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古書/古写真
忘れてはならない日本の美しさが、古書や古写真の中に息づいています。このブログでは、そこに写る日本の植物に焦点を当て、その魅力や歴史、そして人々の想いを紐解きます。古典に描かれた花々、失われた街並みに咲く植物、貴重な自然の記録など、時代を超えて繋がる植物と人々の物語を辿ります。


『万葉集』に息づく植物の魂:鹿持雅澄『万葉集品物図絵』が誘う古の園芸世界
本記事では、江戸時代後期に生きた一人の国学者、鹿持雅澄(かもち まさずみ)が、その深い学識と情熱を注ぎ込んで生み出した稀有な画譜、『万葉集品物図絵(まんようしゅうひんぶつずえ)』に焦点を当てます。この画譜は、単なる植物図鑑を超え、『万葉集』の世界を視覚的に、そして精神的に深く理解するための画期的な試みでした。雅澄の視点を通して、いにしえの人々が愛でた植物の姿と、そこに込められた日本の花卉・園芸文化の真髄を探求し、現代に生きる私たちへと繋がるその魅力を紐解いていきます。
2024年4月15日


艸花絵前集 - 江戸前期の園芸文化を彩る草花図譜
元禄12年(1699)に出版された『艸花絵前集』(草花絵前集とも記されます)は、江戸時代前期の園芸文化を象徴する重要な草花図譜です。本書は、草花の絵を中心とし、その余白に花の色や開花時期などの解説を付したもので、視覚的な美しさと実用的な情報を兼ね備えています。この図譜が刊行された元禄年間(1688~1704)は、町人文化が爛熟期を迎え、園芸を含む多様な文化芸術が隆盛を極めた時代でした。このような時代背景のもと、『艸花絵前集』は、園芸を愛好する人々の間で広く受け入れられたと考えられます。
2024年4月14日


幕末期渡来植物の図譜:新渡花葉圖譜
本書は国立国会図書館に収蔵されているもので、1914年に伊藤圭介(幕末から明治期の本草学者・蘭学者・博物学者・医学者日本初の理学博士)の孫・伊藤篤太郎が母の小春(圭介の五女)に転写してもらった写本です。
2024年4月13日


飢饉を乗り越えた知恵の結晶:建部清庵と『備荒草木図』
日本の文化に深く根ざす花卉や園芸は、単なる美の追求に留まりません。そこには、自然への敬意、生命への慈しみ、そして困難を乗り越えるための知恵が息づいています。この奥深い精神性は、日本の花卉・園芸文化の核心を成すものです。今回は、江戸時代に一関藩の藩医であった建部清庵が編纂した『備荒草木図』という一冊の書物を通して、その知られざる叡智に触れていきます。飢饉という極限状況下で、人々がいかに植物と向き合い、生き抜く知恵を見出したのか。この古書が現代に伝えるメッセージとは何か、その魅力を探る旅に出かけましょう。
『備荒草木図』は、直接的に観賞用の花卉や園芸技術を解説するものではありませんが、その根底には、自然の恵みを最大限に活かし、生命を尊び、困難を乗り越えようとする、日本文化に共通する普遍的な価値観が流れています。この書物が示すのは、単なる歴史的事実を超え、現代の私たちにも通じる、自然との共生と持続可能な暮らしへの示唆です。
2024年4月5日


汐入りの庭:江風山月樓から浴恩園へ
松平定信は、江戸時代後期の政治において、「寛政の改革」を主導したことで知られる卓越した経世家でした。徳川八代将軍吉宗の孫という血筋を引き 、老中首座として幕政を担ったその手腕は、厳格な改革者のイメージを伴うことが多いです。しかし、定信の人物像はそれだけに留まりません。彼はまた、文学、美術、そして作庭といった分野にも深い造詣と情熱を注いだ文化人でもありました 。江戸時代の大名にとって、庭園の造営は単なる慰楽のためだけでなく、政治的駆け引きの場、洗練された文化の誇示、そして個人的な美意識の表現の手段でもありました。定信の作庭活動は、こうした時代背景の中で、彼の多面的な個性を映し出す鏡であったと言えるでしょう。
2024年3月24日


江戸桜、紙上に永遠の春を刻む:『古今要覧稿』の桜図譜
江戸時代後期に活躍した国学者、屋代弘賢(1758~1841)は、近世日本の知の集積と編纂事業に多大な貢献を果たした人物です。江戸に生まれた弘賢は、塙保己一に国学を、山本北山に儒学を、冷泉為村に和歌を学ぶなど、広範な学問分野に精通していました。その学識は幕府にも認められ、書役から右筆へと昇進し、最終的には奥右筆格旗本として幕政の中枢にも関与しました。
2024年3月8日


「生写四十八鷹」が誘う、江戸の花鳥世界:写実と象徴が織りなす自然への敬意
「生写四十八鷹」は、安政6年(1859)に制作・出版された、江戸時代末期における浮世絵木版画の注目すべき揃物です。この時期は、ペリー来航(嘉永6年(1853))に始まる開国とそれに伴う政治的混乱、そして明治維新へと向かう動乱の幕開けにあたり、日本社会が大きな変革期を迎えていました。
2024年3月8日


金井紫雲:美術と園芸を探求した碩学
金井紫雲(本名:金井泰三郎)は、大正時代(1912-1926)から昭和時代(1926-1989)にかけて活躍した著名な美術記者であり、評論家、そして研究者でした。彼の活動は、日々の報道に留まらず、美術史、美術評論、さらには盆栽や花鳥といった日本文化の深奥に関わる分野での専門的な研究と著作活動にまで及びました。特に、都新聞社での長年にわたる美術記者および学芸部長としての経歴は、当時の美術界に対する彼の影響力の大きさを物語っています。
2023年9月23日
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