月岡芳年(1839-1892)は、幕末から明治時代にかけて活躍した浮世絵師です。師である歌川国芳譲りの、武者絵や歴史画を得意としました。 特に、劇画タッチの「血みどろ絵」と呼ばれる残酷な描写を含む作品で一世を風靡しましたが、一方で、繊細で優美な美人画も数多く手がけています。 明治3年頃には神経衰弱に陥り作画が減る時期もありましたが、明治6年には回復し、「大蘇」と号して再び精力的に作品を発表しました。
芳年は、西洋画の技法を積極的に浮世絵に取り入れ、独自の画風を確立しました。 銅版画の陰影や油絵の明暗描写を参考に、歴史画や美人画に新たな表現技法を導入していったのです。
本稿で取り上げる「東京自慢十二ヶ月」は、明治13年(1880年)に井上茂兵衛から出版された大判錦絵の揃物です。 別名「東京美人十二ヶ月」とも呼ばれるこのシリーズでは、 各月に合わせた東京の名所を背景に、当時人気のあった芸者や遊女が描かれています。
「東京自慢十二ヶ月」とは
「東京自慢十二ヶ月」は、明治初期の東京の風景と、そこに暮らす美しい女性たちを描いた、芳年ならではの美人画シリーズです。 各作品には、各月にちなんだ名所が選ばれ、その土地にゆかりのある女性たちが艶やかに描かれています。 新橋の芸者3名、柳橋の芸者2名、日本橋の芸者2名、大坂町(現日本橋人形町)の芸者1名、吉原の花魁と芸者が各1名、品川の遊女1名、根津の遊女1名というように、それぞれの地域を代表する女性たちが登場します。
芳年は、西洋画の技法を取り入れた写実的な風景描写と、歌川派の伝統を受け継ぐ優美な女性描写を融合させ、明治時代の新しい美人画を確立しました。 さらに、当時実在した芸者や遊女をモデルに起用することで、 作品にリアリティと、時代の息吹を与えています。
芳年の画風と「東京自慢十二ヶ月」の特徴
芳年の「東京自慢十二ヶ月」は、以下のような特徴を持っています。
写実的な風景描写:西洋画の遠近法や陰影法を用いた写実的な風景描写は、芳年の大きな特徴です。 「東京自慢十二ヶ月」においても、背景に描かれた建物や人々の様子は、当時の東京の街並みを彷彿とさせます。例えば、「十二月 浅草市」 では、年末の賑わいをみせる浅草寺の境内や、そこに集う人々の様子が細やかに描かれ、当時の活気を感じることができます。
繊細な人物描写:歌川派の伝統を受け継ぐ繊細な人物描写も、芳年の特徴です。 女性の顔立ちや着物の柄、髪型などを丁寧に描き込むことで、それぞれの個性を際立たせています。「五月 堀切の菖蒲」 では、菖蒲を手にした女性の、物憂げな表情や、華やかな着物の模様が印象的です。
風俗描写の重視:各月のテーマに合わせた風俗や行事を丁寧に描写することで、当時の東京の文化や人々の暮らしぶりを伝えています。 例えば、「六月 入谷の朝顔」 では、入谷の朝顔市で、朝顔を選ぶ人々や、屋台の様子が生き生きと描かれ、当時の夏の風物詩を今に伝えています。
光と影の表現:陰影法を用いた光と影の表現は、画面に奥行きと立体感を与え、よりリアルな情景を描き出しています。 「三月 吉原の桜」 では、夜桜の淡い光と、遊女の白い肌のコントラストが美しく、幻想的な雰囲気を醸し出しています。
伝統と革新の融合:芳年は、伝統的な浮世絵の様式と、西洋画の技法を融合させることで、独自の表現を生み出しました。 写実的な風景描写と、装飾的な人物描写の組み合わせは、明治時代の新しい美意識を反映していると言えるでしょう。
各月のテーマと東京の魅力
「東京自慢十二ヶ月」では、各月ごとに異なるテーマが設定され、当時の東京の風俗や文化が生き生きと描かれています。
睦月(1月):初卯詣
正月の賑わいを描いた「睦月 初卯妙義詣」では、柳橋の芸者「はま」が、商売繁盛の神として知られる妙義神社に詣でる様子が描かれています。 初詣に訪れた人々で賑わう境内や、華やかな着物をまとった「はま」の姿からは、新年の活気と華やかさが伝わってきます。

如月(2月):梅見
「如月 梅やしき」では、新橋の芸者「てい」が、亀戸天神の梅園を訪れています。 学問の神様としても知られる亀戸天神は、梅の名所としても有名でした。満開の梅の花の下でたたずむ「てい」の可憐な姿が印象的な作品です。

弥生(3月):花見
「弥生 吉原の櫻」は、吉原遊郭で最も賑わう仲之町の桜並木を描いた作品です。 夜桜見物を楽しむ人々や、華やかな花魁の姿が、春の夜の華やかさを演出しています。

卯月(4月):藤
「卯月 亀戸の藤」では、柳橋の芸者「小つゆ」が、亀戸天神の藤棚を訪れています。 美しい藤の花が咲き乱れる様子と、「小つゆ」の優美な姿が見事に調和した作品です。

皐月(5月):菖蒲
「皐月 堀切の菖蒲」では、大坂町の芸者「たん子」が、堀切菖蒲園で菖蒲を鑑賞しています。 江戸時代から有名な菖蒲の名所であった堀切菖蒲園は、 多くの 人々で賑わっていました。

水無月(6月):朝顔
「水無月 入谷の朝顔」では、新橋の芸者「福助」が、入谷の朝顔市を訪れています。 江戸時代から続く夏の風物詩である朝顔市は、色とりどりの朝顔で溢れかえっていました。

文月(7月):燈籠
「文月 廓の燈籠」では、仲之街の芸者「小とみ」が、吉原遊郭の夏の風物詩である燈籠を眺めています。 幻想的な灯りの下、浴衣姿の「小とみ」の姿が美しく浮かび上がっています。

葉月(8月):廿六夜待ち
「葉月 廿六夜」では、品川の遊女「染園」が、品川嶋濤で月の出を待っています。 廿六夜待ちとは、月の出を待つ風習です。海辺で月を待つ「染園」の姿からは、どこか物悲しい雰囲気が漂います。

長月(9月):菊
「長月 千駄木の菊」では、根津の遊女「小櫻」が、千駄木で菊の花を愛でています。 江戸時代から菊の名所として知られていた千駄木には、さまざまな種類の菊が咲き乱れていました。

神無月(10月):紅葉
「神無月 滝ノ川の紅葉」では、日本橋の芸者「八重」が、滝ノ川で紅葉狩りを楽しんでいます。 滝ノ川は、紅葉の名所として知られていました。

霜月(11月):酉の市
「霜月 酉のまち」では、日本橋の芸者「小三」が、鷲神社の酉の市を訪れています。 商売繁盛を願う酉の市で賑わう境内や、熊手を持つ「小三」の姿が活気に満ちています。

師走(12月):歳の市
「師走 浅草市」では、新橋の芸者「くめ」が、浅草寺の歳の市で買い物をしています。 年末の風物詩である歳の市は、多くの人々で賑わっていました。この作品は、芳年の弟子である水野年方が背景を補作しており、 師弟の合作としても知られています。

「東京自慢十二ヶ月」から読み解く明治初期の東京
「東京自慢十二ヶ月」は、単なる美人画シリーズではなく、明治初期の東京の風景、風俗、そして美意識を記録した貴重な資料でもあります。
これらの作品を通して、私たちは、文明開化によって急速に変化していく東京の姿を垣間見ることができます。 西洋文化の影響を受けながらも、伝統的な文化や風習が根強く残る様子が、風景や風俗描写から読み取れます。
また、このシリーズでは、各月のテーマに合わせた名所だけでなく、当時人気のあった芸者や遊女が描かれている点も注目すべき点です。 これらの女性たちは、それぞれの地域を代表する「顔」として、明治初期の東京の華やかさを象徴する存在でした。
さらに、芳年の作品には、明治時代の女性たちの社会的な立場や、彼女たちを取り巻く環境が反映されているとも言えます。 当時の女性たちは、芸者や遊女として、男性中心の社会の中で生きていくことを余儀なくされていました。
「東京自慢十二ヶ月」は、明治初期の東京の社会や文化を多角的に捉えることができる、貴重な作品群と言えるでしょう。
参考
江戸の花見 | NDLイメージバンク | 国立国会図書館