く示唆しています。室町時代の水墨画は禅の思想と深く結びつき、墨の濃淡や筆致、余白などを巧みに利用することで、簡素でありながら力強い作品が多く生まれました。禅宗美術において花鳥画も描かれ、菊は文人画における「四君子」の一つとして、高潔な人格や節操を象徴するものとして好まれました。   


日本の美学における「写生」は、単なる科学的正確さを追求するだけでなく、対象の本質を深く理解し、精神的な側面を表現するための瞑想的な実践へと昇華されるものです。この考え方は、「画菊」の精緻な描写にも通じます。潤甫周玉は、菊の形態を正確に捉えるだけでなく、その内にある生命力や情感、そして描く対象への深い敬意を筆に乗せようとしたのかもしれません。これは、日本の伝統的な芸術観、すなわち「形」を通して「心」や「精神」を表現しようとする哲学に通じるものです。   


また、日本の伝統的な美学において重要な要素である「余白」や「間」の美意識も、画譜の構図に適用できる可能性があります。描かれていない空間が鑑賞者の想像力を喚起し、自然の広がりや無限の可能性を示唆します。   


室町時代の禅僧たちは、中国から伝来した水墨画や文人画、五山文学といった高度な文化を日本にもたらし、その普及と発展に中心的役割を果たしました。彼らは、禅の修行で培われた洞察力や精神性を、世俗的な対象である花(例えば、牡丹や梅)の観察と表現に応用し、そこに普遍的な真理や美を見出しました。潤甫周玉の「画菊」は、宗教的な主題ではない「菊」という題材を、禅の精神性(高潔さ、本質への洞察)と結びつけ、精緻な画譜として昇華させた点で、禅僧が単なる信仰の伝道者ではなく、芸術家、学者、そして文化の触媒としての役割を担っていたことを示しています。これは、禅僧が外来文化を日本化し、新たな芸術形式を創造し、自然の中に普遍的な真理や美を見出すという、日本の文化形成における彼らの多大な貢献を象徴するものです。   



3.3. 園芸文化の発展と「画菊」の役割


「画菊」は、当時の菊の多様な品種や、それに対応する名称、そして菊に寄せる人々の想いを窺い知ることができる貴重な資料です。これは、江戸時代に花開く園芸文化や、それに伴う園芸書の出版ブームの文脈で理解することができます。   


江戸時代には「大名から庶民まで身分を問わず園芸に親しみ、園芸文化が発展」しました。椿や牡丹などと共に菊も人気を博し、盛んに栽培されました。この時代には、品種紹介や栽培方法の解説が載った「園芸書」が次々と出版されており、「画菊」はその先駆け、あるいは専門的な植物画譜の系譜に連なる作品として、当時の園芸愛好家にとって「新たな美意識を育むインスピレーション源」となり、庭園設計や生け花の創作にも影響を与えた可能性があります。   


「画菊」は、単なる芸術作品としてだけでなく、当時の人々の植物への関心の高まりに応えるものとして、市場的な価値も持っていたことを示唆します。この画譜は、当時の人々がいかに花を愛し、その美しさを追求し、生活の中に溶け込ませていたかを雄弁に物語っています 。芸術作品が当時の人々の生活や趣味(園芸)と密接に結びつき、さらに出版という媒体を通じて知識や美意識が広められていく過程を具体的に示すものであり、日本の文化が、異なる分野(芸術、科学的観察、大衆文化)が相互に影響し合いながら発展してきたことを示す、優れた歴史的証拠と言えるでしょう。   



4. 結び:現代に息づく「画菊」の魅力


潤甫周玉の「画菊」は、単なる過去の遺産ではありません。それは、日本の花卉文化の奥深さ、そして日本人の美意識の根源を現代に伝える貴重な文化財です。

菊は秋の花であり、日本の古典文学ではしばしば「もののあはれ」や「わびさび」といった、秋の寂寥感や無常観と結びつけて歌われてきました。この画譜は、100種もの菊の多様な姿を精緻に描き出すことで、それぞれの菊が持つ一瞬の美しさ、そしてそれが季節とともに移ろいゆくさまを捉えています。これは、完璧ではないもの、儚いものの中に美を見出す日本の伝統的な美意識と深く共鳴するものです。「画菊」は、単なる植物図鑑や芸術作品を超え、日本人が自然の循環と生命の尊厳、そしてその中に見出す無常の美をどのように感じ取ってきたかを、現代に伝える生きた教材であると言えます。   


「画菊」が示す自然への深い敬意と、それを芸術として昇華させる日本の美意識は、時代を超えて現代にも通じる普遍的な価値を持っています。現代社会は情報過多で、ともすれば自然とのつながりを見失いがちです。しかし、「画菊」は、菊という花を通して日本文化における人間と自然の深いつながり、禅の思想、園芸文化の発展、そして芸術表現の進化を浮き彫りにしてきました。これは、単なる過去の遺物ではなく、現代においても人間が自然から学び、インスピレーションを得るという普遍的な営みの重要性を示唆しています。   


この画譜に触れることは、単に絵画を鑑賞する以上の体験であり、日本の心象風景、そしてその奥深い美と哲学的な深みへと誘う旅となるでしょう。私たちに立ち止まり、身近な自然に目を向けることの価値を問いかけ、「画菊」が、自然との豊かな関係性を再構築し、日々の生活の中に美と精神性を見出すための示唆を与え続ける、タイムレスな魅力を放つ作品であることを改めて認識させてくれます。   




潤甫<周玉>//〔原画〕『画菊』元禄4(1691)刊. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1288399







参考/引用







bottom of page