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『槭品類図考』に秘められた日本の美意識:江戸から明治へ、カエデが紡ぐ花卉文化の真髄

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 6月25日
  • 読了時間: 13分
伊藤圭介肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)


1. 紅葉の彼方に息づく、知と美の探求


日本の四季が織りなす豊かな自然、中でも秋の紅葉は、古くから日本人の心を深く捉え、詩歌や絵画の題材として愛されてきました。単なる自然現象を超え、紅葉は日本の美意識や精神性と深く結びついています。カエデ(モミジ)は、江戸時代から園芸樹として栽培され、庭木、鉢植え、盆栽など多様な形で楽しまれてきました。その葉の形は「カエルの手」に似ていることから「カエデ」と名付けられ、手形に見えることから金運上昇の象徴ともされ、「大切な思い出」「調和」「美しい変化」「遠慮」といった花言葉を持つなど、多岐にわたる象徴的な意味合いを帯びています。   


本稿では、この普遍的な魅力を持つカエデに焦点を当て、近代日本の植物学の黎明期に生み出された知られざる傑作『槭品類図考』を通じて、日本の花卉・園芸文化の奥深さと、そこに息づく知と美の探求の真髄を探ります。カエデが『槭品類図考』の唯一の主題として選ばれたのは、単にその美しさだけでなく、平安時代の貴族の「紅葉狩り」に始まり、江戸時代には庶民の行楽として定着した鑑賞文化 など、日本社会に深く根差したカエデへの敬愛があったからです。この図譜は、科学的な記録であると同時に、カエデという自然の造形を通じて、日本人がいかに自然と向き合い、その中に美と秩序を見出してきたかを示す文化的な証とも言えるでしょう。   

槭品類図考
『槭品類図考』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2609083


2. 『槭品類図考』の概要:カエデ百二十種が織りなす精緻な世界


『槭品類図考』は、日本の花卉・園芸文化史において、特にカエデの多様性と美しさを記録した貴重な植物図譜です。この図譜は、カエデの葉の形態に特化し、百二十種ものカエデの葉を精緻に描き出しています。本文による説明は付されておらず、純粋に図によってカエデの多様な姿を伝えることに重点が置かれています。図譜の扉には「九十三翁」という印記があり、その作者が日本の近代植物学の父、伊藤圭介であることが示唆されています。この図譜は、現在、名古屋大学附属図書館が所蔵する「伊藤圭介文庫」の一部として大切に保管されており、その歴史的・学術的価値が伺えます。   


『槭品類図考』の最大の特徴は、「水墨による原形押絵」という独特の技法が用いられている点です。この技法は、植物の葉や花に墨を塗って紙に押し付けることで形を写し取る「印葉図」(拓本の一種) と、墨の濃淡やにじみ、かすれといった表現を駆使する「水墨画」 の要素を融合させたものと推測されます。印葉図が葉脈などの特徴を忠実に、かつ短時間で複数記録できる実用的な方法であった一方で 、水墨画の技法を組み合わせることで、単なる形態の記録に留まらず、葉の質感や立体感、さらには植物の生命感(「気」や「生気」)までも表現しようとしたと考えられます。   


この「水墨による原形押絵」は、科学的な正確さと芸術的な美しさを両立させようとした、当時の日本独自の試みであり、学術的な探求と芸術的な表現が密接に結びついていた文化的な背景を物語っています。これは、自然を単なる研究対象としてではなく、その本質的な美しさをも捉えようとする、当時の植物学者や絵師たちの総合的な姿勢の表れと言えるでしょう。



『槭品類図考』 基本情報

名称

槭品類図考

作者

九十三翁(伊藤圭介)

制作時期

明治26年(1893年)〜明治30年(1897年)頃(九十三翁の号から推定)

主な内容

カエデ120種の葉の形態に関する水墨による原形押絵

所蔵

伊藤圭介文庫(名古屋大学附属図書館など)

槭品類図考
『槭品類図考』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2609083


3. 歴史と背景:九十三翁・伊藤圭介と時代が育んだ本草学の粋



3.1 作者・伊藤圭介の生涯と業績


『槭品類図考』の作者である「九十三翁」は、日本の近代植物学の礎を築いた偉大な本草学者、伊藤圭介(いとうけいすけ)であると特定されています。この「九十三翁」という号は、伊藤圭介が93歳頃に用いた別号であり、その作者が伊藤圭介であることは、図譜の扉に記された印記 、伊藤が晩年に編纂した大著『錦窠植物図説』との関連 、そして90歳代前半に頻繁に年齢を示す印記を使用していた記録 、さらには名古屋大学附属図書館に所蔵される「伊藤圭介文庫」の資料 によって裏付けられています。伊藤圭介は、享和3年(1803年)に名古屋の医家に生まれ、明治34年(1901年)に99歳でその生涯を閉じました 。当時の平均寿命が40歳代であったことを考えると、これは驚異的な長寿であり、その間、伊藤は精力的に研究活動を続けました。   


伊藤は医業を営む傍ら、幼少期から植物学に強い関心を持ち、京都での洋学修学を経て、文政10年(1827年)には長崎でドイツ人医師シーボルトに師事し、西洋の博物学を学びました。シーボルトは圭介の知識と鑑識眼を高く評価し、「余は圭介氏の師であるとともに、また圭介氏は余の師である」とまで語ったとされます。文政12年(1829年)には、スウェーデンの植物学者リンネの分類法を日本に初めて紹介した『泰西本草名疏』を出版し、日本の近代植物学の道を拓きました。   


明治維新後、明治政府の要請により東京に移住し、小石川植物園に関係し、東京大学教授を務めました。明治21年(1888年)には、日本初の理学博士の学位を授与されています。   


伊藤圭介の生涯は、江戸時代後期の伝統的な本草学から、明治時代の近代西洋植物学への知的移行期と重なっています。伊藤は、日本の伝統的な医学と植物学の知識を深く身につけながら、シーボルトとの出会いを契機に西洋の最新科学、特にリンネの分類体系を積極的に取り入れ、両者を統合しました。伊藤のこの類まれな知的適応力と探求心は、日本の近代植物学の基礎を築く上で決定的な役割を果たしました。多岐にわたる研究活動、特に晩年まで続いた精力的な著作活動は、単に時代の変化を傍観するのではなく、自らがその変化を牽引し、知識の継承と発展に尽力したことを示しています。

晩年、90歳代前半の明治26年(1893)から明治30年(1897)にかけて、伊藤圭介は集大成ともいえる『錦窠植物図説』(きんかしょくぶつずせつ)の編纂に情熱を注ぎました 。この時期は、伊藤が「九十三翁」という号を頻繁に使用していた時期と重なります。『錦窠植物図説』は、西洋の分類体系に基づき、膨大な植物情報を集約したもので、その中に『槭品類図考』の「槭樹科」(カエデ科)が含まれていると考えられます。伊藤の年齢を示す印章を作品に押す行為は、自身の長きにわたる学術的旅路と、その時々の知的貢献を意識的に記録するものであり、その並々ならぬ探求心と生涯学習の姿勢を象徴しています。   



3.2 江戸から明治へ:園芸文化の隆盛と植物図譜の発展


『槭品類図考』が生まれた背景には、江戸時代に花開いた独自の園芸文化と、それに伴う植物図譜の発展がありました。この時代、園芸は徳川将軍家から庶民に至るまで、身分を問わず愛好され、空前のブームを巻き起こしました。   


江戸時代の園芸文化は、他の国々では見向きもされなかった野草が次々に園芸品化されたり、斑入り植物や変化朝顔が流行したりと、世界でも類を見ない独自の発展を遂げました。特に、2代将軍徳川秀忠が椿を好んだことが、園芸文化隆盛のきっかけの一つとなりました 。椿の他にも、躑躅(つつじ)、菊、牡丹などが人気を博し、江戸時代後期には朝顔、花菖蒲、桜草などで数多くの新しい品種が作り出されました。植物学者牧野富太郎は、桜草に200〜300種もの変わり品があったことを「世界中に類のないもの」と称賛しています。   


カエデ(モミジ)もまた、元禄時代(1688〜1709)から流行し、人々に深く愛されました。染井村(現在の染井よしの発祥の地)の植木屋・伊藤伊兵衛らがまとめた園芸書『花壇地錦抄』には、100を超えるカエデの品種が記録されています。明治15年(1882)には、東京で202品種が紹介されるほど、カエデの品種改良は進んでいました。   


この園芸熱の高まりに伴い、品種紹介や栽培方法を解説する園芸書や植物図譜が次々と出版されました。『草木錦葉集』のように奇品(葉や花の形状が変わったもの)を集めた図譜も、当時の粋人に愛好されました。   


この時代には、薬草や生物、鉱物を研究し、その形態や効能を記録する「本草学」が盛んになり、図譜作成が重視されました。岩崎灌園の『本草図譜』は、日本初の本格的な彩色植物図鑑として、約2000種の植物を収録し、科学的正確さと芸術的価値を兼ね備えていました。これは、単なる忠実な模写ではなく、対象の生命感や生気を捉えようとする、当時の「写生」の精神が反映された結果です。   


江戸時代の園芸ブームは、単なる趣味の範疇を超え、経済的・社会的な活力を生み出しました。稀少な植物には高値がつき、時には「金生木(かねのなるき)」と呼ばれるほどの「バブル」現象も発生しました。また、武士の次男・三男など、職のない人々が園芸を洗練された趣味とし、小遣い稼ぎの手段とするなど 、当時の社会構造の中で新たな適応と経済的機会を提供しました。このような活気ある環境が、正確で美しい植物図譜への強い需要を生み出し、『槭品類図考』のような作品の誕生を後押ししたのです。   



戸時代の園芸文化と植物図譜の発展

時代区分

主要な園芸植物

流行の特徴

代表的な園芸書・植物図譜

江戸時代前期(17世紀)

ツバキ、サクラ、ウメ、ツツジ、カエデ、キク

将軍家の好みが影響、樹木中心、アサガオの変異種出現

『画菊』

江戸時代中期〜後期(18世紀中頃以降)

オモト、アサガオ、マツバラン、ハナショウブ、桜草、斑入り植物

草花が主役、奇品・変異種への熱狂、品種改良の加速

『草木錦葉集』、『花壇地錦抄』、『本草図譜』

槭品類図考
『槭品類図考』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2609083


4. 文化的意義と哲学:自然へのまなざしと「格物致知」の精神



4.1 「水墨による原形押絵」が示す美と科学の融合


『槭品類図考』に用いられた「水墨による原形押絵」という技法は、単なる記録を超えた、当時の日本人の自然に対する深いまなざしと、科学と芸術の融合を示すものです。伊藤圭介の『錦窠植物図説』にも「水墨のもの、押絵によるもの等多種である」と記されており、同様の技法が広く用いられていたことが示唆されます。   


この技法は、植物に墨を塗って紙に押し付けることで形を写す「印葉図」(拓本) の科学的な正確さと、水墨画の持つ芸術的な表現力を組み合わせたものです。印葉図は、葉脈などの微細な特徴を忠実に、かつ短時間で記録できる実用的な方法であり、西洋の植物学の影響を受けて発展しました。一方で水墨画は、墨の濃淡やにじみ、かすれ、ぼかしといった技法(三墨法、破墨法、撥墨法、たらし込み法など)を駆使し、対象の質感や立体感、さらには生命感を表現する東洋絵画の伝統です。   


江戸時代の「本草画」は、本草学の影響を強く受け、「写生」の精神が発展しました。これは単なる忠実な模写ではなく、対象の「気」(生命感)や「生気」を捉えようとする姿勢に通じていました。『槭品類図考』における「水墨による原形押絵」は、この「写生」の精神を具現化したものであり、植物の形態を精密に記録しつつ、墨の表現を通じてその生命力や美しさを引き出すことを目指しました。これは、科学的な有用性(正確な記録)と芸術的な価値(感動的な美しさ)をシームレスに統合する、日本独自の美的実用主義の好例と言えます。当時の文化は、科学と芸術を対立するものとしてではなく、相互に補完し合うものとして捉え、知識の探求と美の創造を一体として進めていたことを示しています。   



4.2 カエデに託された日本人の精神性


カエデは、その色彩の移ろいや繊細な葉の形から、単なる植物以上の象徴的な意味を日本文化の中で担ってきました。『槭品類図考』は、こうしたカエデへの深い愛着と、自然の真理を探求する日本独自の哲学が融合した結晶と言えます。

「紅葉狩り」という言葉は、平安時代の貴族が牛車での移動が困難な野山で紅葉を鑑賞する際に、品位を保つために「狩り」と表現したことに由来します。この習慣は江戸時代には庶民の間にも広まり、観光として本格化しました。また、「紅葉狩り」は、人の心を惑わせる美しい鬼女「紅葉」を武将が退治するという能や歌舞伎の演目としても語り継がれており 、カエデが持つ美しさと同時に、どこか神秘的で畏敬の念を抱かせる存在であったことを示唆しています。   


江戸時代の園芸文化では、植物個々の「絶妙な違い(個性)」を愛でる、内省的で繊細な美意識が重視されました。これは、花弁の形、模様、葉の斑入り、茎の様子など、微細な変化の中に美を見出す日本独自の審美眼の表れです。   


このような微細な観察は、当時の博物学の思想的核心であった朱子学の「格物致知(かくぶつちち)」という哲学と深く結びついています。この思想は、「森羅万象いかなるささいなものにも根本法則がある」という考え方に基づき、目の前の自然物を徹底的に観察し、その本質を究明することで、宇宙の真理に到達しようとする精神性を表していました。したがって、『槭品類図考』におけるカエデ120種の葉の形態に対する綿密な観察と記録は、単なる学術的な目録作成に留まらず、自然の持つ内在的な秩序と美を深く理解しようとする精神的な修養でもありました。伊藤圭介をはじめとする本草学者たちは、自然物の詳細な観察と分類を通じて、自己を修め、宇宙の秩序と人間の倫理的あり方を理解しようとする包括的な目的を持っていたのです。   



4.3 現代に受け継がれる『槭品類図考』の価値


『槭品類図考』は、単なる過去の遺物ではありません。その科学的記録としての正確さ、芸術作品としての美しさ、そして日本の花卉文化を理解する上での貴重な資料としての価値は、現代においても色褪せることはありません。

岩崎灌園の『本草図譜』など、当時の植物図譜は、その科学的正確さと芸術的価値から、現代のボタニカルアートにも多大な影響を与え、文化財としても高く評価され、美術館で展示されています。同様に、伊藤圭介の著作群、特に『錦窠植物図説』(『槭品類図考』が含まれる可能性が高い)は、名古屋大学附属図書館の「伊藤圭介文庫」として大切に所蔵されており、資料のデジタル化や一般公開が進められています。   


これらの図譜の継続的な保存、デジタル化、そして公開は、単なる歴史的遺物の維持に留まらず、現代の植物科学や芸術と、江戸時代に培われた豊かな文化遺産との間に架け橋を築くものです。これらの作品は、歴史的な科学的手法、芸術的技術、そして文化的な価値観に対する貴重な洞察を提供し、日本が自然環境とどのように関わってきたかの進化を深く理解する手助けとなります。現代的な手段(デジタル化)を通じてアクセス可能とすることで、未来の世代もこの科学的探求と美的感性のユニークな融合から学び、日本独自の文化遺産に対するより深い理解と評価を育むことができるでしょう。



5. 結び:未来へ繋ぐ、日本の花卉文化の魅力


『槭品類図考』は、一冊の植物図譜でありながら、日本の自然観、美意識、そして知の探求の歴史を凝縮した宝物です。伊藤圭介という一人の学者が、90歳を超える晩年まで情熱を傾けてカエデの微細な変化を記録し続けたその姿勢は、現代の私たちにも、身近な自然の中に潜む無限の美と、それを探求することの喜びを教えてくれます。

科学的な正確さを追求しながらも、芸術的な表現を忘れない日本の植物図譜は、自然を深く理解し、その中に美を見出すという日本文化の根幹をなす精神を体現しています。この科学と芸術が織りなす日本の花卉文化は、過去から現在、そして未来へと脈々と受け継がれる普遍的な魅力を持っています。この魅力に触れることで、私たちは日々の暮らしの中に新たな発見と豊かな感動を見出すことができるでしょう。



天 地 人 三巻


『槭品類図考』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2609083











参考/引用











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