夏の息吹を写し取る:亀井協従が遺した植物図譜「夏木譜」の世界
- 2025年6月20日
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夏の盛り、蝉の声が響き渡り、大地が豊かな緑に包まれる江戸の風景を想像してみてください。当時の人々は、この生命力あふれる夏の草木の中に、一体どのような美を見出し、それをどのように捉えようとしたのでしょうか。彼らは、単なる科学的な対象としてではなく、より深い美意識と精神性の象徴として、移ろいゆく季節の植物たちと向き合っていました。
この古き良き時代の自然観、そして花卉/園芸文化の奥深さを現代に伝える貴重な文化遺産が、亀井協従によって生み出された植物図譜「夏木譜」です。この図譜は、単なる植物の記録に留まらず、当時の人々が自然に対して抱いていた深い敬意と、それを芸術的に昇華させようとする情熱の結晶と言えます。科学的探求としての本草学と、高度な絵画技術を誇る狩野派の様式が融合した「夏木譜」は、江戸時代の知性と美意識が織りなす、まさに「生きた証」なのです。
本稿では、「夏木譜」がどのような図譜であるか、その作者である亀井協従の足跡と制作された時代背景、そしてこの図譜が現代に伝える日本の美的精神と哲学について深く掘り下げていきます。この稀有な作品を通して、日本の花卉/園芸文化の知られざる魅力を再発見し、自然と共生してきた日本人の精神の奥底に触れる旅へと皆様を誘います。
1. 「夏木譜」とは:江戸の博物学が育んだ色彩豊かな図譜
「夏木譜」は、江戸時代後期に制作された、夏に花咲く樹木や草木に特化した、極めて詳細で美しい彩色が施された本草図譜、すなわち植物図鑑です。この図譜は、夏の生命力あふれる風景を紙の上に凝縮した、単なる記録を超えた芸術作品としての側面を強く持っています。
その体裁は、当時の手作業による丁寧な製本技術を伝える「紙縒綴(こよりとじ)」で仕立てられています。この物理的な形態そのものが、作品に込められた手仕事の温かみと、それが持つ文化的な価値を物語っています。各植物の項目には、漢名と和名が併記され、それぞれの植物の形状や生態に関する詳細な解説文が付されています。これは、当時の本草学が持つ学術的な厳密さと、和漢の知識を融合させようとする姿勢を示しています。図に描かれた植物たちは「精密な彩色画」であり、「生き生きとした姿」で表現されており、単なる写生を超え、植物が持つ生命の躍動感を捉えようとする作者の深い洞察力がうかがえます。
「夏木譜」には、ホウノキ、枇杷、百日紅、夏ツバキ、クチナシ、ムクゲ、ザクロ、ネムノキ、ナツミカン、竹筍など、多岐にわたる夏の植物が収録されています。この豊富な品目は、作者が夏の植物相にいかに深い関心と知識を持っていたかを雄弁に物語っています。
「夏木譜」の最も際立った特徴は、その芸術的な様式と技巧にあります。この図譜の「最大の魅力」は、江戸幕府の御用絵師を務めた権威ある画派である狩野派の画風を受け継いだ、「精緻で写実的な描写」にあります。狩野派の技法が植物図譜に用いられたことは、「夏木譜」が単なる実用書ではなく、高度な芸術作品として認識されていたことを示唆します。具体的には、力強い輪郭線、繊細な濃淡表現、巧みな空間構成といった「高度な絵画技法」が駆使されています。花や葉の一枚一枚まで丁寧に描き込まれた植物たちは、まるで今にも生命の息吹を感じさせるかのようです。この細部へのこだわりは、自然への深い敬意と、それを余すところなく伝えようとする作者の情熱の表れです。
「夏木譜」は、江戸時代後期に本草学が隆盛を極めた時代に生み出された数ある「本草図譜」の一つです。この時代、多くの本草学者が植物や薬草の研究に没頭し、その成果として多様な図譜が出版されました。「夏木譜」もまた、当時の植物学や薬学の発展に貢献したと考えられています。
「夏木譜」が「本草図譜」として科学的分類と解説を目的としながらも、その最大の魅力が狩野派の画風を受け継いだ、精緻で写実的な描写にあるという事実は、単なる事実の羅列を超えた深い意味を宿しています。さらに、花や葉の一枚一枚まで丁寧に描き込まれた植物たちは、まるで今にも生命の息吹を感じさせるかのようです。このことは、当時の日本において、科学的探求と芸術的表現が分断されていなかったことを示唆します。西洋の博物学が客観性や分類を重視する一方で、日本の本草図譜は、対象の生命力や本質を捉え、それを美的に昇華させることを目指していたと考えられます。亀井協従は、狩野派の絵画技術を単なる模写の道具としてではなく、植物の「気配」や「魂」をも写し取るための手段として用いたのではないでしょうか。この「生命の写実」は、自然を単なる物質としてではなく、生きた存在として捉える日本独自の自然観、ひいては神道や仏教思想に根ざした精神性とも深く結びついています。
また、「夏木譜」が漢名と和名を併記し、詳細な解説を付している点は、学術的な情報伝達の役割を強調します。同時に、その精密な彩色画と高度な絵画技法は、美的な鑑賞の対象としての価値も高めています。これは、「夏木譜」が当時の知識階層や愛好家にとって、単なる情報源以上の存在であったことを示唆します。図譜は、複雑な植物の知識を視覚的に分かりやすく提示することで、より多くの人々が本草学や園芸文化に触れる機会を提供しました。また、その芸術性の高さは、植物の美を共有し、鑑賞眼を育むための教科書としても機能したと考えられます。このように、「夏木譜」は知識の普及と美意識の醸成という二重の役割を担い、江戸社会における文化的な豊かさに貢献したと言えるでしょう。
2. 亀井協従の足跡と「夏木譜」の時代背景
「夏木譜」の作者である亀井協従は、江戸時代後期の文化を象徴する多才な人物でした。彼は単なる学者や絵師に留まらず、「江戸渋谷宮益町の名主」という重要な役職を担っていました 。名主は地域の行政を司る要職であり、この立場は彼に地域の自然環境や人々の暮らしに深く触れる機会を与えたと考えられます。狩野派に学び、博物学にも造詣が深かったとされ 、その芸術的才能と科学的探求心が「夏木譜」という形で結実しました。これは、当時の知識人が持つ学際的な姿勢を体現しています。
亀井協従の博物学者としての情熱を示す具体的なエピソードとして、寛政12年(1800)に幕臣金沢瀬兵衛に随行して越後へ赴いた際、その地で植物60品、動物5品、石類2品の図説を記録し、『北越物産写真』としてまとめたことが挙げられます。この旅は、協従の好奇心が特定の地域に限定されず、日本の多様な自然へと向けられていたことを示しています。特に『北越物産写真』に収録された「ホウナガ」(現和名ウケクチウグイ)の図は、その魚種の最古の図である可能性が指摘されており 、協従の記録が持つ学術的な価値の高さがうかがえます。
「夏木譜」が制作された江戸時代後期は、日本全体で本草学が隆盛を極めた時代でした。これは、鎖国政策によって海外からの情報が制限される中で、国内の自然を深く探求しようとする機運が高まったことと無縁ではありません。江戸時代の本草学の発展には、明代中国の『本草綱目』が絶大な影響を与えました。慶長年間(1596~1614)に徳川家康に献上されて以来、この書は頻繁に輸入され、日本でも和刻本が多数出版されました 。これにより、中国の膨大な博物学知識が日本に流入しました。しかし、単なる模倣に終わらず、小野蘭山(1729~1810)のような日本の学者が、松岡恕庵に学び、私塾「修芳軒」を開いて独自の教育・研究を展開しました。蘭山の『本草綱目啓蒙』は、当時の本草学研究に大きな影響を与え、日本の風土に合わせた知見が深められていきました。
この時代には、『花彙』(宝暦9年(1759)~明和2年(1765)刊)のように、精度の高い写生図と解説を組み合わせた植物図鑑が多数出版されました。特に『花彙』では、葉の表面を白色、裏面を黒色で描くといった革新的な工夫も見られ、これは植物の観察と描写における科学的かつ芸術的な探求が極めて高度なレベルに達していたことを示しています。
また、江戸時代は、元禄年間(1688~1704)や文化・文政年間(1804~1830)といった平和な時代が続き、園芸文化が大きく花開きました。歴代将軍が花好きであったこと、大名屋敷で珍しい植物を競って植える風潮、そして鎖国による国内の安定が、このブームを後押ししました。このブームの中で、ツバキ、ツツジ、キク、アサガオなど、多種多様な園芸品種が生まれ、特に葉の斑入りを楽しむ文化が盛んになりました。植木生産・販売業者が育ち、現在の巣鴨周辺のような植木産地が形成され、鉢植えの普及もこの時代に始まりました。
亀井協従が「江戸渋谷宮益町の名主」であったという事実は、博物学へのアプローチに独特の視点をもたらしたと考えられます。名主は単なる行政官ではなく、その地域の自然環境、農業、商業、そして人々の生活に深く関わる存在でした。協従が越後で動植物を記録した『北越物産写真』の存在は、彼の関心が地域固有の「物産」に向けられていたことを示唆します。このことは、亀井協従の博物学が、書物上の知識だけでなく、自身の足で歩き、目で見て、地域の人々との交流を通じて得られた「生きた知識」に基づいていた可能性を示唆します。協従の図譜は、単なる学術的な分類に留まらず、地域の風土や生活に根ざした植物の姿を捉えようとする、実践的な視点を含んでいたかもしれません。この「地域密着型博物学」は、当時の日本の知識人が、机上の学問と現実世界との繋がりを重視していた証であり、彼の作品にリアリティと深みを与えている要因と考えられます。
江戸時代が鎖国政策下にあったにもかかわらず、中国の『本草綱目』が盛んに輸入され、同時に小野蘭山のような日本人学者が独自の学問を確立していったという事実は、当時の日本の知的エネルギーの方向性を示唆します。海外への直接的な交流が制限される中で、このエネルギーは国内の自然、文化、そして自己の探求へと向けられました。このことは、本草学や園芸文化の隆盛が、単なる学術的・趣味的活動に留まらず、一種の「内なる探求」であったことを示唆します。閉ざされた国の中で、人々は身近な自然の中に無限の多様性と美を見出し、それを体系化し、鑑賞することで、精神的な豊かさを追求しました。将軍から庶民までが園芸に熱中し、地域の特性に応じた品種改良が進んだことは 、この「内なる探求」が社会全体に浸透し、日本の自然観や美意識を深く形成していった過程を物語っています。「夏木譜」は、この時代精神を凝縮した作品であり、限られた世界の中でいかに深く、そして豊かに自然と向き合ったかを示す貴重な証拠と言えるでしょう。
3. 「夏木譜」が語る日本の美的精神と哲学
「夏木譜」は、単なる植物図鑑の枠を超え、江戸時代の自然観や美意識を現代に伝える貴重な文化遺産です。この図譜は、当時の人々が植物に抱いた独特の感性、すなわち繊細な変化の中に美を見出すという美意識を色濃く反映しています。江戸時代の人々は、花弁の形や模様、葉の斑入りといった、現代では見過ごされがちな微妙な変化の中にこそ、究極の美を見出しました。特に葉や茎の美しさ、特に斑入りや形の変化を愛でる文化は、日本独自のものとされており、これは「夏木譜」が夏の「樹木」に焦点を当てていることとも深く関連します。樹木の葉や幹、全体の佇まいが持つ繊細な表情を捉えることに、特別な価値を見出していたのです。
「夏木譜」の写実性と技巧は、自然をありのままに、しかし深い洞察をもって捉えようとする科学的探求心と、それを最も美しく、生命感あふれる形で表現しようとする芸術的感性の見事な融合を示しています。これは、自然の細部に宿る生命の神秘を解き明かし、それを共有しようとする、当時の人々の精神性を表しています。
本草学は、もともと薬用植物の研究から出発しましたが、次第に植物全般の研究へとその範囲を広げ、その成果は園芸書として広く庶民に読まれるようになりました。この変遷は、実用的な知識の追求から、自然そのものへの純粋な好奇心、そして美的な鑑賞へと、人々の関心が深化していった過程を示しています。江戸時代には、「花合せ」と呼ばれる植物の品評会が盛んに行われ、優れた品種には番付が付けられ、銘鑑という登録簿に記録されました。これは、植物の微細な差異を見極め、その美を評価する高度な「鑑識眼」が社会全体で育まれていたことを示します。このような文化は、「夏木譜」のような精密な図譜が求められる土壌となりました。
庶民の間で誕生した「連」と呼ばれる愛好家の結社は、身分差を超えて園芸の知識や技術を共有する場となりました。厳しい規則や家元制度を持つ閉鎖的な側面もありましたが、これは、貴重な品種や栽培技術、そしてそれに伴う美意識を、確実かつ体系的に次世代へと継承しようとする強い意志の表れでした。「夏木譜」に描かれた植物たちがまるで今にも生命の息吹を感じさせるかのようで、単なる写実を超え、自然の生命力そのものへの深い敬意と、人間が自然の一部として共生するという思想が込められていることを示唆します。これは、日本の伝統的な自然観、すなわち八百万の神々が宿るというアニミズム的な思想や、仏教の縁起思想とも通じるものです。江戸時代の人々は、アサガオのように刹那の美を映す植物にも深い精神性を見出し、『朝かがみ』のような書物でその美を記録しました。「夏木譜」は、夏の限られた期間に咲き誇る植物の姿を、筆と色彩によって永続的な形で記録しようとする試みです。これは、移ろいゆく自然の美を、形として、あるいは記憶として後世に留めたいという、日本人の普遍的な願いが込められた哲学的な行為と言えるでしょう。
江戸時代の園芸文化が繊細な変化の中に美を見出すという日本独自の感性に基づいていたという事実は、「夏木譜」の精緻な描写 と深く結びついています。花弁の形、葉の斑入り、茎のわずかな曲がりといった、ごく微細な差異に価値を見出すというこの美意識は、単なる視覚的な好みに留まりません。このことは、当時の日本人が、対象を徹底的に観察し、その本質を深く理解しようとする精神性を持っていたことを示唆します。この「微細な美意識」は、茶道における道具の鑑賞、能における所作の洗練、あるいは俳句における季語の選択など、他の日本の芸術文化にも共通して見られる特徴です。それは、完璧さや壮大さよりも、移ろいゆく自然の中に見出される「不完全な美」や「刹那の輝き」を尊ぶ「侘び寂び」の精神にも通じます。亀井協従が「夏木譜」で植物の一枚一枚の葉、一本一本の茎まで丁寧に描き込んだのは、まさにこの微細な美を捉え、その深遠さを読者に伝えようとする行為であったと言えるでしょう。
「夏木譜」が江戸時代の自然観や美意識を現代に伝える貴重な文化遺産であり、さらに、まるで今にも生命の息吹を感じさせ、単なる情報伝達以上の役割をこの図譜が担っていることを示唆します。また、本草学が薬用植物の研究から植物全般の研究へと発展したことは、実用性を超えた探求心の広がりを物語ります。このことは、「夏木譜」が、作者と自然との間の「対話」の記録であり、その対話を通じて得られた精神的な洞察が込められていることを示唆します。亀井協従は、筆と色彩を用いて植物の生命力を写し取ることで、自然の奥深さ、その循環、そしてそこに宿る見えない力を表現しようとしたのではないでしょうか。この図譜を鑑賞することは、単に植物の知識を得るだけでなく、作者が自然と向き合った際の感動や、そこから生まれた哲学を追体験することに繋がります。したがって、「夏木譜」は、過去の知識と美意識を現代に伝えるだけでなく、自然とのより深い精神的な繋がりを再構築するための媒介としても機能する、生きた文化遺産であると言えるでしょう。
結論
亀井協従の「夏木譜」は、単なる植物図鑑の枠を超え、江戸時代後期の豊かな花卉/園芸文化、そして当時の人々の自然に対する深い眼差しと美意識を現代に伝える、極めて貴重な文化遺産です。狩野派の高度な絵画技術と本草学の厳密な探求心が融合したこの図譜は、科学と芸術が分かちがたく結びついていた時代の精神を雄弁に物語っています。
名主としての地域への深い関わりと、博物学者としての飽くなき探求心を持つ亀井協従によって生み出された「夏木譜」は、鎖国という時代背景の中で、日本人がいかに内なる自然の多様性と美を深く見つめ、それを体系化し、愛でてきたかを示す証です。微細な変化の中に深遠な美を見出すという日本独自の感性、そして移ろいゆく生命を永続的な形で記録しようとする哲学的な試みが、この一冊の図譜に凝縮されています。
「夏木譜」を紐解くことは、過去の知識や美意識に触れるだけでなく、現代を生きる私たちが自然とどのように向き合い、その生命の息吹をいかに感じ取るべきかという、根源的な問いを投げかけます。この図譜は、日本の伝統文化の奥深さを再認識させるとともに、自然との共生という普遍的なテーマについて深く考察する機会を与えてくれるでしょう。私たちは「夏木譜」を通して、江戸の人々が植物に託した哲学、そして自然と共生する日本の精神性を再発見し、未来へと継承していくことの重要性を改めて認識することができます。
亀協従『夏木譜』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2540071










































































































