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食糧となる山野自生の草木図:備荒草木図

著者は、陸奥国一関藩の藩医を務めた建部清庵正徳2年(1712)―天明2年(1782))。

全2冊。


備荒草木とは、飢饉のとき餓えをしのぐ食糧となる山野自生の植物のこと。

清庵は、宝暦5年(1755)に東北地方で起きた大飢饉の経験から、食用可能な自生植物の調査に着手し、岩谷堂村(現在の岩手県奥州市のうち)の遠藤志峯などの協力を得て、明和8年(1771)に本書を完成しました。スミレ・キキョウ・ヘチマ・クヌギなど食用可能な草木百数種の調理法が詳しく記されているほか、一関藩士北郷子明が描いた草木図を載せ、実用性に富む内容になっています。


清庵は本書で「他日こののち時を得ば印刻して民間むらむらに示置む事を欲す」と述べていますが、その時は清庵の死から51年後に訪れます。

天保4年(1833)、東北地方で「天保の飢饉」が始まると本書は救荒の書としてあらためて注目され、幕府の医官石坂宗哲や杉田玄白の子・杉田立卿の序文等を付して刊行されたのです。

なお宝暦5年の飢饉体験に促された清庵の著述としては、他に『民間備荒録』が知られています。




備荒草木図 乾






備荒草木図 坤




建部由正『備荒草木図 2巻』,天保4 [1833].

国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2606693


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