江戸時代、人々は四季折々の草花を愛で、その美しさを暮らしの中に取り入れていました。浮世絵においても、花は重要なモチーフとして描かれ、風景画や美人画など、様々なジャンルの作品に彩りを添えてきました。
本稿では、三代歌川豊国と初代歌川広重が合作した役者絵シリーズ「当盛六花撰」を取り上げ、そこに描かれた花々に焦点を当てながら、その魅力と文化的背景について考察していきます。
「当盛六花撰」における花の表現
「当盛六花撰」は、嘉永5年(1852年)頃に、江戸の版元「錦昇堂」から出版された大判錦絵の揃物です。 錦昇堂は、恵比寿屋庄七(生没年不詳)という人物が経営しており、「ゑひすや」とも呼ばれていました。
このシリーズでは、当時人気の歌舞伎役者が、それぞれ異なる花と組み合わされて描かれています。風景画を得意とした広重が、花々をクローズアップで描くという斬新な表現を用いている点が特徴です。花弁の繊細な描写や、背景のぼかしの技法など、広重の新たな一面を見ることができます。
これらの花は、初夏から秋にかけて咲く季節の花々を選んでおり、それぞれの季節感を表現しています。また、各図の背景に大きく描かれた花は、前景に描かれた役者たちの夏の夕涼み姿と調和し、独特の趣向とデザインを生み出しています
秋海棠
「当盛六花撰 秋海棠」では、可憐な秋海棠の花が、役者を引き立てています。 秋海棠は、その控えめな美しさから、日本では古くから観賞用として親しまれてきました。
花形役者: 坂東しうか
中級役者: 中山市蔵
特徴: 坂東しうかの替紋「花勝見」にちなんで、徳利に「銘酒 花かつみ」と書かれています。

菖蒲
「当盛六花撰 菖蒲」では、水辺に咲く菖蒲が涼しげな雰囲気を演出しています。 菖蒲は、古くから邪気を払う力があるとされ、端午の節句に飾られるなど、日本の文化に深く根付いています。この作品では、菖蒲の凛とした姿が、役者の力強さを強調しています。
花形役者: 三代目岩井粂三郎
中級役者: 三代目嵐音八
特徴: 岩井家の紋である三扇紋を題字のデザインに使用。「菖蒲」は岩井粂三郎の俳名「杜若」を意味します。

紫陽花
「当盛六花撰 紫陽花」では、鮮やかな紫陽花が、役者の傍らに咲いています。 紫陽花は、梅雨の時期を彩る花として、日本人に愛されてきました。 この作品では、紫陽花の華やかさが、役者の個性と見事に調和しています。
花形役者: 坂東竹三郎
中級役者: 中村鶴蔵

牽牛花
「当盛六花撰 牽牛花」では、朝顔とも呼ばれる牽牛花が、役者を包み込むように描かれています。 牽牛花は、夏の朝に咲く花として、そのはかなさと美しさで、人々を魅了してきました。
花形役者: 八代目市川団十郎
中級役者: 四代目浅尾奥山
特徴: 市川団十郎が扇子に揮毫しようとしている姿が描かれています。

百合
「当盛六花撰 百合」では、大輪の百合の花が、役者を引き立てています。 百合は、その芳醇な香りと気品あふれる姿から、日本では古くから観賞用として、また宗教的な儀式にも用いられてきました。
花形役者: 中村福助
中級役者: 中村翫太郎

芙蓉
「当盛六花撰 芙蓉」では、芙蓉の花が、役者の美しさを引き立てています。 芙蓉は、その華やかさと儚さで、中国や日本の文人たちに愛されてきました。
花形役者: 二代目片岡我童
中級役者: 二代目大谷徳次
特徴: 片岡我童が手紙を読んでいる姿が描かれています。

花と役者の融合が生み出す新たな表現
「当盛六花撰」は、役者絵と風景画、それぞれの分野で優れた技量を持つ二人の絵師の合作という点で、非常に興味深い作品です。豊国は、役者の特徴を捉えた生き生きとした表情や、大胆な構図で役者の存在感を際立たせています。一方、広重は、花や風景を繊細な筆致で描き、季節感や情景を巧みに表現することで、作品に奥行きと情感を与えています。
特筆すべきは、広重が、このシリーズでは花々をクローズアップで、まるで人物を描くように表現している点です。花弁の繊細な描写や、背景のぼかしの技法など、広重の新たな一面を見ることができます。鮮やかな色彩と、背景にぼかしを用いるなど、当時の錦絵の技法を駆使することで、華やかで装飾性の高い作品に仕上がっています。特に、役者の衣装の柄や、花の描写には、高度な技術が用いられており、当時の浮世絵版画の技術の高さを窺い知ることができます。
江戸時代の園芸文化と「当盛六花撰」
江戸時代中期には、植木鉢が普及し、人々にとって草花はより身近なものとなりました。 四季折々の花を愛で、園芸を楽しむ文化が発展し、浮世絵にもその影響が見られます。
「当盛六花撰」は、こうした時代背景の中で生まれた作品であり、当時の園芸文化と歌舞伎人気を反映した、まさに江戸の文化を象徴する作品と言えるでしょう。
おわりに
「当盛六花撰」は、三代豊国と初代歌川広重、二人の巨匠の才能が融合した、傑出した役者絵シリーズです。鮮やかな色彩、大胆な構図、そして繊細な描写によって、当時の歌舞伎役者の魅力と、花の美しさを最大限に引き出しています。
この作品は、単なる役者絵を超えて、幕末期の江戸の文化や、人々の美意識を現代に伝える貴重な遺産と言えるでしょう。二人の絵師の個性がぶつかり合い、新たな表現を生み出した「当盛六花撰」は、浮世絵における合作の成功例として、後世に語り継がれるべき作品です。世に語り継がれるべき作品です。
参考
倉橋正恵 国貞の役者選択 ─「当盛六花撰」「当盛十花撰」の場合