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筆と庭と祭りと:日本の躑躅を巡る物語

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 3月29日
  • 読了時間: 9分

序章:日本の文化における躑躅の鮮やかなる彩り


ツジ属(Rhododendron)に属する躑躅は、春から初夏にかけて日本の街や庭園を彩る、ひときわ目を引く花木です。その鮮やかな色彩と多様な形態は、古来より日本人の心を捉え、単なる美しい植物としてだけでなく、文化、芸術、そして精神生活の様々な側面に深く根付いてきました。本稿では、躑躅が日本の文化において担ってきた多岐にわたる役割を、象徴的な意味合い、文学や芸術における表現、庭園や景観との関わり、関連する祭りや行事、そして伝統的な用途といった側面から詳細に考察します。






歴史を彩る花:時代を超えた躑躅の文化的意義


日本における躑躅への文化的関心の歴史は古く、数世紀にわたります。7世紀の奈良時代には、皇太子である草壁皇子の邸宅を躑躅が飾っていた記録があり、11世紀の文学作品『源氏物語』にも、主人公の光源氏が愛する紫の上のために、春を愛でる庭に躑躅を植えたという記述が見られます。これらの初期の記録は、貴族階級における躑躅の美に対する認識と鑑賞を示唆しています。   


江戸時代(1600年以降)に入ると、躑躅はかつてないほどの人気を博しました。それまで主流であったボタンやツバキといった花木から、園芸家たちの関心は躑躅へと移り、全国で新たな品種の探索と栽培が盛んに行われました。この時期には、園芸が一部の富裕層の趣味から、より広い階層の人々に楽しまれるものへと変化しましたが、躑躅はその普及に大きく貢献しました。1692年には、躑躅に関する最初の書籍である『錦繡枕(きんしゅうまくら)』が出版され、当時の躑躅への広範な関心が窺えます。この書物では、躑躅がツツジとサツキの二つの主要なグループに分類されており、その後の日本の園芸における躑躅の分類の基礎となりました。江戸時代には、「つつじ見」という言葉が生まれるほど、躑躅を鑑賞する園芸文化が一大ブームとなり、躑躅は日本の園芸史において重要な位置を占めることになったのです。   



錦繍枕

伊藤伊兵衛『錦繍枕 5巻』[1],松会三四郎,元禄5 [1692]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2557565





筆墨に宿る情景:日本の文学と詩における躑躅


躑躅は、日本の豊かな文学と詩の世界においても、重要な役割を果たしてきました。8世紀に編纂された日本最古の歌集『万葉集』には、子供を恋しく思う母親の悲しみを躑躅に例えた歌が収められています。また、同じく『万葉集』には、美しい乙女を躑躅に重ねた歌も見られ、古くから躑躅が人々の感情や美意識を表現する象徴として用いられていたことがわかります。   


古典的な詩歌集である『古今和歌集』には、岩に咲く躑躅が言葉に出せない恋心を象徴する歌が収録されており、躑躅が繊細な感情を表現する手段として用いられていたことが示唆されます。俳句の世界においても、躑躅は春の季語として親しまれてきました。松尾芭蕉は、琵琶湖畔の宿で見た情景を「躑躅生けてその陰に干鱈割く女」と詠み、日常の風景の中に躑躅の存在を捉えています。北村季吟の句には「姫つつじ」が登場し、特定の品種が詩に詠まれることもありました。このように、躑躅は日本の文学や詩において、自然の美しさの描写に留まらず、人々の感情や情景を豊かに表現するための重要な要素として用いられてきたのです。



文学


水伝ふ礒の浦廻の岩つつじ茂く咲く道をまたも見むかも  日並皇子宮舎人『万葉集』


風早の美穂の浦廻の白つつじ見れども寂しなき人思へば  河辺宮人『万葉集』


竜田川いはねのつつじ影みえてなほ水くくる春のくれなゐ  藤原定家『新続古今集』


思ひ出づるときはの山の岩つつじ言はねばこそあれ恋しきものを  よみ人しらず『古今集』


俳句


つゝじいけて其陰に干鱈さく女  松尾芭蕉「泊船集」


ひとり尼わら屋すげなし白つゝじ  松尾芭蕉「芭蕉句選拾遺」


大文字や谿間のつゝじ燃んとす  与謝蕪村「蕪村全句集」


大原や躑躅の中に蔵たてて  与謝蕪村「蕪村遺稿」


庭芝に小みちはありぬ花つつじ  芥川龍之介「澄江堂句集」


山躑躅の花
山躑躅の花



彩りを添える美:日本の芸術と工芸における躑躅


躑躅の鮮やかな色彩と優美な姿は、日本の伝統的な芸術や工芸においても、繰り返し描かれてきました。浮世絵の世界では、葛飾北斎が躑躅とホトトギスを描いた作品や、歌川豊国 (初代) が躑躅の花の下で襟を洗う女性を描いた作品など、自然や人物と組み合わせて躑躅が描かれる例が見られます。これらの作品は、躑躅が当時の人々の生活や美意識と深く結びついていたことを示しています。また、花鳥画の分野では、幸野楳嶺が「躑躅に山鳩」を描くなど、自然の美しさを追求する中で躑躅が重要なモチーフとして用いられました。   


工芸品においても、躑躅は装飾的なモチーフとして活用されてきました。漆器の分野では、躑躅と蔦の意匠が施された提箱(手箱)が見られるように、その美しい形状が工芸品の装飾に用いられています。また、着物の型染めに用いられる型紙(伊勢型紙)にも、躑躅の緻密な文様が彫り込まれたものが存在し、日本の染織文化においても躑躅が重要な役割を果たしていたことがわかります。さらに、盆栽の世界では、サツキツツジがその樹姿や花つきの良さから珍重され、皐月盆栽展などが開催されるなど、生きた芸術としての躑躅の魅力が追求されています。これらの事例から、躑躅は日本の芸術と工芸において、自然の美を表現するだけでなく、職人たちの技術や美意識を体現するモチーフとして、幅広く活用されてきたと言えるでしょう。   


楳嶺花鳥画譜 躑躅
楳嶺『楳嶺花鳥画譜 躑躅・〔ヤマバト〕』,明治16. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1312816



自然との調和:日本庭園と景観における躑躅の役割


躑躅は、日本庭園の設計と美学において、欠かすことのできない存在です。その常緑性であることと、剪定によく耐える性質から、年間を通して庭園に緑を提供し、春には鮮やかな花を咲かせるため、庭園設計において重要な役割を担っています。日本の庭園では、躑躅は刈り込みによって丸みを帯びた形状や、うねるような曲線など、様々な形に整えられ、冬には庭園の骨格を形成し、春には息をのむような花の絨毯を作り出します。個々の躑躅を植え込んだものが「大刈込(おおかりこみ)」、全体を一つの塊のように刈り込んだものが「玉物(たまもの)」と呼ばれ、どちらも日本の庭園において季節感と視覚的なインパクトを与えます。

日本には、ツツジとサツキという二つの主要な園芸品種群があり、それぞれ庭園における役割が異なります。ツツジは一般的に4月から5月にかけて開花し、比較的コンパクトな樹形を持ち、日当たりにも強いため、刈り込みに適しています。一方、サツキは5月から7月にかけて開花し、ツツジよりも樹勢が強く、葉も光沢があり、豊富な花つきが特徴で、庭園の景観作りや盆栽にも適しています。特に、刈り込みの技術は、日本庭園における躑躅の魅力を最大限に引き出すための重要な要素であり、自然の風景を凝縮したような庭園空間を創り出す上で、欠かせない技術と言えるでしょう。







花を愛でる宴:日本における躑躅に関連する祭りや行事


日本各地には、躑躅の開花時期に合わせて、その美しさを称える様々な祭りや行事が開催されます。これらの「つつじ祭り(躑躅まつり)」は、地域の人々が集い、躑躅の美しさや香りを楽しみながら、春の訪れを祝うものです。例えば、沖縄県の本島北東岸にある東村では、3月上旬から躑躅祭りが始まり、東京都文京区の根津神社では、4月上旬から5月上旬にかけてつつじ祭りが開催され、多くの人々で賑わいます。群馬県館林市のつつじが岡公園も躑躅の名所として知られ、祭り期間中は多くの観光客が訪れます。これらの祭りでは、多種多様な躑躅が咲き誇り、その壮観な景色は訪れる人々を魅了します。

根津神社のつつじ苑には、約3000株、100種類以上の躑躅が植えられており、早咲き、中咲き、遅咲きの品種が植栽されているため、比較的長い期間にわたって躑躅を楽しむことができます。東村のつつじ祭りも1976年から毎年開催されており、約5万株の躑躅が咲き誇り、多くの観光客を魅了しています。これらの祭りや行事は、単に躑躅の美しさを鑑賞するだけでなく、地域文化の振興や観光客の誘致にも貢献しており、躑躅が地域社会においても重要な役割を果たしていることを示しています。






多彩なる姿:日本における躑躅の主な品種


日本には、古くから多くの躑躅の品種が存在し、それぞれに特徴と文化的な意義があります。クルメツツジは、江戸時代に久留米藩(現在の福岡県)で盛んに栽培され、多くの園芸品種が生まれ、西洋にも広く知られています。サツキは、旧暦の5月(現在の6月頃)に開花することから名付けられ、江戸時代から盛んに品種改良が行われてきました。その花色や花形の多様さは特筆すべきもので、盆栽としても非常に人気があります。キリシマツツジは、九州の霧島山に自生するミヤマキリシマ(深山霧島、Rhododendron kiusianum)を中心に、赤紫色の鮮やかな花を咲かせます。

これらの代表的な品種以外にも、日本には多様な自生種や園芸品種が存在します。例えば、中部地方以北に分布するゴヨウツツジ(五葉躑躅、Rhododendron quinquefolium)は、5枚の葉をつけるのが特徴で、白く清楚な花を咲かせます。これらの多様な品種は、日本の気候風土に適応し、それぞれの地域で独自の文化的な結びつきを育んできました。

品種名

主な特徴

文化的な意義・用途

クルメツツジ

江戸時代に久留米で育成された多様な園芸品種。花色、花形が豊富。

庭園、鉢植え、海外でも人気。

サツキ

旧暦5月開花。花色、花形が非常に豊富。

庭園、盆栽に利用。皐月盆栽展など、独自の文化を持つ。

キリシマツツジ

九州の霧島山に自生するミヤマキリシマが代表的。鮮やかな赤紫色の花。

自然景観として重要。祭りや観光資源となる。

ゴヨウツツジ

葉が5枚つく。白く清楚な花。

山岳地帯の自然美を代表する。

ツツジ(広義)

4-5月開花。比較的コンパクト。刈込に適する。

日本庭園の主要な構成要素。大刈込、玉物など、庭園美を形成。






さいごに:日本の文化に息づく躑躅の永続的な存在


躑躅は、日本の文化において、単なる美しい植物という枠を超え、象徴的な意味合い、文学や芸術における表現、庭園や景観との調和、関連する祭りや行事、そして伝統的な用途といった多岐にわたる側面から、深く根付いてきました。その鮮やかな色彩と多様な形態は、古来より日本人の心を捉え、美意識や自然観を育む上で重要な役割を果たしてきました。文学作品や絵画、工芸品など、様々な芸術表現の中に躑躅の姿を見出すことができ、また、日本庭園においては、その剪定技術を通じて、自然と人間の調和を象徴する存在となっています。各地で開催される躑躅祭りは、地域社会の繋がりを深め、文化的な伝統を継承する場として、今もなお重要な意味を持っています。

躑躅が持つ様々な象徴的な意味合いは、日本の繊細な感情表現や、自然に対する深い敬意を表しており、その多様な品種は、日本の豊かな自然と、人々の園芸文化への情熱を物語っています。かつては、生活の知恵として、あるいは信仰の対象としても用いられてきた躑躅は、現代においても、その美しさで私たちの心を豊かにし、日本の文化的な景観を彩り続けています。このように、躑躅は日本の文化遺産において、これからも永続的に重要な存在であり続けるでしょう。



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