鮮やかな紅白の花を咲かせ、甘い香りを漂わせる梅は、古くから日本人に愛されてきた花です。その凛とした姿は、冬の寒さにも負けずに春の訪れを告げる生命力の象徴として、多くの歌や絵画に描かれてきました。特に墨画においては、梅の持つ繊細な美しさと力強さが、墨の濃淡や余白の美によって見事に表現されています。
本稿では、東京国立博物館に所蔵されている「梅」の墨画作品を中心に、日本文化における梅の墨画表現とその影響について考察していきます。
「梅」の墨画における表現
墨画は、主に墨の濃淡と筆の運びによって対象を表現する絵画技法です。 簡潔な表現の中に、奥深い精神性や自然の美しさを凝縮させることが特徴です。梅の墨画においても、この特徴が遺憾なく発揮されています。
枝ぶり:梅の老木は、長い年月を経て複雑に曲がりくねった枝を伸ばします。墨絵では、力強い筆致で枝の輪郭を描き、墨の濃淡で立体感を表現することで、老木の風格や生命力を描き出します。
花弁:梅の花弁は五弁のシンプルな形をしています。墨画では、淡い墨で花弁の輪郭を描き、濃墨で雄しべや雌しべを点睛することで、可憐ながらも凛とした梅の花を表現します。また、花弁の重なりや開き具合を墨の濃淡で表現することで、奥行きと立体感を生み出します。
構図:多くの墨画作品では、余白を大胆に活用することで、空間の広がりや静寂を感じさせます。梅の枝や花を画面全体にバランスよく配置することで、見る人の視線を作品全体に誘導し、梅の美しさを際立たせます。
「梅」の墨画における影響
中国文化の影響
日本の墨画は、中国から伝わった水墨画の技法を基盤として発展してきました。 梅もまた、中国において古くから絵画の題材として好まれており、特に宋代の文人画においては、高潔な人格の象徴として描かれました。 このような中国文化の影響を受け、日本の墨画においても、梅は高潔さや凛とした美しさを象徴する花として描かれるようになりました。 例えば、禅僧や文人によって描かれた梅の墨絵には、中国の文人画に通じる精神性や思想が反映されている作品が多く見られます。
日本の四季の表現との関連性
日本人は、四季の移り変わりを繊細に感じ取り、それを絵画や文学、生活様式など、様々な形で表現してきました。 梅は、早春に他の花に先駆けて咲くことから、「春告草(はるつげぐさ)」 や「百花の魁(さきがけ)」 とも呼ばれ、春の訪れを告げる花として、人々に愛されてきました。墨絵においても、梅は冬の寒さに耐え、春に花を咲かせる生命力の象徴として描かれ、日本の四季の表現と深く結びついています。 また、梅の開花時期や種類によって異なる表情を捉え、早春の情景や生命の力強さを表現する作品も多く見られます。
興味深いことに、梅の品種には「満月」「月の桂」「月世界」など、月にちなんだ名前が多く存在します。 これは、月夜に照らされた梅の美しさが、古くから日本人に愛されてきたことを示唆しています。また、和菓子の老舗「とらや」の羊羹「夜の梅」は、闇夜に浮かび上がる梅の花をイメージしたもので、梅と月の組み合わせが日本文化に深く根付いていることを示す一例と言えるでしょう。
文人画における「梅」の象徴性
文人画は、中国で生まれた絵画様式で、文人と呼ばれる教養の高い知識人によって描かれました。 彼らは、絵画を自己表現の手段として捉え、内面世界や自然への深い洞察を表現しました。文人画において、梅は、蘭、竹、菊とともに「四君子」と呼ばれ、高潔な人格や気品を象徴するモチーフとして、好んで描かれました。 日本の文人画にも、中国の影響が色濃く見られ、梅は、文人の精神性や美意識を表現する重要な題材となりました。
「梅」の墨画
「墨梅図」 伝雪舟等楊筆(室町時代・15世紀)
雪舟等楊(1420年 - 1506年): 室町時代の水墨画家・禅僧。中国に渡り水墨画を学び、帰国後は独自の画風を確立。「山水長巻」や「破墨山水図」などの代表作で知られます。

「墨梅図」 松花堂昭乗筆 玉室宗珀賛(江戸時代・17世紀)
松花堂昭乗(1584年 - 1639年): 江戸時代初期の僧侶・書家・茶人。石清水八幡宮の社僧を務め、書は「寛永の三筆」の一人に数えられ、茶道や庭園にも造詣が深く、独自の茶室「松花堂」を考案しました。玉室宗珀(1572年 - 1641年): 江戸時代初期の禅僧。大徳寺の住持を務め、沢庵宗彭らと交流があり、茶道にも精通し、千利休の侘び茶を継承しました。

「月梅図」岸駒筆 松平定信賛(江戸時代・19世紀)
岸駒(1749年 - 1838年): 江戸時代後期の絵師。狩野派に学び、写実的な動物画を得意とし、中国にも渡り、西洋画の技法も取り入れました。代表作に「虎図」や「龍虎図」などがあります。松平定信(1758年 - 1829年): 江戸時代後期の老中。白河藩主。寛政の改革を主導し、政治・経済・文化など様々な改革を行いました。蘭学にも関心を持ち、西洋の文化や技術を積極的に導入しました。

「梅花図」彭城百川筆(江戸時代・18世紀)
彭城百川(1752年 - 1805年): 江戸時代後期の儒学者・書家。陽明学を研究し、多くの弟子を育成。書は独自の力強いスタイルで知られます。

「竹梅図屏風」 尾形光琳筆(江戸時代・18世紀)
尾形光琳(1658年 - 1716年): 江戸時代中期の絵師・工芸家。琳派の創始者。装飾的で華麗な画風で知られます。代表作に「燕子花図屏風」や「紅白梅図屏風」など。

「竹梅図屏風」は、吉祥のモチーフである「松竹梅」のうち、竹と梅のみを描いた屏風です。 尾形光琳は梅を好み、五弁の花を円く描いた梅の図様は、「光琳梅」とも称され流行しました。この屏風では、金地に墨のみで大胆かつ簡潔に竹林を描き、そこに屈曲する古木の梅を可憐に咲かせています。
結論
「梅」は、日本文化において、美しさ、生命力、高潔さなどを象徴する花として、古くから愛されてきました。墨絵においても、梅は重要なモチーフとして、様々な画家によって描かれ、中国文化の影響を受けながらも、日本の四季の表現や文人画と深く結びつき、独自の表現を獲得してきました。
梅の墨画は、現代においても、多くの人々を魅了し続けています。それは、梅が持つ美しさや象徴性だけでなく、墨画の持つ簡潔で力強い表現力、そして、そこに込められた画家の精神性や自然への畏敬の念が、時代を超えて人々の心に響くからでしょう。日本文化における梅の墨画の奥深さを改めて認識させてくれます。
参考
水墨画初心者必見【梅の描き方】6つの型を使った簡単な方法を解説!
コレクション コレクション一覧 名品ギャラリー 館 ... - 東京国立博物館
日本人の装いと梅
梅尽くし - 国立国会図書館
日本文人画と中国憧憬 - 尚美学園大学学術情報リポジトリ
日本人の装いと梅
梅 うめ|旬のもの|暦生活 | 日本の季節を楽しむ暮らし
梅図 - 文化遺産オンライン
墨梅図 ぼくばいず - ColBase