江戸の奇跡、刹那の美を映す『朝かがみ』:変化朝顔に宿る日本人の精神性
- JBC
- 2024年7月1日
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更新日:5 日前
朝露に濡れ、一瞬の輝きを放つ花々。そのはかなくも美しい姿を永遠に留めたいと願う心は、いつの時代も人々を魅了してきました。特に日本の花卉/園芸文化においては、その願いが独自の形で昇華され、驚くべき美の世界を創り出しました。江戸時代に隆盛を極めた「変化朝顔」は、まさにその象徴であり、予測不能な突然変異によって生まれる唯一無二の姿は、当時の人々の心を熱狂させました。この独特な美意識と、それを後世に伝えようとする情熱が凝縮された一冊が、文久元年(1861)に刊行された図譜『朝かがみ』です。
『朝かがみ』は、単なる植物の記録を超え、江戸時代の人々が抱いた美意識や多様性への深い理解を映し出す鏡であり、その時代の精神世界へと誘う扉と言えます。この図譜をひもとくことで、私たちは、移ろいゆくものの中に永遠の価値を見出し、自然の摂理と深く向き合った日本人の感性の本質に触れることができるでしょう。
1. 『朝かがみ』の概要
『朝かがみ』は、江戸時代後期に刊行された、変化朝顔に特化した植物図譜です。ここで言う「変化朝顔」とは、花弁の形、色、模様、葉の形、茎の伸び方などにおいて、通常のアサガオとは異なる、奇抜で多様な突然変異を示す品種群を指します。これらの朝顔は、二つとして同じものが生まれない予測不能な美しさを持つことから、「唯一無二の美」として当時の愛好家たちに珍重されました。
この図譜は文久元年(1861)に刊行され、作者は東雪亭、絵師は葛通斎文岱とされています。その主な目的は、変化朝顔の多岐にわたる姿を体系的に記録し、視覚的に伝えることで、栽培家や愛好家にとって貴重な資料となることでした。特に、遺伝法則が未解明であった江戸時代において、経験と観察の積み重ねによって生み出されたこれらの変異種を記録することは、その美を後世に伝える唯一の方法でした。
『朝かがみ』という書名自体にも、深い意味が込められています。朝顔が朝に咲くことから、「朝に髪を整える鏡」や「朝の化粧」といった意味合いが重ねられ、朝顔の美しさを鑑賞する行為を、自らを飾る美意識と結びつけて表現していると考えられます。
変化朝顔の命名には、その多様な形質を的確に表現するための独特な規則が存在しました。これは、葉、茎、花の順にそれぞれの特徴を表す言葉を組み合わせるもので、現代の遺伝学から見ても非常に合理的な分類体系であったことが指摘されています。例えば、「青斑入蜻蛉葉木立桃覆輪丸咲」という花銘は、以下のように解釈されます。
要素 (Element) | 特徴 (Characteristic) |
葉 (Leaf) | 青斑入蜻蛉葉 (Blue mottled dragonfly leaf) |
茎 (Stem) | 木立 (Tree-like/bushy) |
花 (Flower) | 桃覆輪丸咲 (Pink-edged round bloom) |
このような詳細な命名規則は、当時の人々が単に珍しい植物を鑑賞するだけでなく、その形態の微細な差異を識別し、分類しようとする高度な観察眼と知識を有していたことを示しています。これは、現代の科学的分類法に通じる、経験に基づいた体系的なアプローチが江戸時代に既に確立されていたことの証左とも言えるでしょう。
2. 『朝かがみ』の歴史と背景
2.1. 江戸時代の園芸文化の隆盛
江戸時代は、日本において独自の園芸文化が花開いた黄金期でした。この時代には、他国では顧みられなかった野草が次々と園芸品として栽培され、特に斑入り植物や変化朝顔といった、世界にも類を見ない方向へと発展を遂げました。園芸は、大名から庶民に至るまで、身分を問わず広く親しまれる文化となり、社会全体に浸透していました。
徳川将軍家もまた、初代家康から三代家光まで花を愛好し、二代秀忠が椿を好んだことをきっかけに大流行するなど、上層部からの影響も園芸文化の発展を後押ししました。椿の他にも、躑躅(ツツジ)、菊、牡丹など様々な植物が人気を博し、盛んに栽培されました 。江戸時代後期には、朝顔、花菖蒲、桜草などで数多くの新しい品種が作り出され、牧野富太郎が「世界中に類のないもの」「わが邦の誇り」と称賛するほどの独自性と多様性を誇っていました。
この園芸文化の普及には、植木鉢の登場が大きく寄与しました。庭を持たない庶民でも、限られた空間で手軽に園芸を楽しめるようになり、裏長屋のような狭い場所でも朝顔を育てることができました。1860年に江戸を訪れたイギリスの植物学者ロバート・フォーチュンが、江戸を「世界一の園芸都市」と称賛したことは、当時の園芸文化の活況を物語っています。
2.2. 変化朝顔ブームの到来
変化朝顔の流行は、まず上方(京都・大阪)で始まり、その後江戸へと波及しました 。特に江戸では、二度にわたる大規模なブームが到来しました。
最初のブームは文化・文政期(1804~1830)に起こりました 。このブームのきっかけの一つは、1806年の江戸大火(丙寅の大火)でした。この火災によって下谷(現在の東京都台東区)に広大な空き地が生まれ、植木職人たちがそこで品種改良した朝顔を栽培し始めたところ、人々の大きな注目を集めました。特に、八重咲きや花弁が細くなったもの、あるいはキキョウに似たものなど、一風変わった姿の「変化朝顔」が人気を博し、珍しい品種は菊などと並んで高値で取引されるようになりました。
続く第二次ブームは嘉永・安政期(1848~1860)に到来し、文久年間(1861~)の初めまで熱狂が続きました。この時期には、なんと1200もの系統が生み出されたと伝えられており、人々の朝顔に対する熱意は一層高まりました。このブームを牽引したのは、自ら「朝顔師」と名乗った植木屋の成田屋留次郎のような人物であり、彼は「花合わせ会」と呼ばれる品評会を開催し、ブームをさらに盛り上げました。
この朝顔ブームは、単なる趣味の範疇を超え、社会経済的な側面も持ち合わせていました。収入の低い下級武士たちが、独自に朝顔の栽培と品種改良を行い、内職として生計を立てる一助としていた記録も残っています 。早朝から町中を歩き、昼にはしぼんでしまう朝顔を売り歩く「朝顔売り」は、当時の江戸の風物詩の一つでした。このように、園芸は一部の富裕層だけでなく、庶民の生活にも深く根ざし、経済活動にも影響を与えるほどに「民主化」されていたと言えます。
2.3. 図譜刊行の背景と『朝かがみ』の位置づけ
変化朝顔ブームの隆盛は、園芸に関する出版文化の発展を直接的に促しました。品種の紹介や栽培方法の解説が載った園芸書や、多種多様な朝顔の姿を記録した図譜が次々と刊行されました。
『朝かがみ』は、まさにこの第二次変化朝顔ブームの最盛期から終焉期にあたる文久元年(1861年)に刊行されました。当時の出版業界は非常に活発であり、多色刷り木版技術を用いた図譜の制作は、芸術性と技術的側面の両面で高い評価を受けていました。『朝かがみ』に描かれた朝顔の多くは、「出物」と呼ばれる、種子が採れず系統維持が困難な、より複雑で多様な変化を示す品種でした。これらの刹那的な美しさを永遠に留めるためにも、精緻な図譜の存在は不可欠だったのです。
しかしながら、この重要な図譜の作者である東雪亭と絵師である葛通斎文岱については、その生没年や本名といった詳細な経歴が、現存する資料からは判明していません。江戸時代には、膨大な数の出版物や詳細な記録が存在したにもかかわらず、特定の重要な作品の制作者が匿名性を保っていたり、その詳細が後世に伝わらなかったりするケースが見られます。これは、当時の文化において、個人の名声よりも作品そのものや、対象への情熱、あるいはその知識の共有といった側面が重視された可能性を示唆しています。彼らの真の功績は、この『朝かがみ』という作品を通じて、変化朝顔の魅力を後世に伝えたことにあると言えるでしょう。
3. 『朝かがみ』が映し出す文化的意義と哲学
3.1. 変化朝顔が映し出す江戸の美意識と多様性
『朝かがみ』に描かれた変化朝顔は、単なる植物の記録を超え、江戸時代の人々が抱いた独特の美意識と、多様性への深い理解を鮮やかに映し出しています。当時、朝顔は「変化」という言葉が示すように、予測不能な突然変異によって生まれる、二つとして同じものがない唯一無二の美として珍重されました。この「変化」への熱狂は、画一的な美しさや完璧な形を追求するのではなく、個々の違いや偶然から生まれる独特の造形にこそ価値を見出す、江戸時代ならではの感性を象徴しています。
現代の視点から見ても、『朝かがみ』の朝顔は驚くほど多様であり、そのバリエーションは無限大に感じられます。これは、自然の摂理の中で生まれる多様性を積極的に受け入れ、それを「美」として享受する、当時の人々の寛容な精神性を物語っています。画一的な基準に縛られず、それぞれの個性が輝くことに喜びを見出す姿勢は、現代社会においても通じる普遍的な価値観と言えるでしょう。この「不完全さの美学」は、西洋の美意識がしばしば均一性や理想的な形態を追求するのに対し、日本の伝統的な美意識、例えば「わび・さび」に通じる、自然な変化や偶然性を尊ぶ精神と深く繋がっています。変化朝顔の栽培と鑑賞は、まさにこの美学を園芸という形で表現したものであり、当時の人々が自然界の多様性の中に深い意味と美を見出していたことを示しています。
3.2. 園芸文化における「見立て」と「粋」の精神
『朝かがみ』は、江戸の園芸文化における「見立て」と「粋」という二つの重要な精神を色濃く反映しています。
「見立て」とは、あるものを別のものに見立てて楽しむ、日本文化特有の美的感覚です。変化朝顔の命名には、「獅子」や「孔雀」といった動物、あるいは「富士」のような自然の風景など、様々なものが「見立て」として用いられました。これは、単に植物を鑑賞するだけでなく、そこに想像力を働かせ、別の世界観を重ね合わせることで、より深い精神的な喜びを見出そうとする試みでした。植物の形や色に、動物の勇壮さや自然の雄大さを見出すことで、鑑賞者は単なる視覚的な美を超えた、豊かな内面的な体験を得ることができました。
また、変化朝顔の栽培と鑑賞には、「粋」の精神が宿っていました。 「粋」とは、洗練されていて、しかもひけらかさない、さりげない美意識を指します。高価な道具や派手な装飾に頼るのではなく、限られた空間や資源の中で、いかに自然の美を最大限に引き出し、それを静かに楽しむかという姿勢が重視されました。変化朝顔の繊細な美しさを追求し、その一瞬の輝きに心を寄せることは、まさに「粋」の極致と言えるでしょう。これは、効率や利益を追求するビジネスとは一線を画し、純粋な情熱と手間暇を惜しまない精神で、独自の美を追求した江戸の人々の生き様を映し出しています。
3.3. 刹那の美と無常観:朝顔に込められた日本人の死生観
朝顔は、その名の通り、朝に咲き、昼にはしぼむ一日花です。この刹那的な花の命は、日本人が古くから抱いてきた「無常観」と深く結びついています。無常観とは、この世の全てのものは移ろいゆくものであり、永遠不変なものはないという仏教的な思想です。朝顔の一生は、まさにこの無常観を体現しており、そのはかなくも美しい姿は、見る者に生のはかなさと尊さを同時に感じさせます。
『朝かがみ』の朝顔は、その一瞬の美しさを永遠に留めようとする、当時の人々の願いが込められています。しかし、それは単に時間を止めることではなく、むしろ移ろいゆくものだからこそ、その輝きをより一層尊ぶという、日本独自の死生観の表れでもあります。満開の朝顔を愛で、そして潔くしぼむ姿に心を寄せることは、生と死、そして時間の流れを自然の一部として受け入れる、日本人の精神性を象徴していると言えるでしょう 。図譜という形で、実物の儚い命を写し取る行為は、物理的な存在が消え去っても、その美の記憶と概念を後世に伝えるという、深い文化的な意味合いを持っていたのです。
3.4. 知識の共有と文化の継承:図譜が果たした役割
『朝かがみ』のような図譜の刊行は、変化朝顔という特殊な園芸文化の知識を広く共有し、後世に継承していく上で極めて重要な役割を果たしました。当時の変化朝顔は、その性質上、同じものが二度と現れないため、その姿を記録に残すことは、その美を後世に伝える唯一の方法でした。特に、愛好家が珍重した「出物」と呼ばれる品種は、種子が採れにくく、その系統を維持することが非常に困難でした。そのため、図譜は単なる絵のコレクションではなく、変化朝顔の多様な姿を体系的に記録し、その特徴や分類を視覚的に伝えるための貴重な資料としての役割を担いました。
また、図譜は、変化朝顔の栽培技術や鑑賞方法といった、暗黙知として伝承されがちな知識を形式知化する役割も果たしました。これにより、より多くの人々が変化朝顔の魅力に触れ、自ら栽培に挑戦するきっかけとなりました。このように、図譜は文化の普及と深化に貢献する媒体であったと言えます。現代においても、『朝かがみ』は、江戸時代の園芸文化を理解するための第一級の資料であり、当時の人々の情熱と知恵を今に伝える貴重な文化遺産として、その価値は計り知れません。これは、本質的に儚い存在である植物の「変化」という現象を、図譜という形で永続的に記録しようとした、当時の人々の文化的な粘り強さと先見性を示すものです。
結論
『朝かがみ』は、江戸時代後期に花開いた変化朝顔文化の精華を伝える貴重な図譜です。この一冊は、単なる植物図鑑にとどまらず、当時の社会が育んだ独自の美意識、すなわち予測不能な多様性の中に美を見出す感性や、「見立て」と「粋」に象徴される洗練された精神性を映し出しています。また、朝顔の一日花の儚い命に「無常観」を重ね合わせ、刹那の美を尊ぶ日本人の深い死生観をも表現しています。
さらに、『朝かがみ』は、遺伝子研究が未発達な時代において、高度な観察力と分類能力によって変化朝顔の多様な形態を詳細に記録し、その知識を広く共有し、後世に継承する上で不可欠な役割を果たしました。特に、種子を残しにくい貴重な「出物」の姿を永遠に留めることは、この図譜が果たした文化的保存の極めて重要な側面です。
現代に生きる私たちにとって、『朝かがみ』は、江戸の人々が自然とどのように向き合い、その中にいかに豊かな精神世界を築き上げたかを教えてくれる、生きた文化遺産です。この図譜が示す、多様性を肯定し、儚いものの中にこそ真の価値を見出す感性は、現代社会が直面する様々な課題に対し、新たな視点と深い示唆を与えてくれることでしょう。
東雪亭 [著] ほか『朝かがみ』,文久1 [1861] 序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2536941
参考