雪裡三友図
- JBC
- 2024年1月1日
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更新日:6月23日
1.はじめに
京都国立博物館所蔵の「雪裡三友図」は、日本の初期室町時代における水墨画の代表的な作例として、美術史上極めて重要な位置を占める作品です。本図は、1977年6月11日に重要文化財に指定されており、その芸術的価値および歴史的意義の高さが公に認められています。特筆すべきは、本図が日本で制作された「三友図」(松竹梅を描いた図)としては現存最古の作例とされる点です。この事実は、本図が単に室町初期の一作品であるに留まらず、日本における歳寒三友という主題の受容と展開を考察する上で、基準となるべき存在であることを示唆しています。さらに、本図は掛軸の上部に複数の禅僧による賛詩を伴う「詩画軸」の形式をとっており、当時の禅林文化の精華を今に伝える貴重な遺産といえます。複数の高名な禅僧による賛の存在は、応永年間(1394年~1428年)の五山禅林において、すでに高度に洗練された詩書画一体の芸術文化が花開いていたことを物語っています。
2.作品概説
「雪裡三友図」に関する基本的な情報を以下に整理します。
表1:「雪裡三友図」基本情報
項目 | 内容 |
作品名 | 雪裡三友図(せつりさんゆうず) |
所蔵 | 京都国立博物館 |
管理番号 | A甲680 |
時代 | 室町時代・15世紀 |
制作年代(推定) | 応永27年(1420年)以前 |
寸法 | 縦131.5cm横37.3cm |
材質・技法 | 紙本墨画 |
作者 | 不明 |
文化財指定 | 重要文化財(1977年6月11日指定) |
本図の作者は不明とされていますが、これは初期の禅宗関連美術においては珍しいことではありません。作者個人の名声よりも、作品が内包する文化的・精神的価値や、詩画軸の場合は特に、賛者を含めた共同制作的な側面が重視されたためと考えられます。作者不詳であることは、かえって鑑賞者の注意を作品の主題、様式、そして賛を寄せた禅僧たちの精神世界へと向けさせる効果を持つでしょう。また、制作年代が応永27年(1420年)以前と特定されている点は極めて重要です。この年代は、如拙筆「瓢鮎図」(国宝、退蔵院蔵、応永20年頃(1413年頃)の賛)など、日本水墨画史における画期的な作品が生まれた応永文化の爛熟期にあたります。本図をこの時期の他の作品と比較検討することで、当時の画壇の動向や禅宗文化の様相をより深く理解する手がかりが得られるでしょう。
3.主題「歳寒三友」の淵源と日本的受容
3.1 中国における「歳寒三友」の成立と意味
「歳寒三友」とは、松・竹・梅の三種の植物を指し、これらを組み合わせた画題は中国の宋代(960~1279)に文人画(士大夫階級の知識人による絵画)の中で成立したとされています。松と竹は冬の寒中にも緑を保ち、梅は寒中に花を開くことから、これらの植物は厳しい状況下でも変わらぬ志操や清廉潔白さ、節操を象徴するものと見なされました。これは、儒教的徳目を重んじる文人たちの理想的な人格や生き方を表現するのにふさわしい主題でした。「歳寒」という言葉自体、孔子の『論語』子罕篇に見られる「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るることを知るなり(厳しい寒さになって初めて、松や柏が最後まで枯れずに残ることがわかる)」という一節に由来し、逆境における不動の精神を称える意味合いを持ちます。
3.2 日本への伝播と「松竹梅」としての定着
「歳寒三友」の主題が日本に伝わったのは平安時代とされています。当初は中国の文人思想における高潔なイメージを伴って受容され、特に漢詩などの文学作品においてその精神性が詠まれました。しかし、時代が下るにつれて、日本独自の解釈が付加され、次第に吉祥の象徴としての性格を強めていきます。特に江戸時代以降には、「松竹梅」の呼称が一般化し、めでたいものの組み合わせとして広く庶民にも親しまれるようになりました。この過程で、松・竹・梅それぞれに日本固有の象徴性が重ねられていきました。
松:日本では古来、神が宿る木、神を「待つ」木として神聖視され、「節操」「不老不死」「長寿繁栄」の象徴とされました。平安時代には吉祥の象徴となっていたとされます。
竹:まっすぐに伸び、次々と新芽を出す生命力から「子孫繁栄」の象徴とされました。室町時代には繁栄の象徴としての意味合いが定着したとされます。
梅:厳しい寒さの中で他の花に先駆けて咲くことから「気高さ」「長寿」、そして春の到来を告げる花として愛でられました。江戸時代に吉祥の象徴として広まったとされます。
本図「雪裡三友図」の「雪裡」という名称は、雪中という厳しい環境を強調しており、日本で一般化した吉祥的意味合いよりも、中国の原義に近い、逆境に耐える高潔な精神性を主題としていることを強く示唆しています。これは、本図が禅林という知的な精神文化のなかで制作されたことと深く関わっていると考えられます。五山の禅僧たちは中国の古典や禅籍に深く通じており、彼らにとって歳寒三友は、単なるめでたい植物ではなく、禅の修行にも通じる精神的強靭さや純粋性の象徴として捉えられていたでしょう。
4.「雪裡三友図」の美術史的考察
4.1 室町時代初期水墨画と詩画軸
室町時代初期、特に足利義満・義持父子の治世にあたる応永年間(1394~1428)は、日本水墨画の全盛期の一つに数えられます。この時期、禅宗文化の隆盛とともに、中国の宋・元時代の水墨画が積極的に受容され、それを基盤とした日本独自の水墨画様式が形成され始めました。京都の五山禅林、とりわけ相国寺などはその中心的役割を担ったとされます。この文化の中で生まれた特徴的な芸術形式が「詩画軸」です。これは、水墨で描かれた絵画の余白に、複数の禅僧が漢詩の賛を書き加えるもので、絵と詩と書が一体となった総合芸術でした。詩画軸は、禅の悟りの境地や思想を表現する手段として、あるいは禅僧間の知的交流や贈答の品として盛んに制作されました。本図「雪裡三友図」も、まさにこの詩画軸の優れた作例です。
4.1 本図の筆法と構成
本図の描写は、「力強い雄勁な筆致」と評され、「黒々とした墨色と重々しい雰囲気」が特徴的であると指摘されています。こうした表現は、雪中の厳しい環境に耐える松竹梅の生命力や、それに託された精神的な強靭さを効果的に表しています。単に美しいだけでなく、主題の持つ重厚さや厳粛さを伝えるための意図的な様式選択であったと考えられます。
構成においては、「直立した双松や曲りくねった梅など元画の構成法によっており」とされます。これは、当時の日本の画家たちが、中国、特に元代の水墨画の様式や構図を熱心に学んでいたことを示しています。元代は文人画が隆盛を極めた時代であり、その画風は日本の初期水墨画に大きな影響を与えました。本図の画家も、元画の具体的な手本に基づきながら、独自の解釈を加えて本作を制作したと推測されます。その描写は「きわめて優れ」と評価されており、当時の水墨画の高い達成度を示しています。また、本図は如拙筆「瓢鮎図」とほぼ同時期の制作とされ、両作品を比較することで、応永期の画壇における多様な表現や、共通する時代的特徴を探ることが可能となるでしょう。
4.2 五山禅僧による賛とその意義
本図の画面上部には、京都五山で活躍した五名の禅僧による七言絶句の賛が寄せられています。これは詩画軸の典型的な形式であり、絵画と詩文が一体となって主題を多角的に表現します。
表2:「雪裡三友図」賛者一覧
僧名 | 号(字) | 南禅寺住持歴など | 備考 |
岳林聖嵩 | (不明) | 南禅寺七十四世 | |
玉畹梵芳 | 玉畹 | 南禅寺八十一世 | 応永27年(1420年)に近江へ退隠したとされます。応永12年(1405年)銘の「柴門新月図」(国宝、藤田美術館蔵)にも序を寄せるなど、詩画軸制作に深く関与したとされます。蘭画にも長じたとされます。 |
惟肖得巌 | (不明) | 南禅寺九十八世 | |
大愚性智 | (不明) | 南禅寺九十二世 | |
古幢周勝 | (不明) | 南禅寺一二六世 |
これらの賛者はいずれも当時の禅林における高僧であり、彼らが賛を寄せることは、作品に高い権威と精神性を付与するものでした。特に注目されるのは玉畹梵芳の存在です。彼の賛は、本図の制作年代を特定する上で重要な手がかりとなっています。梵芳が近江へ退隠した応永27年(1420)以前に本図が制作されたと考えられています。
また、賛者のうち岳林聖嵩を除く四名(玉畹梵芳、惟肖得巌、大愚性智、古幢周勝)は、日本初期水墨画の記念碑的作品である如拙筆「瓢鮎図」にも賛を寄せていることが指摘されています。この事実は、「雪裡三友図」が「瓢鮎図」と極めて近い時期に、同じ文化圏、すなわち京都五山の禅僧たちの緊密なネットワークの中で生まれたことを強く示唆しています。これらの高僧たちが関与したことは、本図が単なる絵画作品ではなく、応永期の禅林文化を代表する知的水準の高い芸術作品であったことを物語っています。
5.「雪裡三友図」にみる禅林の理想
本図は、「禅林の理想を表しており」とされるように、禅宗の価値観や美意識を色濃く反映した作品です。主題である「歳寒三友」は、雪や霜の厳しさに耐えてその姿を保つ松・竹・梅の姿を通して、世俗の汚れに屈せず、厳しい修行や困難な状況下でも節操を守り抜く禅の精神と深く共鳴します。特に「雪裡」という画題は、逆境に立ち向かい、それを乗り越えていく禅的実践の厳しさを象徴しているかのようです。
水墨というモノクロームの表現媒体自体も、禅の美意識と親和性が高いといえます。墨の濃淡や筆致の緩急によって万物を表現しようとする水墨画は、華美な色彩を排し、対象の本質に迫ろうとします。本図の「黒々とした墨色と重々しい雰囲気」は、禅の持つ静謐で内省的な精神性を想起させ、鑑賞者を深い思索へと誘います。
さらに、詩画軸という形式は、禅僧たちが自らの悟りの境地や禅機(禅の働き)を表現し、また仲間内で詩文を応酬し合うことで互いの理解を深めるという、禅林における知的・精神的コミュニケーションの重要な手段でした。本図に寄せられた五僧の賛は、それぞれが「雪裡三友」という画題から触発された禅的な感懐や教訓を詠んだものであり、絵画と一体となって禅の理想とする境地を多層的に示しています。このように、本図は単に三つの植物を描いた絵ではなく、禅の修行者の歩み、すなわち困難(雪)の中で不動の心(松)、柔軟な強さ(竹)、そして悟りの開花(梅)を追求する姿の視覚的隠喩として解釈することができます。この詩画軸の共同制作的なあり方は、師資相承や僧伽(教団)における共同体的な学びを重んじる禅のあり方とも通底しているといえるでしょう。
6. さいごに
京都国立博物館所蔵の「雪裡三友図」は、現存最古の日本製「三友図」として、また室町時代初期、応永年間の詩画軸の傑作として、日本美術史上きわめて重要な作品です。作者不詳ながら、その力強い筆致と元画に学んだ構成、そして重厚な墨調は、当時の水墨画の高い芸術水準を示しています。
本図の最大の特色の一つは、岳林聖嵩、玉畹梵芳ら五名の高名な五山禅僧による賛を伴う点であり、これにより制作年代の特定が可能になるとともに、作品が当時の禅林文化の精華であったことが確認できます。これらの賛は、絵画とともに「歳寒三友」という主題に託された禅的な理想、すなわち逆境における不屈の精神や清廉潔白さを表現しており、本図を単なる装飾画以上の、深い精神性を備えた作品へと昇華させています。
「雪裡三友図」は、中国由来の画題が日本で受容され、禅宗思想と結びつきながら独自の美術表現として展開していく過程を具体的に示す貴重な作例です。それは、応永期の水墨画の様式的特徴、詩画軸という芸術形式の成熟、そして中世日本における禅宗と美術の緊密な関係を理解する上で不可欠な文化遺産と言えるでしょう。本図は、後代の日本の水墨画、特に「歳寒三友」を主題とする作品群の源流の一つとして、その芸術的・歴史的価値を今日に伝えています。