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風に響く古の歌:万葉集の秋の七草と日本の心

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 8月19日
  • 読了時間: 13分


1. 花野への誘い


空気が澄みわたり、陽光がやわらかな金色を帯び始める頃、日本の野山は静かな変容の季節を迎えます。夏の濃い緑は次第に落ち着きを取り戻し、風が草木を揺らす音には、どこかもの寂しくも心地よい響きが混じります。古来、日本人はこのような秋の草花が咲き乱れる野辺を「花野(はなの)」と呼び、その移ろいゆく風景を愛でてきました。

桜の華やかな饗宴や、燃えるような紅葉狩りとは異なり、秋の花野の魅力はより静かで内省的です。そこには、足元にひっそりと咲く、素朴な野の花々の姿があります。今から1300年以上も昔、奈良時代の歌人によって選び出された七種類の草花、「秋の七草」。これらは単なる植物のリストではありません。一見すると地味なこれらの花々は、一体どのようにして、一つの国の文化的なアイデンティティ、自然との関わり、そして独自の美意識の深淵を解き明かす鍵となり得るのでしょうか。この稿では、秋の七草というレンズを通して、日本の精神文化の奥深くへと分け入る旅にご案内します。




2. 詩的遺産の誕生


秋の七草という文化は、一人の歌人が詠んだ二首の歌から始まりました。それは、日本の精神史における静かな、しかし決定的な転換点を示すものでした。



2.1. 万葉集における山上憶良の歌


その起源は、現存する日本最古の歌集『万葉集』に収められた、奈良時代の歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)の歌に遡ります。

秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 (巻八・一五三七)
萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花 また藤袴 朝貌(あさがお)の花 (巻八・一五三八)

一首目で「秋の野に咲く美しい花を指折り数えてみれば、七種類あります」と宣言し、続く二首目でその具体的な名前を挙げています。この憶良による「キュレーション」とも言うべき選定が、これら七つの植物を秋を象徴する花として日本の文化に深く刻み込むことになりました。

ここで一つの謎が浮かび上がります。歌にある「朝貌の花」は、現代私たちが知るアサガオとは異なります。研究者の間では、これは桔梗(ききょう)を指すというのが定説となっています。当時の「朝貌」は特定の品種名ではなく、「朝に咲く美しい花」の総称であったと考えられています。



2.2. 目で味わう宴:春の七草からの美的転換


「七草」と聞くと、多くの人が正月に食べる「春の七草」を思い浮かべるでしょう。しかし、両者の間にはその目的に根本的な違いがあります。

春の七草(セリ、ナズナなど)は、冬の間に不足しがちな滋養を摂り、一年の無病息災を祈願するために粥にして「食べる」ものです 。それは自然の生命力を身体に取り込む、実用的で生命維持に根差した文化です。

対照的に、秋の七草は「観賞する」ためのものです 。その目的は、秋の野山を彩る花々の慎ましい美しさを眺め、季節の移ろいを感じ、詩歌を詠むといった、純粋に美的・精神的な活動にあります。これは、自然を単なる資源としてだけでなく、深い感情や哲学的思索を呼び起こす存在として価値を見出す、文化的な成熟を示す重要な一歩でした。秋の七草の成立は、自然との関わりにおいて、精神的な糧を求める文化が花開いた瞬間を象徴しているのです。



2.3. 民の詩人:なぜ憶良の選択が重要だったのか


この文化的な選定を行ったのが山上憶良であったという事実は、秋の七草の精神性を理解する上で極めて重要です。憶良は、宮廷の華やかな恋愛や儀礼を中心に詠んだ多くの歌人とは一線を画していました。彼の作品は、貧しい人々の苦しみや老いの悲しみ、子を思う親心といった、人間の普遍的な感情に深く根差した社会性と人間愛に満ちています。その代表作が、困窮した農民の生活をリアルに描いた「貧窮問答歌」です。

このような憶良の視点は、彼が選んだ七草にも色濃く反映されています。彼が選んだのは、貴族の庭を飾る豪華な牡丹や舶来の珍しい花ではありませんでした。萩、薄、葛といった、ごくありふれた野山の植物、つまり当時の人々が日常的に目にしていた里山の風景の一部だったのです。この選択は、美が宮殿の庭だけに存在するのではなく、名もなき民衆の生活空間にこそ、慎ましくも力強く根付いているという憶良の哲学的な宣言でした。秋の七草は、彼の深い共感と人間愛から生まれた、きわめて民主的でヒューマニスティックな美の表現なのです。



3. 七草の肖像:日本の心を描く花の語彙


七草の一つひとつは、単なる植物以上の意味を持ち、日本人の感情や価値観を映し出す豊かな語彙となっています。ここでは、それぞれの花の文化的肖像を詳しく見ていきましょう。



3.1. 萩 (ハギ):憂愁としなやかな強さの花


マメ科の落葉低木である萩(学名: Lespedezaは、しなやかに垂れる枝先に赤紫色の小さな花を無数につけます。そのうつむき加減の風情から「思案」や「内気」といった花言葉が生まれました。『万葉集』では最も多く詠まれた植物で、その数140首以上にも及び、秋の寂しさや鹿、露と結びつけられることが多くあります。しかし、萩の魅力はその繊細さだけではありません。細い枝は折れにくく、厳しい環境でも力強く再生する性質を持つことから「柔軟な精神」という花言葉も持ち合わせています。この奥ゆかしさと強靭さの二面性は、柔よく剛を制すという日本の価値観と共鳴し、武家の家紋にも採用されるほどでした。





3.2. 尾花/薄 (オバナ/ススキ):野辺に揺れる儚い威厳


秋の風景に欠かせない薄(学名: Miscanthus sinensisは、その穂が動物の尾に似ていることから「尾花」と呼ばれました。どんな荒れ地でもたくましく育つ生命力から「活力」や「生命力」といった花言葉を持つ一方で、秋が深まるにつれて枯れていく姿は「隠退」や「憂い」といった感傷的なイメージも喚起します。特に中秋の名月には、稲穂の代わりとして豊作を祈願するために飾られる重要な存在です。かつては茅葺屋根の材料など、生活に密着した実用的な植物でしたが 、時を経て、秋の盛りの輝きと、その後に訪れる静かな衰退の両方を象徴する、詩的なシンボルへと昇華されました。





3.3. 葛 (クズ):生命力と情念の蔓


マメ科の蔓性植物である葛(学名: Pueraria lobataは、驚異的な繁殖力で知られています。その尽きることのないエネルギーは「活力」「芯の強さ」といった花言葉の源泉です。文学の世界では、他の木々に絡みつく様が男女の強い絆にたとえられました。また、風に吹かれると葉裏の白い部分が見えることから「裏見草(うらみぐさ)」とも呼ばれ、「恨み」という言葉とかけて、叶わぬ恋の情念を表現するのに用いられました。日本では葛粉や漢方薬の葛根湯として古くから生活に役立てられてきましたが、海外ではその強すぎる生命力から「グリーンモンスター」と恐れられることもあります。この事実は、自然の荒々しい側面さえも文化の中に巧みに取り込み、価値を見出してきた日本人の自然観を物語っています。





3.4. 撫子 (ナデシコ):優美なる美の理想


繊細な切れ込みの入った花弁が可憐な撫子(学名: Dianthus superbus L.は、日本の理想的な女性像「大和撫子」の語源となった花です。その名は、我が子を「撫でる」ように可愛らしいことに由来すると言われています。花言葉は「純愛」「貞節」など、その清楚な姿にふさわしいものですが、一方で英語では「boldness(大胆)」という花言葉も持ちます。この意外な一面は、大和撫子のイメージが単なるか弱さではないことを示唆しています。川原のような厳しい環境でも凛として咲く姿は、内に秘めた強さと気高さを象徴しており、その理想像に深みを与えています。





3.5. 女郎花 (オミナエシ):美女を圧倒する花


夏から秋にかけて、粟粒のような小さな黄色の花を傘状に咲かせる女郎花(学名: Patrinia scabiosifolia。その名は、美女さえも「圧(へ)す」ほど美しいことに由来するという説があります。花言葉も「美人」「はかない恋」「親切」と、その優雅な姿を反映しています。『源氏物語』にも登場し、平安貴族の女性たちの庭を彩る人気の花でした。しかし、この花には興味深い二面性があります。その見た目の美しさとは裏腹に、醤油が腐ったような独特の匂いを放つのです。このため、生薬としては「敗醤(はいしょう)」、つまり「腐った醤」という名で呼ばれていました。視覚的な美と嗅覚的な不快感の同居は、完璧ではないものの中に美を見出す、成熟した美意識の表れと言えるでしょう。





3.6. 藤袴 (フジバカマ):記憶を呼び覚ます香り


藤袴(学名: Eupatorium japonicumは、淡い藤色の小さな花が袴のように見えることからその名がつきました。この花の最大の特徴は、生花の時よりも、刈り取って乾燥させた葉や茎から放たれる、桜餅に似た甘く懐かしい香りにあります。この特性から、「あの日を思い出す」「優しい思い出」といった、ノスタルジックな花言葉が生まれました。平安時代の貴族たちはこの香りを愛し、匂い袋やお香の原料として珍重しました。藤袴の美は、目の前にある姿形だけでなく、過ぎ去った時や記憶の中にこそ存在する、という極めて洗練された美意識を体現しています。





3.7. 桔梗 (キキョウ):変わらぬ愛を誓う気品の花


風船のように膨らんだ蕾が、やがて星形に開く姿が印象的な桔梗(学名: Platycodon grandiflorum。古来、紫は高貴な色とされ、その凛とした佇まいから「気品」「誠実」といった花言葉が与えられました。また、「永遠の愛」「変わらぬ愛」という花言葉は、戦に赴いた夫を待ち続けた妻の悲恋の物語に由来すると言われています。その物語の悲劇性にもかかわらず、花言葉自体は非常に肯定的です。これは、真実の愛は困難や別離、時には死によってこそ証明され、その価値を増すという、ロマンティックでありながらも奥深い日本人の死生観や愛情観を反映しています。その気高い姿は武士にも好まれ、明智光秀の家紋としても有名です。





4. 文化的意義と哲学


秋の七草は、単に美しい花々の集まりではありません。それは、日本人の自然観、美意識、そして死生観が凝縮された、哲学的な存在です。



4.1. 生きている風景:古典時代の日本の自然観


『万葉集』が編まれた奈良時代や、それに続く平安時代の人々にとって、自然は征服すべき対象ではなく、人間と深く結びついた、生命と霊性に満ちた世界でした。山や川、草木一本一本に神が宿ると信じられ、人々は自然に対して畏敬の念を抱きながら共生していました。秋の七草が選ばれた背景には、こうした自然との一体感、つまり人間もまた、巡る季節の中で咲き、やがては散っていく草花と同じ、大きな生命の環の一部であるという思想がありました。



4.2. 無常の美学:なぜこの慎ましい花々が選ばれたのか


この文化の核心には、「もののあはれ」という日本特有の美的理念が存在します。これは、万物が移ろいゆくことの避けられない現実に対し、深い共感とともに、その儚さの中にこそ真の美しさを見出す感受性です。

秋の七草は、この「もののあはれ」を完璧に体現しています。彼女たちの美しさは、豪華絢爛さや永続性にあるのではありません。むしろ、風にしなやかに揺れる繊細さ、盛りが短くやがては枯れゆく運命、そして生命が静かに収束していく秋という季節との結びつきの中にこそ、その本質があります。華やかさの頂点ではなく、その後のゆるやかな衰退の過程に美を見出すこの感性は、人生の儚さを知り、それを受け入れる日本人の精神性と深く共鳴するのです。



4.3. 文学の庭:古典文学における感情の象徴として


この哲学は、古典文学の中で洗練された表現手法として確立されました。秋の七草は、登場人物の心情や物語の雰囲気を暗示する、高度な「言葉」として機能したのです。

例えば、紫式部の『源氏物語』では、女郎花が優美な女性の住む邸の象徴として描かれ 、藤袴はその名が巻名になるほど重要な役割を果たします。一方、清少納言は『枕草子』で、「草の花はなでしこ」と撫子を絶賛する一方で、薄に対しては「秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ(秋の野の趣はなんといっても薄だ)」と述べ、その風情を高く評価しています。これらの草花は、平安貴族たちの洗練された美的語彙の一部であり、それを知ることは、彼らの心の機微を理解することに他なりませんでした。



5. 現代に息づく伝統


1300年の時を経て、秋の七草と私たちの関係は変化しました。かつて野にありふれていた花々は、今や新たな意味を帯びて私たちの前に姿を現します。



5.1. ありふれた野辺から、守るべき存在へ:保全の物語


山上憶良が七草を選んだ理由の一つは、それらが人々の身近に咲くありふれた存在だったからです。しかし、現代においてその状況は一変しました。開発による自生地の消失などにより、かつての花野の風景は失われつつあります。特に桔梗や藤袴は野生での個体数が激減し、環境省のレッドリストで準絶滅危惧種に指定されるほど希少な存在となってしまいました。

この現実は、私たちに一つの皮肉な、しかし重要な事実を突きつけます。「ありふれたものの美」を讃えるために始まった文化が、今や「失われゆくものの尊さ」を語る文化へと変化したのです。現代において秋の七草を愛でるという行為は、単なる季節の楽しみを超え、失われつつある自然環境と、それに根差した文化遺産の両方を守り、次世代に伝えていくという、意識的な保全活動としての意味合いを帯びるようになっています。



5.2. 今日の楽しみ方:庭園、芸術、そして日々の暮らしの中で


幸いなことに、この豊かな文化に触れる方法は今も数多く残されています。全国の植物園や、埼玉県長瀞町の七草寺のように、秋の七草をテーマにした散策路を整備している寺社を訪れるのも良いでしょう。また、薄など比較的手に入りやすいものは、お月見のしつらえに取り入れることで、古の風習を家庭で再現できます。

さらに、茶道(茶の湯)や華道の世界では、秋の七草は季節感を表現するための重要な花材として今も大切に扱われています。一輪の花から秋の野全体の気配を感じさせる、そうした日本の伝統芸術の中に、七草の精神は脈々と受け継がれています。



5.3. 創造的表現:現代のいけばなと詩歌に見る七草


秋の七草の伝統は、過去のものではありません。現代の芸術家たちによって、今も新しい命が吹き込まれています。現代のいけばな作品では、桔梗の紫と紅葉した葉を組み合わせ、一つの器の中に凝縮された秋の色彩を表現したり、薄や女郎花、萩などを大胆な構成で生け込み、自然の野にあるかのような躍動感を再現したりと、多様な表現が見られます。

また、俳句や短歌の世界においても、七草は「季語」として詠み継がれています。これらの花々が詠み込まれた一句に触れる時、私たちは1300年前の山上憶良と同じように、一つの花を通して秋という季節の深淵を覗き見ることができるのです。



6. 結び:花野が語る言葉に耳を澄ませて


秋の七草は、単なる七種類の植物ではありません。それは、自然の移ろい、美の儚さ、そして人生の機微を理解するための、詩的で哲学的な語彙の集積です。

この記事の冒頭で誘った、秋の花野を思い出してみてください。そこに咲く一輪一輪の花は、ただ静かに佇んでいるだけではありません。それらは、民衆の暮らしに寄り添った歌人の優しい眼差し、移ろいゆくものにこそ美を見出す「もののあはれ」の心、そして、たとえその姿が希少になってもなお、私たちの心に響き続ける豊かな文化の物語を、今も静かに語りかけています。

この秋、ぜひ少し足を止め、身近な野辺に目を向けてみてください。そこに萩や薄の姿を見つけたなら、どうかただ眺めるだけでなく、その花が語りかける奥深い物語に、そっと耳を澄ませてみてはいかがでしょうか。そこには、時代を超えて受け継がれてきた、日本の心の響きが聞こえてくるはずです。


梅蝶楼国貞『紫式部げんじかるた 廿八 野分』,蔦屋吉蔵,安政4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1305095



参考/引用











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