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艸花絵前集 - 江戸前期の園芸文化を彩る草花図譜

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2024年4月14日
  • 読了時間: 14分

更新日:6月20日


[伊藤]伊兵衛 [画] ほか『艸花繪前集』[1],須原茂兵衛,元禄12 [1699]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2586993
[伊藤]伊兵衛 [画] ほか『艸花繪前集』[1],須原茂兵衛,元禄12 [1699]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2586993


1. 緒論:『艸花絵前集』について


元禄12年(1699)に出版された『艸花絵前集』(草花絵前集とも記されます)は、江戸時代前期の園芸文化を象徴する重要な草花図譜です。本書は、草花の絵を中心とし、その余白に花の色や開花時期などの解説を付したもので、視覚的な美しさと実用的な情報を兼ね備えています。この図譜が刊行された元禄年間(1688~1704)は、町人文化が爛熟期を迎え、園芸を含む多様な文化芸術が隆盛を極めた時代でした。このような時代背景のもと、『艸花絵前集』は、園芸を愛好する人々の間で広く受け入れられたと考えられます。   


本書の編纂には、江戸・染井(現在の東京都豊島区駒込)を拠点とした当代随一の植木屋、伊藤家が深く関わっています。「伊兵衛」の名を代々世襲し 、特に本書の制作に携わったのは、父である三之丞と、その子である政武でした。


本書は単なる美しい植物画集に留まらず、実用的な園芸手引書としての側面も持ち合わせていました。図譜の体裁は、植物の絵を主体としつつ、花色や開花期といった栽培に必要な情報を簡潔に添えるというものであり、これは美術的鑑賞と園芸実践という二つの需要に応えるものでした。このような出版形態は、伊藤家が単に植物を栽培・販売するだけでなく、園芸知識の普及にも努めていたことを示唆しています。また、伊藤家のような著名な植木屋が質の高い園芸書を出版することは、自らの専門性と取り扱う植物の豊富さを世に示すことになり、結果として彼らの事業の評価を高め、顧客層を拡大する上で戦略的な意味合いを持っていたと考えられます。実際に、政武の代にはその商才も評価されており 、一連の出版活動が伊藤家のブランド構築に寄与した可能性が高いと考えられます。   



2. 『艸花絵前集』の成立:著者と編纂の経緯


『艸花絵前集』の成立は、伊藤伊兵衛家の父子の共同作業によるものです。中心的な役割を担ったのは、三代伊兵衛である三之丞と、その子である四代伊兵衛政武です。



2.1. 伊藤伊兵衛三之丞:描画の担当者


本書に収録された草花の原画は、父である伊藤伊兵衛三之丞の手によるものです。三之丞は、元禄8年(1695)に園芸書『花壇地錦抄』を著しており、当代を代表する園芸家としての地位を確立していました。『艸花絵前集』の序文にも、父三之丞が描いた草花の絵を基にしたことが明記されており、彼の植物に対する深い造詣と描写力が本書の基盤となったことがわかります。   



2.2. 伊藤伊兵衛政武:編集と解説の担当者


三之丞の子である政武は、父の描いた原画を編纂し、花の色、開花時期などの解説文を追記する役割を担いました。政武の編集作業によって、三之丞の絵は単なる画集ではなく、実用的な情報を備えた園芸図譜として完成しました。政武自身もまた、後に『増補地錦抄』(1710)、『広益地錦抄』(1719)、『地錦抄附録』(1733)といった重要な園芸書を次々と刊行し、父祖の業績をさらに発展させました。   



2.3. 父子の共同作業


『艸花絵前集』は、三之丞の芸術的才能と植物に関する深い知識、そして政武の編集能力と解説の的確さが融合した成果と言えます。この父子の協力関係は、伊藤家が代々園芸知識の集積と普及に努めてきたことを象徴しています。三之丞が植物の視覚的特徴を捉えることに長けていたのに対し、政武はそれを体系化し、解説を加えて出版するという形で知識を広めることに才能を発揮したと考えられます。この役割分担は、それぞれの得意分野を活かした結果であると同時に、園芸知識の継承と発展における世代間の変化を示唆しているかもしれません。三之丞が『花壇地錦抄』で築いた基礎の上に、政武はより広範な読者層を意識した出版活動を展開していきました。特に『艸花絵前集』の制作は、政武にとって出版の経験を積み、後の大著を手掛ける上での重要なステップとなったと考えられます。父の原画に解説を付すという作業を通じて、政武は園芸情報を効果的に伝える方法を模索し、読者のニーズを把握する機会を得たと考えられます。



3. 出版と書誌的特徴



3.1. 出版年と時代背景


『艸花絵前集』は、元禄12年(1699)に刊行されました 。前述の通り、元禄時代は比較的平和で経済的にも発展し、町人を中心とする都市文化が花開いた時期でした。このような社会状況は、園芸のような趣味や学芸への関心を高め、本書のような出版物を生み出す土壌となりました。   



3.2. 出版者と板行


本書の出版は、須原茂兵衛と松野屋宇右衛門の共同で行われたと記録されています。当時の出版形態として一般的な木版印刷であったと考えられます。後に、版元名が削られ、外題が『草花絵全集』と改められた後印本も存在することが知られており、これは本書が長期間にわたり需要があったこと、あるいは出版の権利関係に変化があった可能性を示しています。この「前集」から「全集」への改題は特に注目に値します。「前集」という名称は、続編である「後集」の刊行が予定されていたことを示唆しており、実際に後集の計画があったものの実現しなかったことが確認されています。後年になって「全集」と改題されたことは、続編の刊行が断念された後、現存する部分だけで完結した作品として市場に出すための措置であったと考えられます。これは出版史における現実的な対応と言えるでしょう。   



3.3. 書誌的情報と体裁


伝存する『艸花絵前集』の物理的な特徴については、いくつかの記録があります。一誠堂書店の記述によれば、美濃判で、表紙は栗皮色の紙(栗皮表紙)が用いられていましたが、その個体ではやや傷みが見られたとのことです。また、その個体には外題がなかったとされます。   


内部構成については、内題として「艸花絵前集」と記され、1丁(葉)の序文に続き、本文は54丁半にわたり、半丁に1種または2種の草花が描かれ、合計120種の草花図とその解説が掲載されています。最後に半丁の刊記が付されています。   



表1:『艸花絵前集』の主要出版情報

項目

詳細

原内題(内題)

艸花絵前集

通称

草花絵前集

作画者(原画)

伊藤伊兵衛三之丞

編纂者(解説・編集)

伊藤伊兵衛政武

出版年(和暦・西暦)

元禄12年(1699)

初版出版者

須原茂兵衛、松野屋宇右衛門

判型・装丁・巻冊数

美濃判、栗皮表紙。1冊本  または3巻本 (巻冊数に異説あり)

収録草花数

120種

   


4. 内容と芸術的価値:植物図譜の宝庫



4.1. 収録植物の範囲と選択


『艸花絵前集』には、120種の草花が収録されています。これらの植物の選択は、当時の江戸で人気があったもの、新たに導入された珍しい品種、あるいは伊藤家が特に得意としたものなどが反映されていると考えられます。特筆すべきは、オシロイバナ、ルコウソウ、ヤブレガサといった植物が、本書によって初めて図示されたと指摘されている点です。これは、本書が既知の植物を記録するだけでなく、新たな植物や園芸界であまり知られていなかった植物を積極的に紹介し、知識の普及に貢献したことを示しています。伊藤家が当代一流の植木屋であったことを考えれば、新しい植物の導入や栽培に熱心であり、それを図譜を通じて広めようとしたことは想像に難くありません。   



4.2. 画風と図版の技法


本書は草花の絵を中心に据え、図版が中心的な役割を果たしています。当時の出版物として一般的な木版画で制作されたと考えられます。その画風は、植物の同定に足る程度の正確性を保ちつつ、元禄文化の洗練された美意識にも合致する芸術性を追求したものと推測されます。単なる学術的な記録ではなく、鑑賞にも堪えうる美しさを備えていたことが、多くの人々に受け入れられた理由の一つと考えられます。   



4.3. 付随する解説文


図版の余白には、簡潔な解説文が付されています。その内容は、花の色や開花時期といった基本的な情報が中心でした。図版が主であるとはいえ、これらの解説文は園芸愛好家にとって実用的な価値を持ち、植物の栽培や鑑賞の一助となりました。この絵と文のバランスは、元禄時代の園芸愛好家のニーズを的確に捉えたものであったと言えます。当時の人々は、美しい植物図を眺めて楽しむと同時に、それを実際に育てるための情報を求めていました。本書は、その両方の要求に応えることで、幅広い層に支持されたと考えられます。   



4.4. 植物学的意義と正確性


『艸花絵前集』は、実用的な「植物図鑑」としての機能も果たしていました。特定の植物が初めて図示されたという事実は 、日本の植物学的記録への貢献を示すものです。近代的なリンネ式分類法とは異なるものの、観察可能な特徴に基づいて同時代の植物を分類・記述しようとする努力は、当時の植物学的水準から見て重要な試みでした。120種という収録数は、偶然の産物ではなく、伊藤家の園芸に対する価値観や、当時の流行を反映した意図的な選択の結果と考えられます。この図譜は、1699年前後の江戸において、どのような植物が重要視され、愛好されていたかを示す貴重な資料となっています。   



5. 江戸時代園芸文化における『艸花絵前集』の位置づけ



5.1. 元禄時代:園芸の黄金期


元禄時代は、経済的繁栄と平和を背景に、都市部で庶民文化が大きく花開いた時期でした。人々は文化や芸術に関心を寄せ、園芸を楽しむ時間的・経済的余裕が生まれました。『艸花絵前集』のような図譜は、こうした園芸熱の高まりに応え、さらなる普及を促す役割を果たしました。ただし、この時代の豊かさは都市部に集中しており、農村部では飢饉や災害も多く、厳しい状況にあったことも指摘されています。この対比は、『艸花絵前集』の主要な読者層が、比較的裕福な都市の町人や武士階級で、書物を購入し、庭園で草花を育てる余裕を持っていました。   



5.2. 染井の伊藤伊兵衛家:園芸革新の中心地


伊藤家の植木園があった染井(現在の豊島区駒込)は、江戸の園芸文化における一大拠点でした 。伊藤家は「江戸で一番の植木屋」と称され 、その技術と知識は高く評価されていました。後の享保12年(1727)には、八代将軍徳川吉宗が政武の植木園を訪れ、植物を購入したという記録も残っており、その名声が幕府中枢にまで達していたことを示しています。染井という立地も、江戸市中への植物供給という点で戦略的に重要でした。都市の拡大に伴い、園芸植物の需要は高まり、染井はその供給地として発展しました。伊藤家はその中心的存在として、江戸の園芸トレンドを牽引しました。   



5.3. 園芸普及への貢献


『艸花絵前集』は、美しい図版と分かりやすい解説により、多くの人々に園芸の魅力を伝え、その普及に貢献したと考えられます。伊藤家の著作全般が、日本の園芸文化の庶民性形成に大きく寄与したと評価されています。本書のような出版物は、図示された植物への関心を喚起し、それらを栽培しようという意欲を人々に抱かせました。これが植木屋としての伊藤家の事業を潤し、さらに多様な植物の栽培や新たな出版活動への投資を可能にするという好循環を生み出した可能性があります。つまり、出版活動は知識普及と商業的成功の両面で機能していました。   



5.4. 植物知識と実践への寄与


本書は、植物の品種、形態、花色、開花期に関する知識を広めました。特に、それまであまり知られていなかった植物を図示したことは、園芸家が利用できる植物の幅を広げることに繋がりました。多様な草花を図解することは、品種改良への関心を高め、新たな品種の誕生を促す間接的な要因となり、また、草花の栽培方法や管理方法に関する記述(たとえ簡潔であっても)は、当時の園芸技術の向上に役立ったと評価されています。   



6. 関連作品との繋がり:伊藤伊兵衛家の著作群における『艸花絵前集』



6.1. 先行作品:『花壇地錦抄』(元禄8年、1695)


『艸花絵前集』に先立ち、父である伊藤伊兵衛三之丞は『花壇地錦抄』を著しています。これは花壇に植える草木の種類、栽培法、鑑賞法などを解説した総合的な園芸書であり 、伊藤家の園芸知識の集大成とも言えるものでした。『艸花絵前集』は、この『花壇地錦抄』で確立されたテキストベースの知識を補完し、視覚的な情報を強化する役割を果たしたと考えられます。   



6.2. 伊藤伊兵衛政武による『地錦抄』シリーズ


『艸花絵前集』の後、息子の政武は伊藤家の出版活動をさらに発展させ、一連の『地錦抄』シリーズを刊行しました。これには、『増補地錦抄』(1710)、『広益地錦抄』(1719)、『地錦抄附録』(1733)が含まれます。これらの著作は、『花壇地錦抄』の内容をさらに拡充し、より網羅的な園芸指導書としての性格を強めていきました。

『艸花絵前集』が図譜としての性格を強く持つのに対し、これらの『地錦抄』シリーズはより詳細な解説を主とするものであり、伊藤家の出版戦略が多様な形式で展開されていたことを示しています。この出版戦略の変遷は、基礎的なテキストから始まり、視覚に訴える図譜を経て、最終的には包括的な大事典へと至るという、知識体系の構築と普及の過程を反映していると言えるでしょう。   



6.3. 未刊に終わった『艸花絵後集』


『艸花絵前集』という題名が示す通り、当初は続編である「後集」の刊行が予定されていました。しかし、この後集は結局刊行されることはありませんでした。その理由は明確ではありませんが、政武が『地錦抄』シリーズの編纂に注力したためか、あるいは市場の需要の変化など、様々な要因が考えられます。この未刊の後集の存在は、『艸花絵前集』がより大きな構想の一部であったことを示唆しています。政武が1710年以降、『増補地錦抄』をはじめとするテキスト中心の大著に力を注いだことを考えると、図譜中心の『艸花絵後集』よりも、より詳細な栽培技術や品種解説を求める声が大きかったのかもしれません。あるいは、政武自身の関心が、より網羅的な知識体系の構築へと移行した可能性も否定できません。   



6.4. 近代における合本


『艸花絵前集』は、その内容の関連性から、近代に入って『花壇地錦抄』と合本されて東洋文庫などで出版されることがあります。これは、両書が相互補完的な関係にあり、合わせて読むことで伊藤伊兵衛三之丞の園芸観や当時の園芸状況をより深く理解できると、現代の研究者や編集者によって認識されているためと考えられます。前者が栽培法や鑑賞法といった「方法論」を提供するのに対し、後者は具体的な植物の姿を「視覚的に」提示します。この二つが揃うことで、江戸時代の園芸実践の全体像がより鮮明になります。   



表2:伊藤伊兵衛家による主要園芸書(元禄~享保期)の比較概要

書名(和文・ローマ字)

主な著者・編纂者

書名(和文・ローマ字)

出版年

主要内容・形式

特徴

花壇地錦抄 (Kadan Jikinshō)

伊藤伊兵衛三之丞

花壇地錦抄 (Kadan Jikinshō)

1695年

テキスト中心、栽培・鑑賞法解説

基礎的園芸書

艸花絵前集 (Sōkae Zenshū)

三之丞(画)、政武(編)

艸花絵前集 (Sōkae Zenshū)

1699年

図版中心、簡潔な解説付

120種収録、後集が計画された

増補地錦抄 (Zōho Jikinshō)

伊藤伊兵衛政武

増補地錦抄 (Zōho Jikinshō)

1710年

テキスト中心、拡充された園芸解説

『花壇地錦抄』の増補版

広益地錦抄 (Kōeki Jikinshō)

伊藤伊兵衛政武

広益地錦抄 (Kōeki Jikinshō)

1719年

テキスト中心、網羅的園芸解説

「広益」の名が示す通り、広範な内容

地錦抄附録 (Jikinshō Furoku)

伊藤伊兵衛政武

地錦抄附録 (Jikinshō Furoku)

1733年

テキスト中心、『地錦抄』シリーズの補遺・付録

シリーズの集大成、または補足



7. 結論:『艸花絵前集』の不朽の魅力


『艸花絵前集』は、伊藤伊兵衛三之丞の描画と息子政武の編集・解説という父子の協力によって元禄12年(1699)に生み出された、120種の草花図とその解説を収めた画期的な園芸図譜です。当初は「前集」として続編が計画されていましたが、それは実現しませんでした。本書は、元禄文化の爛熟期において、江戸の園芸熱の高まりに応え、その普及に大きく貢献しました。

その価値は、単に美しい植物画集であるに留まりません。美術、商業、そして萌芽期の科学的探求という三つの要素が交差する点に、本書の歴史的重要性とその不朽の魅力があります。美しい図版は芸術作品としての価値を持ち 、当代随一の植木屋であった伊藤家の出版物として商業的な成功も目指したと考えられます。同時に、植物の形態や開花期を記録し、中には初めて図示された種も含むなど 、初期の植物図鑑としての科学的貢献も果たしました。これらの要素が分かち難く結びついている点に、元禄という時代のダイナミズムが反映されています。   


『艸花絵前集』は、江戸時代前期の日本の植物画、園芸実践、そして文化史を理解するための貴重な一次資料として、今日なおその輝きを失っていません。伊藤家の出版物群の中での位置づけ、そして日本の園芸文化全体への影響を考慮する時、本書の意義は一層深まります。デジタル化によってアクセスが容易になった現代において、『艸花絵前集』は、研究者や愛好家にとって新たな発見の源泉であり続け、日本の豊かな園芸遺産を伝える貴重な文献として、今後もその価値を保ち続けるでしょう。




上巻


[伊藤]伊兵衛 [画] ほか『艸花繪前集』[1],須原茂兵衛,元禄12 [1699]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2586993




中巻


[伊藤]伊兵衛 [画] ほか『艸花繪前集』[2],須原茂兵衛,元禄12 [1699]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2586994




下巻


[伊藤]伊兵衛 [画] ほか『艸花繪前集』[3],須原茂兵衛,元禄12 [1699].国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2586995








参考/引用











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