江戸時代の本草学と岩崎灌園
江戸時代、西洋の博物学と類似した学問分野として「本草学」が隆盛を極めました。 本草学は、薬草をはじめとする動植物や鉱物など、自然界に存在するあらゆるものを研究対象とし、それらの形態、性質、薬効などを探求する学問です。
その中で、岩崎灌園(1786-1842)は、多くの優れた本草書を著した、特に著名な本草学者として知られています。 彼は、日本最初の本格的な彩色植物図譜である『本草図譜』を完成させたことでも有名です。名を常正といい、江戸幕府の御徒(歩兵)の岩崎家の子として江戸で生まれました。幼い頃から植物に強い興味を示し、採集や栽培に熱中する日々を送っていたといいます。
岩崎灌園の生涯と業績
灌園は、29歳の時に若年寄堀田正敦の推挙により、当代きっての碩学であった、屋代弘賢編の『古今要覧稿』の編集、図版製作の手伝いを命じられます。このことが、彼に大きな転機をもたらします。幕府の膨大な蔵書に接することができるようになった灌園は、それらを活用して本草学研究を深めていきました。 正敦は灌園の『本草図譜』作成を支援しただけでなく、本草学の大家である小野蘭山を医学館に招聘するなど、灌園の研究環境を整える上で重要な役割を果たしました。 蘭山は灌園にとって本草学の師にあたり、彼の学問的発展に大きく貢献しました。これらのことが網羅的な知識の集積を可能にし、結果として『本草図譜』の完成に繋がったといえます。
灌園は、『本草図譜』以外にも、『草木育種』、『救荒本草通解』、『日光山草木の図』など、多くの著作を残しています。 『草木育種』は、図をふんだんに使った園芸書であり、当時の園芸技術や植物の知識を伝える貴重な資料となっています。 また、『武江産物志』では、江戸の自然環境を記録し、当時の動植物相を現代に伝える役割を果たしています。 さらに、百科事典である『古今要覧稿』の植物部門を担当するなど、幅広い分野で活躍しました。
『本草図譜』の内容と構成
『本草図譜』は、灌園が20歳代から準備を始め、約20年の歳月をかけて完成させた、全96巻(92冊)からなる大作です。 初期の草稿は72冊からなる手書きの写本でした。 約2000種の植物を収録しており、 これは江戸時代最大の植物図譜といわれています。 灌園は、優れた内容の本草書であっても、図が簡略な場合が多いことに不満を感じ、自ら精密な植物図を描き、解説を添えることで、より分かりやすく、実用的な本草書を目指しました。
本書は、中国明代の李時珍の『本草綱目』を参考に、植物を山草、芳草、湿草、毒草、蔓草、水草、石草、苔類、麦稲、葷菜、柔滑、鋪菜、水菜、五果、山果、夷果、水果、香木、喬木、潅木、苞木などに分類しています。 この分類体系は、中国伝統医学に基づいたもので、植物の薬効や性質によってグループ分けされています。 加えて、服帛類として生活物産にも言及しており、当時の植物利用の多様性を示しています。
『本草図譜』は、当初全96巻の刊行を予定していましたが、巻一から巻四は未完成に終わり、最終的には92冊が完成しました。 各図には、植物の名称、形態、生育地などの基本情報のほか、薬効、味、調製方法などの詳細な説明文が添えられています。 中国の伝統的な分類体系を踏襲しつつ、日本の植物相に基づいた詳細な観察記録を盛り込むことで、『本草図譜』は日本独自の植物学の発展に大きく貢献しました。
『本草図譜』の特徴
『本草図譜』の最大の特徴は、日本で初めて出版されたカラーの植物図鑑である点です。 すべての図に手描きで彩色が施されており、植物の細部まで鮮やかに表現されています。 これは、当時の日本における高い版画技術を示すものであり、芸術的価値も高く評価されています。
灌園は、対象物を注意深く観察し、その特徴を細密に描写することに長けていました。 彼の植物画は、科学的な正確さと芸術的な美しさを兼ね備えており、植物学的な知見を提供するだけでなく、見る人々に美的感動を与えます。 優れた描写力と芸術性によって、『本草図譜』は科学的資料としての価値を高めると同時に、芸術作品としての魅力も備えているといえます。
また、灌園は、観賞用植物にも強い関心を寄せており、ケシ、ユリ、センノウ、ハス、キク、ウメ、ツバキ、ムクゲ、モモ、マツ、タケなど、多くの品種を記載しています。 それぞれの品種名や特徴が詳細に記されており、当時の園芸文化を知る上で貴重な資料となっています。 江戸時代は、海外との交易や参勤交代によって、多くの植物が日本に持ち込まれました。 人々は、美しく珍しい植物に魅了され、空前の園芸ブームが到来しました。 『本草図譜』は、当時の園芸熱の高まりを背景に、人々の関心を集めた作品といえます。
『本草図譜』の歴史的意義と現代における価値
『本草図譜』は、当時の本草学における金字塔的な作品であり、日本の本草学史、ひいては自然科学の発展において重要な位置を占めています。 本書の出版は、日本の植物学の発展に大きく貢献し、その後の植物図譜の模範となりました。 現代においても、植物学、薬学、博物学などの分野で、当時の植物の形態や分布、利用方法などを知るための貴重な資料として活用されています。 例えば、岩瀬文庫には、『本草図譜』を含む優れた本草書が多数所蔵されており、日本のナチュラルヒストリーの軌跡をたどる上で貴重な資料となっています。 また、『本草図譜』の精緻な植物画は、現代のボタニカルアートにも影響を与え続けています。
さらに、『本草図譜』は、文化財としての価値も高く、美術品としても高く評価されています。 その写実性と芸術性を兼ね備えた植物図は、現代においても人々を魅了し続けています。
岩崎灌園と『本草図譜』に関する研究
『本草図譜』は、多くの研究者によって調査・研究が行われており、その歴史的意義や現代における価値が明らかにされています。 例えば、矢部一郎氏の論文「西洋植物学の影響と本草家の関心」では、灌園がシーボルトと交流し、西洋の植物学の知識を取り入れていたことが指摘されています。 また、佐々木正巳氏の論文「岩崎灌園のシーボルト関係手稿について」では、灌園がシーボルトから得た植物のラテン名やオランダ語名を記録した手稿が紹介されています。 これらの研究は、『本草図譜』の成立過程や、当時の本草学における西洋の影響などを解明する上で重要な役割を果たしています。
また、『本草図譜』は、江戸時代のボタニカルアートを代表する作品として、美術史の分野でも注目されています。 過去には、徳川美術館や静嘉堂文庫美術館などで、江戸時代の博物図譜をテーマとした展覧会が開催され、『本草図譜』も展示されました。
結論
岩崎灌園は、江戸時代後期に活躍した本草学者であり、約2000種の植物を収録した『本草図譜』を完成させました。本書は、日本で初めて出版されたカラーの植物図鑑であり、その写実性と芸術性が高く評価されています。また、当時の本草学における集大成として、日本の植物学の発展に大きく貢献しました。
灌園の業績は、『本草図譜』だけにとどまりません。彼は、採薬調査に積極的に参加し、実地経験に基づいた知識を深めました。また、『草木育種』や『武江産物志』など、幅広い分野で著作を残し、当時の植物に関する知識の普及に貢献しました。
『本草図譜』は、現代においても、植物学、薬学、博物学、美術史などの分野で貴重な資料として活用されており、その価値は今もなお高く評価されています。灌園の植物への探究心と情熱は、200年以上を経た現代においても、私たちに多くの示唆を与えてくれます。
※ リンク先は、ストレージ関係のためGoogleDrive(弊社アカウント)です。
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本草図譜の画像
※ 画像引用
1 山草類 五 ~72 果部水果類 七十六
国立公文書デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/item/4352261
73 香木類 七十七~92 服帛類・器物類 九十六
国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1287210