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薄紅の冬、静寂のさえずり:山茶花小禽図が映し出す花鳥の魂

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 12月5日
  • 読了時間: 10分


山茶花小禽図
山茶花小禽図:一部抜粋 作者:不詳 時代世紀:室町時代・15世紀 法量:縦86.5cm:横31.7cm 所蔵者:京都国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/A%E7%94%B2360?locale=ja


1. 冬の訪れと、時を超える一幅の窓



1.1 季節の移ろいと日本人の美意識


木枯らしが庭の木々を揺らし、冬の足音が聞こえ始める季節。皆様は、ふとした瞬間に自然が見せる「静寂」に心を奪われたことはありませんか。鮮やかな紅葉が散り去り、世界が少しずつ彩りを潜めていく中で、凛として咲く一輪の花。そして、そこに寄り添う小さな命。日本人が古来より愛し、心の拠り所としてきた風景が、京都の一角にひっそりと、しかし確かな存在感を持って収蔵されています。

その作品の名は、「山茶花小禽図(さざんかしょうきんず)

この絵画は、単なる植物画ではありません。日本に残された「著色花鳥画(彩色された花鳥画)」として、もっとも古い時期に属する作例の一つであり、数百年の時を超えて、かつての人々が自然に向けた眼差しを今に伝える「窓」なのです。

本稿では、この貴重な作品の奥深き世界へ皆様をご案内いたします。園芸や植物を愛する皆様、そして日本文化の深淵に触れたいと願う皆様にとって、この一枚の絵が、新たな「美」の発見となることを願ってやみません。単なる絵画の解説にとどまらず、そこに描かれた植物「山茶花」の植物学的・文化的背景、そして「花鳥画」というジャンルがたどった数奇な運命、さらには日本人が花と鳥に託した哲学に至るまで、可能な限り詳細に、そして多角的に紐解いてまいります。



1.2 本稿の目的と構成


本稿は、京都国立博物館に所蔵される「山茶花小禽図」を主題とし、その背後にある歴史的、文化的、そして植物学的な文脈を包括的に解説するものです。読者の皆様には、単に「古い絵がある」という事実を超えて、なぜこの絵が重要なのか、なぜ山茶花が描かれたのか、そして当時の人々はどのような思いでこの絵を見つめたのかという、作品の「心」に触れていただきたいと考えています。

構成としては、まず作品の概要を確認し、次に画題となっている「山茶花」という植物そのものに焦点を当てます。続いて、美術史的な観点から「著色花鳥画」の成立と日本への受容を掘り下げ、最後にこの作品が持つ精神性や現代的意義について考察します。




2. 「山茶花小禽図」の基礎知識と作品概要



2.1 作品の基本データと位置づけ


まず、この絵画が美術史においてどのような位置を占めているのかを確認しましょう。「山茶花小禽図」は、京都国立博物館に所蔵されている、日本における花鳥画の至宝の一つです。

特筆すべきは、この作品が「日本に残っている『著色花鳥画』として、もっとも古い時期の作例の一つ」であるという点です。これは極めて重要な事実です。日本美術には、墨の濃淡だけで表現する「水墨画」の伝統がありますが、顔料を用いて色鮮やかに描く「著色画(着色画)」もまた、長い歴史を持っています。しかし、古い時代の、特に絹に描かれた着色画は保存が難しく、現存するものは限られています。その中で、この作品が今日まで伝わっていることは、奇跡に近いと言えるでしょう。



2.2 「著色花鳥画」とは何か


「著色花鳥画」という言葉を分解して考えてみましょう。


  • 著色:彩色されていること。鉱物由来の岩絵具や植物染料などが用いられます。

  • 花鳥画:花と鳥を主たる題材とした絵画。東洋美術の三大画題(山水、人物、花鳥)の一つです。


つまり、この作品は、色彩豊かに描かれた花と鳥の絵であり、その様式美が確立された初期の姿を留めているのです。




3. 植物学的視点:描かれた「山茶花」の正体



3.1 山茶花と椿の違い


「山茶花小禽図」を深く理解するためには、描かれている植物「サザンカ」について知る必要があります。園芸に詳しい方ならご存知かと思いますが、サザンカ(Camellia sasanqua)は、ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹です。よく似た植物にツバキ(Camellia japonica)がありますが、両者には明確な違いがあります。

特徴

サザンカ (C. sasanqua)

ツバキ (C. japonica)

開花時期

晩秋〜冬(10月〜12月頃)

冬〜春(12月〜4月頃)

花の散り方

花弁が一片ずつ散る

花ごとポトリと落ちる

葉の特徴

やや小さく、葉脈が黒っぽいことが多い。鋸歯(ギザギザ)が目立つ

艶があり、肉厚。鋸歯は浅い

香り

ほのかな甘い香りがある

ほとんどない(品種による)

原産地

日本(四国、九州、沖縄)

日本、朝鮮半島、中国

「山茶花小禽図」に描かれている花が、もし花ごと落ちるツバキであれば、絵画が持つ意味合いは変わっていたかもしれません。一片ずつはらはらと散るサザンカであるからこそ、そこに「移ろいゆく時」や「儚さ」といった情緒が生まれるのです。



3.2 日本固有種としてのサザンカ


興味深いことに、サザンカは日本固有種です。学名の Sasanqua も、日本語の「サザンカ」に由来しています。江戸時代に日本に来たオランダ商館の医師たちが、この美しい花をヨーロッパに紹介し、世界へと広まりました。

しかし、「山茶花小禽図」が描かれた時代(中世)においては、まだ植物分類学的な厳密さは希薄でした。中国から伝わった「山茶(さんさ)」という言葉がツバキを指していたのに対し、日本で独自の呼び名や区別が定着していく過程には、長い歴史があります。この絵画は、そうした植物文化の変遷を知る上でも貴重な資料となり得ます。当時の画家が、日本の風土に咲くこの花をどのように観察し、どのように表現しようとしたのか。そこには、外来の画法を用いながらも、身近な日本の自然を描こうとする画家の意志が感じられます。



3.3 園芸文化におけるサザンカの地位


サザンカは日本の園芸文化の粋と言えます。特に、冬の色彩が乏しい時期に花を咲かせる常緑樹として、庭木や生垣として重宝されてきました。


  • 生垣としての機能:葉が密に茂り、刈り込みに強いため、防風や目隠しに適しています。

  • 「山茶花梅雨(さざんかづゆ)::晩秋の長雨を指す言葉があるほど、季節感と結びついています。


この絵画に描かれたサザンカは、現代の園芸品種のような派手さはありません。一重咲きの、白に近い薄紅色の花。それは、野生種(ヤブサザンカ)に近い、素朴で力強い姿をしています。園芸品種改良が進む前の、原種に近いサザンカの美しさを今に伝える点でも、植物愛好家にとって見逃せないポイントです。




4. 美術史と背景:中国から日本へ、美の伝播



4.1 宋元画の影響と「院体画」


「山茶花小禽図」の画風を語る上で避けて通れないのが、中国美術の影響です。この作品の様式は、中国の宋から元げんの時代にかけての「院体画」の系譜に連なっています。

中国の宋代(特に北宋末から南宋)は、花鳥画の黄金時代でした。宮廷画院と呼ばれる皇帝直属の画家の組織では、徹底した写実主義が追求されました。


  • 徽宗皇帝の逸話:自身も優れた画家であった徽宗皇帝は、「孔雀が飛ぶとき、どちらの足を先に上げるか」「月季花(バラの一種)は、朝昼晩でどのように姿を変えるか」といった細密な観察を画家に求めたと伝えられています。


このような「格物致知(かくぶつちち:事物の本質を極めること)」の精神に支えられた宋代の花鳥画は、圧倒的なリアリズムと、その奥にある生命の神秘(気韻)を描き出すことに成功しました。この「山茶花小禽図」に見られる、鳥の羽毛の緻密な描写や、枝の曲がり具合の自然さは、まさにこの大陸由来のリアリズムが日本にもたらされた証拠です。



4.2 日本における受容と「唐物」への憧れ


中世の日本(鎌倉〜室町時代)において、こうした中国絵画は「唐物」として極めて珍重されました。禅宗寺院や将軍家、有力な武家たちは、こぞって中国の絵画を収集し、鑑賞しました。これを「唐絵」と呼びます。

室町幕府の将軍家が収集した美術品コレクションは「東山御物」と呼ばれ、日本の美意識の基準となりました。「山茶花小禽図」のような作品も、おそらくはそうした「唐物」への憧れの中で、日本で制作されたか、あるいは中国から輸入された作品を模範として描かれたものと考えられます。

しかし、単なる模倣ではありません。日本の画家たちは、中国の技術を学びながらも、日本の湿潤な気候や、繊細な季節感を表現に取り入れていきました。「山茶花小禽図」に見られる、余白を生かした空間構成や、どこか哀愁を帯びた静けさは、日本的な感性(「あはれ」や「幽玄」)が融合し始めた兆候とも読み取れます。



4.3 「著色」の系譜:水墨画との対比


同時期には、雪舟に代表されるような「水墨画」も隆盛を極めていました。水墨画が、色彩を捨て去ることで精神的な深み(禅の境地)を表現しようとしたのに対し、著色花鳥画は、色彩そのものが持つ美しさと、現世の豊かさを肯定する側面がありました。

比較項目

水墨画

著色花鳥画(本作)

主な表現媒体

墨の濃淡

岩絵具、染料

表現の志向

抽象化、精神性、禅味

具象化、装飾性、写実

主な鑑賞者

禅僧、武士

貴族、武士、寺院

代表的な画家

雪舟、周文

辺文進(中国)、初期狩野派など

「山茶花小禽図」は、色彩豊かな世界の魅力を現代に伝える貴重なリレー走者です。墨一色の世界も美しいですが、冬の庭に実際に色が残っていることの喜びを伝えるには、やはり「色」が必要だったのです。




5. 文化的意義・哲学:一瞬の命に見る永遠



5.1 「写生」から「写意」へ


東洋絵画には「写生」と「写意」という言葉があります。「写生」は形を正確に写すこと、「写意」はその対象が持つ心や本質を描くことです。「山茶花小禽図」は、一見すると見事な「写生」画ですが、深く見つめると「写意」の深さに気づかされます。

描かれた小鳥の瞳を見てください。そこには、厳しい自然界を生き抜く野生の緊張感と、一時の休息を楽しむ安らぎが同居しています。画家は、単に「鳥の形」を描いたのではなく、「生きている鳥の気配」を描こうとしたのです。これこそが、数百年経っても絵画が古びない理由、すなわち「気韻生動」の具現化です。



5.2 山茶花に託された精神性


山茶花が選ばれたことにも、深い意味を見出すことができます。

先述の通り、サザンカは寒さの中で花を咲かせます。他の多くの植物が枯れ落ちる冬において、緑の葉を保ち、花を開くその姿は、逆境における「忍耐」や「生命の持続」を象徴します。

また、一片ずつ散るその最期は、潔く散る桜とはまた異なる、「最後まで尽くして散る」という情緒を感じさせます。武士たちがツバキの「首落ち」を嫌ったという説話は有名ですが、サザンカの散り際は、より静かで、哀愁に満ちたものです。この絵画を床の間に掛けた当時の人々は、そこに自らの人生観や、無常観を重ね合わせたことでしょう。



5.3 小禽の寓意:静寂の中の音


絵画は音を発しません。しかし、優れた絵画からは音が聞こえてくるものです。「山茶花小禽図」において、小鳥は画面に「音」と「動き」をもたらす存在です。

静止した植物(静)と、動き回る小鳥(動)。この対比が、画面にリズムを生んでいます。

小鳥が今にも飛び立ちそうな気配、あるいは小さくさえずる声。それが聞こえるような気がするのは、画家が「静寂」を描くために、あえて「音の源」である鳥を配したからかもしれません。「静けさ」とは、無音のことではなく、鳥の声が響くことで際立つものなのです。




7.薄紅の花が繋ぐ、過去と未来


京都国立博物館に眠る「山茶花小禽図」。

それは、日本美術史における「著色花鳥画」の黎明期を告げる記念碑的でありながら、同時に極めて親密で、個人的な自然との対話の記録でもあります。

宋元の厳格な写実精神を基盤としつつ、日本の柔らかな風土の中で育まれたこの作品は、私たちに「見る」ことの意味を問いかけます。忙しい現代社会において、私たちはどれほど真剣に、足元の花や、空を飛ぶ鳥を見つめているでしょうか。

園芸を愛する皆様が、日々庭の植物に水をやり、その成長を喜ぶ心。

それは、数百年前にこの絵を描いた画家の心と、何ら変わるものではありません。筆を持ち、紙の上に花を咲かせた画家もまた、一人の「園芸家」であり「ナチュラリスト」だったのです。

もし、京都国立博物館を訪れる機会があれば、あるいは図録やウェブサイトでこの絵を目にする機会があれば、ぜひ静かに向き合ってみてください。

寒空の下で咲く薄紅色の花と、そこに集う小さな命。

そのささやかな風景の中にこそ、世界を美しく彩る「日本の心」が、そして私たち自身の心の原風景が宿っているのです。


山茶花小禽図 作者:不詳 時代世紀:室町時代・15世紀 法量:縦86.5cm:横31.7cm 所蔵者:京都国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/A%E7%94%B2360?locale=ja
山茶花小禽図 作者:不詳 時代世紀:室町時代・15世紀 法量:縦86.5cm:横31.7cm 所蔵者:京都国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/A%E7%94%B2360?locale=ja





参考




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