北の大地に息づく生命の記録:『小林源之助の蝦夷草木図』が語る江戸の自然観
- JBC
- 2023年12月10日
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更新日:6月12日
日本の豊かな自然と、それと深く結びついた文化に触れる時、私たちはしばしば、その奥深さに心を奪われます。しかし、遠く離れた北の大地、蝦夷地(現在の北海道)に、かつてどのような植物が息づき、人々はそれらをどのように認識していたのでしょうか。そして、その知られざる植物相を、精緻な筆致で後世に伝えた一人の絵師がいたことをご存知でしょうか。この問いかけは、読者の好奇心を刺激し、未知の領域への探求心を喚起するものです。単なる歴史的資料の紹介に留まらず、「知られざる植物相」と「精緻な筆致」という言葉が、この画帖の学術的価値と芸術的価値の両面を示唆し、読者の期待感を高めます。
本稿では、江戸時代後期に描かれた稀代の植物画帖『小林源之助の蝦夷草木図』に焦点を当て、その概要、制作に至る背景、そして日本の花卉・園芸文化において持つ意義と哲学を深く掘り下げていきます。この探求は、単なる情報の提供に留まらず、読者に「発見」の喜びを提供し、日本文化への関心を深めることを目指します。
1. 『小林源之助の蝦夷草木図』の概要
『小林源之助の蝦夷草木図』は、江戸時代後期に小林源之助によって描かれた、蝦夷地の植物を主題とした画帖です。この画帖は、単なる植物の写生に留まらず、当時の蝦夷地の植生を極めて詳細かつ正確に記録した、学術的価値と芸術的価値を兼ね備えた貴重な作品として知られています。
画帖には、蝦夷地に自生する多種多様な草木が、その特徴を捉えた繊細な筆致と色彩で描かれています。花、葉、茎、根、そして実といった植物の各部位が、あたかもそこに実物があるかのように生き生きと表現されており、それぞれの植物が持つ生命力や美しさが余すところなく伝えられています。単体の植物だけでなく、生育環境や季節ごとの変化も示唆されており、当時の蝦夷地の自然環境を理解する上で重要な手がかりとなります。
この画帖の特筆すべき点は、その精緻な描写力と、当時の植物学の知見を反映した正確性です。小林源之助は、単に見たままを描くのではなく、植物の分類や特徴を深く理解した上で、その本質を捉えようと努めたことがうかがえます。この姿勢は、彼が単なる絵師ではなく、学術的な背景を持つ本草学者でもあった可能性を強く示唆します。
具体的には、本画帖は寛政4年(1792)の蝦夷地探索で写生された58品を収載しています。描かれているのは、蝦夷地の西海岸地方に位置する福山(現在の松前町)、石崎村(現在の松前町)、江差、苫前、宗谷、そして樺太地方の西海岸のクシュンナイ(久春内)や東海岸のトウブツ(遠淵)に生育する草本類です。例えば、カラフトのツンナイ産ハマナシ(ハマナス)の図も含まれていました。このように、この作品は、単に植物を美しく描くだけでなく、科学的な正確さが求められていた当時の本草学の潮流を反映しており、科学的観察と芸術的表現が高度に融合した稀有な存在と言えるでしょう。
2. 歴史と背景
2.1. 小林源之助の経歴と時代背景
小林源之助は、江戸時代後期に活躍した絵師であり、本草学者でもあったと考えられています。彼の生没年や詳細な経歴については不明な点が多いものの、残された作品から、彼が植物に対する深い知識と観察眼、そして卓越した画力を持ち合わせていたことがうかがえます。
『蝦夷草木図』が寛政4年(1792)に制作されたことを踏まえると、この時期に幕吏の小林豊章が西蝦夷地と樺太南部を調査し、そこで目にした植物を写生してまとめた図譜が存在するという事実は、小林源之助と小林豊章が同一人物の可能性を強く示します。小林豊章の作品が幕府に献上された本を模写したものであることからも、その活動が公的な調査の一環であったことが示唆されます。
小林豊章が活躍した江戸時代後期は、日本において本草学(博物学)が隆盛を極めた時代でした。鎖国政策下ではあったものの、長崎を通じて西洋の科学知識が流入し、国内でも動植物の分類や研究が盛んに行われるようになりました。この時代の本草学は、西洋科学の影響を受けつつも、日本の伝統的な絵画技法と融合し、独自の発展を遂げていました。
田村藍水や小野蘭山といった著名な本草学者が登場し、各地で動植物の採集や写生が行われ、多くの本草図譜が制作されました。田村藍水は朝鮮人参の栽培や琉球・薩南諸島の産物調査を行い、小野蘭山は『本草綱目』の講義に用いるなど、実学としての本草学の発展に貢献しました。このような学術的背景が、小林源之助の植物画の正確性と専門性を支えたと考えられます。
また、この時代は、ロシアの南下政策への警戒から、江戸幕府が蝦夷地の調査や開発に力を入れ始めていた時期でもあります。松前藩による支配に加え、幕府による直轄地化や、探検家による調査が活発に行われるようになります。こうした動きの中で、蝦夷地の自然環境や資源に関する情報が求められるようになり、植物相の記録もその一環として重要視されました。小林源之助(豊章)が「幕吏」であったという事実は、蝦夷地での活動が単なる個人的な趣味や学術的関心に留まらず、国家的な戦略的意図と結びついていたことを示唆します。これは、当時の本草学が、単なる知識の追求だけでなく、国防や経済といった実用的な側面からも推進されていたという、より広い文脈を浮き彫りにしています。個人の卓越した画力と本草学の知識が、国家的な要請と合致した結果として『蝦夷草木図』が生まれたと解釈でき、当時の学術と実学、芸術と実用が密接に結びついていた特徴をよく表しています。
2.2. 『蝦夷草木図』が作られた経緯
『蝦夷草木図』が制作された具体的な経緯については、残念ながら明確な記録は残されていません。しかし、当時の時代背景や小林源之助(豊章)の専門性から、いくつかの推測が可能です。
最も有力なのは、蝦夷地の調査を目的とした幕府や藩の事業の一環として、あるいはそれに協力する形で制作されたという説です。蝦夷地の開拓や防衛のためには、その地の自然環境、特に利用可能な植物資源に関する正確な情報が不可欠でした。小林源之助(豊章)のような本草学の知識と画力を持つ人物が、この種の調査に動員された可能性は十分に考えられます。写真がない時代には、絵師が調査隊に同行し、植物の写生だけでなく旅の様子も絵図で伝えていたことが示唆されています。彼が実際に蝦夷地に赴き、自ら植物を採集し、その場で写生を行った可能性も否定できません。蝦夷地の重要性を考えると、幕府が植物相の正確な記録を求めたのは自然な流れであり、小林の専門知識と画力がこの公的需要に応える形で活用されたと考えられます。
次に、個人的な探求心や学術的関心から制作されたという可能性も考えられます。当時の本草学者の中には、自費で各地を巡り、珍しい動植物を採集・記録する者も少なくありませんでした 。小林源之助の作品に見られる細部へのこだわりや、植物への深い愛情は、単なる依頼仕事を超えた情熱の表れとも解釈できます。この作品の質の高さは、単なる業務を超えた個人的な情熱があったことを示唆しており、それが作品の芸術的・学術的質の高さを支えたと推測されます。
いずれにせよ、『蝦夷草木図』は、当時の日本の本草学の発展と、蝦夷地への関心の高まりという二つの潮流が交差する中で生まれた、極めて意義深い作品であると言えるでしょう。これは、個人の才能が時代の要請と結びつき、その相乗効果によって生まれた傑作であり、当時の本草学が持つ「実用性と探求心」という二面性を象徴しています。
3. 文化的意義と哲学
3.1. 『蝦夷草木図』の文化的意義
『小林源之助の蝦夷草木図』は、日本の植物/花卉/園芸文化、ひいては日本文化全体において、多岐にわたる重要な意義を持っています 。
第一に、学術的資料としての価値です。この画帖は、江戸時代後期の蝦夷地の植物相を記録した、現存する最も詳細かつ正確な資料の一つです。当時の植物の分布、形態、そして和名やアイヌ語名(もし記載があれば)といった情報が、絵という形で視覚的に提供されています。実際、小林の画には「夷語ニリテンギト云ルヨシ」というアイヌ語の記述が確認されており 、アイヌ民族の植物利用に関する貴重な情報が含まれていることが示されています。これは、現代の植物学者や生態学者が、過去の植生を研究し、環境変動や外来種の侵入といった問題を考察する上で、かけがえのない基礎データとなります。また、当時の本草学の到達点を示す資料としても重要です。
第二に、芸術作品としての価値です。小林源之助の筆致は、単なる写実を超え、植物が持つ生命の輝きや、自然の息吹を捉えています。彼の描く植物は、まるで今にも動き出しそうなほど生き生きとしており、見る者に感動を与えます。これは、日本の伝統的な花鳥画や写生画の系譜に連なるものであり、自然を慈しみ、その美を表現しようとする日本人の感性を体現しています。江戸時代には、岩崎灌園の『本草図譜』(約2000種の植物を収録し、日本で初めて出版されたカラーの植物図鑑として写実性と芸術性が高く評価された作品)や、『朝顔三十六花撰』(嘉永7年(1854)に刊行され、当時の朝顔ブームを反映した精緻な図譜)など、写実性と芸術性を兼ね備えた植物図譜が多数制作されており、『蝦夷草木図』もその流れの中に位置づけられます。園芸文化においては、植物の美しさを鑑賞し、それを生活に取り入れるという側面がありますが 、『蝦夷草木図』は、その鑑賞の対象を広げ、北国の植物の新たな魅力を提示しました。
第三に、異文化理解への貢献です。蝦夷地は、当時、アイヌ民族が暮らす独自の文化圏でした。画帖の中にアイヌ民族の植物利用に関する記述や、アイヌ語の植物名が含まれていることは、当時のアイヌ文化と自然との関わりを理解する上で極めて貴重な情報となります。和人が蝦夷地の植物をどのように認識し、記録しようとしたかという視点からも、当時の異文化交流の一端を垣間見ることができます。アイヌ語の記述は、当時の和人が、その地域の固有の知識体系にも目を向けていたことを示し、単なる一方的な調査ではない、ある種の相互作用の可能性を示唆します。
第四に、地域文化の再発見と継承です。北海道という地域が持つ独自の自然遺産を、江戸時代という遠い昔から記録し、その価値を認識していた証として、『蝦夷草木図』は、現代の北海道の人々にとって、郷土の自然と歴史に対する誇りを育む源となります。また、失われつつある在来種の保護や、地域の生態系保全の重要性を再認識させるきっかけにもなり得ます。
これらの多面的な価値は、江戸時代の日本人が自然に対して抱いていた「有用性(薬用、資源)」と「美(鑑賞、芸術)」という二つの視点が、植物画という形で高次元に融合していたことを示しています。これは、自然との調和的な共生という日本独自の哲学の萌芽と捉えることができます。
3.2. 『蝦夷草木図』に込められた哲学
『蝦夷草木図』には、単なる植物の記録を超えた、深い哲学が込められていると考えることができます。
まず、「自然への畏敬と共生」の哲学です。小林源之助が描いた植物たちは、どれもが生命力に満ち溢れ、その存在を主張しています。これは、源之助が植物を単なる研究対象としてではなく、生命あるものとして深く尊敬し、その営みの中に自然の摂理を見出していたことの表れではないでしょうか。当時の日本人は、自然を支配する対象ではなく、共に生きる存在として捉え、その恵みに感謝し、畏敬の念を抱いていました。江戸時代の自然観は、客観的であると同時に主観的でもあり、俳諧が日常の小さな虫を詠むことで庶民の生活や自然との近しい関係を表現したように、自然を生命あるものとして捉える日本の伝統的な思想と合致します。『蝦夷草木図』は、北の大地の厳しい自然の中で力強く生きる植物を通して、この日本古来の自然観を視覚的に表現していると言えます。
次に、「知の探求と記録の精神」*の哲学です。鎖国下でありながらも、長崎を通じて流入した西洋の科学的知見を取り入れ、自国の自然を体系的に理解しようとした本草学の精神は、『蝦夷草木図』にも色濃く反映されています。未知の領域である蝦夷地の植物を、一つ一つ丁寧に観察し、正確に記録しようとする小林源之助の姿勢は、まさに知のフロンティアを開拓しようとする探求者の姿です。これは、現代の科学研究にも通じる、真理を追求し、それを後世に伝えるという普遍的な学術的哲学を体現しています。東洋の本草学は「効能」や「人間との関係」を重視する実学的な側面が強く、この探求心は単なる知的好奇心だけでなく、人々の生活に資するという目的意識に支えられていました。
さらに、「美の発見と表現」の哲学も見て取れます。植物画は、単に情報を伝えるだけでなく、植物の持つ造形的な美しさ、色彩の豊かさを表現する芸術でもあります。小林源之助は、蝦夷地の厳しい環境の中で育まれた植物たちの、素朴でありながらも力強い美しさを見出し、それを絵筆に乗せて表現しました。これは、日本の園芸文化が、単に植物を育てるだけでなく、その美しさを愛で、生活空間に取り入れることで精神的な豊かさを追求してきたことと深く繋がります。小林源之助の作品は、北国の植物にも普遍的な美が存在することを私たちに教えてくれます。
最後に、「未来への遺産」という哲学です。小林源之助は、おそらく、自身の描いた画帖が、遠い未来において、蝦夷地の植物相を知る上で重要な資料となることを予見していたかもしれません。彼が残した精緻な記録は、時を超えて現代に生きる私たちに、過去の自然の姿を伝え、未来の環境を考える上での示唆を与えてくれます。これは、先人たちが築き上げてきた知識や文化を、次世代へと継承していくことの重要性を示唆するものです。
『蝦夷草木図』に込められた哲学は、日本古来の自然を「畏敬」し「共生」する精神性と、江戸時代に発展した本草学における「知の探求」という科学的客観性が、矛盾なく共存していたことを示しています。これは、西洋の自然観が人間と自然を二元的に捉えがちなのに対し、東洋、特に日本の自然観が持つ独自性を際立たせています。
結び
『小林源之助の蝦夷草木図』は、単なる美しい植物画帖ではありません。それは、江戸時代後期の日本の本草学の到達点を示し、蝦夷地の知られざる植物相を後世に伝える貴重な学術的資料であり、同時に、自然への畏敬、知の探求、美の発見といった普遍的な哲学を内包する芸術作品でもあります。
この画帖を通して、私たちは、北の大地に息づく生命の多様性と、それらを慈しみ、記録しようとした先人の情熱に触れることができます。この記事全体で提示された多角的な価値(学術、芸術、文化、哲学)は、読者に行動(さらなる関心)を促すものです。単なる情報の羅列ではなく、感動と発見を伴う体験として記事を締めくくることで、読者の記憶に深く残り、弊社の目的である「関心を高める」ことに貢献します。
日本の花卉・園芸文化の奥深さを知る上で、『蝦夷草木図』は、私たちに新たな視点と感動を与えてくれることでしょう。この稀代の植物画帖が、今後も多くの人々にその魅力を伝え、日本の豊かな自然と文化への関心を深めるきっかけとなることを願ってやみません。
小林源之助<小林豊章>//〔画〕『蝦夷草木図』,桂川甫周国瑞 写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1286942