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浮世絵師・北尾重政の花鳥写真図彙


はじめに


江戸時代の浮世絵師、北尾重政は、美人画や役者絵でその名を知られていますが、花鳥画にも優れた才能を発揮しました。本稿では、重政の代表的な花鳥画集である『花鳥写真図彙』を取り上げ、その魅力と芸術的・文化的意義について解説します。




北尾重政について


生涯


北尾重政は、江戸時代中期に活躍した浮世絵師です。本名は北畠兼儔で、戦国大名北畠氏の末裔と言われています。 江戸小伝馬町の書肆(本屋)須原屋三郎兵衛の長男として生まれ、幼い頃から絵本や版画に囲まれた環境で育ちました。 重政は、10歳半ばには暦の版下などを書いており、その頃に出版されていた紅摺絵を見て、自分も描けると思い絵師を志したと言われています。 絵は師匠につかず独学で学びましたが、西川祐信や鳥居清満といった絵師の画風から影響を受けたと考えられています。 宝暦末頃からは紅摺絵の役者絵を描き始め、明和2年(1765年)には摺物に花藍の号で参加するなど、錦絵創製の有力絵師として活躍しました。 安永、天明の頃には独自の画風を確立し、無款の美人画や浮絵、草双紙の挿絵など、幅広いジャンルの作品を手がけました。 特に版本における活躍が目立ち、手がけた絵本は60点を超え、黄表紙の挿絵は100点以上もあると言われています



生い立ち


重政は、1739年(元文4年)に江戸小伝馬町の書肆・須原屋三郎兵衛の長男として生まれました。 書肆は出版活動などを行い、当時の文化と知識の中心となった場所であり、重政は幼い頃から絵本や版画に囲まれた環境で育ちました。 本名は北畠兼儔で、鎌倉時代から続く大名家・北畠氏の末裔という説があります。 幼少期の名前は「太郎」で、のちに「佐助」と改名、さらに通名として「久五郎」とも称していました。   



絵師としての出発


重政は、書肆を営む家に生まれたため、自然と絵に興味を持つようになり、独学で絵の技術を磨きました。 家督は弟に譲り、浮世絵師として独立した道を歩み始めます。 重政は、まず暦の挿絵を描くことから絵師としてのキャリアをスタートさせました。 当時の紅摺絵の質の低さに気づき、自身ならより優れた作品を描けると考えたことが、絵師を志すきっかけになったと言われています。 特定の絵師に師事することはありませんでしたが、「鳥居清満」ではなく「鳥居清満」や「西川祐信」などの画風から影響を受けたという説が有力です。 鳥居清満は紅摺絵による美人画や役者絵の他、黄表紙の挿絵を描いた人物で、西川祐信は写実的な美人画を描いた絵師です。 紅摺絵とは、黒の他に紅や緑など2~3色で摺る技法であり、両者の特徴は重政の作品や画風にも見ることができます。 また、北尾の画姓は上方の浮世絵師・北尾辰宣に由来し、本姓の北畠に読みが近いことも影響していると考えられています。 辰宣は「自分の思いのまま、ほしいままに描く」という意味の「擅画」という語を用いましたが、重政もこうした作画姿勢に共感したのかもしれません。 浮世絵師になってからは大伝馬町三丁目扇屋井筒屋裏に住んでいましたが、後に金杉中村の百姓惣兵衛地内に永住しました。   



多岐にわたる才能


重政は絵画だけでなく、書道や俳諧にも才能を発揮しました。谷素外に師事して俳諧を学び、花藍の号を受けたとされています。 また、師承は不明ですが書道にも通じており、特に三体篆書隷書を得意としていました。 暦本の版下や、祭礼や年中行事の際に掲げられる幟の文字などを、有名書家たちに混じり揮毫し、重政の書も大書されていたと言われています。 これらの才能は、重政の浮世絵制作にも活かされ、独自の画風を形成する上で重要な役割を果たしたと考えられます。   



画風の変遷


重政は、宝暦末頃から西川祐信や鳥居清満風の紅摺絵の役者絵を描き、試行錯誤を重ねていきました。 明和2年(1765年)の摺物に花藍の号をもって参加し、錦絵創製の有力絵師として活躍し始めます。 安永、天明の頃には画風が出来上がり、無款による美人画のほか、浮絵や草双紙の挿絵も多数描きました。 1772~1781年の安永期になると、重政の作風は変化していきます。 この時期には、美人画界を先導する絵師「磯田湖龍斎」や、役者似顔絵の先駆者「勝川春章」などの絵師達が活躍しており、重政も彼らの影響を受けたことが考えられます。   



大名への作品提供


重政は、天明元年(1781年)に大名のために芸妓の肖像画を描いています。 また、天明年間(1781~1789年)には、「加納高信」との合作で、「久米仙人図」を制作しました。 これらの作品は、重政の活動範囲の広さと、多様な顧客層に作品を提供していたことを示しています。   



晩年


重政は天明期以降は専ら絵本や挿絵本の仕事を主とし、肉筆浮世絵も描きました。 肉筆浮世絵の代表作としては、「ほたる狩り図」などが挙げられます。 また、寛政10年(1798年)には山東京伝作と黄表紙「四季交加」を合作しています。 後年名が売れたあとも、次第に浮世絵の流派が定まっていく中で、若輩が担当することが多くなっていった版本挿絵の仕事を継続的にこなしているのは、重政の本好きを表しているといえます。 享年82歳で、墓所は台東区西浅草の善竜寺、法名は了巍居士です。   




代表作


重政の代表作としては、以下の作品が挙げられます。


  • 青楼美人合姿鏡 :安永5年(1776年)に勝川春章と合作した絵本で、実在の花魁をもとに吉原風俗を描いた作品。吉原遊郭の華やかな様子や、そこに生きる女性たちの姿を鮮やかに描き出しており、当時の風俗を知る上で貴重な資料となっています。   

  • 絵本吾妻花    

  • 絵本三家栄種    




画風の特徴


重政の画風は、繊細な線描と落ち着いた色彩が特徴です。 また、人物の表情や仕草を生き生きと描写するなど、優れた観察眼と表現力を持っていたことが伺えます。 初期は西川祐信や鳥居清満の影響を受けたとされますが、次第に独自の画風を確立していきました。 紅摺絵から錦絵への移行期に活躍した絵師として、多色刷りの技術を積極的に取り入れ、華やかで洗練された作品を生み出しました。   



弟子


重政は多くの弟子を育成し、浮世絵界に北尾派と呼ばれる一派を形成しました。 代表的な弟子には、以下の絵師がいます。   


  • 北尾政演(山東京伝):洒落本の挿絵や黄表紙の作者として活躍した。   

  • 北尾政美(後に狩野派の絵師に転じて鍬形蕙斎と名乗る):黄表紙などの挿絵を多く手がけ、後に狩野派に転じてからは、花鳥画、山水画、人物画など幅広いジャンルの作品を描いた。   

  • 窪俊満 :国学者で文人画家でもあった「楫取魚彦」に師事したのち、北尾重政の門下に入り、洒落本の挿絵や美人画の錦絵などを制作した。ただし、師である重政の画風とは異なり、「鳥居清長」の画風に近かったと言われている。   

  • 北尾美丸 :寛政5年(1793年)頃に江戸で出生したとされるが確証はない。また没年についても分かっていない。   



『花鳥写真図彙』について



出版時期と内容


『花鳥写真図彙』は、『花鳥写真図会』とも呼ばれ 、初編が文化2年(1805年)、二編が文政10年(1827年)に出版されました 。初編・二編ともに3巻3冊からなる花鳥画集です 。   



特徴


『花鳥写真図彙』の特徴としては、写実的な描写と、装飾的な構図が挙げられます。重政は、花や鳥の姿を細部まで丁寧に描写することで、その美しさを最大限に引き出しています。緻密な筆致で描かれた花びらや鳥の羽根などは、まるで生きているかのような生命力を感じさせます 。また、画面全体を華やかに彩る構図は、装飾性が高く、見る者を惹きつけます 。   



1804年の禁令とその影響


文化元年(1804年)に出された禁令は、江戸の町人に対し、絵本や草双紙を墨摺りのみに限定し、彩色を禁じるものでした 。この禁令は、当時の出版文化に大きな影響を与え、多くの浮世絵師や版元が苦境に立たされました。   


『花鳥写真図彙』初編もこの禁令の影響を受け、当初は墨摺りで出版されました 。しかし、後に禁令が緩和されたことで、彩色版も出版されるようになりました 。現在では、墨摺版と彩色版の両方が存在し、それぞれに異なる魅力があります。墨摺版は、重政の繊細な筆致をより際立たせ、彩色版は、華やかで装飾的な美しさを楽しむことができます。   



『花鳥写真図彙』の芸術的価値と文化的意義


『花鳥写真図彙』は、重政の優れた画力と観察眼を示す作品であり、高い芸術的価値を有しています。写実性と装飾性を兼ね備えたその画風は、後の花鳥画に大きな影響を与えました 。特に、浮世絵版画の技法を用いて、花鳥画という伝統的な画題に挑戦したことは、重政の革新的な姿勢を示すものであり、浮世絵史における重要な出来事と言えるでしょう 。   


また、『花鳥写真図彙』は、当時の文化や社会を反映した作品でもあります。江戸時代の人々は、花鳥画を通して自然と触れ合い、季節の移り変わりを感じていました 。花鳥は、和歌や俳諧などの題材としても好まれ、人々の生活に深く根付いていました。重政の『花鳥写真図彙』は、こうした文化的な背景の中で生まれた作品であり、当時の美意識や自然観を理解する上で貴重な資料となっています 。   



『花鳥写真図彙』と他の北尾重政の作品との関連性


重政は、『花鳥写真図彙』以外にも、多くの花鳥画を描いています。例えば、「絵本吾妻花」には、四季折々の草花が約160品描かれており 、重政の自然に対する深い関心が窺えます。「十二ヶ月花鳥図屏風」では、各月の花と鳥が、藤原定家の和歌とともに描かれ、絵画と文学が融合した作品となっています 。これらの作品と『花鳥写真図彙』を比較することで、重政の花鳥画に対する考え方や表現方法の変化を辿ることができます。   


結論

北尾重政の『花鳥写真図彙』は、写実性と装飾性を兼ね備えた、優れた花鳥画集です。この作品は、重政の画力と観察眼を示すだけでなく、江戸時代の文化や社会を反映した貴重な資料でもあります。 また、浮世絵版画の技法を用いて花鳥画に挑戦した点で、日本美術史に新たな可能性を示した作品と言えるでしょう。 『花鳥写真図彙』は、今日においてもなお、多くの人々を魅了し続けています。それは、重政が自然の美しさを捉え、そこに独自の芸術性を吹き込むことで、時代を超越した普遍的な魅力を持つ作品を生み出したからに他なりません。




花鳥写真図彙 初・2編 各3巻


北尾重政 画『花鳥写真図彙 初・2編各3巻』,和泉屋市兵衛[ほか2名],文化2-文政10 [1805-1827]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533265

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