朝顔三十六花撰に息づく江戸の美意識:儚き花に宿る「粋」の精神
- JBC
- 6月1日
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1. 暁に咲き誇る、一瞬の輝き
朝の光を浴びて、その日のうちに姿を消す朝顔。その儚い美しさに、どのような物語を見出すことができるでしょうか。一輪の花が織りなす一瞬の輝きは、古くから日本の文化や美意識と深く結びついてきました。本稿では、江戸時代に生まれた稀有な植物図譜「朝顔三十六花撰」を通して、日本の花卉文化の奥深い世界へと読者を誘い、その本質と魅力を探求します。この図譜は、単なる植物の記録に留まらず、当時の人々の美意識、精神性、そして文化的な営みの結晶として、現代に多くの示唆を与えています。
2. 朝顔三十六花撰とは:江戸園芸文化の粋を集めた図譜
「朝顔三十六花撰」は、嘉永7年(1854)に刊行された、朝顔の「図譜」、すなわち精緻な図版集です。この図譜は、日本の伝統的な詩歌集「三十六歌仙」になぞらえ、当時最高峰とされた36品種の「変化朝顔」が描かれた貴重な書物です。
本書には、絵師・服部雪斎による精緻な筆致で、多様な朝顔の姿が余すところなく表現されています。その中には、現代では失われたとされる珍しい黄花品種も2点含まれており、当時の品種改良の多様性と技術の高さがうかがえます。例えば、「松の雪」は鮮やかな紺青色の縞模様が夜空に流れる天の川のように美しいと評され、「新世界」は浅葱色の霞覆輪で斬新な美しさを持つと記されています 。このように、それぞれの品種には、花弁の形状や模様、葉の特徴などが事細かに記された詳細な解説が添えられており、植物図鑑としての役割を十分に果たしています。
しかし、「朝顔三十六花撰」の価値は単なる植物図鑑に留まりません。その構成や描写、そして序文には、当時の文化人の高度な教養と洗練された美意識が凝縮されています。この図譜は、芸術作品としての美しさ、そして文学作品としての奥深さを兼ね備えた、他に類を見ない作品として位置づけられています。
3. 歴史と背景:二度の朝顔ブームと図譜誕生の物語
3.1 江戸を彩った朝顔ブームの到来
朝顔は奈良時代に薬草として日本に伝来しましたが、江戸時代中期以降、その花の美しさが評価され、観賞用として空前のブームを巻き起こしました。特に、突然変異によって生み出された多種多様な形態の「変化朝顔」が人々の間で人気を博しました。
この朝顔ブームは、江戸時代に二度、大きな波となって到来しました。 第一次ブームは、江戸末期の文化・文政期(文化元年~文政13年、1804~1830)に起こりました。その発端は、文化3年(1806)の江戸大火(丙寅の大火)でした。この大火によって下谷(現在の東京都台東区)に広大な空き地ができ、そこで植木職人たちが品種改良した朝顔を栽培し始めたことが、人々の注目を集めるきっかけとなりました。この時期には、八重咲きや花びらが細いもの、桔梗に似たものなど、一風変わった姿の朝顔、すなわち変化朝顔が特に人気を集めました。珍しい品種は菊などと並んで高値で取引され、その熱狂ぶりは、収入の低い下級武士たちまでもが、独自に栽培と品種改良を行い、内職として生計を立てるほどでした。これは、都市の災害が予期せぬ形で新たな文化の芽生えを促し、社会構造の変化に適応しながら新たな価値を生み出した好例と言えるでしょう。
そして、「朝顔三十六花撰」が刊行された嘉永・安政期(嘉永元年~安政7年、1848~1860年)には、第二次ブームが到来しました。この時期には、実に1200もの系統が生み出されたと言われ、人々の朝顔に対する情熱は衰えることを知りませんでした。多数の朝顔図譜が出版され、朝顔の優劣を競う「花合わせ会」や「闘花会」といった品評会が盛んに行われ、ブームをさらに盛り上げました。この第二次ブームを牽引したのは、「朝顔師」と自称した植木屋の成田屋留次郎です。彼は品種改良に没頭し、園芸に関する本の出版も行いました。また、旗本の鍋島直孝(杏葉館)も著名な朝顔栽培家として知られ、「朝顔三十六花撰」の序文を記しています。
3.2 撰者・横山正名と絵師・服部雪斎の足跡
「朝顔三十六花撰」の誕生には、二人の重要な人物が深く関わっています。
撰者である横山正名(万花園主人)は、天保4年(1833)に生まれ、明治41年(1908)に没した幕臣です。正名は陸軍奉行を務めた高位の人物であり、当時の知識階級や武士階級にも園芸趣味が深く浸透していたことを示しています。正名の生涯は幕末から明治にかけての激動の時代と重なり、その中で朝顔への深い知識と審美眼を培ったことがうかがえます。明治維新後には、その趣味を活かして植木商となったという逸話も伝わっており、正名の生涯にわたる花卉への情熱と、変化の時代に適応する姿勢がうかがえます。
絵師の服部雪斎は、幕末から明治中頃にかけて活躍した稀代の「博物画家」として知られています。雪斎の作品は、対象を緻密に捉えた鋭い観察眼と精緻な筆致、そして鮮やかな色彩表現が特徴です 。特に「朝顔三十六花撰」における描写は、朝顔の多様な美しさを余すところなく表現しており、当時の絵画技術の最高峰を示しています。雪斎の他の代表作には、写生帖「百合花図/椿花図」や、『目八譜』、『有用植物図説』などがあり、博物画における彼の多大な貢献がうかがえます。幕臣という高い身分の人物と、博物画の専門家である絵師の協業は、「朝顔三十六花撰」が単なる趣味の産物ではなく、当時の社会が園芸文化、特に変化朝顔に与えていた高い評価と、それを学術的かつ芸術的に記録しようとする深い意図があったことを示唆しています。
3.3 幕末の世に生まれた最高傑作
「朝顔三十六花撰」が刊行された嘉永7年(1854)は、前年の嘉永6年(1853)にペリーが浦賀に来航し、日本が開国の危機に直面していた激動の「幕末」にあたります。国家的な危機に瀕していたこの時代に、これほど精緻で芸術性の高い園芸図譜が生まれたという事実は、当時の日本社会が持つ文化的成熟度と、人々が逆境の中でも美を追求し、精神的な豊かさを保とうとした強い意志を物語っています。
このような社会が大きく揺れ動く時代にあっても、江戸の人々は文化や芸術を楽しむ心を失いませんでした。むしろ、騒然とした世の中だからこそ、日常の中に美を見出し、それを慈しむことで心の平穏を保とうとしたのかもしれません。変動する時代の中で、人々が求めた「静かで、しかし確かな存在感」を放つ名作群の一つとして、「朝顔三十六花撰」は生まれました。本書が、当時の朝顔ブームの最高潮を捉え、その多様性と美しさを後世に伝える「最高傑作」と評される所以は、その時代背景と、そこに息づく人々の普遍的な美意識の表れと言えるでしょう。
4. 文化的意義と哲学:儚き美と「粋」の精神が織りなす世界
4.1 一瞬の輝きに宿る生命の尊さ
朝顔は、早朝に咲き誇り、昼にはしぼんでしまうという、一日限りの命を持つ花です。この「儚さ」こそが、古来より日本人の美意識に深く響き、愛されてきた理由です。
「朝露よりはかない姿」の中に、人々は生命の尊さや、一瞬の輝きの大切さを感じ取っていました。これは、桜の花にも見られるように、移ろいゆくものの中にこそ真の美を見出し、刹那の輝きを慈しむという、日本独自の「無常観」や「もののあわれ」といった哲学が凝縮されたものです。
「朝顔三十六花撰」は、この刹那の美を精緻な筆致で永遠に留めようとした、まさにその精神の表れであり、一瞬の輝きを尊ぶ日本人の心を現代に伝えています。図譜としてその姿を「永遠に留める」という行為は、この儚い美を記録し、後世に伝えることで、その価値を再認識させるという、深い哲学的な意味合いを持っています。
4.2 「粋」の精神と多様性の追求
「変化朝顔」のブームは、江戸時代の人々が追求した「粋」の精神と深く結びついています。ここでいう「粋」とは、単なる流行を追うのではなく、洗練された美意識と、他人とは一線を画す個性的なスタイルを追求する精神を指します。
「朝顔三十六花撰」に描かれた「松の雪」の鮮やかな紺青色の縞模様や、「新世界」の浅葱色の霞覆輪など、多種多様な変化朝顔は、当時の人々の高い審美眼と、独創性を競い合う「粋」の表れであったことを具体的に示しています。これは、単に珍しいものを好むだけでなく、自らの手で新たな美を創造し、それを競い合うという、より能動的な文化活動であったことを示唆しています。
変化朝顔の栽培は、予測不可能な突然変異を楽しむ「宝探しのような」側面があり 、これこそが「粋」の精神を刺激しました。遺伝学が未発達な時代において、偶然性の中から美を見出し、それを固定化しようとする、ある種の「科学的探求」と「芸術的創造」の融合でもありました。また、各品種に添えられた詳細な解説や、花の色、形、葉の特徴などを組み合わせて命名された花銘(例:「青雅」)は、細部へのこだわりと洗練された美意識を象徴しており、当時の文化人の教養の高さがうかがえます 。この多様性の追求は、現代社会が重視する多様性への理解にも繋がる普遍的なメッセージを内包しています。
4.3 植物図譜を超えた芸術性と文学性
「朝顔三十六花撰」は、単なる植物の記録に留まらない、多層的な価値を持つ作品です。絵師・服部雪斎による精緻な描写は、科学的な正確さを追求しつつも、芸術作品としての比類ない美しさを追求しています。これは、江戸時代の学問と芸術が融合した「博物学」の粋を体現しており、現代の学問分野の細分化とは異なり、自然を多角的に捉え、その本質を総合的に表現しようとする、より包括的な知のあり方を示唆しています。
また、本書は文学的な奥深さも兼ね備えています。各品種に添えられた詳細な解説や、詩歌の「三十六歌仙」になぞらえた構成は、単なる説明に留まらず、それぞれの朝顔に込められた物語や感情を喚起させます。詩歌の対象と同等の「美の精髄」として植物を捉えるという、文学的な視点がそこには存在します。さらに、旗本の鍋島直孝による序文も、当時の文化人の教養の高さと、自然を愛でる豊かな精神性を物語っています。このように、「朝顔三十六花撰」は、植物学、美術、文学が融合した、他に類を見ない文化遺産と言えるでしょう。
4.4 現代に伝える江戸のメッセージ
「朝顔三十六花撰」は、嘉永年間という激動の時代に生まれたにもかかわらず、江戸の人々が美と文化を慈しむ心を失わなかった証です。この図譜は、変化の激しい現代社会において、私たちに重要なメッセージを伝えています。
「変化朝顔」が持つ多様性は、現代社会における「多様性」の価値に通じるものがあります。幕末の混乱期に美を追求した人々の姿勢は、現代の不確実な時代を生きる私たちにとって、文化や芸術が心の拠り所となり得ることを示唆しています。また、朝顔の儚い美しさに深い意味を見出した江戸の人々の感性は、現代人が忘れかけている自然との向き合い方、一瞬一瞬を大切にする心のあり方を思い出させてくれます。
「朝顔三十六花撰」は、単なる歴史的資料ではなく、儚い美しさへの愛着、細部へのこだわり、そして「粋」の精神が凝縮された作品であり、自然の美しさに目を向け、それを慈しむ心といった普遍的な価値観を、時を超えて現代社会に問いかけているのです。一時衰退した変化朝顔が、昭和初期に愛好家たちによって復活し、現在も多くの人々に愛されているという事実は、この文化遺産の持つ永続的な価値を示しています。
5. 結び: 朝顔三十六花撰が誘う、時を超えた美の旅
「朝顔三十六花撰」は、単なる植物図譜ではなく、江戸時代の豊かな文化、美意識、そして人々の精神性を映し出す鏡です。この一冊の図譜は、私たちを時を超えた美の旅へと誘い、朝顔という儚い花に凝縮された「粋」の精神と生命の尊さを再発見する機会を与えてくれます。
朝のわずかな時間に咲き誇り、その日のうちに消えゆく朝顔。その一瞬の輝きの中に、江戸の人々が見出した奥深い美意識は、現代を生きる私たちにも、日常に潜む美を発見する喜びと、移ろいゆくものへの慈しみの心を教えてくれます。日本の花卉文化の奥深さに触れることで、新たな発見と感動が生まれることでしょう。
『朝顔三十六花撰』、万花園主人//撰、服部雪斎//画、嘉永7年(1854)国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1286913