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雪華に灯る紅き富の階梯:一両から億両へ、日本人の精神が紡ぎ出した冬の庭の物語

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 12月1日
  • 読了時間: 17分

静寂の庭に隠された「富」の系譜


冬の日本庭園に足を踏み入れると、そこは一見して静寂と無彩色の世界に支配されているかのように映ります。落葉樹はその枝を寒空に晒し、地面は霜柱によって持ち上げられ、生命の息吹は厚い土の下で春を待つ深い眠りについているかのようです。しかし、目を凝らしてその景色を眺めれば、白雪と緑葉のコントラストの中に、鮮烈な色彩の点描画が隠されていることに気づくでしょう。それは、冬枯れの季節にこそ際立つ、宝石のような「赤」。厳しい寒さの中で生命の火を燃やし続ける、縁起物植物たちの姿です。  

日本の花卉/園芸文化において、これらの赤い実をつける植物たちは、単なる観賞の対象を超えた特別な意味を与えられてきました。それは「富」への希求であり、厳しい冬を乗り越えるための「魔除け」の祈りでもあります。興味深いことに、先人たちはこれらの植物に、当時の通貨単位である「両」の名を冠しました。一両、十両、百両、千両、万両。そして近代に入り、その階梯は億両へと至ります。  

なぜ、植物に金銭の単位がつけられたのでしょうか。それは単なる現世利益への欲望の表れなのでしょうか、それとも、言葉遊び(判じ物)を好んだ江戸の粋な精神の結晶なのでしょうか。本稿では、この「一両から億両」に至る縁起物植物の系譜を紐解きながら、それぞれの植物が持つ生物学的な特徴、歴史的背景、そして日本人がそれらに託した精神性や哲学について、深く掘り下げていきます。それは、植物図鑑の頁をめくるような知識の旅であると同時に、日本人の「幸福観」の変遷を辿る精神の旅路でもあります。



第一章:縁起物植物の階梯 —— 赤い実の序列と基礎知識


まず、この物語の主役たちを紹介しましょう。一両から億両まで、数字が大きくなるにつれて植物としての格が上がるわけではありませんが、それぞれの名前には、実の数や大きさ、あるいは葉の美しさに対する先人たちの観察眼と美意識が反映されています。これらの植物の多くは、冬に赤い実をつける常緑低木です。分類学上は異なる科に属するものも含まれますが、「冬の赤い実」という共通項が、それらを一つの「縁起物ファミリー」として結びつけています。  


以下の表は、それぞれの植物の基本的な特徴と、文化的背景を整理したものです。

名称(通貨単位)

和名・別名

科名・属名

実の特徴と位置

象徴的意味・哲学

一両 (1)

アリドオシ(蟻通し)

アカネ科アリドオシ属

鋭い刺を持ち、葉の付け根に1〜2個の実をつける

「有り通し(恒久性)」・魔除け・困難を貫く意志

十両 (10)

ヤブコウジ(藪柑子)

サクラソウ科ヤブコウジ属

葉の下に隠れるように少数の実をつける

謙虚・清貧・「山橘」としての古典的美

百両 (100)

カラタチバナ(唐橘)

サクラソウ科ヤブコウジ属

葉と同列の高さに実をつける

高貴・選ばれし者の富・江戸の教養

千両 (1,000)

センリョウ(千両)

センリョウ科センリョウ属

葉の上に高く掲げるように実をつける

利益・商売繁盛・陽気・外向的な成功

万両 (10,000)

マンリョウ(万両)

サクラソウ科ヤブコウジ属

葉の下に垂れ下がるように多くの実をつける

蓄財・徳・陰徳・内向的な充実・家督の継承

億両 (100,000,000)

ミヤマシキミ(深山樒)

ミカン科ミヤマシキミ属

枝先に密集して大きな赤い実をつける

現代的繁栄・圧倒的富・限界を超える願望

 

この序列は、単に実の数が多い順という説もあれば、実の大きさや、かつての市場価値(投機的な園芸ブーム)に由来する説など、複合的な要因で形成されてきました。特に江戸時代中期以降、「マンリョウ(万両)」の名が定着するにつれ、それと比較する形で他の植物にも名が与えられていった経緯があります。次章より、それぞれの植物が持つ物語を一つずつ紐解いていきましょう。  



第二章:一両(アリドオシ) —— 足元の刺が守る恒久の富


物語は、最も小さな単位である「一両」から始まります。しかし、日本文化において「小さい」ことは「劣っている」ことを意味しません。むしろ、小さきものの中に宇宙を見るような、凝縮された美と、言葉遊びの妙がそこにはあります。




1. 鋭き刺と魔除けの力


「一両」の名を持つアリドオシ(蟻通し)は、アカネ科の常緑低木です。関東以西のあたたかい地域の山林内、やや乾いた薄暗い場所に自生し、高さは30〜60センチメートルほどになります。その最大の特徴は、葉の付け根にある鋭く長い刺です。  


名前の由来と「痛み」の効用:「蟻通し」という名は、その刺があまりに鋭く、小さな蟻さえも刺し通してしまうほどだという比喩に由来します。あるいは、刺が多くて蟻も通り抜けられないという意味も含まれています。古来、鋭いものや尖ったものは、邪気を払う力があると信じられてきました。ヒイラギ(柊)が節分に鬼除けとして使われるのと同様に、アリドオシもその刺によって、家に災いが入るのを防ぐ強力な「魔除け」の役割を果たしてきたのです。  

赤い実は直径5ミリほどと小さく、数も少ないため、視覚的な華やかさは千両や万両に及びません。しかし、その実は翌年の花が咲く頃まで落ちずに残るほど長く枝についています。この「落ちない」性質もまた、縁起物としての価値を高めています。



2. 「千両、万両、有り通し」の洒落


アリドオシの真骨頂は、単体での鑑賞よりも、他の縁起物と組み合わされたときに発揮される言葉遊びの妙にあります。江戸時代の人々は、千両や万両と一緒にこのアリドオシを植えることを好みました。

「千両、万両、有り通し(アリドオシ)」

これは、「千両や万両といった大金が、常に(有り通し)手元にある」という願いを込めた語呂合わせです。一両という単位は最小ですが、「有り通し(継続性・永続性)」という概念が付加されることで、その価値は無限大に拡張されます。一瞬の大金よりも、尽きることのない富。ここには、爆発的な成功よりも、家系の永続や商売の安定を願う、堅実な日本人の幸福観が垣間見えます。  

「寿限無」の落語のように、際限がないことを喜ぶ文化がここにも息づいています。たとえ一両でも、それが永遠に続くならば、それは何物にも代えがたい財産となるのです。庭の片隅に植えられた小さな刺のある木は、そんな深い人生哲学を静かに語りかけています。  



第三章:十両(ヤブコウジ) —— 万葉の雪と明治の狂乱


ヤブコウジ(藪柑子)は、わずか10〜20センチメートルほどの高さにしかならない、非常に背の低い植物です。地面を這うように地下茎を伸ばし、林床に群生します。現代では「十両」と呼ばれますが、その文化的ルーツは、今回紹介する植物の中で最も古く、そして最も劇的な歴史を持っています。




1. 万葉集における「山橘」


ヤブコウジは、古代には「山橘(やまたちばな)」と呼ばれていました。「橘」はミカン科の常緑樹で、不老不死の理想郷「常世の国」から持ち帰られたとされる聖なる木です。ヤブコウジの葉や実がこの橘に似ていることから、山に生える橘としてその名がつけられました。  

『万葉集』には、大伴家持が詠んだ有名な歌が残されています。

「この雪の 消(け)残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む」 (訳:この雪が消え残っているうちに、さあ出かけましょう。山橘の赤い実が雪に映えて輝いているのを、共に見ようではありませんか)  

この歌は、雪の白とヤブコウジの赤のコントラストが生み出す鮮烈な色彩美を称えています。家持は、宴席の友を誘ってこの景色を見に行こうと呼びかけているのです。ここには、現代の園芸愛好家にも通じる、自然の微細な変化を愛でる「数寄」の心が表れています。十両(ヤブコウジ)は、金額的な価値こそ低く設定されていますが、その歴史的・文学的な格調の高さにおいては、万両をも凌ぐ存在と言えるでしょう。



2. 歴史の陰影 —— 明治の「紫金牛」バブル


ここで時計の針を進め、十両というささやかな植物が、人間の欲望の器となって引き起こした、明治時代の「紫金牛(しきんぎゅう)バブル」について詳述せねばなりません。「紫金牛」とはヤブコウジの漢名であり、古典園芸植物としての呼び名です。  


新潟で燃え上がった投機熱:明治20年代後半、新潟県(特に現在の新潟市秋葉区周辺、小須戸町・小合村など)を中心にヤブコウジの投機ブームが巻き起こりました。きっかけは、葉に斑が入るなどの珍しい変異種(葉変わり物)が発見され、園芸愛好家の間で高値で取引され始めたことでした。  

当時の米一俵(約60kg)の価格が約5円であったのに対し、人気の品種「日の司」などは、一鉢で2,000円から3,000円という天文学的な価格で取引されました。現在の貨幣価値に換算すれば、一鉢数千万円から一億円にも相当する異常事態です。  


農民も資産家も夢の中へ:このバブルの特徴は、一部の数寄者だけでなく、一般の農民や小作人までが巻き込まれた点にあります。「山で珍しいヤブコウジを見つければ、一生遊んで暮らせる」「苗を買って増やせば大儲けできる」。そんな噂が飛び交い、人々は家業を放り出し、田畑や家屋敷を担保に借金をしてまでヤブコウジの購入資金を作りました。明治29年の大水害や凶作による生活苦も、一攫千金を夢見る心理に拍車をかけたと分析されています。  


県令による弾圧とバブルの崩壊:事態を重く見た新潟県知事は、明治29年(1896年)9月に「諭達(ゆたつ)」を発し、さらに明治30年1月には「紫金牛取締規則」という県令を制定しました。これは特定の場所以外での取引を禁じ、業者に鑑札を持たせるという厳しい規制でした。 この行政介入により、バブルは一気に崩壊します。後に残されたのは、無価値となった大量の鉢植えと、莫大な借金を背負った人々の姿でした。夜逃げや一家離散が相次ぎ、ヤブコウジは一転して「身を滅ぼす植物」として忌避されるようになったとも伝えられます。  

十両という謙虚な姿の裏には、こうした人間の欲望と悲劇の記憶が刻まれています。しかし、この苦い経験を経て、新潟県は後にチューリップなどの球根栽培へと舵を切り、日本有数の花卉(かき)生産地へと再生を果たしました。ヤブコウジの教訓は、形を変えて地域の園芸文化の礎となったのです。  



第四章:百両(カラタチバナ) —— 江戸の教養と「君子」の嗜み


「百両」ことカラタチバナ(唐橘)は、この縁起物植物史において、最も高貴で、かつては「万両」以上の価値を持っていた植物です。




1. 仙人の果実、百両金


カラタチバナは、サクラソウ科ヤブコウジ属の常緑小低木で、中国名を「百両金」といいます。これが日本での「百両」の直接的な由来であり、さらには千両や万両という名前が生まれる基準点となりました。中国の本草学において、その根は喉の薬として用いられ、黄金にも代えがたい価値があるという意味で名付けられたとも言われます。 江戸時代初期に渡来した際、その端正な姿は「唐(中国)から来た橘」として珍重されました。高さは50〜70センチメートルほどで、葉は細長く光沢があり、他のヤブコウジ科の植物と比べても洗練された立ち姿をしています。  



2. 寛政の「橘品類考」と園芸ブーム


江戸時代、特に寛政年間(1789-1801)において、カラタチバナは空前の園芸ブームを巻き起こしました。当時の日本は、世界でも類を見ないほど園芸が発達した国であり、大名から庶民に至るまで、珍しい植物(奇品)を収集することに熱中していました。


『橘品類考』の世界:寛政9年(1797年)、京都や大阪で『橘品類考(きっぴんるいこう)』という専門書が出版されました。これはカラタチバナの品種や栽培法を詳述したもので、当時の熱狂ぶりを今に伝えています。著者の木村俊篤は序文で、カラタチバナの変化(変異)を見抜き、奇品に価値を見出すことは「君子の楽しみ」に似ていると説いています。 ブームの背景には、葉の形が変わった「変わり葉」や、実の色が違う変異種に対する偏愛がありました。人々は、葉が縮れたり、斑が入ったりする「奇形」に、自然の造形の妙と希少価値を見出したのです。  


「貧者は金を、富者は植物を」:このブームの最中、珍しいカラタチバナの鉢植えは、文字通り「百両」あるいはそれ以上の大金で取引されました。「貧しい者は黄金を目にして楽しむが、富める者はカラタチバナ(百両金)を見て楽しむ」——当時の書物にはそのような記述さえあり、カラタチバナを所有することは、単なる富の誇示を超えた、教養ある「君子」の嗜みであると正当化されました。  

百両は、日本人の美意識の鋭さと、そこに哲学的な意味づけを行う精神性を象徴しています。現在でも古典園芸植物として一部の愛好家に守られていますが、その姿は自生が稀であるため、自然の中で見つけることは非常に困難です。まさに「選ばれし者の富」という名にふさわしい存在と言えるでしょう。  



第五章:千両と万両 —— 陰陽の対比と商いの哲学


現代の正月飾りにおいて、最もポピュラーなのが「千両」と「万両」です。名前の上では10倍の開きがありますが、両者はしばしば対で扱われ、その形態の違いには興味深い「陰陽」の哲学が隠されています。



1. 千両(センリョウ):天を仰ぐ陽の気




センリョウ(千両)は、センリョウ科の常緑低木です。ヤブコウジ科である十両・百両・万両とは植物学的な系統が異なり、原始的な被子植物の特徴を残しています。


特徴:葉の上に実る「富」:千両の最大の特徴は、赤い実が葉の上に固まってつくことです。青々とした葉の上に、鮮やかな赤が掲げられる様子は、非常に華やかで目立ちます。 この「上向き」の性質は、風水や陰陽五行説において「陽」の気を持つと解釈されます。天に向かって富を誇示するかのようなその姿は、商売繁盛や立身出世を願う人々に好まれました。  


花言葉と実用性:花言葉は「利益」「裕福」「富」。まさに商人のための植物です。また、千両は枝ぶりが良く、切り花にしても水揚げが良い(長持ちする)ため、正月の生け花や門松の彩りとして重宝されます。冬の寒さの中で毅然と実を掲げる姿は、ビジネスにおける「持続的な成功」や「逆境に負けない強さ」の象徴としても愛されています。  



2. 万両(マンリョウ):地を慈しむ陰の徳




対してマンリョウ(万両)は、サクラソウ科ヤブコウジ属。十両や百両の親玉とも言える存在です。


葉の下に垂れる「重み」:万両の実は、葉の下に垂れ下がるようにしてつきます。濃い緑の厚い葉が傘のようになり、その下にたわわに実る赤い果実は、まるで守られている財宝のようです。 千両よりも実が大きく、数も多く、色が濃く艶やかであることから、千両に勝る「万両」の名が与えられました。この命名が定着したのは江戸時代中期のこととされています。  


「陰徳」の教え:葉の下に実をつける万両の姿は、しばしば「謙虚さ」や「陰徳(人に知られないように善行を積むこと)」の象徴とされます。富を持ってもそれをひけらかさず、内側に蓄える。あるいは、頭(こうべ)を垂れる稲穂のように、実るほどに謙虚であれという教えです。 また、実が重そうに垂れ下がる様子は、物理的な「金銭の重み」を連想させ、ずっしりとした財布や蔵の充実を願う商家にとっても縁起の良いものでした。  



3. 千両と万両の対比に見る日本人のバランス感覚


項目

千両(センリョウ)

万両(マンリョウ)

実の位置

葉の上(上向き・天)

葉の下(下向き・地)

性質(陰陽)

陽(外向的・誇示)

陰(内向的・蓄積)

葉のつき方

対生(向かい合う)

互生(交互につく)

縁起の意味

利益獲得・商売繁盛

財産保全・子孫繁栄・徳

美意識

華やかさ・活気

重厚さ・落ち着き

 

千両で金を稼ぎ(利益)、万両でそれを守り蓄える(資産)。この二つを揃えることで、攻めと守りのバランスが取れた完全な繁栄が成就すると考えられたのです。片方だけでは不完全であり、陽の気と陰の気が調和して初めて、真の幸福が訪れるという思想が、これらを対で飾る習慣を生みました。



第六章:億両(ミヤマシキミ) —— 現代に生まれた新たな願望


物語の最後、そして位の最も高い場所に座するのが「億両」です。しかし、この名は江戸時代の伝統的な序列には存在しませんでした。これは、近現代になってから園芸業界によって付けられた、比較的新しい呼び名です。




1. ミヤマシキミ(深山樒)の正体


億両の正体は、ミカン科の常緑低木、ミヤマシキミ(深山樒)です。 「シキミ(樒)」は仏事に使われる香りの強い植物ですが、実に猛毒があることで知られています(「悪しき実」が名前の由来とも)。ミヤマシキミもまた、葉に芳香があり、有毒成分を含みます。Skimmia japonicaという学名を持ち、海外でも「Japanese Skimmia」として人気があります。  



2. なぜ「億」なのか —— 膨張する欲望とマーケティング


ミヤマシキミが「億両」と名付けられた最大の理由は、その実の大きさ密度にあります。万両の実が直径6〜8ミリ程度であるのに対し、ミヤマシキミの実は直径8〜10ミリ、品種によってはそれ以上の大きさになります。枝の先端に密集してつく真紅の実は、万両を遥かに凌ぐボリューム感と迫力を持っています。  

この命名には、昭和から平成にかけての経済成長と、インフレする人々の欲望が反映されていると言えるかもしれません。千や万では飽き足らず、桁外れの「億」という単位を持ち出すことで、より強力な縁起物を求める心理。それはまた、園芸市場における販売戦略の一環でもありました。「万両を超える縁起物」というキャッチコピーは、消費者の購買意欲を刺激するのに十分なインパクトを持っていたのです。  

一部の資料によると、昭和末期(バブル景気前後)に百貨店での販売において、より豪華な実つきの良い植物として売り出される際に命名されたという説や、園芸家によって名付けられたという説があります。かつては「万両」として扱われた時期もありましたが、その実の大きさから、万両と区別するために「億両」へと昇格させられたのです。  

しかし、億両(ミヤマシキミ)はまだ千両や万両ほど一般的ではありません。それはおそらく、千両や万両が持つ「歴史の重み」や「文学的な背景」が、億両という新参者にはまだ十分に備わっていないからでしょう。あるいは、「過ぎたるは及ばざるが如し」という日本人の慎みの感覚が、億という露骨な数字に対して無意識のブレーキをかけているのかもしれません。それでも、現代の玄関先で圧倒的な存在感を放つその赤い実は、新しい時代の「豊かさ」の象徴として輝いています。



第七章:赤い実の哲学 —— なぜ冬に「赤」を求めるのか


最後に、一両から億両まで、これらの植物に通底する「精神性」について考察します。なぜ日本人は、冬の庭にこれほどまでに赤い実を求めたのでしょうか。



1. 生命の象徴としての「赤」


冬は、陰陽五行説では「陰」の気が極まる季節です。万物は枯れ、太陽の力は弱まります。そのような「死」や「静止」を連想させる季節において、植物の赤い実は、凝縮された「陽」のエネルギーそのものでした。 赤は血液の色であり、火の色であり、太陽の色です。雪の白(死、冷たさ)の中に灯る赤(生、温かさ)は、来るべき春への希望の証であり、衰えた生命力を補完する呪術的な装置でもありました。南天が「難を転ずる」として植えられるのと同様に、これらの赤い実は、冬の間の邪気を払い、家を守る結界のような役割を果たしていたのです。  



2. 縁起を「担ぐ」のではなく「植える」


日本文化における「縁起物」は、単なるラッキーアイテムではありません。それは「見立て(Mitate)」と「言霊(Kotodama)」の実践です。 植物に金銭の名をつけ、それを庭に植える行為は、言葉の力によって現実を書き換えようとする祈りの儀式です。「千両」と唱えながら水をやる時、その行為は単なる園芸作業を超え、自身の生活や商売に対する肯定的な自己暗示(アファメーション)となります。

また、「千両、万両、有り通し」という言葉遊びに見られるように、日本人は富そのものよりも、富がもたらす「安心」や「永続性」を重視しました。一発逆転のギャンブル的な富(バブル期のヤブコウジのような)ではなく、庭で毎年実をつける植物のように、季節が巡れば必ず還ってくる、循環する豊かさこそが理想とされたのです。



3. 微細な差異を愛でる「数寄」の心


一両から億両までの植物を見分けるには、繊細な観察眼が必要です。 「これは葉の上に実があるから千両」「これは葉の下だから万両」「これは刺があるから一両」 他国の人から見れば、どれも同じ「赤い実のなる木」かもしれません。しかし、日本人はそのわずかな違いに、それぞれ異なる名前と意味、そして人格(キャラクター)を見出しました。 この「微細な差異に宇宙を見る」感性こそが、日本の園芸文化の真髄です。派手な花だけでなく、葉の裏に隠れた実や、刺の鋭さに美と意味を見出す。その繊細な精神性が、これらの縁起物植物を現代まで守り伝えてきたのです。



結び:庭に実る、心の富


一両の鋭い守りから始まり、十両の万葉の雅、百両の狂乱の歴史、千両・万両の陰陽の調和、そして億両のあくなき夢。 「一両・十両・百両・千両・万両・億両」 この植物の並びは、単なる金額の多寡を示すリストではありません。それは、日本人が自然と向き合い、植物という鏡を通して自らの欲望や幸福観を映し出してきた、精神の歴史そのものです。

もしあなたが、冬の園芸店や庭先でこれらの植物に出会ったなら、どうかその名前(金額)だけに目を奪われないでください。 葉の下を覗き込み、十両(ヤブコウジ)の慎ましさに触れてください。千両の晴れやかさに元気をもらい、万両の重みに安らぎを感じてください。そして、一両(アリドオシ)の刺に触れ、日々の平穏が無傷で守られていることの有難さを思ってください。

本当の「富」とは、千両箱の中身ではなく、冬の寒さの中で懸命に赤く実るその生命の輝きに気づける、あなたの心の余裕の中にあるのかもしれません。庭に一本の木を植えること。それは、未来への希望を植えることであり、古から続く日本の美意識という遺産を受け継ぐことなのです。






参考






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