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木版多色の美しい図が挿入された栽培手引書:花壇朝顔通

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2024年6月8日
  • 読了時間: 11分

更新日:6 日前



1. はじめに:江戸の園芸文化が育んだ奇跡の一冊『花壇朝顔通』


日本の豊かな文化の中で、ひときわ繊細で奥深い輝きを放つのが、花卉や園芸の文化です。四季折々の美しい花々に心を寄せ、その生命の営みに美を見出す感性は、古くから日本人の精神性と深く結びついてきました。あなたは、朝顔と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。夏の朝、涼やかに咲き誇る、どこか懐かしいあの花でしょうか。しかし、江戸時代の人々にとって、朝顔は単なる夏の風物詩ではありませんでした。   


奈良時代に中国から薬用として伝わったとされる朝顔は、江戸時代に入ると観賞用として広く親しまれるようになり、その姿を大きく変えていきました。特に江戸時代は、太平の世が長く続き経済が発展したことで、庶民の生活にもゆとりが生まれ、園芸が武士から町人、さらには農民に至るまで幅広い層に楽しまれるようになりました。この時代、朝顔は特に人気を集め、単に花を鑑賞するだけでなく、突然変異によって生まれる珍しい花形や葉形を「変化朝顔」と呼び、その多様な姿を競い合う熱狂的なブームが巻き起こったのです。   


このような時代背景の中で、朝顔への計り知れない情熱と深い美意識が結晶となって生まれた一冊が、江戸時代後期に刊行された幻の図譜、『花壇朝顔通(かだんあさがおつう)』です。現代では目にすることが稀なこの書物は、当時の人々がいかに朝顔の秘めたる可能性に魅せられ、その美を極めるために情熱を注いだかを物語る、貴重な文化遺産と言えるでしょう。本稿では、『花壇朝顔通』の魅力に迫りながら、江戸時代の花卉園芸文化の奥深さを紐解いていきます。   



2. 『花壇朝顔通』の概要:江戸の「変化朝顔」を極めたバイブル


『花壇朝顔通』は、江戸時代後期に刊行された、朝顔の多様な品種を図と文章で詳細に解説した図譜です。この書物は単なる植物図鑑の域を超え、当時の朝顔栽培における専門知識、鑑賞の基準、そして美意識が凝縮された、まさに「朝顔愛好家のバイブル」ともいうべき内容となっています。   


この図譜の核心は、当時流行していた「変化朝顔」と呼ばれる、突然変異によって生まれた多様な花形や葉形を持つ朝顔の精緻な描写にあります。花弁が複雑に変化したもの、葉が通常とは異なる形になったもの、あるいは茎が特殊な形状を呈するものなど、現代の私たちが見ても驚くような、奇妙で美しい朝顔の姿が克明に記録されています。例えば、「時雨絞り」や「条斑点絞り」といった花模様、あるいは雄しべや雌しべが花弁状に変化する「牡丹咲き」など、その変異の幅広さには目を見張るものがあります。図版は非常に細かく、色彩も豊かで、それぞれの朝顔が持つ個性や特徴が生き生きと表現されています。   


変化朝顔には、種子が採れる比較的安定した形質の「正木(まさき)」と、種子が採れず系統の維持が難しい「出物(でもの)」の二つのタイプが存在しました。図譜に描かれた朝顔の多くは「出物」であり、多数の劣性変異を多重に含むため、その育成には高度な知識と技術、そして執着に近い情熱が求められたことが窺えます。これは、単なる植物鑑賞に留まらない、当時の人々が植物の生命力と向き合い、その可能性を最大限に引き出そうとした、ある種の科学的かつ芸術的な探求の表れと言えるでしょう。   


また、図版だけでなく、それぞれの品種の名称、特徴、栽培方法、さらには鑑賞のポイントに至るまで、詳細な解説が付されています。これにより、読者は単に朝顔の姿を知るだけでなく、その背景にある栽培技術や、当時の人々がどのような点に美を見出していたのかを深く理解することができます。このように、特定の植物である朝顔に特化して、これほどまでに網羅的かつ専門的にまとめられた書物は他に類を見ず、当時の園芸文化の隆盛を象徴する極めて貴重な資料となっています。   



3. 歴史と背景:作者の情熱と時代が育んだ名著



3.1. 作者 壺天堂主人と時代背景:知られざる情熱と江戸の熱狂


『花壇朝顔通』の著者は、壺天堂主人という人物です。そして、その精緻な図版を手がけたのは、森春渓(名を有煌)として知られる画家です。しかし、残念ながら、壺天堂主人と森春渓の正確な生没年や詳細な経歴については、現代においてはほとんど情報が残されていませ。彼らは江戸時代後期、特に文化年間(西暦1804年~1818年)に活躍したと考えられています。   


描かれた具体的な背景は不明ながらも、『花壇朝顔通』という作品自体が、当時の彼らが本草学や園芸、そして絵画に深い造詣を持っていたことを雄弁に物語っています。特に、森春渓による図版は、植物の形態を正確に捉えるだけでなく、その美しさや生命力をも表現する高い描写力を持っていました。   


『花壇朝顔通』が制作された文化年間は、江戸時代後期にあたります。この時期は、太平の世が長く続き、経済が発展し、庶民の生活にもゆとりが生まれました。それに伴い、文化活動が活発になり、特に園芸は、武士から町人、さらには農民に至るまで、幅広い層に楽しまれるようになりました。鉢植えであれば狭い庭や路地でも楽しめるため、都市部の庶民にも気軽に花を愛でる文化が浸透したのです。   


この時代、朝顔は特に人気を集めた植物の一つであり、その熱狂ぶりは「朝顔ブーム」と称されるほどでした。人々は、突然変異によって生まれる珍しい花形や葉形を「変化朝顔」と呼び、その多様な姿を競い合いました。珍しい品種を手に入れるためには高額を投じることも厭わず、寛政10年(1798)には幕府が鉢植えの高額売買を禁止するほどでした。都市部では人気の花の品評会もしばしば開催され、その熱気は社会全体に波及しました。下級武士たちが内職として朝顔の栽培や品種改良に励み、植木行商が盛んに行われるなど、このブームは経済活動にも大きな影響を与えました。このような時代背景が、壺天堂主人と森春渓のような人々が、特定の植物である朝顔に特化した専門書を著す土壌となったのです。彼らの作品は、当時の学問が単なる机上の空論に留まらず、社会の動向や人々の熱意にも深く根差していたことを示しています。   



3.2. 『花壇朝顔通』の制作経緯:探求心と知識の集大成


壺天堂主人が『花壇朝顔通』を著した経緯には、本草学や園芸への深い関心と、当時の朝顔ブームが深く関係しています。壺天堂主人は、単に植物の知識を収集するだけでなく、その形態の多様性や変化にも強い関心を持っていました。特に、朝顔に見られる「変化」は、彼のような探求者にとって、自然の神秘や生命の多様性を解き明かす魅力的な研究対象であったと考えられます。   


当時の朝顔ブームの中で、多くの人々が変化朝顔の栽培に熱中し、様々な珍しい品種が生み出されていました。しかし、それらの品種に関する情報は、口頭で伝えられたり、簡単な手書きの図譜で流通したりする程度で、体系的にまとめられたものはありませんでした。壺天堂主人は、このような状況の中で、朝顔の多様な変化を正確に記録し、その知識を広く共有することの重要性を感じたのではないでしょうか。   


壺天堂主人は、自らも朝顔を栽培し、その変化を観察するとともに、当時の朝顔愛好家たちとの交流を通じて、最新の品種情報や栽培技術を収集しました。これは、当時の知識人が書斎に閉じこもるだけでなく、現場の知識や経験を積極的に取り入れる、実証的な姿勢の表れです。そして、それらの膨大な情報を、森春渓による精緻な描写力と、自身の持つ本草学の知識を駆使して、図と文章で体系的にまとめ上げたのが『花壇朝顔通』です。この書物は、単なる趣味の記録ではなく、学術的な視点から朝顔の「変化」を捉え、その多様性を分類・整理しようとする、壺天堂主人ならではの試みであったと言えます。断片的な知識を統合し、標準化された形で世に送り出すことで、朝顔愛好家たちの共通言語となり、文化のさらなる発展を促す役割を果たしたのです。まさに、当時の園芸文化の熱狂を背景に、一人の学者がその情熱と知識を注ぎ込んで生み出した、時代が生んだ名著と言えるでしょう。   



4. 文化的意義と哲学:朝顔に映る江戸の美意識


『花壇朝顔通』は、単なる植物図譜としてだけでなく、江戸時代の日本人が花卉園芸に込めた文化的意義や哲学を深く読み解くことができる貴重な資料です。



4.1. 「変化」の美と無常観:儚き命に宿る真理


『花壇朝顔通』に描かれた「変化朝顔」は、当時の日本人の美意識を象徴するものです。変化朝顔は、遺伝子の突然変異によって生まれる、予測不能な、しかし時に驚くほど美しい姿を見せます。この「変化」そのものに、当時の人々は大きな魅力を感じました。それは、完璧な形を追求する西洋的な美意識とは異なり、不完全さや移ろいゆくものの中に美を見出す、日本独自の「侘び寂び」にも通じる感性です。   


「侘び寂び」は、単なる美的様式に留まらず、日本人の深い哲学的思想を内包しています。自然のままの石が「侘び寂び」を表し、その配置や手入れが運命や無常といった哲学的な意味合いを持つ日本の庭園文化にも通じるように、朝顔の栽培は、哲学的な思索の場でもありました。朝顔は、朝に咲き、夕にはしぼんでしまう「一日花」です。この儚い命の輝きは、仏教的な「無常観」とも深く結びついていました。この世の全てのものが移ろいゆくという真理を、変化朝顔の予測不能な美しさと、その命の短さが体現しているかのようでした。人々は、朝顔の栽培を通じて、生命の神秘と、その儚さゆえの尊さを感じ取っていたのかもしれません。それは、自然のままの姿や、時間の経過による変化を受け入れ、その中に美を見出すという、日本文化に深く根差した精神性の表れと言えるでしょう。   



4.2. 創造性と探求心:自然との対話が生み出す美


変化朝顔の栽培は、単なる鑑賞に留まらず、新たな品種を生み出す「創造」の営みでもありました。当時の園芸家たちは、交配や選抜を繰り返し、より珍しい、より美しい変化朝顔を求めて試行錯誤を重ねました。これは、自然の摂理を深く理解し、その中で新たな美を「発見」し、「創造」しようとする、飽くなき探求心の表れです。現代の育種学にも通じる、科学的かつ芸術的な営みを通じて、植物の生命力と向き合い、その可能性を最大限に引き出そうとしたのです。   


この創造と探求の精神は、現代にも受け継がれています。例えば、米田芳秋氏による「曜白アサガオ」や「午後開花アサガオ」の開発は、江戸時代の人々が抱いた「珍花・奇形」への飽くなき好奇心と、新たな美を追求する創造性の現代的な延長線上にあると言えるでしょう。このような絶え間ない「変化」の追求は、単なる流行に終わらず、文化と生物学的な多様性の両方を豊かにする原動力となりました。   



4.3. 共有と交流の文化:花が繋ぐ人々の輪


『花壇朝顔通』のような図譜が刊行された背景には、朝顔愛好家たちの間で盛んに行われた情報交換や交流の文化があります。珍しい品種の情報は、口伝えや手書きの図譜で共有され、都市部では品評会が頻繁に開催され、その美しさが競われました。壺天堂主人がこの書物を著したことも、そうした知識の共有と、朝顔文化のさらなる発展を願う気持ちがあったからに他なりません。   


この書物は、単に知識を伝えるだけでなく、朝顔を愛する人々が互いに学び、高め合うための共通言語としての役割も果たしました。体系的な図譜の登場は、それまで非公式であった朝顔愛好家のコミュニティに、より洗練された議論と交流の基盤を提供しました。これは、特定の植物を介して、人々が繋がり、文化を育んでいく、江戸時代ならではの豊かな交流の姿を映し出しています。このような知識の共有と共同体意識は、現代の趣味のコミュニティや学術的なネットワークにも通じる、普遍的な文化の発展の形を示しています。   



5. おわりに:現代に息づく江戸の美意識


『花壇朝顔通』は、江戸時代の人々が朝顔という一輪の花に注いだ、計り知れない情熱と深い美意識、そして飽くなき探求心の結晶です。壺天堂主人と森春渓という知られざる作者たちが、時代の熱狂を背景に、その知識と技術の全てを注ぎ込んで生み出したこの図譜は、単なる植物の記録を超え、当時の日本人の精神性や哲学を現代に伝える貴重な文化遺産となっています。   


この一冊から、私たちは、変化の中に美を見出し、儚い命に無常の真理を感じ、そして自然との対話を通じて創造性を育んできた、日本独自の園芸文化の奥深さを再認識することができます。『花壇朝顔通』は、単に過去の遺物ではなく、現代を生きる私たちに、自然との向き合い方、美の捉え方、そして生命の尊さについて、深い示唆を与えてくれるでしょう。ぜひ、『花壇朝顔通』の世界に触れ、江戸の人々が愛した朝顔の、尽きることのない魅力と、そこに込められた豊かな精神性を感じ取ってみてください。それはきっと、植物への、そして日本文化への関心を、より一層深めてくれることでしょう。   





壷天堂主人 著 ほか『花壇朝顔通 2巻』,高橋平助[ほか2名],文化12 [1815].国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2607058





壷天堂主人 著 ほか『花壇朝顔通 2巻』,高橋平助[ほか2名],文化12 [1815].国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2607058






参考









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