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漆工と絵画の両方で優れた才能を発揮した柴田是真の画帖:是真画帖

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2024年12月14日
  • 読了時間: 16分

更新日:6月21日



想像してみてください。一輪の花の儚い美しさ、葉のささやき、あるいは植物の静かな佇まいが、単に見るだけでなく、深く感じられ、丹念に捉えられ、そして永続的な芸術へと昇華される世界を。これこそが、歴史と深い美的鑑賞に彩られた日本の花卉/園芸文化の本質です。この文化は、移ろいゆく自然の美しさを捉え、それを形として後世に残そうとする人々の願いが込められています。花や植物が持つ一瞬の輝きを、永続的な芸術作品として記録する試みは、日本の美意識の根幹をなす「もののあわれ」の精神に通じ、季節の移ろいを慈しむ心と、それを永遠に留めたいという人間の普遍的な願望が融合したものです。

今日、私たちは柴田是真という稀代の巨匠の芸術的遺産を探る旅に出ます。是真は絵画と漆芸の境界を越え、「是真画帖」として知られる素晴らしい作品群を残しました。これらは単なる図版ではありません。過ぎ去りし時代への窓であり、自然の精神と真の芸術家の独特な感性を映し出しています。是真の作品は、具体的な芸術作品を通じて、日本の複雑な文化概念へと読者を誘う入口となります。彼の鋭い眼差しと革新的な技法を通して、私たちは日本の植物との関係が持つ本質的な魅力と哲学的深みを再発見することでしょう。これは、日本文化に初めて触れる人々にとっても、その奥深さを知るリピーターにとっても、新たな発見と感動をもたらす体験となるはずです。



1. 「是真画帖」とは:漆芸と絵画が融合した稀代の画譜



1.1. テーマの概要:多才な芸術家の集大成


「是真画帖」とは、幕末から明治時代にかけて活躍した稀代の芸術家、柴田是真が手がけた多岐にわたる作品を収録した画譜の総称です。この画帖は、単一の完成された作品を指すのではなく、彼の卓越した画力と多様な表現技法を凝縮した、貴重な資料群として理解されています。


特に注目すべきは、東京藝術大学大学美術館に95冊もの「写生帖」が所蔵されている点です。これらの写生帖は、是真の芸術活動の根幹をなすものであり、彼の創作の過程や探求の軌跡を示す重要な記録です。これらの画帖は、精密な描写、大胆な構図、そして洒脱な色彩感覚によって見る者を魅了します。また、絵画だけでなく、書や詩の作品が含まれることもあり、是真の芸術活動における様々な表現形式の相互作用を反映していると言えるでしょう。   



1.2. 内容と特徴:自然と日常への深い眼差し


「是真画帖」の主なテーマは、自然と日常生活です。花鳥、風景、動物、人物など、身近なものを題材に、卓越した描写力で生き生きと描かれています。例えば、「是真髤画帖」には竹竿に吊るされた亀のようなユニークなモチーフも描かれ、彼の観察眼とユーモアのセンスが光ります。これらの画帖は、是真が単に写実的な描写に留まらず、対象の本質やそこに宿る生命感を深く捉えようとした姿勢を示しています。   


画帖の中には、是真が創案した「漆絵」の作品も含まれています。これは、紙や絹に色漆で描くという画期的な技法であり、油絵のような濃く厚い色彩感や光沢を、日本の伝統的な漆の材料で表現しようとした試みでした。漆絵は、当時の日本画にはない深みと艶やかな質感を持ち、是真の革新的な精神を象徴しています。この技法の開発は、是真が西洋絵画の表現力に注目しつつも、日本の伝統素材である漆の可能性を最大限に引き出そうとした、独自の芸術的探求の表れです。是真は、異なる芸術形式や素材の特性を深く理解し、それらを融合させることで、新たな表現の地平を切り開きました。   


東京藝術大学大学美術館に所蔵される写生帖は、昭和20年(1945)に戦災で焼失した明治宮殿の「千種之間」天井画の下絵(112枚)など、大規模な作品制作のための基礎資料としても用いられました。これらの写生は、単なる下書きに留まらず、鋭い観察に基づく流麗かつ確実な線で精緻に描かれた植物表現そのものが、独立した芸術作品として鑑賞に値すると評価されています。さらに、これらの写生帖は、現代のデザインの参考資料としても高い魅力を持つと指摘されており 、是真の観察力とデザイン感覚が時代を超えて評価されていることを示しています。   


「是真画帖」は、単なる完成された作品集ではなく、是真の創作活動全体を映し出す多面的な芸術的実験室として機能していました。そこには、彼の絶え間ない探求心、新しい表現への挑戦、そして伝統と革新を融合させようとする芸術家の魂が凝縮されています。


表1:柴田是真「是真画帖」の多角的な側面

側面

詳細

画譜の定義

柴田是真が手がけた多岐にわたる作品を収録した画譜の総称。単一の作品ではなく、写生帖や下絵、完成された漆絵なども含む資料群。

主な内容

花鳥、風景、人物、器物など、自然と日常生活を題材とした作品が中心。書や詩が添えられることもあった。

表現技法

精密な写生に基づく描写力、大胆な構図、洒脱な色彩感覚。特に、紙や絹に漆で描く「漆絵」は是真の革新的な技法。

特徴

優れた画力と観察眼、豊かな表現力、ユーモアとウィットに富んだ表現。漆芸と絵画の境界を越えた独自の表現形式。

役割

芸術的探求と記録の場、大規模作品制作の下絵・写生資料、後進の育成のための教育資料、現代のデザイン資料。



2. 柴田是真の生涯と「是真画帖」が生まれた時代背景



2.1. 生い立ちと修業時代(文化4年/1807年~文政13年/1830年頃)


柴田是真は文化4年(1807)、江戸の両国橋2丁目に宮大工の家系に生まれました。父が浮世絵を学んでいたこともあり、幼い頃から芸術に親しむ環境で育ちました。このような家庭環境は、是真が幼少期から多様な芸術に触れる機会を与え、是真の多才な才能が開花する土壌となりました。   


11歳の時、是真は蒔絵師の古満寛哉に弟子入りし、蒔絵の技術を習得します。しかし、是真は単に図案に頼るだけでなく、自ら独創的な下絵を描ける職人を目指しました。この目標を達成するため、16歳で四条派の画家、鈴木南嶺に師事し、日本画を学び始めます。少年期からの蒔絵と日本画の並行学習は、後の彼のユニークな芸術スタイルの礎となりました。是真は、漆工芸という伝統的な技術に、絵画で培った構図力と表現力を融合させるという、当時としては画期的なアプローチを追求し始めました。   


20歳で蒔絵師として独立する頃には、当時人気の浮世絵師・歌川国芳が是真の絵に感動し、弟子入りを申し込んだという逸話も残されており、是真の才能が早くから広く認められていたことが伺えます。   



2.2. 画家としての評価と蒔絵師としての苦難、そして転機(文政13年/1830年頃~天保11年/1840年)


文政13年(1830)、是真は24歳で絵画の研鑽を深めるため京都へ遊学し、岡本豊彦四条派の絵画を学びました。京都では絵画のみならず漢字も学び、頼山陽や香川景樹らとの交流を通じて見聞を広げ、人脈を築きました。この京都での経験は、是真の芸術家としての視野を大きく広げ、後の多角的な創作活動に繋がる重要な期間となりました。   


1年後に江戸に戻り、師・鈴木南嶺に絵を見せたところ、その飛躍的な進歩に感嘆され、これを機に「是真」の号を称するようになりました。しかし、画家としては評価を得たものの、蒔絵師としてはなかなか評価がされず、苦しい下積み時代を経験しました 。この時期の苦難は、是真が自身の芸術的アイデンティティを確立する上で重要な肥やしとなったことでしょう。   


転機が訪れたのは天保11年(1840)、34歳の時でした。江戸の住吉明徳講からの依頼で王子稲荷神社に奉納した「鬼女図額面」が大変な評判を呼び、一躍その名が知られることになります 。この作品は、是真の卓越した画力を世に知らしめ、本格的に漆芸家・絵師として精力的な活動を開始するきっかけとなりました。   



2.3. 国際的な活躍と「最後の江戸職人」としての地位確立(天保11年/1840年~明治24年/1891年)


「鬼女図額面」以降、是真は漆芸家・絵師として精力的に活動を展開しました。是真の人気は日本国内に留まらず、明治6年(1873)のウィーン万国博覧会に「富士田子浦蒔絵額面」を出品し進歩賞牌を受賞したことで、「ZESHIN」として海外にもその名が轟きました。明治9年(1876)のフィラデルフィア万国博覧会でも賞牌を受けるなど、国内外の博覧会で数々の賞を受賞し、国際的な評価を確立しました。   


是真は、失われた技法である「青海波塗」を復元(天保16年/1845)し、さらに「青銅塗」「四分一塗」「鉄錆塗」「砂張塗」「紫檀塗」「墨形塗」といった斬新な「変わり塗り」の新技法を生み出しました。特に、紙や絹に色漆で描く「漆絵」は、是真が確立した独自の画法とされています。これらの技術革新は、伝統的な漆工芸の枠を超え、漆の新たな表現可能性を追求する是真の強い意志を示しています。   


明治天皇の御用を務め、明治23年(1890)には初代帝室技芸員の一人にも任命されました。これは、是真の芸術が国家レベルで認められたことを意味し、彼が伝統と近代化の架け橋となる重要な役割を担ったことを示します。明治24年(1891)に85歳で亡くなるまで、幕末から明治という激動の時代の中で常に学びを忘れず、芸術に生涯を捧げたことから、「最後の江戸職人」と称されています。彼は単なる「最後の」職人ではなく、伝統を深く理解しつつも、西洋文化の流入という時代の変化に積極的に対応し、日本の芸術を新たな時代へと導いた「最初の」近代芸術家の一人であったと言えます。   



2.4. 「是真画帖」の制作経緯と目的の考察


提供された資料には、「是真画帖」という特定の画帖が制作された具体的な経緯や目的について直接的な記述はありません。しかし、是真が「写生帖」を多数制作し、それらが東京藝術大学大学美術館に95冊所蔵されていることや、明治宮殿「千種之間」の天井画下絵(112枚)が含まれていることから、その制作には複数の目的があったと推測されます。   


まず、是真の画帖は、彼の芸術的探求と記録のための重要な手段でした。是真は生涯を通じて新しいものへの探求心が強く、研究・制作を続けました。写生帖は、彼の鋭い観察眼と卓越した描写力で、自然や日常生活のあらゆるモチーフを記録し、自身の芸術表現の基礎を築くための重要な手段であったと考えられます 。これらの画帖は、是真が自身の技術と表現の幅を広げるための「芸術的実験室」として、絶えず活用されていたことを示唆しています。   


次に、画帖は教育資料としての役割も果たしていました。東京藝術大学大学美術館に所蔵される是真の写生帖や下絵は、完成された美術作品以上に、教育資料として収集・保管されてきました。これらは学生たちにとって大切な勉強材料であり、インスピレーションの源となっています。是真自身も晩年は後進の育成に力を注いでおり、画帖は弟子たちへの技術継承や、美術教育の一環として活用された可能性が高いです。これは、是真が単に個人の芸術を追求するだけでなく、日本の美術全体の発展と次世代の育成にも深く貢献しようとしていたことを物語っています。   


さらに、写生帖に描かれた植物表現は、単なる絵画としてだけでなく、現代のデザインの参考資料としても高い魅力を持つと評価されています。これは、是真が漆工芸の下絵を描くために画技を必要としたことから、是真の画帖が実用的なデザインの源泉としても機能していたことを示唆します。このように、「是真画帖」は、是真の個人的な創作活動を支えるだけでなく、日本の美術教育やデザイン分野にも多大な影響を与え、その価値は現代においても高く評価され続けています。   


表2:柴田是真 生涯の主要な出来事と芸術的貢献

年(西暦)

和暦

出来事/活動

貢献/特筆事項

1807年

文化4年

江戸両国橋2丁目に生まれる。

宮大工の家系で芸術に親しむ環境。

1818年

文化15年

11歳で蒔絵師・古満寛哉に入門。

蒔絵技術の基礎を習得。

1822年

文政5年

16歳で四条派画家・鈴木南嶺に入門。

日本画を学び、蒔絵と絵画の融合の礎を築く。

1826年

文政9年

20歳で蒔絵師として独立。

歌川国芳が弟子入りを申し込むほどの才能。

1830年

文政13年

24歳で京都へ遊学、岡本豊彦に師事。

絵画の研鑽を深め、人脈を広げる。

1831年

天保2年

江戸に戻り、鈴木南嶺より「是真」の号を贈られる。

画家としての評価を確立。

1840年

天保11年

34歳で王子稲荷神社に「鬼女図額面」を奉納。

一躍有名になり、漆芸家・絵師として精力的に活動開始。

1845年

弘化2年

幻の技法「青海波塗」を復元。

「変わり塗り」など新技法を次々と生み出す。

1873年

明治6年

ウィーン万国博覧会に「富士田子浦蒔絵額面」を出品。

進歩賞牌を受賞し、「ZESHin」として国際的に名を馳せる。

1876年

明治9年

フィラデルフィア万国博覧会でも賞牌を受賞。

国内外の博覧会で多数の賞を受賞し、国際的評価を確立。

1890年

明治23年

初代帝室技芸員に任命される。

国家レベルでの芸術的貢献が認められる。

1891年

明治24年

85歳で逝去。

「最後の江戸職人」として、激動の時代に芸術を捧げた生涯。



3. 「是真画帖」が伝える文化的意義と哲学:自然への眼差しと「粋」の精神



3.1. 自然観と美意識:写生が育む生命の表現


柴田是真の「是真画帖」に描かれた花鳥や植物は、単なる写実を超えた生命感に満ちています。是真の作品は、自然の細部まで鋭く観察し、その本質を捉える写生に基づいています。例えば、明治宮殿の「千種之間」天井画の下絵に見られる植物表現は、デザイン的な美しさと写生に基づく精緻な描写が絶妙な調和を見せています。これは、是真が対象を深く見つめ、その生命の輝きを余すところなく画面に写し取ろうとした結果です。   


金地の使用は、画面に深みと豊かな光沢を与え、植物の生命力と自然の美を際立たせています。これは、日本の伝統的な美意識である「陰翳礼賛」にも通じる、光と影、そして素材の持つ質感を深く追求する姿勢を示唆します。是真は、四季折々の花々を情趣豊かな色彩で表現し、季節の移ろいの瞬間を捉えることに長けていました。是真の植物画は、日本の花卉/園芸文化が武家から庶民へと広がり、身近な生活の中に植物を取り入れて楽しむようになった江戸後期の風潮を反映しています。是真の画帖は、当時の人々が植物に抱いていた愛情や、自然との共生という精神性を視覚的に伝えています。是真の作品は、単に自然を描写するだけでなく、その中に流れる時間や、生命の循環といった深遠な哲学を表現しているのです。   



3.2. 「粋」(いき)と「遊び心」の表現:伝統と革新の融合


是真の作品全体からは「江戸らしさ」や「粋」の精神が強く感じられます。是真の作品における「粋」は、単なる都会的な洗練に留まらず、日常の自然の中に潜む控えめな美しさ、機知、そして洒脱な表現を見出す美意識を指します。是真の作品には、精密な描写の中に大胆な構図やユーモアとウィットに富んだ表現が随所に見られ、見る者を魅了します。例えば、竹竿に吊るされた亀の描写や、「だまし漆器」と呼ばれる技法に見られるように、是真は見る者を驚かせ、楽しませる仕掛けを巧みに作品に織り込みました。   


特に、是真が確立した「漆絵」や「変わり塗り」の技法は、伝統的な漆工芸の枠を超えた革新性を示しています。漆を用いて木材や金属、墨などの異素材の質感を巧みに再現する「だまし漆器」  は、是真の卓越した技術と同時に、見る者を楽しませる遊び心に満ちています。これは、単なる技巧の披露ではなく、伝統的な素材と技術でいかに新しい表現を創造するかという、是真の芸術哲学の表れです。是真は、伝統を深く理解し、それを基盤としながらも、常に新しい表現を追求し続けました。文明開化の波が押し寄せる明治期にあっても、是真は伝統的な蒔絵技法を基盤としつつ、新時代にふさわしい意匠や造形を工夫し、独自の芸術を確立しました。彼の作品は、伝統と革新が融合した、まさに「江戸の粋・明治の技」を体現していると言えるでしょう。   



3.3. 美術史における位置づけと現代的意義


柴田是真は、幕末から明治にかけて活躍した漆芸家であり画家として、日本美術史において非常に重要な位置を占めています。彼は絵画で培った構図力と漆工芸の技術を融合させ、驚異的な作風を確立し、現在の日本美術界に不可欠な存在とされています。特に、漆工と絵画の両方で優れた才能を発揮し、その二つの顔を持ち合わせていたからこそ生まれた「独自の表現形式」は、美術史における彼の独自性を際立たせています。   


帝室技芸員への任命や、ウィーン万博をはじめとする国内外の博覧会での受賞は、彼の芸術が国際的にも高く評価されていた証です。是真は、日本の伝統工芸を世界に紹介し、その価値を広める上で極めて重要な役割を果たしました。是真の写生帖は、東京藝術大学大学美術館に多数所蔵されており、教育資料として、また現代のデザインの参考資料としても活用され続けています。これは、是真の作品が単なる過去の遺産ではなく、現代のクリエイターや研究者にとっても貴重なインスピレーション源であり続けていることを示しています。   


現代においても、是真の作品は国内外のコレクターから高値で取引されており、その価値は再評価されています。東京国立博物館での展覧会で「漆絵画帖」が展示されるなど 、是真の作品は今もなお多くの人々に鑑賞され、日本の美意識や伝統文化を伝える重要な役割を担っています。是真の芸術は、伝統を継承しつつも時代に合わせて進化する日本の美の精神を象徴し、その影響は現代の美術やデザインにも深く浸透しています。   



表3:柴田是真の芸術哲学と「是真画帖」における具現化

哲学/美意識の側面

「是真画帖」における具現化(具体例・特徴)

自然観

鋭い観察に基づく精緻な写生。植物の生命力や季節の移ろいを表現。金地を用いた深みと光沢による生命感の強調。

「粋」の精神

洗練された洒脱な表現、ユーモアとウィットに富んだモチーフの選択(例:竹竿の亀)。控えめながらも見る者を惹きつける美意識。

伝統と革新の融合

伝統的な蒔絵技術を基盤としつつ、「漆絵」や「変わり塗り」といった新技法を創案。漆で油絵のような表現を追求。

漆絵の表現意図

日本画にはない濃厚な色彩感と光沢を漆で表現。紙や絹に描くことで、漆工芸と絵画の境界を越えた新たな芸術形式を確立。



結論


柴田是真の「是真画帖」は、単なる芸術作品の集積に留まらない、多層的な文化的意義を持つ存在です。この画帖は、是真が漆芸家と画家という二つの顔を融合させ、伝統を深く尊重しつつも、常に新しい表現を追求し続けた稀有な芸術家の軌跡を鮮やかに示しています。是真の作品は、一瞬の美しさを永遠に留めようとする日本の美意識、そして日常の中に「粋」を見出す江戸文化の精神を具現化しています。

「是真画帖」は、是真の個人的な芸術探求の場であると同時に、明治宮殿の装飾といった大規模な国家プロジェクトの下絵、さらには後進の育成のための教育資料としても機能しました。是真の写生帖に見られる植物の精緻な描写とデザイン的な感性は、現代のデザイナーにとっても貴重なインスピレーション源であり続けています。

幕末から明治という激動の時代において、是真は日本の伝統美術が西洋文化と出会う中で、その独自性を保ちつつ新たな価値を創造する道を示しました。是真の革新的な「漆絵」や「変わり塗り」の技法は、日本の漆工芸と絵画の可能性を広げ、国際的な評価を獲得しました。

「是真画帖」を通じて、私たちは日本の花卉/園芸文化が、武家から庶民へと広がり、人々の生活に深く根ざしていった様子を垣間見ることができます。是真の作品は、植物への深い愛情と、自然との共生という日本人の精神性を視覚的に伝え、現代を生きる私たちに、その奥深い魅力を再発見する機会を提供しています。柴田是真の芸術は、過去と現在、そして未来を繋ぐ貴重な文化遺産として、今後も日本の美意識と花卉文化の真髄を伝え続けることでしょう。





柴田是真 画『是真画帖』国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12939007









参考/引用







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