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江戸の自然を写し撮る眼差し:牧野貞幹『写生遺編』が紡ぐ花卉文化の真髄

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 7月4日
  • 読了時間: 10分
牧野貞幹『写生遺編』
牧野貞幹『写生遺編』


1. 時を超えて息づく、自然への深い敬意


もし、江戸時代の藩主が、多忙な政務の傍ら、自らの手で草木や鳥、虫たちの姿を克明に描き残していたとしたら、あなたはどのような驚きと感動を覚えるでしょうか?日本の花卉・園芸文化の奥深さは、単に美しい花を愛でる心だけではありません。そこには、自然への深い探求心と、その本質を見極めようとする知的な営みが息づいています。

日本の伝統に触れたいと願う方々、あるいは植物の奥深さに魅せられた専門家の方々にとって、この物語は新たな発見をもたらすことでしょう。今回は、江戸時代に生きた一人の藩主が遺した、科学と芸術が融合した稀有な博物誌『牧野貞幹の写生遺編』を通して、日本の花卉文化の真髄に触れてみましょう。藩主という重責を担いながらも、細密な自然描写に情熱を傾けた牧野貞幹の姿は、当時の知識人層が自然に対して抱いていた真摯な眼差しを雄弁に物語っています。   



2. 牧野貞幹『写生遺編』とは:科学と芸術が融合した江戸の博物誌


『写生遺編』は、江戸時代後期、常陸笠間藩(現在の茨城県笠間市)の第4代藩主、牧野貞幹(まきの さだもと)が自ら描いた、類稀なる博物誌のシリーズです。多忙な藩政の合間を縫って制作されたこれらの図譜は、牧野貞幹の自然への深い洞察と、卓越した画力を物語っています。   


このシリーズは、『草木之類』(植物)、『鳥之類』(鳥)、そして『蕈之類・虫之類』(きのこ・昆虫)から構成されており、牧野貞幹が特定の生物群に限定せず、広範な自然界全体に深い関心と探求心を持っていたことを示唆しています 。特に『鳥之類』では、1ページに1〜3羽の鳥を大きく描く大胆な構図が特徴であり、その精緻な描写は現代の図鑑にも劣らないと高く評価されています。   


本稿で特に焦点を当てる『草木之類』は、牧野貞幹が描いた植物に関する手稿本であり、その全八冊が国立国会図書館に所蔵されています。貞幹の植物画は、鳥類画と同様に、その技巧と観察眼の鋭さにおいて驚くべき水準に達しています 。さらに、貞幹は『琉球草木写生』という別の植物画も手掛けており、その植物への関心が日本各地の多様な生態系にまで及んでいたことが窺えます。これらの作品は、単なる記録を超え、科学的な正確さと芸術的な美しさが融合した、江戸時代の知の結晶と言えるでしょう。   


牧野貞幹の写生図譜は、単なる個人の趣味の域を超え、当時の博物学の潮流と深く結びついた学術的探求であったことがうかがえます。複数の生物分類にわたる網羅的なシリーズ構成と、細部にわたる精緻な描写は、貞幹の体系的な知識欲と実証主義的な姿勢を示しています。これは、貞幹が単なる絵師ではなく、科学者としての眼差しを持っていたことを物語ります。多忙な藩主という立場でありながら、これほどの規模と質の作品を制作したことは、彼にとってこれが深い知的好奇心に基づく真剣な探求であったことを強く示唆しています。彼の作品が「現代の図鑑に引けを取らない」という評価は、その科学的価値の永続性を示しています。



3. 歴史と背景:笠間藩主・牧野貞幹の生涯と写生遺編の誕生


牧野貞幹は、天明7年(1787)、常陸笠間藩の第3代藩主・牧野貞喜の次男として生を受けました。享和3年(1803)に兄が早世したため世子となり、文化14年(1817)、父の隠居に伴い家督を継ぎ、第4代笠間藩主の座に就きました。文政11年(1828)に42歳という若さでこの世を去るまで 、貞幹は藩政において多大な功績を残しました。   


特に学問の振興には並々ならぬ熱意を注ぎ、医学所である博采館の開設や、藩校時習館の拡張に尽力しました。時習館では「文武医」の三分野を教授し 、知識と実学のバランスを重視した教育を推進しました。貞幹の書は、藩の武芸総合稽古場である講武館の扁額にも残されており、貞幹が文武両道に秀で、学問だけでなく実用的な知識にも重きを置いていたことが窺えます。   


牧野貞幹が生きた江戸時代は、日本の自然科学が大きく発展した時期でした。国内資源の調査が活発化し、様々な植物の栽培や品種改良が盛んに行われた結果、多くの農書や本草書が出版されました。この時代には、中国の『本草綱目』が日本に大きな刺激を与え、本草学が活発化しました。しかし、初期の本草学が文献学習に主眼を置いていたのに対し、宝永5年(1708)に貝原益軒が『大和本草』を出版した頃からは、研究者自らが野山を歩き、植物を観察するという実証主義的な姿勢が広まりました。平賀源内の『物類品隲』(宝暦7年/1757〜宝暦12年/1762)のように、実際に集めた標本に基づいて解説を加えるなど、実物に基づいた研究が進展しました。幕末に来日したシーボルトが、当時の日本の本草学者の植物理解や描写に感銘を受けたという事実は、当時の日本の博物学が国際的にも高い水準にあったことを示唆しています。   


このような知的な背景のもと、江戸時代中期には、円山応挙に代表される「写生」の精神が絵画の世界で確立されました。この「写生」は、単なる忠実な模写に留まらず、対象の「気」(生命感)や「生気」を捉えようとする深い洞察を伴うものでした。牧野貞幹の『写生遺編』もまた、この写生の潮流の中で誕生した作品であり、当時の科学的正確さと芸術的表現が融合した、まさに時代を象徴する成果と言えます。   


牧野貞幹の学問振興への貢献と、貞幹自身の写生図譜制作は、単なる個人の趣味や藩主の余暇活動にとどまらない、より深い意味合いを持っていました。当時の江戸幕府は実学、特に本草学の発展を奨励しており、藩主が自身の領地の資源を把握し、その利用価値を探ることは、藩の経済や民生の安定に直結する重要な実学と位置づけられていました。医学所の開設も、民衆の健康維持という実用的な側面を持ちます。これらの活動は、単なる学問的興味を超え、藩の統治と発展に資するものでした。牧野貞幹が個人的に写生図譜を制作したことは、この時代の博物学の潮流に深く共感し、自らもその探求に身を投じたことを示唆しています。彼の個人的な知的好奇心と、藩主としての実学振興という公的な役割が、彼の写生図譜制作という行為の中で見事に融合していたと考えられます。これは、当時の知識人層が、学問と実務を分断せず、統合的に捉えていた証拠とも言えるでしょう。貞幹の作品は、個人の才能と時代の要請が結実した、日本における博物学発展の一断面を鮮やかに示しています。



4. 文化的意義と哲学:自然観の変遷と写生に宿る精神性


牧野貞幹の写生図譜は、単に植物や動物の姿を記録するだけではありません。そこには、科学的な正確さ、すなわち「写実性」と、絵画としての「芸術性」が見事に融合しています。江戸時代の「本草画」は、本草学の影響を強く受けながら発展し、円山応挙に代表される「写生」の精神は、単なる忠実な模写に留まらず、対象の「気」(生命感)や「生気」を深く捉えようとするものでした 。貞幹の作品に見られる「素直な画風」と「絵師に学んだ確かな筆運び」は、高い画力を示しつつも、対象への純粋な眼差しが感じられます。当時の博物学は、顕微鏡の導入が小さな虫の正確な描写を可能にしたように、科学技術の進歩とも密接に連動しており 、牧野貞幹の作品も、こうした時代の科学的探求の精神を色濃く反映しています。   


伝統的に、日本の文化では花や植物は、俳諧や和歌における「季語」に象徴されるように、季節の象徴や詩的な連想と深く結びついていました。しかし、本草学の発展は、この伝統的な枠組みに変化をもたらしました。植物をその生物学的実体として、より客観的に、そして体系的に観察することを促したのです。これにより、植物は単なる季節の風物詩ではなく、それ自体が持つ形態や生態、多様性において美を見出す対象となりました。この「脱季語性」という植物の捉え方の変化は、日本の自然観における深い転換点を示唆しています。牧野貞幹の写生図譜は、この「脱季語性」の具体的な成果であり、自然を普遍的な「モノ」として認識しようとする近代的な科学的視点の萌芽を示しています。彼は、自らの手で野外の植物を採集し、その情報を詳細に記録したと推測され、これはフィールドワークに基づく経験知を重視する実証主義的な精神の表れです。   


牧野貞幹の『写生遺編』は、単に知識を記録するだけでなく、自然を理解し、美を創造する新たな方法を提示した文化的な革新の象徴でもあります。貞幹の作品には、対象を深く見つめ、その生命の営みを慈しむような、自然への深い敬意と共生の思想が込められています。これは、日本の花卉・園芸文化の根底にある精神性とも通じるものです。藩主という多忙な立場でありながら、自ら筆を執り、細部にわたる観察を続けたその行為自体が、自然に対する謙虚な姿勢と、知を探求する純粋な情熱の証であり、現代に生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれます。   


この作品は、江戸時代の本草学が博物学へと進化する過渡期において、西洋的な科学的実証主義と、日本固有の自然観や美意識が融合した稀有な事例として位置づけられます。当時の本草画が「科学的な正確さ」と「芸術的な美しさ」を兼ね備え、写生の精神が対象の「生命感」を捉えようとしたことは、単なる模倣ではない、日本独自の受容と昇華の過程を示唆しています。牧野貞幹の作品は、この二つの異なるアプローチが高次元で融合した結果であり、その精緻さと芸術性は、貞幹がこの融合を高いレベルで実現したことを裏付けています。藩主という多忙な立場でありながら、個人的な情熱を持ってこの作業を続けたことは、貞幹にとってこれが単なる義務や流行の追随ではなく、深い内面的な動機に基づいていたことを示唆します。貞幹の作品は、自然を「観察する対象」としてだけでなく、「対話する存在」として捉えていたことの表れです。「脱季語性」は、植物を客観視する科学的視点の萌芽であると同時に、植物そのものが持つ普遍的な美しさ、生命の神秘性への新たな気づきを促しました。これは、花卉・園芸文化が単なる装飾ではなく、自然と人間の精神的な繋がりを深める営みであるという哲学的意味合いを持つものです。牧野貞幹の作品は、この新しい自然観の具現化であり、自然への深い敬意と共生の思想が脈打っています。



5. 現代への継承:『写生遺編』が語りかける日本の花卉文化


牧野貞幹の『写生遺編』は、単なる歴史的資料に留まらず、現代の私たちにとっても、その精緻な描写と込められた精神性から多くの示唆を与える、生きた文化遺産です。特に、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能であることは、現代の読者がこの貴重な文化遺産に地理的・時間的制約なく直接触れる機会を提供し、その発見を促しています。貞幹の作品は、現代のボタニカルアートや自然科学の分野においても、その観察眼と表現力が高く評価されるべきものであり、デジタルアーカイブの重要性を示す好例とも言えます。   


『写生遺編』は、日本の花卉・園芸文化が、単に美しい花を愛でるだけでなく、植物の生態や多様性を深く探求し、自然と共生しようとする知的な営みであったことを再認識させます。江戸時代に培われた実証主義と芸術性の融合は、現代の園芸デザインや植物研究、さらには環境教育や自然保護の分野においても重要な視点を提供しうるでしょう。

この作品は、過去の遺物としてだけでなく、現代の日本の花卉・園芸文化、ひいては自然との関わり方に対して、持続可能な美意識と科学的探求の重要性を再認識させる生きた教材としての価値を持っています。デジタル化された資料の活用は、この文化遺産を現代社会に再接続し、新たな発見と関心を生み出す可能性を秘めています。これは、伝統文化の現代的意義を再構築するモデルとなるでしょう。貞幹の作品を通じて、私たちは、多忙な現代社会においても、立ち止まって自然と向き合い、その細部に宿る美しさや生命の神秘を発見する喜びを再認識することができます。これは、日本の伝統的な花卉・園芸文化が持つ普遍的な魅力と、現代に生きる私たちへの、時を超えたメッセージと言えるでしょう。



牧野貞幹//〔画〕『写生遺編』草木之類,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1287329









参考/引用









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