月岡芳年「東京自慢十二ヶ月」が語る明治の美意識と花卉文化の真髄
- JBC
- 2023年10月28日
- 読了時間: 13分
更新日:6月11日
1. はじめに:移ろいゆく東京の美、花と人々の物語
日本の伝統文化において、花々は単なる美の象徴に留まらず、季節の移ろいや人々の心情を映し出す鏡として深く根付いてきました。しかし、激動の時代において、その花々がどのように人々の生活や精神に寄り添い、変革の波を乗り越えてきたのでしょうか。明治初期、江戸から東京へと生まれ変わる首都で、一人の浮世絵師が描いた「東京自慢十二ヶ月」は、まさにその問いへの答えを提示しています。この画譜は、単なる美人画や風景画の枠を超え、新しい時代の息吹と、変わらぬ日本の美意識が織りなす物語を私たちに語りかけます。
この作品が持つ多層的な意味合いは、花卉/園芸文化が単なる物理的な存在ではなく、人々の精神性や時代への適応性を映し出す媒体であることを示唆しています。特に、幕末から明治へと激変する時代を生きた「最後の浮世絵師」月岡芳年が、伝統と革新を融合させた作品としてこの画譜を生み出した背景を鑑みると、花卉/園芸文化が持つ深い精神性と、変化に対応しながら継承されてきた適応性が見えてきます。
2. 月岡芳年「東京自慢十二ヶ月」とは
2.1. 画譜の概要と特徴
「東京自慢十二ヶ月」は、月岡芳年によって明治13年(1880)に井上茂兵衛から出版された大判錦絵の揃物です。このシリーズは、別名「東京美人十二ヶ月」とも呼ばれており、当時の東京を象徴する名所を背景に、その地で人気を博した芸者や遊女といった「新しい時代の美を代表する女性たち」を描き出しています。
各図には、それぞれの月に合わせた季節の花々が添えられており、風景と人物、そして花卉が織りなす調和が作品の大きな特徴です。例えば、「五月 堀切の菖蒲」では、菖蒲の名所である堀切を背景に、その季節を象徴する女性が描かれていることが確認できます。芳年は、伝統的な浮世絵の様式と、西洋画の写実的な風景描写技法を融合させることで、明治時代の新しい美人画のスタイルを確立しました。さらに、当時実在した女性たちをモデルに起用することで、作品にリアリティと時代の息吹を与えています。
2.2. 「東京自慢」に込められた多義的な意味
この画譜のタイトル「東京自慢十二ヶ月」は、単に東京の名所を誇るだけでなく、新時代の「美人」もまた東京の誇りとしていたことを示唆しています。明治維新を経て、東京は急速な近代化の道を歩み、その「自慢」の対象も大きく変化していました。伝統的な名所旧跡に加え、新しい都市文化の中で生まれた「美人」、特に芸者や遊女といった当時の流行を牽引する存在が、東京の象徴として誇り高く描かれたのです。
この作品は、単なる美の表現に留まらず、社会の変化に伴う価値観の変遷、そして都市のアイデンティティ形成の一端を鮮やかに浮き彫りにしています。各月の花々がその背景を彩ることで、伝統的な美意識と新しい都市文化の融合が視覚的に表現され、明治初期の東京が伝統と革新の間で新たな都市像を模索していた様子が伝わります。当時の花卉/園芸文化もまた、伝統的な園芸の継承と、西洋からの新しい植物や栽培技術の導入という二つの側面を持っており、この作品はそうした時代の精神性を映し出していると言えるでしょう。
3. 歴史と背景:激動の時代に咲いた浮世絵の華
3.1. 月岡芳年の生涯と時代背景
月岡芳年は、天保10年(1839)に江戸新橋南大阪町に生まれ、明治25年(1892)に亡くなるまで、絵筆を握り続けた浮世絵師です。彼が生きた時代は、江戸時代末期から明治時代前半という、日本が未曾有の激動期を迎えていた時期と重なります。嘉永6年(1853)に黒船が浦賀に来航した際、芳年は15歳。そして、30歳で明治維新を迎え、人生の後半生を「東京」として生まれ変わる首都で過ごしました。
この激しい社会変革の中で、浮世絵は写真や活版印刷の登場によりその地位を脅かされつつありました。しかし、芳年はそうした困難な時代において、浮世絵界をリードし、「最後の浮世絵師」と称される存在となります 。芳年の生涯は、まさに浮世絵がその役割を終えようとする中で、新たな表現の可能性を模索し続けた芸術家の苦悩と情熱の物語でもあります。
3.2. 師・歌川国芳からの影響と独自の画風の確立
芳年は、嘉永3年(1850)に12歳で、当時人気の浮世絵師であった歌川国芳の門を叩きました 。国芳は「武者絵の国芳」として名を馳せ、武者絵だけでなく風景画、美人画、風刺画など幅広いジャンルで活躍した人物です。芳年の初期の作品には、師の画風が色濃く反映されていました。
しかし、芳年は師の教えを受け継ぎつつも、独自の画風を確立していきます。特に有名なのは、歌舞伎の残酷な場面や戊辰戦争の戦場を描いた「血みどろ絵」「無残絵」であり、「血まみれ芳年」の異名で知られました。しかし、この時期は慶応2年(1866)から明治2年(1869)のわずか4年間と短く、当時の激動の時代背景や版元の意向が強く反映されたものと考えられています。芳年は、その後も歴史画、武者絵、美人画、風俗画と多岐にわたるジャンルで傑作を生み出し、晩年には「月百姿」のような文学的なテーマにも取り組み、その画業の集大成を築き上げました。
3.3. 「東京自慢十二ヶ月」が制作された経緯と浮世絵界における位置づけ
「東京自慢十二ヶ月」は、明治13年(1880)に刊行されました。この時期は、芳年が「血みどろ絵」の時期を過ぎ、画風の幅を広げ、新たな表現を模索していた頃にあたります。この作品は、西洋画の技法である写実的な風景描写や明暗表現、カメラアングルのような構図を伝統的な浮世絵の美人画に融合させた点で画期的な作品でした。
この画期的な試みは、浮世絵が写真の台頭によって衰退の危機に瀕する中で、芳年が伝統を守りつつも、新しい時代の美意識と表現方法を取り入れ、浮世絵の近代化を牽引しようとした試みの一つと言えます 。彼は新聞の挿絵など新しいメディアでも活躍し、浮世絵の枠にとどまらない活動を展開しました。
「東京自慢十二ヶ月」は、芳年が「血みどろ絵」で培った写実性や迫力といった表現力を、美人画や風景画といったより普遍的なテーマに応用し、さらに西洋画の技法を取り入れた時期の代表作と位置づけられます。これは、単なる時代の流行に流されるのではなく、自身の芸術性を深化させ、浮世絵の可能性を広げようとした証です。この作品を通じて、芳年は「血まみれ芳年」の異名を超え、近代的な肖像画にも通じる人物の内面描写や、洗練された構図と色彩表現を追求し始めたことを示しています。この作品は、芳年が浮世絵を「伝統芸術」としてだけでなく、「現代の表現手段」として再定義しようとした試みの一端を担っていると言えるでしょう。
4. 文化的意義と哲学:花に映る明治の精神と美意識
4.1. 「東京自慢十二ヶ月」に込められた多層的な文化的意義
この画譜は、単に明治初期の東京の風俗や美人を描いただけでなく、当時の社会、文化、そして人々の精神性を映し出す貴重な資料です。「東京自慢」というタイトルが示すように、急速に近代化する首都の「誇り」を、名所とそこに集う「美人」を通して表現しています。特に注目すべきは、各月に合わせた花々が背景に描かれている点です。これは、日本の伝統的な美意識と、自然との共生思想が深く根付いていることを示しています。
4.2. 各月の花々が象徴する季節感と日本文化における花卉の精神性
日本の文化において、花々は単なる装飾ではなく、四季の移ろいを象徴し、人々の感情や哲学を表現する重要な要素でした。浮世絵においても、花鳥画は季節感を表現する主要な手段であり、桜は春、蓮は夏、紅葉は秋、雪中の椿や笹は冬といったように、それぞれの花が持つ意味合いや象徴性が深く理解されていました。
「東京自慢十二ヶ月」では、例えば「五月 堀切の菖蒲」のように、特定の月にその季節を代表する花が描かれています 。これは、明治という新しい時代にあっても、日本人が古来より培ってきた自然への敬愛と、季節感を重んじる心が失われていなかったことを示唆しています。都市が近代化しても、人々の心には変わらぬ自然のリズムと、花々がもたらす美意識が息づいていたのです。
この作品において花々は、「不易流行」という日本古来の美学を具現化しています。都市の景観や人々の生活様式、そして「美人」の定義が急速に変化する「流行」の中で、季節の巡りとともに咲き誇る花々は「不易」、すなわち変わらない自然の摂理と美の象徴として描かれています。芳年は、この対比を通じて、明治という時代における日本人の精神的な葛藤と、それでもなお変わらずに大切にされた美意識を描き出しました。花卉/園芸は、単なる背景ではなく、時代の変遷を見守る静かなる証人であり、人々の心の拠り所であったことを示唆しています。
4.3. 描かれた女性たちと明治初期の社会、文化、そして花卉・園芸文化との関連性
この画譜に描かれた女性たちは、当時の人気芸者や遊女であり、華やかな職業の背後に隠された現実世界も垣間見えます。彼女たちは、男性中心の社会の中で生きることを余儀なくされていましたが、その姿は「新しい時代の美」として描かれ、東京の文化を牽引する存在でもありました。
花々が彼女たちの背景を彩ることで、作品はより深みのあるメッセージを伝えています。花がその美しさゆえに、しばしば鑑賞の対象とされ、時に摘み取られる運命にあるように、当時の女性たちもまた、社会的な役割や美の基準によって「飾られる」存在であった側面があります。しかし、花が内包する生命力や、季節ごとの確かな存在感は、女性たちの内なる強さや、与えられた環境の中で美しく咲き誇ろうとする精神性を象徴しているとも解釈できます。このメタファーは、作品に深みを与え、観る者に当時の女性たちの複雑な内面を想像させます。この作品は、単なる美人画ではなく、明治初期のジェンダー規範と、その中で生きる人々の精神性を考察するための貴重な視点を提供していると言えるでしょう。
4.4. 激動の時代の中で、花が人々の生活や感性に与えた影響とその哲学
明治初期は、西洋文化が流入し、社会システムが大きく変革した時代です。しかし、そのような中でも、花を愛で、季節の移ろいを花に託して感じるという日本人の感性は揺らぎませんでした。芳年が「東京自慢十二ヶ月」で、新しい東京の「美人」と「花々」を組み合わせたのは、まさにこの時代の精神性を捉えたものと言えるでしょう。
花は、変化の激しい世の中における「不易流行」の象徴です。流行は移り変わるが、根本にある美意識や自然への敬意は変わらないという哲学が、この画譜には込められています。この作品は、近代化の波に乗りつつも、日本の根底にある花卉/園芸文化の精神性を忘れないことの重要性を私たちに教えてくれます。
5. 結びに:現代に息づく「東京自慢十二ヶ月」の魅力
月岡芳年の「東京自慢十二ヶ月」は、明治という激動の時代に、伝統と革新が交錯する東京の姿と、そこに生きる人々の美意識、そして花卉文化の奥深さを鮮やかに描き出した傑作です。芳年は、西洋画の技法を取り入れつつも、日本の伝統的な美意識、特に花々が持つ季節感や精神性を大切にすることで、時代を超えて人々の心を捉える普遍的な美を創造しました。
この画譜は、私たちに問いかけます。現代の東京は、そして私たちの生活は、どのように花々と共に息づいているのでしょうか。そして、移り変わる時代の中で、変わらない日本の美意識をどのように継承していくべきなのでしょうか。
「東京自慢十二ヶ月」が示すように、日本の花卉・園芸文化は、単に植物を育てるという行為に留まらず、歴史、社会、そして人々の精神と深く結びついています。芳年が描いた明治の東京に思いを馳せながら、現代に息づく日本の花卉・園芸文化に触れてみませんか。それはきっと、新たな発見と感動に満ちた、心豊かな体験となるでしょう。
各月のテーマと東京の魅力
「東京自慢十二ヶ月」では、各月ごとに異なるテーマが設定され、当時の東京の風俗や文化が生き生きと描かれています。
睦月(1月):初卯詣
正月の賑わいを描いた「睦月 初卯妙義詣」では、柳橋の芸者「はま」が、商売繁盛の神として知られる妙義神社に詣でる様子が描かれています。 初詣に訪れた人々で賑わう境内や、華やかな着物をまとった「はま」の姿からは、新年の活気と華やかさが伝わってきます。

如月(2月):梅見
「如月 梅やしき」では、新橋の芸者「てい」が、亀戸天神の梅園を訪れています。 学問の神様としても知られる亀戸天神は、梅の名所としても有名でした。満開の梅の花の下でたたずむ「てい」の可憐な姿が印象的な作品です。

弥生(3月):花見
「弥生 吉原の櫻」は、吉原遊郭で最も賑わう仲之町の桜並木を描いた作品です。 夜桜見物を楽しむ人々や、華やかな花魁の姿が、春の夜の華やかさを演出しています。

卯月(4月):藤
「卯月 亀戸の藤」では、柳橋の芸者「小つゆ」が、亀戸天神の藤棚を訪れています。 美しい藤の花が咲き乱れる様子と、「小つゆ」の優美な姿が見事に調和した作品です。

皐月(5月):菖蒲
「皐月 堀切の菖蒲」では、大坂町の芸者「たん子」が、堀切菖蒲園で菖蒲を鑑賞しています。 江戸時代から有名な菖蒲の名所であった堀切菖蒲園は、 多くの 人々で賑わっていました。

水無月(6月):朝顔
「水無月 入谷の朝顔」では、新橋の芸者「福助」が、入谷の朝顔市を訪れています。 江戸時代から続く夏の風物詩である朝顔市は、色とりどりの朝顔で溢れかえっていました。

文月(7月):燈籠
「文月 廓の燈籠」では、仲之街の芸者「小とみ」が、吉原遊郭の夏の風物詩である燈籠を眺めています。 幻想的な灯りの下、浴衣姿の「小とみ」の姿が美しく浮かび上がっています。

葉月(8月):廿六夜待ち
「葉月 廿六夜」では、品川の遊女「染園」が、品川嶋濤で月の出を待っています。 廿六夜待ちとは、月の出を待つ風習です。海辺で月を待つ「染園」の姿からは、どこか物悲しい雰囲気が漂います。

長月(9月):菊
「長月 千駄木の菊」では、根津の遊女「小櫻」が、千駄木で菊の花を愛でています。 江戸時代から菊の名所として知られていた千駄木には、さまざまな種類の菊が咲き乱れていました。

神無月(10月):紅葉
「神無月 滝ノ川の紅葉」では、日本橋の芸者「八重」が、滝ノ川で紅葉狩りを楽しんでいます。 滝ノ川は、紅葉の名所として知られていました。

霜月(11月):酉の市
「霜月 酉のまち」では、日本橋の芸者「小三」が、鷲神社の酉の市を訪れています。 商売繁盛を願う酉の市で賑わう境内や、熊手を持つ「小三」の姿が活気に満ちています。

師走(12月):歳の市
「師走 浅草市」では、新橋の芸者「くめ」が、浅草寺の歳の市で買い物をしています。 年末の風物詩である歳の市は、多くの人々で賑わっていました。この作品は、芳年の弟子である水野年方が背景を補作しており、 師弟の合作としても知られています。
