水野忠暁と「小おもと名寄」
水野忠暁は、江戸時代後期の園芸家、旗本。名は忠敬、通称は宗次郎、号は逸斎といい、「水のげんちうきやう」という署名も使用していました。彼は、変珍木を扱っていた植木屋・繁亭金太こと増田金太郎らとともに、斑入り植物を愛好し、数多くの品種を収集・栽培していました。特に斑入りの万年青を好み、育てた斑入りの植物は実に3000種類にのぼったといいます。
忠暁は、当時世界的にも珍しい斑入植物のみを集めた植物図譜『草木錦葉集』(1829年刊)を編著しました。この書物には1031種もの植物が図入りで収録されており、さし絵は大岡雲峯と関根雲停が担当しました。関根雲停は当時「植物を画かせたら天下一品」と称せられたほどの名手で、彼の起用によって『草木錦葉集』は図譜としての価値を一層高めることになりました。
忠暁は万年青、特に小型の「小万年青(コオモト)」の栽培にも熱心に取り組んでいました。彼は同好者を誘い、持寄展示会を開催しました。そして、その出品の中から銘品を自ら選び、関根雲停に描かせたのが「小おもと名寄」です。
「小おもと名寄」の内容と特徴
万年青は、「不毛草」とも書き、常緑多年草です。葉は濃緑色で周年変わらず、春に花をつけ、秋から冬にかけて実は赤く熟します。中世以降、庭園の庭石の根じめや、生け花材料として鑑賞植物の仲間入りをしました。江戸中期以降、様々な園芸枯物が急速に発展したのと同様に、万年青も江戸を中心に栽培が流行しました。
「小おもと名寄」は、このような万年青の中でも、小型の「小万年青(コオモト)」に焦点を当てた図譜です。天保初年頃に刊行されたとされ、各帖に15品種の小万年青が鉢植えの姿で描かれており、美しい鉢も鑑賞の対象となっていました。万年青は、文政年間(1818~29)から流行し、なかでも小万年青と呼ばれる小型品のうち、葉型や斑に変化があるものがもてはやされました。
「小おもと名寄」には、忠暁の人柄が垣間見える記述も残されています。ある一紙の隅には、「べっ甲、半次郎、玉獅子など画の下出取違え彫刻下したる中へ甚心にて図を見るべし、調合行届さる事老年のとぼけの至りとさっすべし、水のちゅうきょう誌」という理り書きがあります。これは、図と名称の取り違えがあったことを詫び、老齢によるものだとユーモラスに表現したもので、忠暁の茶目っ気を感じさせます。
「小おもと名寄」の出版状況
「小おもと名寄」は、天保3年(1832年)に江戸蔵前の八幡社で開かれた小万年青の展示会に際して刊行された刷り物です。
「小おもと名寄」の価値
「小おもと名寄」は、江戸時代後期の園芸文化を伝える貴重な資料です。当時の小万年青の人気や、その多様な品種、美しい鉢のデザインなどを知ることができます。また、関根雲停の精緻な植物画は、美術的にも高い価値を有しています。さらに、忠暁の理り書きからは、彼の人柄や当時の園芸愛好家の様子を窺い知ることができます。
特筆すべきは、「小おもと名寄」が「草木錦葉集」と並んで、斑入り植物の多様性に着目し、それを記録した先駆的な著作であるという点です。当時、斑入り植物は珍重されており、その希少性と価値を世に示す上で、これらの図譜は大きな役割を果たしました。
まとめ
「小おもと名寄」は、水野忠暁が編纂した小万年青の図譜です。江戸時代後期の園芸文化を伝える貴重な資料であり、学術的、文化的、歴史的に高い価値を有しています。
水野忠暁は、「草木錦葉集」や「小おもと名寄」を編纂することで、斑入り植物の魅力を広く世に知らしめ、その保護と育成に貢献しました。特に、「小おもと名寄」は、小万年青という特定の品種に焦点を当て、その多様性と美しさを余すところなく描き出した点で、園芸史上に重要な位置を占めるといえます。関根雲停による精緻な植物画は、図譜としての価値を高めるだけでなく、今日においても美術品として鑑賞に値するものです。
「小おもと名寄」は、単なる図譜にとどまらず、江戸時代後期の園芸文化、ひいては当時の社会や人々の美意識を理解する上で欠かせない資料と言えるでしょう。




