金地に咲く永遠の命、静寂なる白の旋律:長谷川派「白菊図屏風」が語る日本の美と心
- JBC
- 2025年11月23日
- 読了時間: 17分
更新日:2025年12月5日
黄金の静寂への誘い
長谷川派《白菊図屏風》東京富士美術館蔵 「東京富士美術館収蔵品データベース」収蔵(https://www.fujibi.or.jp/collection/artwork/06578/)
美術館という聖域、あるいは時空を超える旅の入り口
美術館の展示室に足を踏み入れた瞬間、ふと空気が変わるのを感じたことはありませんか?
都市の喧騒、スマートフォンの通知、日々の業務に追われる現代の時間軸が、重厚な扉の向こう側で遮断され、そこには全く異なる質の時間が流れています。温度や湿度が厳密に管理されたその空間は、単なる作品の保管場所ではありません。それは、過去の偉大な魂たちが呼吸し続け、現代の私たちに無言の対話を求めてくる「聖域」なのです。
東京富士美術館。この場所には、日本の美意識が凝縮された一双の屏風が静かに、しかし圧倒的な存在感を持って佇んでいます。それが、今回ご紹介する長谷川派による「白菊図屏風」です。
想像してみてください。かつて蛍光灯やLEDといった人工的な光など存在しなかった時代。日が落ちれば、世界は深い闇に包まれました。その闇の中で、頼りになるのは揺らめく蝋燭の灯りや、行灯のわずかな明るさだけでした。武家屋敷の奥深く、広間の襖を開け放った先に置かれた一双の屏風。金箔が敷き詰められたその画面は、頼りない炎の光を鋭敏に捉え、増幅し、空間全体を黄金色に染め上げていたはずです。その黄金の宇宙の中に、ぼんやりと、しかし確かな物質感を持って浮かび上がる白い菊の花々。それらはまるで月光を浴びて自ら発光しているかのような、幽玄な輝きを放ち、見る者を幻想の世界へと誘ったことでしょう。
花卉園芸文化の視点から紐解く「描かれた植物」
私たち日本花卉文化株式会社は、植物という生命が織りなす文化の深層を探求し続けています。通常、美術作品としての屏風は「誰が描いたか(筆者)」「いつ描かれたか(時代)」「どのような様式か(美術史的意義)」という文脈で語られることが大半です。しかし、私たちはそこに「何が描かれているか(植物学的視点)」と「なぜその植物が選ばれたのか(園芸文化的視点)」という新たなレイヤーを重ね合わせたいと考えます。
なぜ、日本人はこれほどまでに「菊」を愛し、それを黄金の空間に閉じ込めようとしたのでしょうか? そして、なぜ長谷川派の描く菊は、他の流派のそれとは異なり、見る者の心にこれほど深く、清冽な印象を残すのでしょうか? そこには、単なる装飾を超えた、日本人特有の自然観、死生観、そして美意識が複雑に絡み合っています。
本記事では、専門的な美術史の知見と、植物への深い愛情を交差させながら、この名品が語りかける日本の心、そして花と緑が織りなす文化の深淵へと、皆様をご案内いたします。美術ファンの方はもちろん、日頃ガーデニングや生け花に親しんでいる方、あるいは「なんとなく日本文化を知りたい」と思っている方にとっても、この屏風は、日本人の自然観を紐解くための最良の鍵となるはずです。
1. テーマの概要:東京富士美術館所蔵 長谷川派「白菊図屏風」とは
1.1 作品の基本データと物理的構造
まず、私たちが向き合っているこの作品がどのような物理的存在であるか、その輪郭を詳細に明らかにしていきましょう。東京富士美術館が所蔵する「白菊図屏風」は、桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した絵師集団「長谷川派」の手によるものです。
屏風という形式は、現代の住環境では馴染みが薄いかもしれませんが、日本建築においては極めて機能的かつ象徴的な調度品でした。「風を屏(ふせ)ぐ」という名の通り、部屋の間仕切りや風よけとしての機能を持つ一方で、折り畳めばコンパクトに収納でき、広げれば巨大なパノラマ画面が出現する「可動式の壁画」でもあります。
この「白菊図屏風」において特筆すべきは、以下の二つの要素の対比です。
要素 | 素材・技法 | 視覚的効果と象徴的意味 |
金地(きんじ) | 金箔(Gold Leaf) | 背景に隙間なく敷き詰められた金箔は、現実の風景を超越した「無限の空間」あるいは「聖なる領域」を創出します。物理的には光を反射する照明装置の役割も果たします。 |
白菊(しらぎく) | 胡粉(Gofun)+盛り上げ技法 | 日本画特有の白色顔料である胡粉を、幾重にも塗り重ねて厚みを持たせることで、花弁に物理的な立体感を与えています。 |
1.2 「盛り上げ胡粉」の錬金術
この作品の最大の技術的見どころは、長谷川派や後の琳派が得意とした「盛り上げ」と呼ばれる技法にあります。
通常、絵画は「平面」の芸術です。しかし、この屏風の菊の花びらは、画面からわずかに隆起しています。これは、胡粉という顔料の特性を極限まで活かした技法です。
胡粉は、イタボガキなどの貝殻を数年から数十年風化させ、それを粉砕し、膠(にかわ・動物の皮や骨から抽出したゼラチン質)で練り上げて作られます。つまり、胡粉とは「海の生命の死骸」から生まれた白なのです。この物質を、絵師は何度も何度も塗り重ねます。一度塗って乾かし、その上にまた塗る。この気の遠くなるような反復作業によって、花びらは物理的な厚みを持ち始めます。
この「盛り上げ」によって、屏風には二つの効果が生まれます。
触覚的な実在感: 見る者は無意識のうちに、その花びらの「重み」や「厚み」を感じ取ります。二次元の絵画でありながら、彫刻のような三次元性を帯びるのです。
陰影の微細な変化: 盛り上がった花びらのエッジ(縁)は、光を受ける角度によって極小の影を落とします。光源の位置(太陽の動きや蝋燭の揺らぎ)によって、花の表情が刻一刻と変化して見えるのです。
1.3 構図の妙――「地」と「図」の反転
画面構成に目を向けると、そこには日本美術特有の大胆なトリミングと配置が見て取れます。
西洋の静物画が、花瓶に入った花を中心に据えて背景を描き込むのに対し、この屏風では、金色の空間に菊の群生がいきなり出現します。地面(土坡)が描かれている場合でも、それは最小限に留められ、あくまで主役は「空間に浮遊する白菊」です。
ここで重要なのは、金地(背景)の面積の広さです。描かれていない部分、いわゆる「余白」が画面の多くを占めています。しかし、この金色の余白は「無」ではありません。そこには濃密な大気が満ちており、見る人の想像力を投影するためのスクリーンとなっています。長谷川派は、菊を描くことで、逆説的に「菊のない空間」の美しさを際立たせているのです。
2. 歴史と背景:乱世を生き抜いた美意識と長谷川派の挑戦
この屏風が生まれた時代背景を知ることは、作品の魅力を何倍にも膨らませてくれます。そこには、激動の歴史と、絵師たちの命がけの戦い、そして人々の祈りにも似た願いが込められているからです。
2.1 桃山から江戸へ――「黄金」と「侘び」の矛盾する共存
長谷川派が活躍したのは、安土桃山時代(16世紀後半)から江戸時代初期(17世紀前半)にかけてです。この約半世紀は、日本史上最もエネルギーに満ち溢れ、かつ文化的な価値観が劇的に変容した時代でした。
織田信長、豊臣秀吉という絶対権力者が登場し、戦国の世を統一へと導きました。彼らは自らの権威を視覚化するために、巨大な城郭や寺院を建立しました。安土城や大坂城、聚楽第といった巨大建築の内部を飾るために必要とされたのが、空間を圧倒するような「金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)」です。
薄暗い書院造りの大広間において、金箔は最高の照明装置であり、権力者の威光を増幅させる舞台装置でした。この需要に応えるべく、絵師たちは競って金を用いた豪華絢爛な作品を制作しました。
しかし、この時代は同時に、千利休によって「侘び茶」が大成された時代でもあります。
黄金の美学: 外向的、豪華、権力の誇示、極楽浄土の具現化。
侘びの美学: 内向的、質素、静寂、不完全さの肯定、精神性の追求。
一見すると正反対に見えるこの二つの美意識が、奇跡的なバランスで共存し、相互に影響を与え合っていたのが桃山文化の特異点です。
長谷川派の「白菊図屏風」は、まさにこの「黄金」と「侘び」の融合点に位置しています。背景の金地は桃山の豪華さを象徴していますが、主題である白菊の清楚な姿や、静謐な画面構成は、茶の湯に通じる精神的な静けさを表しています。派手なだけではない、どこか内省的な空気が漂うのは、長谷川派の祖である長谷川等伯が千利休と深い親交を持ち、その精神性を深く理解していたからに他なりません。
2.2 長谷川派という「レジスタンス」――巨大組織・狩野派への対抗
この作品を語る上で欠かせないのが、当時の画壇における「長谷川派」の立ち位置です。
当時、画壇の頂点に君臨していたのは「狩野派」でした。狩野永徳を筆頭とする狩野派は、織田信長や豊臣秀吉の御用絵師として、圧倒的な組織力と政治力を持っていました。彼らの画風は、太く力強い輪郭線、巨木や怪石を配したダイナミックな構図、そして武家の気迫を体現するような荒々しさが特徴でした。
これに対し、能登国(現在の石川県)から上洛した長谷川等伯は、いわば「地方出身の野心家」でした。彼は既存の権威である狩野派に真っ向から挑みました。
等伯とその一派(長谷川派)の武器は、狩野派にはない「叙情性」と「湿潤な空気感」の表現でした。
比較項目 | 狩野派(Kano School) | 長谷川派(Hasegawa School) |
線描 | 肥痩のある力強い輪郭線。構築的。 | 繊細で伸びやかな線、あるいは輪郭線を用いない「没骨法」。 |
空間表現 | 画面を埋め尽くすような巨木や岩。 | 余白(湿潤な空気)を重視。霧や霞の表現。 |
植物描写 | 威厳と形式美を重視。象徴としての植物。 | 生命感と風情を重視。風に揺れるような自然な態。 |
精神性 | 武家の権威、儒教的秩序。 | 禅宗的静寂、侘び茶の精神、法華経信仰。 |
長谷川派の描く植物は、単なる写生を超え、植物が持つ生命力や、その場の空気感までをも捉えようとします。この「白菊図屏風」においても、菊の描写には狩野派のような硬さがなく、花びらの一枚一枚が柔らかく、まるで呼吸しているかのような有機的な生命感に満ちています。これは、「型」を重んじる狩野派に対し、「心」や「風情」を重んじた長谷川派ならではのアプローチと言えるでしょう。彼らにとって菊を描くことは、単に美しい花を描くことではなく、その花が咲いている空間の「気」を描くことだったのです。
2.3 長谷川派を襲った悲劇と再生
長谷川派の歴史は、栄光と悲劇の繰り返しでした。等伯は秀吉に認められ、祥雲寺(現在の智積院)の障壁画制作という大仕事を任されます。しかし、その直前に、才能あふれる後継者であった息子の久蔵を26歳の若さで亡くします。
久蔵が描いた「桜図」に見られるような、繊細で華やかな「盛り上げ胡粉」の技法は、この「白菊図屏風」にも通じるものがあります。等伯は息子の死という絶望を乗り越え、あるいはその悲しみを昇華させるかのように、水墨画の傑作「松林図屏風」(国宝)へと到達します。
東京富士美術館所蔵の「白菊図屏風」が、等伯本人の手によるものか、あるいはその精神を受け継いだ弟子たちによるものか、厳密な特定は難しい場合もありますが(「長谷川派」とされる場合が多い)、そこには間違いなく、等伯と久蔵が到達した「胡粉による生命表現」の遺伝子が息づいています。金色の静寂の中に咲く白菊は、早逝した息子への鎮魂歌のようにも、あるいは永遠に散らない花への憧れのようにも見えてきます。
3. 植物としての「白菊」:園芸文化史からのアプローチ
美術史的な背景を押さえたところで、次は視点を変えて、「植物としての菊」に焦点を当ててみましょう。描かれているのはどのような菊なのか? なぜ菊でなければならなかったのか? 日本の園芸文化史を紐解くことで、この屏風の持つ意味がより立体的になります。
3.1 菊の渡来と「重陽の節句」――薬草から観賞花へ
そもそも、菊は日本原産の植物ではありません。
奈良時代から平安時代にかけて、中国大陸から渡来しました。当時の中国では、菊は「鑑賞するための花」である以前に、「延命長寿の霊草」として尊ばれていました。
中国の伝説に「菊慈童(きくじどう)」の話があります。罪を犯して山奥に流された少年が、菊の葉に書かれた経文から滴り落ちる露(菊の露)を飲み続けたところ、不老不死の仙人となり、700年生き続けたという物語です。
この思想は日本にも輸入され、宮中では旧暦の9月9日を「重陽の節句」とし、菊の花を酒に浮かべて飲み(菊酒)、長寿を願う儀式が行われるようになりました。
平安文学の傑作『源氏物語』や『枕草子』にも、重陽の節句の前夜に菊の花に綿を被せ、翌朝、菊の香りと露を含んだその綿(菊の着綿・きくのきせわた)で体を拭い、老いを払うという雅な習慣が描写されています。
つまり、古くから日本人にとって菊は、単なる美しい花以上に、若さを保ち、命を永らえるための「マジカルな力(呪力)を持つ植物」だったのです。
3.2 桃山・江戸初期の菊――「古典菊」への道程
長谷川派がこの屏風を描いた時代、菊の園芸化はどの程度進んでいたのでしょうか。
鎌倉・室町時代を経て、菊は貴族や寺院だけでなく、武士階級にも広まっていきました。しかし、現代の私たちが菊花展で見るような、一本の茎に巨大な花を咲かせる「大菊」が本格的に流行するのは、江戸時代中期以降のことです。
桃山時代から江戸初期にかけての菊は、まだ野生種に近い面影を残した「中菊」や「小菊」が主流であったと考えられます。しかし、この屏風に描かれた白菊をよく観察すると、野生の野菊(ノジギクやリュウノウギク)に比べて花弁の数が多く、ふっくらとした豊かな花容をしていることがわかります。これは、ある程度の品種改良(選抜)が進んだ園芸品種であることを示唆しています。
この時代、京都や大坂を中心に、菊の栽培技術が飛躍的に向上しつつありました。おそらく長谷川派の絵師たちは、当時の最先端の園芸品種であった、花弁が密集して咲くタイプの菊をモデルにしたのでしょう。
具体的には、後の「嵯峨菊(さがぎく)」や「伊勢菊(いせぎく)」といった「古典菊」の祖先にあたるような品種かもしれません。花びらが長く、少し乱れたように咲く姿は、風情を重んじる茶人たちにも好まれました。
3.3 なぜ「白」なのか?
菊には黄色、赤、紫など様々な色がありますが、この屏風では徹底して「白菊」が描かれています。
『古今和歌集』の時代になると「白菊」を詠んだ歌が現れます。
心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花 (凡河内躬恒)
この歌にあるように、白菊は「霜」や「雪」といった冬の気配と結び付けられ、季節の移ろいや、冷たく澄んだ美しさの象徴とされました。
また、色彩心理学的にも、金地との対比において、白は最も映える色です。
赤や紫の菊では、金地と喧嘩をしてしまったり、過度に派手になってしまったりする恐れがあります。しかし、「白」を選ぶことで、画面全体に高潔さと静寂をもたらすことに成功しています。長谷川派の色彩感覚の鋭さがここにあります。
4. 文化的意義・哲学:花に宿る宇宙と日本人の感性
では、この屏風は現代の私たちに何を語りかけているのでしょうか。単なる「きれいな絵」で終わらせないために、その奥にある哲学的・文化的な意義を深く掘り下げてみましょう。
4.1 物質と精神の融合――「永遠の庭」の構築
この屏風が置かれた場所を想像してください。おそらくは大名の邸宅や、有力寺院の客殿でしょう。
外の世界では、季節は絶えず移ろい、花は咲いては散っていきます。秋が過ぎれば菊は枯れ、冬の荒涼とした景色が広がります。しかし、屋敷の中にあるこの屏風の中では、白菊は永遠に満開のままです。
これは、自然の摂理(諸行無常)に対する、芸術による挑戦とも言えます。
日本人は「散りゆく桜」や「紅葉」に美を感じる「もののあはれ」の感性を持っていますが、それと同時に、美しい瞬間を永遠に留めたいという切実な願いも抱いています。特に、戦乱の世を生きた武人たちにとって、「変わらないもの」「枯れないもの」への憧れは強かったはずです。
金地(永遠・不変)の上に、胡粉(生命の痕跡)で描かれた白菊。
この屏風は、室内に出現した「枯れることのない永遠の庭」なのです。所有者はこの屏風を眺めることで、外の寒さや、自身の老い、あるいは政治的な不安を一時忘れ、永遠の春(あるいは秋)に遊ぶことができたのでしょう。
4.2 「間(ま)」の哲学――不在の美学
前述した「余白」について、もう少し深く考えてみましょう。
西洋のフラワーアレンジメント(特にマッス・デザイン)が、空間を花で埋め尽くす「足し算」の美学であるとするならば、日本の生け花や長谷川派の絵画は、何もない空間をいかに生かすかという「引き算」の美学です。
「白菊図屏風」における金色の余白は、鑑賞者の視線を誘導し、呼吸をするためのスペースです。もし画面全体が菊で埋め尽くされていたら、それは息苦しく、装飾過多な印象を与えたでしょう。
「描かないことによって、描く」。
風の流れ、光の満ち引き、そして花の香り。目に見えないそれらの要素を、余白という装置を使って表現する。これこそが日本独自の空間感覚「間(ま)」の極意です。
園芸やガーデニングを嗜む方なら共感いただけるでしょう。庭造りにおいて大切なのは、木を植えることと同じくらい、「木を植えない場所(芝生や砂利のスペース)」を作ることです。空白があるからこそ、一本の木、一輪の花が際立つのです。
4.3 「見立て」の楽しみ――霜か、月光か、星か
日本文化には「見立て」という遊び心があります。あるものを、別のものになぞらえて楽しむ精神です。
この屏風の白菊は、単なる花として描かれているだけでなく、他の自然現象に見立てられている可能性があります。
星に見立てる: 金色の背景を夜空と見なせば、点在する白菊はきらめく星々のようにも見えます。
雪や霜に見立てる: 先ほどの和歌のように、金色の地面に降りた白い霜や雪のように見えます。
光の粒子に見立てる: 闇の中で発光する、超自然的な光の塊。
見る人の心の状態や、その時の照明の具合によって、菊は様々な姿に変容します。固定的な意味を押し付けず、受け手の感性に委ねる寛容さもまた、この作品の魅力の一つです。
4.4 現代の視点から見る「装飾と精神の統合」
現代社会において、アートや植物は「生活の必需品」ではないかもしれません。しかし、「心の必需品」ではあり得ます。
長谷川派の「白菊図屏風」は、400年前の人々が、生活空間の中にいかにして「美」と「自然」を取り込み、心を豊かにしようとしたかの記録です。
彼らは、金という高価な素材を使いながらも、それを単なる富の誇示で終わらせず、精神的な静寂(白菊)と融合させました。物質的な豊かさと、精神的な豊かさ。現代人が求めてやまないこの二つのバランスを、彼らは見事に実現していたのです。
おわりに:現代の暮らしに「一輪の菊」を
東京富士美術館所蔵の長谷川派「白菊図屏風」を巡る旅、いかがでしたでしょうか。
屏風というキャンバスの上で展開される、金と白の交響曲。
それは、長谷川派という情熱的な絵師集団の技術の結晶であり、日本人が古来より抱いてきた「菊」への畏敬の念の表れであり、そして永遠の美を求める祈りの形でした。
この屏風は教えてくれます。
自然は美しいけれど、それは一瞬で過ぎ去ってしまう。だからこそ、人は芸術を生み出し、庭を作り、その美しさを心に刻もうとするのだと。
もし、あなたが今度、お花屋さんで菊の花を見かけたら、あるいは庭先で小菊が咲いているのを見つけたら、ぜひ思い出してください。その可憐な姿の背後には、何百年もの間、人々が憧れ、愛し、屏風の中に永遠に残そうとした、壮大な美の歴史が流れていることを。
そして、菊という花が、かつては不老長寿の薬であり、黄金の空間に咲く聖なる花であったことを。
最後に、一つ提案があります。
もし機会があれば、ぜひ東京富士美術館へ足を運び、実物の「白菊図屏風」の前に立ってみてください。
印刷物やスマートフォンの画面越しでは、あの「盛り上げ胡粉」の厚みや、金箔の深みのある輝きを完全に感じることはできません。実物の前に立ち、自分の視点を動かしたとき、初めて菊の花びらが光を捉えて変化する様を目撃できるはずです。その時、あなたは400年前の武人や茶人と同じ視点に立ち、同じ感動を共有することになるでしょう。
植物を知ることは、歴史を知ること。
そして美術を知ることは、私たちの心の中に眠る感性を呼び覚ますこと。
日本花卉文化株式会社は、これからも、花と緑を通じて、豊かな文化の物語を皆様にお届けしてまいります。あなたの日々の暮らしの中に、一輪の菊のような清らかな彩りがありますように。
参考/引用






