大阪出身の実業家で趣味人・加賀豊三郎の椿画譜:椿譜/椿花一束/名物椿譜
- JBC
- 2024年12月15日
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更新日:6月20日
日本の美意識が息づく「椿譜」の世界:加賀豊三郎が遺した花卉文化の精髄
1. 冬に咲き誇る椿が問いかける、日本の美の真髄
冬の厳しい寒さの中、雪を抱きながらも凛として咲き誇る一輪の椿。その鮮やかな色彩と端正な姿に、人々はどのような美を見出すのでしょうか。日本において椿は、単なる季節の花に留まらず、古くから人々の暮らし、文学、芸術、そして精神性に深く根ざした特別な存在です。その歴史は『古事記』や『万葉集』にまで遡り、茶の湯の世界では「茶花」として、武士道においては「潔さ」の象徴として、多様な意味合いを帯びてきました。この冬に花を咲かせる椿の力強さは、寒さに耐え忍ぶ生命力の象徴であり、その存在自体が日本の美意識と深く結びついています。
本稿では、明治時代から昭和時代初期にかけて活躍した稀代の数寄者、加賀豊三郎(かがとよさぶろう)が遺した貴重な植物図譜、すなわち「椿譜」「椿花一束」「名物椿譜」の世界に焦点を当てます。これらの図譜は、単なる植物の記録を超え、当時の日本の花卉/園芸文化の精髄と、それを取り巻く人々の情熱を現代に伝える文化遺産です。加賀豊三郎の作品を通じて、日本の花卉文化の奥深さと、そこに息づく美意識を巡る旅へと皆様を誘います。
2. 加賀豊三郎の「椿譜」「椿花一束」「名物椿譜」とは
加賀豊三郎が遺した「椿譜」「椿花一束」「名物椿譜」は、日本の花卉文化史において極めて重要な位置を占める植物図譜です。これらは、加賀自身が深い情熱を注いで制作した自筆の画譜であり、現在、東京都立中央図書館の「加賀文庫」に所蔵されています。
これらの図譜は、単なる植物の絵画集や分類記録に留まらない、学術的かつ芸術的に非常に価値の高い作品として評価されています。その特徴は、描かれた椿の品種の「極めて精緻な筆致」と「詳細な解説」にあります。加賀豊三郎の観察眼と描写力は卓越しており、花々の繊細な美しさを余すところなく表現しています。
加賀豊三郎がこれらの図譜を自ら手描きで制作したという事実は、彼の椿に対する並々ならぬ情熱と専門性の深さを示しています。多忙な実業家であった加賀が、個人的な時間と労力を費やしてこれほど詳細な植物画譜を制作したことは、単なる趣味の域を超えた、対象への深い献身を物語っています。古典籍や園芸に関する書物を多く収集しており 、その知識が彼の描く椿の正確さと美しさに反映されていると考えられます。この個人的な関与は、図譜に独自の視点と信憑性を与え、単に依頼された作品では得られない価値を生み出しています。
これらの図譜が学術的価値と芸術的価値を兼ね備えている点も特筆すべきです。図譜は写実性が高く、細部まで丁寧に描かれているため、植物学的な正確さを保ちつつ、構図や色彩にも工夫を凝らし、絵画としての美しさも追求されています。この二重性は、図譜が単に椿の品種を識別・分類する科学的記録としてだけでなく、その美しさを鑑賞するための芸術作品としても機能していたことを示唆しています。これは、当時の日本の園芸文化が、科学的探求と美的表現を融合させた洗練されたものであったことを反映しています。この多面的な魅力は、植物の知識を求める層から日本の伝統文化に触れたい層まで、幅広い読者層の関心を引きつける要因となっています。
以下に、加賀豊三郎による椿図譜の概要を表にまとめます。
3. 稀代の数寄者、加賀豊三郎の足跡と時代背景
加賀豊三郎(明治5年/1872 - 昭和19年/1944)は、日本の近代において多岐にわたる分野でその才能を発揮した稀有な人物です 。大阪の資産家の家系に生まれ、東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業後、証券業界に進出しました。自ら加賀証券を設立し、後に三菱UFJ証券に合併される菱光証券へと発展させるなど、経済界で大きな成功を収めました。加賀の事業は証券業に留まらず、不動産業、林業、ゴルフ場経営など、多角的に展開されました。また、日本人として初めてアルプス山脈のユングフラウに登頂した登山家としても知られており、その行動力と探求心は計り知れません。
しかし、加賀豊三郎の真髄は、単なる実業家や冒険家としての顔だけではありませんでした。彼は古典籍や美術品の収集に並々ならぬ情熱を注いだ「蔵書家」であり、そのコレクションは「加賀文庫」として、約24,100点もの貴重な資料が東京都立中央図書館に所蔵されています。この膨大なコレクションには、江戸後期の文芸に関する資料が多く含まれており、彼の文化的な素養の深さを物語っています。加賀はまた、「集古会」や「新耽奇会」といった当時の文人や趣味家の会合に積極的に参加し、尾崎紅葉をはじめとする当代の文化人や名士たちと広範な交流を持っていたことが記録されています。
加賀豊三郎が用いた雅号「翠渓(すいけい)」は、自然や美への深い愛着を象徴しています 。この雅号は「清らかで美しい谷」を意味すると考えられ 、加賀が椿をはじめとする植物や自然の美に深く心を寄せた証と言えるでしょう。加賀の居宅が「洗雲亭」、蔵書が「洗雲亭蔵書」と称されていたことも、風雅を愛する精神性を強く示唆しています 。このような雅号や住居の命名からも、単なる経済活動に終始する人物ではなく、精神的な豊かさや自然との調和を重んじる「数寄者」としての側面を強く持っていたことがうかがえます。
加賀豊三郎のような実業家が、同時に文化の担い手でもあったという事実は、明治・大正期における文化人像の多様性を示しています。この時代は、西洋化と近代化が急速に進む一方で、伝統的な日本文化の価値が見直され、保護・継承されていく過渡期でもありました。加賀は、経済的な成功を収めた新興階級が、単に富を蓄積するだけでなく、古典籍や美術品の収集、文化人との交流、そして自ら植物図譜を制作するといった形で、日本の文化遺産の保存と発展に積極的に貢献した好例と言えます。加賀の活動は、近代化が必ずしも伝統との断絶を意味するものではなく、むしろ経済的基盤が文化的な深みを支え、新たな形で継承されていく可能性を示唆しています。
加賀豊三郎が椿の図譜制作に傾倒した背景には、加賀自身の個人的な情熱に加え、当時の日本の園芸文化の潮流がありました。椿は古くから日本で親しまれてきた植物であり、室町時代には茶道が流行する中で茶花や庭木の材料として鑑賞の対象となりました。江戸時代に入ると、二代将軍・徳川秀忠が椿園芸に熱中したことで一大ブームが巻き起こり、「寛永の椿」と呼ばれるほど多くの品種が江戸城や大名屋敷に集められました。茶の湯の流行も椿の普及に貢献し、千利休や豊臣秀吉も茶室で椿を愛用したと伝えられています。幕末頃には、日本の椿は遠く西欧にも広まり、一大ブームを巻き起こすほどでした。
明治・大正期に入ると、花卉/園芸文化は近代化の波を受けつつも、その伝統は一部の愛好家によって継承され、新たな形で発展していました。例えば、華道家の安達潮花は椿の香りに注目し、貴重品種を収集するなど、椿への深い関心を示す人物でした。加賀豊三郎は、まさにこの豊かな文化の系譜の中に位置する人物であり、椿図譜は、当時の植物学・博物学への関心の高まりと、花を愛する「数寄者」たちの情熱が結実したものです。加賀の椿図譜制作の動機は、単に美しい花を記録するという美的追求だけでなく、当時の多様な品種を系統的に記録し、後世に伝えるという学術的探求が融合したものでした。これは、江戸時代に隆盛した本草学(博物学)の伝統を受け継ぎ、自然を深く観察し、その知識を体系化しようとする知的な営みの一環でもありました。加賀豊三郎の活動は、近代日本の文化史における、知的好奇心と美的感性の見事な融合を象徴するものです。
4. 椿譜に込められた文化的意義と哲学
加賀豊三郎の椿譜が現代に伝えるメッセージは、単なる植物の記録に留まりません。そこには、日本人が古くから椿に託してきた深遠な文化的意義と哲学が息づいています。椿は、その凛とした姿と特異な散り方から、日本文化において多様な象徴性を帯びてきました。
4.1 椿の日本文化における象徴性
椿は、古くから「生命力」「強さ」「潔さ」を象徴する花として捉えられてきました 。特に、冬の厳しい寒さの中で鮮やかに咲き誇るその姿は、逆境に耐え忍ぶ「力強さ」と「生命力」の象徴とされました。また、常緑の艶やかな葉も、絶えることのない生命の輝きを連想させます。
椿の象徴性の中でも特筆すべきは、その「散り方」です。桜の花びらが舞い散るのに対し、椿は花首から「ポトリ」と潔く落ちる特徴があります。この散り様は、武士が戦場で潔く散る姿や、自らの信念を貫き通す「潔さ」を連想させ、武士道精神と深く結びつけられてきました。この結びつきは、単なる偶然の観察ではなく、当時の社会、特に支配階級であった武士の価値観が、自然現象の解釈に深く影響を与えた結果と言えます。椿の散り方は、桜のように優雅に散るのではなく、一瞬にして終わりを迎えるため、これに武士の「死」に対する覚悟や名誉を重ね合わせたと考えられます。このような文化的な解釈は、花が持つ純粋な美しさだけでなく、それを囲む人々の倫理観や美意識によって、その象徴性がどのように形成され、深化していくかを示しています。さらに、椿は「美しさ」「完璧さ」「理想的な愛」も象徴するとされ、その多面的な美意識が日本人の心に深く刻まれてきました。
4.2 茶の湯と椿の深い結びつき
椿は、日本の伝統文化である茶の湯において、欠かせない「茶花」として重要な地位を占めてきました。室町時代に茶道が発展する中で、椿は鑑賞の対象となり、江戸時代には広く愛好されるようになります。特に、茶の湯の大成者として知られる千利休が、冬から春にかけての茶花として初めて椿を愛用したと伝えられています。豊臣秀吉もまた椿を好んで茶室に飾ったとされ、その凛とした姿が茶室の静謐な雰囲気に調和し、「侘び寂び」の世界観を表現するのに最適とされました。茶道では、小輪で一重咲きの「佗助(わびすけ)」という品種が、その素朴で奥ゆかしい美しさから、特に茶室の静寂な空間にふさわしい花として愛用されてきました。
4.3 「椿の十徳」にみる生活と哲学
江戸時代前期の僧侶であり、愛椿家としても知られる安楽庵策伝は、椿の木が持つ10の利点「椿の十徳」を著しました。これには、椿が長寿であること、葉が虫に食われないこと、材が堅く火に強いこと、灰が染料となること、材が器となること、花が美しいこと、葉が薬となること、油が灯火となること、実が食用となること、といった多岐にわたる実用性と美しさが挙げられています。
この「椿の十徳」は、椿が単なる鑑賞の対象に留まらず、日本人の生活と密接に関わり、その有用性を通じて哲学的な意味合いも持っていたことを示唆しています。この概念は、椿が単に美しい花としてだけでなく、その木全体が持つ多角的な価値が、江戸時代以前から深く認識されていたことを示しています。人々は椿から油を採り、材を生活用具に加工し、葉を薬として利用するなど、その恵みを余すことなく活用してきました。このような視点は、自然の恵みを最大限に生かし、その中に美を見出すという、日本独自の自然観と共生の思想を反映しています。それは、美と実用性が分離されたものではなく、むしろ一体となって人々の暮らしを豊かにしてきたという、伝統的な日本の自然との向き合い方を雄弁に物語っています。
4.4 植物図譜の芸術的・文化的価値
加賀豊三郎の椿譜のような植物図譜は、当時の本草学(博物学)の興隆や自然科学への関心の高まりの中で、植物の姿を正確に記録するという学術的貢献を果たしました。しかし、それらは単なる学術的記録に終わらず、構図や色彩に工夫を凝らし、絵画としての美しさも追求している点で、芸術作品としての高い価値も有しています。これらの図譜は、花を愛する人々の情熱や、植物を単なる自然物としてではなく、精神性や美意識の対象として捉える日本独自の文化を反映しています。加賀豊三郎の椿譜は、そうした日本人の自然との向き合い方、そして美を追求する精神の結晶であり、後世にその豊かな文化を伝える貴重な資料となっているのです。
5. 結び:現代に受け継がれる椿と日本花卉文化の魅力
加賀豊三郎が遺した「椿譜」「椿花一束」「名物椿譜」は、単なる過去の遺物ではありません。それらは、明治・大正という激動の時代において、一人の実業家が椿という花に託した深い情熱と、日本の花卉/園芸文化が持つ普遍的な魅力を現代に伝える貴重な文化遺産です。彼の自筆による精緻な描写は、当時の椿の多様な品種を正確に記録する学術的価値と、絵画としての芸術的価値を兼ね備え、後世に多大な影響を与えました。
過去の植物図譜が現代の花卉/園芸文化に与える影響は計り知れません。加賀豊三郎の椿譜は、単なる歴史的記録として図書館に収蔵されているだけでなく、現代の椿愛好家や研究者にとって、品種の特定や系統の解明に不可欠な資料となっています。例えば、日本ツバキ協会のような団体は、椿に関する調査研究や栽培、新種育成の指導・奨励を通じて、日本の椿文化を継承・発展させ、国内外に広く発信しています。このような現代の活動において、加賀の綿密な記録は、過去の品種の姿や特徴を理解するための重要な基準点となり、現代の品種改良や遺伝子研究の基盤を提供しています。これは、文化遺産が単に静的に保存されるだけでなく、現代の活動に活力を与え、進化し続ける「生きた文化」の一部として機能していることを示しています。
現代においても、椿は日本の気候風土によく合い、寒冷地を除けば栽培が容易であり、多様な園芸品種が存在するため、ほぼ一年中その花を楽しむことができます 。加賀豊三郎の残した足跡は、日本の花卉文化が、単なる流行に左右されることなく、学術的な探求と芸術的な追求、そして人々の生活に根ざした哲学によって支えられてきたことを雄弁に物語っています。
この冬、一輪の椿を目にする機会があれば、ぜひ加賀豊三郎の椿譜に込められた情熱と、それが育まれた日本の豊かな花卉文化に思いを馳せてみてください。そこには、私たち日本人固有の美意識と、自然との共生の中で育まれた奥深い精神性が息づいています。加賀豊三郎の椿譜を通じて、日本の花卉文化の新たな魅力を発見し、日々の暮らしに花を取り入れることの喜びを再認識していただければ幸いです。
椿譜
『椿譜』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533451
椿花一束
『椿花一束』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533676
名物椿譜
『名物椿譜』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2535667