風雅なる日本の心象風景:「秋草図屏風」に宿る琳派の美
- JBC
- 9月9日
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更新日:9月13日

澄んだ秋の空のもと、風にそよぐ一叢の草花に、私たちは何を想うのでしょうか。それは、万葉の昔から千年の時を経て受け継がれてきた、日本人特有の繊細な心の動きです。江戸時代初期、琳派の絵師・俵屋宗雪が描いた《秋草図屏風》は、まさにこの美意識の結晶と言えるでしょう。豪華な金地を背景に、はかなくも美しい秋の草花が、まるで風に揺れているかのように生命を宿して描かれています。本稿では、この壮麗な屏風を紐解きながら、その背後にある深い文化と哲学の旅へとご案内します。
1. 俵屋宗雪の《秋草図屏風》:悠久の時を映す傑作の概要
1.1. 作品の基本情報と静かなる存在感
《秋草図屏風》は、江戸時代前期(17世紀)に制作された、紙本金地着色の六曲一双の屏風であり、現在は重要文化財に指定され、東京国立博物館に所蔵されています。この作品は、金地に薄く緑色が塗られた地面の起伏と、そこに咲き乱れる秋草の配置が協調し、画面全体に波状の動きを生み出しているのが特徴です。
美術品としての特異な点は、右隻と左隻の配置を入れ替えても、地面の起伏がシームレスにつながるよう計算された構図にあります。このような設計は、鑑賞者に画面の奥に広がる野原の奥行きを感じさせると同時に、どこまでも続く秋の情景を想像させ、作品に神秘的な魅力を加えています。
1.2. 琳派の系譜に連なる俵屋工房の継承者
この傑作の作者である俵屋宗雪は、江戸時代初期に活躍した琳派の絵師です。宗雪は琳派の創始者の一人である俵屋宗達の後継者として知られており、宗達の工房を継承しました。宗雪は宗達と同じ「伊年」という印を用いており、この事実は単なる個人の署名ではなく、俵屋工房というブランドの「登録商標」のような役割を果たしていたことを示唆します。
宗雪が宗達の子、弟、あるいは弟子であったかについては諸説ありますが 、宗達が存命していた頃から工房の主要な絵師であったことが確認されています。この工房は、単一の天才の才能に依存するのではなく、確立された技術と制作システム、そして経営的な連続性を持つ専門家集団として機能していました。宗達の死後、その技術とブランドが宗雪に引き継がれ、さらに宗雪の後継者である喜多川相説にも「そうせつ」という名が引き継がれたという事実は 、俵屋工房が個人の名声を超えた、確固たる制作集団であったことを物語っています。
1.3. 屏風から読み解く、秋の野の物語
《秋草図屏風》には、萩、薄、女郎花、芙蓉、菊など、様々な秋の草花が描かれています。作品は単に写実的な花を描くのではなく、地面の起伏と草花の配置が協調して波状の動きを作り出すことで、まるで澄んだ秋の風が野原を吹き抜けていくかのような感覚を鑑賞者に与えています。
多くの植物が描かれているにもかかわらず、色合いは白、緑、黄色系にまとめられており、作品全体に爽やかで統一された印象を与えています。特に、両端に描かれた菊には、貝殻の粉から作られる白い顔料「胡粉」が厚く盛り上げられており、視覚的な美しさだけでなく、触覚的な奥行きも感じさせる工夫が凝らされています。

2. 琳派の継承者、俵屋宗雪の歴史と背景
2.1. 宗達から宗雪へ:俵屋工房の継承と専門家集団としての足跡
俵屋宗雪は、琳派を語る上で欠かせない存在です。宗雪は、琳派を創始した俵屋宗達の工房を引き継ぎ、その画風と技術を後世に伝えました。宗雪が宗達と同じく「伊年」の印を使用していた事実は、単なる師弟関係を超え、宗達が築き上げたブランドと様式が、工房という組織的な基盤を通じて継承されていたことを示しています。
この継続性は、俵屋工房が個人の天才に依存する一時的な存在ではなく、確立された技術と独自の装飾様式を持つ専門家集団であったことを証明しています。宗雪は、宗達の奔放で大胆な画風を継承しつつも、自身の繊細な感性を加えることで、俵屋ブランドを新たな次元へと引き上げました。これは、日本の絵画史上において、単なる模倣ではなく、ブランドの発展と革新を示唆する重要な事例と言えるでしょう。
2.2. 京から金沢へ:加賀藩前田家との深い縁
宗雪は、はじめ京都で活躍しましたが、寛永19年(1642年)頃に加賀金沢へ移り、前田家の御用絵師として仕えるようになりました。この地方への移動は、中央の都で生まれた琳派の装飾様式が、地方の有力な大名家によっていかに高く評価され、受容・発展していったかを示す重要な歴史的背景です。宗雪の作品は、加賀の文化と融合し、新たな展開を見せたと考えられます。
2.3. 平板に非ず、繊細で大胆な宗雪の画風と技法
琳派は、その華麗な装飾美と抽象化された表現で知られていますが 、宗雪の作品には独自の繊細さと工夫が見られます。《秋草図屏風》に見られるいくつかの技術は、それを象徴しています。
2.3.1. 胡粉と金泥が織りなす独特の造形美
作品の基調となる金地には、淡い緑の絵具が薄く塗られており、これによって地面の緩やかな起伏が表現されています。また、画面両端の菊の花には、貝殻を砕いて作られる胡粉が厚く盛り上げられており、これは視覚的な美しさだけでなく、草花の生命力や触感を彷彿とさせます。これらの技法は、単なる平面的な装飾ではなく、見る者に草花が持つ独特の質感や存在感を伝えようとする宗雪の試みであると解釈できます。
2.3.2. 動と静を表現する構図の妙
《秋草図屏風》は、金地という抽象的な空間に、秋草という具体的なモチーフを配置することで、独特の動と静の対比を創り出しています。宗達の大胆な筆致やクローズアップとは異なり、宗雪の作品は「一種無機的な静謐さ」や「慎重さ、機知を抑えた落ち着き」と評されることがあります。
これは、宗雪が単なる装飾美を追求したのではなく、風にそよぐ草花の「動」と、その中に宿る秋の野の「静けさ」や「空間性」を表現しようとした姿勢を示唆します。金地という非現実的な空間に、波状に配置された草花が共鳴し合うことで、鑑賞者は風の流れを感じ、そしてその静寂の中で草花が持つ本質的な美しさを深く見つめることができるのです。この動と静の融合こそが、宗雪の作品を単なる絵画を超えた哲学的な表現へと昇華させています。

3. 秋の七草に託された、日本人の美的哲学
3.1. 万葉集に始まる「秋草」への想い
日本の花卉文化における「秋草」への特別な想いは、遠く万葉集にまで遡ります。奈良時代の歌人・山上憶良が詠んだ「秋の七草」の歌がその起源です。春の七草が食用として親しまれてきたのに対し、秋の七草は古来、その可憐な姿を「鑑賞して楽しむ」文化として育まれてきました。これは、日本人が実用性だけでなく、自然の美しさそのものを尊んできた心の現れであり、その美意識は平安時代の貴族文化から近世の工芸品、そして現代の生活にまで脈々と受け継がれています。
3.2. 季節の移ろいと人生のはかなさ:「もののあわれ」が彩る秋草図の精神性
宗雪の《秋草図屏風》は、単なる植物の描写を超えて、日本人の根源的な美意識である「もののあわれ」を深く表現しています。「もののあわれ」とは、平安時代の美的理念であり、自然や人事の儚さに触れたときに心に生じる、しみじみとした感動を意味します。兼好法師が『徒然草』の中で「もののあわれは秋こそまされ」と記したように 、日本人は古来、草木が枯れていく秋の寂寥の中にこそ、この美意識の極致を見出してきました。
屏風に描かれた秋草は、風にそよぎ、やがて朽ちていく植物です。宗雪は、この儚くも美しい命を、永続的な素材である金地に定着させました。これは、一瞬の美を永遠に閉じ込めることで、見る者に人生の無常や、それを見つめる静かなる感動という、「もののあわれ」の哲学を視覚的に伝えているのです 。《秋草図屏風》は、鑑賞文化としての秋草の伝統を継承しつつ、同時に日本人の心の奥底にある哲学を、絢爛たる装飾美の中に昇華させた傑作であると言えるでしょう。
3.3. 表:秋の七草と日本の文化
秋の七草は、それぞれが固有の文化的意味を持っています。以下にその一覧を示します。
和名(別名) | 植物としての特徴 | 文化的な意味・象徴 |
萩(ハギ) | 晩夏から秋に赤紫の小花を咲かせる落葉低木 | 風にそよぐ姿に風情があり、万葉の時代から愛される |
尾花(オバナ) | イネ科の多年草。ススキの別名 | 中秋の名月を飾る習わしがある |
葛(クズ) | 根のでんぷんは葛粉となり、薬としても利用される | 風に葉裏が見えるため「裏見草」と呼ばれ、「恨み」とかけて歌に詠まれる |
撫子(ナデシコ) | 清少納言が『枕草子』で絶賛 | 日本女性の奥ゆかしさやたおやかさを象徴する「大和撫子」の語源 |
女郎花(オミナエシ) | 「をみな(女性)」を圧倒する美しさから名付けられた | 美人を思わせる花 |
藤袴(フジバカマ) | 香りが良く、平安時代には香水として利用された | 環境省の準絶滅危惧種に指定 |
朝貌(アサガオ) | 現在の朝顔ではなく、桔梗を指すのが定説 | 武家の家紋として広く使われ、特に明智光秀の家紋が有名 |
4. 現代に響く屏風のメッセージ:花卉文化と「秋草図」
4.1. 伝統が息づく現代の暮らしと秋草
「秋草」のモチーフは、古くから着物(小袖)や様々な工芸品(漆工、陶磁、金工、染織など)に広く用いられてきました。これは、秋草が単なる季節の景物ではなく、人々の生活に深く根ざした模様であったことを示しています。現代においても、このモチーフは着物、和菓子、そして庭園のデザインなどに生き続けており、伝統と現代の繋がりを強く感じさせます。
4.2. 琳派が提示する、花卉デザインの新たな可能性
宗雪の《秋草図屏風》に見られる抽象化された美しさ、動と静の融合は、現代のフラワーデザインやガーデニングにも通じる、尽きることのないインスピレーションに満ちています。自然をありのままに再現するのではなく、その本質や精神性をデザインとして昇華させる琳派の姿勢は、現代の花卉文化が目指すべき一つの方向性となり得るでしょう。自然の美を再解釈し、生活空間に新たな感動を創り出す、この屏風は、伝統と革新が共存する日本花卉文化の深淵を教えてくれます。
4.3. 屏風から広がる、日本花卉文化の深淵
《秋草図屏風》は、単なる絢爛豪華な絵画ではありません。それは、琳派という流派の継承、京と地方を結ぶ文化交流、そして万葉集から続く日本人の繊細な美意識という、複数の歴史的、文化的要素が複雑に絡み合った芸術作品です。この屏風を通して、私たちは、日常の中に潜む花や植物の美しさ、そしてその背後にある深い歴史と哲学に、改めて気づくことができるでしょう。宗雪の作品は、遠い過去の遺産ではなく、現代を生きる私たちに語りかける、生きた日本の心の象徴なのです。
下段 左右隻入れ替え 重要文化財 員数:6曲1双 作者:俵屋宗雪筆 時代世紀:江戸時代・17世紀 品質形状:紙本金地着色 法量:(各)158.5×362.6 所蔵者:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-11190?locale=ja






