『竹園草木図譜』の概要
『竹園草木図譜』は、江戸時代後期の幕臣、貴志忠美が著した植物図譜です。 忠美が自ら観察し、写生した植物が描かれており、 植物の形態、特徴、名称などが詳細に記録されています。
貴志忠美とその時代
貴志忠美は、江戸時代後期の幕臣です。 幕府において小納戸から駿府町奉行まで昇進し、 500石の家禄を食んでいました。 忠美は、植物学に深い関心を持ち、自ら植物を写生し、『竹園草木図譜』を著しました。
忠美が生きた時代は、本草学が盛んに研究されていた時代です。本草学とは、中国から伝わった薬用植物の知識を基に、日本の動植物を研究する学問です。 この時代には、多くの本草学者が植物図譜を制作し、植物の形態や薬効などを記録しました。 忠美もまた、そうした本草学者の一人であり、『竹園草木図譜』は、当時の植物学研究の一端を担うものでした。
『竹園草木図譜』の内容と特徴
『竹園草木図譜』には、外来植物に関する記録が多く含まれています。 江戸時代、海外との交易は制限されていましたが、オランダとの交流を通じて、様々な文物が日本にもたらされました。同時に、それらの文物に付着していた植物の種子なども持ち込まれ、日本で栽培されるようになりました。
特に興味深いのは、弘化3年(1846年)にオランダから贈られた器物の箱に詰め物として使われていた枯草に種子が付着しており、それを蒔いたところウマゴヤシに似た葉を持つ見慣れない白花が咲いたという記述です。 これは、現在のクローバーの渡来事情と和名シロツメクサ(白詰草)の由来を示す貴重な記録です。 この記録は、当時の日本人が外国の文物や植物に対して強い関心を持っていたこと、そして、海外との文化交流が植物の伝播にも影響を与えていたことを示す好例と言えるでしょう。
『竹園草木図譜』と他の植物図譜
『竹園草木図譜』は、江戸時代に制作された数多くの植物図譜の一つです。 この時代には、本草学の隆盛を背景に、様々な植物図譜が制作されました。
例えば、岩崎灌園の『本草図譜』は、約2000種の草木を収録した大規模な植物図譜です。 灌園は、既存の本草書の図があまりに簡略で不満だったため、自ら各地を巡って植物を写生し、詳細な図譜を作成しました。
また、毛利梅園の『梅園草木花譜』は、花を描くことにこだわった美しい植物図譜です。 梅園は30年という歳月をかけて17冊もの図譜を描き上げ、江戸の人々が見た草花を当時の姿のまま記録しました。
これらの図譜と比較することで、『竹園草木図譜』の特徴や貴志忠美の植物観が見えてくる可能性があります。
『竹園草木図譜』の意義
『竹園草木図譜』は、江戸時代後期の植物学研究、特に外来植物の渡来に関する貴重な資料です。忠美の詳細な観察記録は、当時の植物相を知る上で重要な手がかりとなります。また、図譜として美しい植物画は、美術的な価値も高く、多くの人々に鑑賞されています。
結論
『竹園草木図譜』は、幕臣・貴志忠美が作成した植物図譜であり、江戸時代後期の植物学研究における貴重な資料です。外来植物に関する記録も多く含まれており、当時の植物相や文化交流を知る上で重要な手がかりとなります。
この図譜は、単なる植物の記録にとどまらず、当時の社会や文化を反映した貴重な資料と言えるでしょう。忠美の観察眼と記録に対する情熱は、現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれます。
〔貴志朝暾//画〕『竹園草木図譜』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1286940