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日本の古典園芸植物


古典園芸植物とは


古典園芸植物とは、江戸時代に日本で独自に発展した園芸文化の中で、観賞を目的として改良・維持されてきた植物のことです。 中国から伝わった植物も多いですが、日本で独自に品種改良を重ね、花の色や大きさよりも、花の形の変化に魅力を感じ、鉢植えで栽培できる小型のものが好まれました。 現代の園芸植物とは異なり、その歴史と伝統に根ざした独特の美意識、すなわち、繊細な変化の中に美を見出すという美意識を持つ点が特徴です。 江戸時代の人々は、花弁の形や模様、葉の斑入りなど、微妙な変化を楽しみ、そこに美を見出していました。   





古典園芸植物の種類と特徴


古典園芸植物は、主に花、葉、茎を観賞するものと、樹木に分けられます。 それぞれの特徴を見ていきましょう。   


花を観賞するもの

江戸時代の人々は、花の色や大きさだけでなく、花の形の変化を楽しみ、数多くの品種を生み出しました。


  • アサガオ:江戸時代に変化朝顔が流行し、現在も多くの品種が作られています。 花弁の形状や模様、色の組み合わせなど、多様な変化を楽しむことができます。   


朝顔


  • キク:江戸時代から品種改良が盛んに行われ、様々な色や形の花が楽しまれてきました。 大菊、中菊、小菊など、大きさも様々で、花の形も厚物、管物、広物など、多岐に渡ります。   




  • カキツバタ:湿地に生育し、紫色の美しい花を咲かせます。 古くから歌に詠まれ、多くの園芸品種が作られてきました。   




  • サクラソウ:日本原産の植物で、可憐な花を咲かせます。 花の色は、白、ピンク、赤、紫などがあり、様々な園芸品種があります。   



  • シャクヤク:豪華で美しい花を咲かせ、古くから観賞されてきました。 花の色は、白、ピンク、赤、紫などがあり、一重咲き、八重咲き、翁咲きなど、様々な咲き方があります。   




  • ハナショウブ:アヤメ科の植物で、様々な色や模様の花があります。 江戸時代には、多くの品種が作られ、現在も品種改良が盛んに行われています。






葉や茎を観賞するもの

葉や茎の美しさ、特に斑入りや形の変化を愛でる文化は、日本独自のものです。


  • オモト:常緑多年草で、葉の形や模様の変化が楽しまれます。 斑入りや葉の縮れなど、様々な変異があり、江戸時代から多くの品種が作られてきました。  



  • イワヒバ:シダ植物の一種で、岩場などに自生し、乾燥に強い性質があります。 葉の色や形、大きさなど、様々な変異があり、江戸時代から観賞用として栽培されてきました。

       



  • カンアオイ:ハート型の葉が特徴で、地面を覆うように生育します。 葉の模様や色、花の形など、様々な変異があり、多くの品種があります。   



  • セッコク:着生ランの一種で、岩や木に着生して生育します。 花だけでなく、葉や茎の形、模様も観賞されます。   



  • マツバラン:シダ植物の一種で、松葉のような葉が特徴です。 江戸時代後期から観賞用として栽培されるようになり、葉の変異を楽しむ、日本独自の園芸植物です。   



樹木

花だけでなく、紅葉や樹形なども観賞の対象となります。


  • ウメ:早春に開花し、香りの良い花を咲かせます。 紅梅、白梅などがあり、花だけでなく、樹形や枝ぶりも観賞されます。   

  • カエデ:秋の紅葉が美しく、様々な品種があります。 葉の形や色、大きさなど、様々な変異があり、江戸時代から観賞用として栽培されてきました。   

  • サクラ:日本の代表的な花木で、春に美しい花を咲かせます。 ソメイヨシノをはじめ、様々な品種があり、花見などの文化と深く結びついています。   





その他の古典園芸植物


 上記の他に、スハマソウ(雪割草)、タンポポ、東洋ラン(中国春蘭、一茎九華、日本春蘭、寒蘭)、ナデシコ(伊勢ナデシコ、トコナツ)、ハス、フクジュソウ、ミスミソウ(雪割草)、カザグルマ、ミヤコワスレ、カラタチバナ(百両金)、カンノンチク、葉物君子蘭、シュロチク、シノブ、錦葉ゼラニウム、ナンテン(錦糸南天)、ハボタン、ハラン、フウラン(富貴蘭)、マンリョウ、ミヤマウズラ(錦蘭)、ヤブコウジ(紫金牛)、ツワブキ、ザクロ、ツツジ類、ツバキ、サザンカ、フジ、ボタン、ムクゲ、ボケ、ハナモモが挙げられます。   



  


古典園芸植物の歴史と文化的な背景


歴史


日本の古典園芸植物の歴史は、中国から伝わった植物を日本で独自に改良・維持してきたことに始まります。 中国では、唐の時代にボタンが、宋の時代にはシャクヤクや東洋ランが観賞用として栽培され、育種が進められていました。これらの植物は日本にもたらされ、貴族や武士、僧侶の間で愛好されました。 平安時代には、すでにサクラや秋の七草など、日本独自の園芸文化が芽生えていました。 鎌倉時代には鉢植えの植物が流行し、室町時代には東洋ランが珍重されるなど、時代とともに園芸文化は発展していきました。   


江戸時代に入ると、園芸は武士や貴族だけでなく、庶民の間にも広がり、一大ブームとなりました。 初代将軍徳川家康や三代将軍徳川家光が花好きであったことも、このブームを後押ししました。 各大名は、将軍への献上品として、自慢の植物を競い合い、中には門外不出の品種も存在しました。 交通網の発達により、江戸、大阪、京都といった都市に全国各地の植物が集められるようになり、大規模な園芸業者が誕生しました。 江戸では、湯島や本郷に多くの植木屋が集まり、中でも江戸城や大名屋敷に苗木を納めていた伊藤家は、多くの園芸書を出版するなど、園芸界に大きな影響を与えました。 


また、本草学の発展も、園芸の普及に貢献しました。 本草学は、薬用植物の研究から始まり、植物全般の研究へと発展していきました。本草学者は、植物の分類や栽培方法などを研究し、その成果は園芸書として出版され、広く庶民に読まれました。   


園芸は、上方から江戸へと広がり、全国的な展開を見せました。 熊本、伊勢、久留米、名古屋など、各地で独自の園芸文化が花開きました。 例えば、肥後六花(肥後椿、肥後山茶花、肥後菊、肥後芍薬、肥後朝顔、肥後菖蒲)、伊勢菊、伊勢撫子、久留米躑躅など、各地で特色のある品種が生まれました。 また、「椿尽し」(松島玄之助 作曲)、「桜尽し」、「つつじ」(佐山玄之助 作曲)など、多くの園芸書や音楽作品が出版され、当時の園芸文化の隆盛を物語っています。   


江戸時代初期には、桃山時代から受け継がれたシャクヤク、キク、ボタン、ツバキ、ツツジなどが人気を集めました。 その後、ハナショウブ、マツモトセンノウ、アサガオ、ナデシコ、サクラソウなどが加わりました。 江戸時代中期から後期にかけては、カエデ、オモト、マンリョウ、マツバラン、セッコクなど、葉の変化を楽しむ植物が台頭しました。 これらの植物は、日本原産で、美しい葉が観賞されました。 江戸時代後期には、ハナショウブが発展し、寒冷な気候から、フクジュソウやミスミソウも栽培されるようになりました。 マツモトセンノウは、元禄・宝暦期に多くの品種がありましたが、江戸時代末期にはほとんどが失われてしまいました。 また、ハナショウブは、江戸時代中期以降、カキツバタの人気を凌駕し、多くの品種が作られました。   



文化的な背景


古典園芸植物は、日本の文化と深く結びついています。 江戸時代には、花合せと呼ばれる、花を鑑賞し、その優劣を競う品評会が盛んに行われました。 優れた品種には、番付が付けられ、その記録は「銘鑑」と呼ばれる登録簿に記されました。 キクでは、1713年頃から京都で花合せが行われていた記録があり、数年後には江戸でもキクの花合せが始まりました。 サクラソウでは、1804年に江戸の「下谷連」が初めて新花の品評会を催しました。 アサガオの花合せでは、大阪の商人が速荷で鉢植えを江戸まで運んだという記録が残っているほど、花合せは盛んに行われていました。 多くの植物で番付が発行され、現在確認されているものでは、オモトは1799年、サクラソウは1862年のものが最古です。   


古典園芸植物は、歌枕や能の台詞、昔話などから名前が付けられているものも多いです。 例えば、カキツバタは、伊勢物語に登場する「かきつばた」の和歌から名付けられたと言われています。   


また、庶民の間では「連」と呼ばれる愛好家の結社が誕生しました。 これらの結社は、身分差を超えて人々が集まり、園芸の知識や技術を共有する場として機能しました。 「連」は、厳しい規則や家元制度を持つなど、閉鎖的な組織でもありました。 入会には世話人を必要とし、最初は初歩用の普及品種を与えられ、習熟するに従い稀少品種が与えられました。 退会もしくは死亡すると、所有していた品種はすべて没収されるか、一子相伝で継承されるなど、厳しい決まりがありました。   


このように、古典園芸植物は、江戸時代という時代背景の中で、独自の文化を形成していきました。日本の古典園芸植物は、江戸時代から続く伝統と文化を背景に、独自の発展を遂げてきました。 花や葉、茎の美しさだけでなく、その歴史や文化的な背景を知ることで、より深く古典園芸植物の魅力を味わうことができます。 古典園芸植物は、現代の園芸植物とは異なる美意識に基づいており、繊細な変化の中に美を見出すという、日本独自の感性を反映しています。   


 古典園芸植物は、江戸時代の文化を現代に伝える、貴重な存在です。これらの植物を後世に伝えるためには、栽培技術の継承や品種の保存など、様々な取り組みが必要です。

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