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緑蔭の彫刻家:朝倉文夫と植物たちの対話

日本近代彫刻の巨匠・朝倉文夫(1883-1964)は、写実的な人体表現で知られる一方、「東洋のロダン」 とも呼ばれ、自然への深い洞察に基づいた作品を数多く残しました。朝倉文夫の芸術を語る上で、植物との関係性は欠かせない要素です。朝倉文夫は東洋ランや盆栽を愛し、屋上庭園で園芸教育を実践するなど、植物と深く関わっていました。本稿では、朝倉文夫の著述や作品、教育活動を通して、植物が朝倉文夫の芸術思想と制作手法に与えた影響を多角的に考察します。   





朝倉文夫の生涯と作品における植物的要素


朝倉文夫は、大分県大野郡朝地町(現豊後大野市)に生まれ、幼少の頃から自然に囲まれた環境で育ちました。1902年に上京し、東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科に入学。自然主義的な写実主義を基調とした作風で、数々の名作を生み出しました。朝倉文夫は生涯に約400点以上の作品を制作しました。 代表作である「墓守」は、墓守の老人が将棋を指す人々を見て微笑む姿を捉えたもので、自然な人間の姿をありのままに表現した作品として高く評価されています。 この作品は、朝倉文夫が将棋を指している人々を観察し、その中の老人の自然な姿に心を打たれたことから生まれたと言われています。  朝倉文夫は上野駅開設と同じ年に生まれ、作品「三相」は上野駅構内に設置されています。   


朝倉文夫の作品には、植物を直接的なモチーフとしたものは多くありません。しかし、作品全体を貫く生命力や自然観は、植物との深い関わりの中で培われたものと言えるでしょう。例えば、「進化」や「墓守」といった初期の作品には、生命の力強さ、人間の根源的な姿といったテーマが表現されており、これらは自然と人間との繋がりに対する深い洞察から生まれたものと考えられます。また、無類の愛猫家としても知られており、数十体にものぼる猫の彫刻作品を制作しています。 これらの作品は、猫と生活を共にした経験から生まれたものであり、猫のしなやかな動きや筋肉の表現には、植物を観察する中で培われた鋭い観察眼が生かされていると言えるでしょう。 猫の筋肉の動きや骨格を理解するために、猫を解剖し、その構造を詳細に観察していました。朝倉文夫は、猫の生命力や自然な姿を捉えることに情熱を注ぎ、その造形感覚は、植物の観察を通して培われたものと言えるでしょう。   



東京藝術大学のギャラリー「藝大アートプラザ」のWebマガジン

朝倉文夫とは?東洋のロダンと呼ばれた作家の作品を紹介!





屋上庭園における園芸教育と芸術思想への影響


朝倉文夫は、東京・谷中にアトリエ兼住居を構え、29年間をそこで過ごしました。 朝倉文夫はその屋上に庭園を造り、自らの創作活動の場とするだけでなく、後進育成のための教育の場としても活用しました。朝倉彫塑塾の塾生たちは、屋上でトマトやナスなどの野菜を栽培する園芸実習を通して、自然を観察する目を養い、造形感覚を磨いたのです。 朝倉文夫は、「園芸は芸術家の素養として不可欠のもの」 と考えており、「植物を育てることは自然を見る目を養うことに通じる」 と述べ、植物を育てることを通して、生命の尊さや自然の摂理を学ぶことを重視していました。 また、自著『彫塑余滴』の中で、「子どもの勘を養うこともいい収穫だと思っている」と述べ、園芸を通して子供たちの感性を育むことを重要視していました。   


屋上庭園は、オリーブやナシの木、バラなどが植えられ、四季折々の変化を楽しむことができました。 朝倉文夫は、この庭園で愛猫と戯れたり、蘭を愛でたりしながら、創作のインスピレーションを得ていたと言われています。 都心の喧騒を離れ、自然と触れ合うことで、彼の感性は研ぎ澄まされ、作品に深みを与えていったのでしょう。屋上庭園は、単なる植物を育てる場所ではなく、自然と触れ合い、心を癒すための場所でもありました。   


朝倉彫塑館では、現在も子供たちが土に親しみ、自然観察の目を育むイベントを定期的に開催しています。 屋上菜園や庭園の手入れなどの作業を通して、子供たちは自然と触れ合い、植物の成長を間近に感じることができます。   


2009年から4年間、屋上庭園は耐震補強と保存修復工事が行われ、タイル舗装やレンガ塀など、当時の面影を残しつつ、現代の建築技術によって安全性が確保されています。   






東洋ランと盆栽への造詣:自然美の縮図としての植物


朝倉文夫は、東洋ランや盆栽にも深い造詣を持っていました。 特に東洋ランについては、『東洋蘭の作り方』 という著書を出版するほどの熱意を注いでいました。東洋ランの繊細な花姿や、限られた環境の中で力強く生きる姿は、彼の美意識に大きな影響を与えたと考えられます。   


盆栽については、盆栽家・小林憲雄と共に東京都美術館での「国風盆栽展」の開催に尽力するなど、その芸術的価値を高める活動にも貢献しました。 盆栽は、自然の風景を凝縮した、いわば自然美の縮図です。朝倉文夫は、盆栽の中に自然の摂理や生命の力強さを見出し、自らの芸術にもそのエッセンスを取り入れようとしたのではないでしょうか。   





自然観察と造形感覚の深化:植物から学ぶ生命の表現


朝倉文夫は、自然を観察することを非常に重視していました。 植物の成長過程や、環境に適応して変化する様を注意深く観察し、そこから生命の神秘や力強さを感じ取っていたと考えられます。作品に見られる写実性と生命力は、こうした綿密な自然観察から生まれたものです。   


例えば、「墓守」の老人の自然な表情や、「砲丸」の選手の躍動感あふれる肉体表現は、単なる模倣ではなく、生命の本質を捉えようとする朝倉文夫の鋭い観察眼と、それを形にする卓越した技術によって実現されたものです。 自然の中に存在する生命のエネルギーを、彫刻という形で表現しようと試みていたと言えるでしょう。   


朝倉文夫は、「植物を育てることは自然を見る目を養うことに通じる」「植物は土によって命を育む、彫刻もまた土によって命が吹き込まれる」という考えを持っていました。 これは、植物と彫刻の間に共通点を見出していたことを示唆しています。植物の生命力や成長の過程を、彫刻制作にも通じるものとして捉えていたのかもしれません。   





朝倉文夫の芸術思想における自然との共生


朝倉文夫の芸術思想を貫くのは、自然との共生という考え方です。人間も自然の一部であり、自然から学ぶべきことが多くあると考えていました。 屋上庭園での園芸教育や、東洋ラン、盆栽への造詣、そして自然観察を通して、自然と深く対話し、その中で自らの芸術を深めていったのです。   


朝倉文夫の作品は、単なる人間の模倣ではなく、自然と人間の調和、生命の循環といった、より普遍的なテーマを表現しています。例えば、「墓守」は、人間の生と死、そして自然との繋がりを静かに物語っています。また、「三相」は、女性の肉体美を通して、生命の力強さ、精神の崇高さを表現しています。これらの作品は、自然と人間の調和、生命の尊さといった、現代社会においても重要な意味を持つメッセージと言えるでしょう。





最後に:植物との交感から生まれた芸術


朝倉文夫の芸術は、植物との深い関わりの中で育まれたものでした。自然観察から得た鋭い観察眼、東洋ランや盆栽への造詣、そして屋上庭園での園芸教育を通して、自然と人間の繋がりを深く理解し、それを作品に昇華させていったのです。朝倉文夫の作品に息づく生命力と自然観は、現代においても私たちに多くの示唆を与えてくれます。

朝倉文夫の芸術は、自然と共生することの大切さを改めて私たちに問いかけています。作品や教育活動を通して、自然と人間の調和、生命の尊さといった普遍的な価値観を再認識し、未来へと繋いでいくことが重要です。朝倉文夫が大切にした自然との共生という考え方は、現代の環境問題や生命倫理を考える上でも重要な示唆を与えてくれます。

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