江戸時代は、園芸文化が隆盛を極めた時代でした 。数多くの園芸書が出版され、人々は園芸技術の向上に励んでいました。その中で、鉢植えや盆栽などの栽培方法を詳しく解説した指南書として注目されるのが、『金生樹譜』です。本稿では、この『金生樹譜』について、その基本情報から現代における評価、入手方法までを網羅的に解説していきます。
金生樹譜とは
『金生樹譜』は、江戸時代後期に刊行された園芸指南書です。著者は長生舎主人(栗原信充)という人物で 、須原屋左助から出版されました 。 刊行年は不明ですが、『金生樹譜別録』の序文が天保4年(1833年)に書かれていることから 、その頃に出版された可能性があります。
本書は、当時高値で取引されていた万年青、福寿草、橘、蘇鉄、南天、松葉蘭、石斛といった植物を「金生樹」(金のなる木)と呼び、その栽培方法を解説したものです 。 「金生樹」という書名は、これらの植物が当時高値で取引され、経済的な価値を持っていたことを反映しています。著者は、読者が本書を通して立派な鉢植えを栽培し、経済的な利益を得られるようにとの願いを込めて本書を執筆したのかもしれません 。
著者:栗原信充について
長生舎主人、すなわち栗原信充(1794-1870)は、江戸時代後期の旗本であり、考証学者、国学者としても知られていました 。 彼は博学多才で、儒学、国学、本草学、園芸、歴史、武芸など幅広い分野に精通しており、温厚篤実な人柄で多くの人から尊敬されていました 。 特に園芸に造詣が深く、「長生舎主人」という号を用いて、『万年青譜』や『松葉蘭譜』など、多くの園芸書を著しました 。 また、「柳菴」という号も使用していました 。
金生樹譜の内容と特徴
『金生樹譜』は全3巻から構成されています。
上巻:鉢植えに焦点を当て、中国南京、官窯、交趾、阿蘭陀産の鉢や、国産では京焼、京楽焼、伊万里など、様々な鉢を紹介しています 。 特に瀬戸焼の鉢の図が多く掲載されており、深浅、丸角、変形ものなど、多彩な鉢が紹介されています 。 このことから、当時江戸において瀬戸焼の鉢が重要な役割を果たしていたことが伺えます。 本書では、鉢だけでなく、敷板、塗台、机、飾棚といった鉢植えを飾るための道具や、運搬用の箱についても解説されています 。 また、温室(唐室)の構造についても詳しく解説されており、障子で採光し、池田炭で暖房するなど、当時の温室の工夫が分かります 。 屋外用の保温方法についても解説されており、当時の園芸家たちが植物の生育環境をいかに工夫していたかが伺えます。
中巻:松、柳、梅といった各地の銘木を図解で紹介しています 。 各地の銘木の特徴や歴史、栽培方法などが解説されており、当時の園芸家たちが植物の産地や品種にも関心を持っていたことが分かります。
下巻:接木、挿木、実生といった繁殖方法、採集用具、培養土などについて解説しています 。 接木に関しては、切接、割接、そぎ接、腹荏、連接など、様々な方法が紹介されており、現代の園芸技術にも通じる高度な技術が確立されていたことが分かります 。 さらに、オモト、キク、アサガオといった草花への接木についても言及されており、当時から様々な植物に接木が試みられていたことが伺えます 。 採集用具としては、野山へ植物を採集に行く際に使用する野山篭、ハサミ、カマ、根切などが紹介されています 。 また、薬を塗るためのハケ、茎を cleaning するためのハケ、虫を取るためのハケなど、用途に合わせた様々なハケが紹介されています 。 水やりに使う如露は、竹製、木製、銅製など、様々な素材のものが存在したことも分かります 。
『金生樹譜』の特徴としては、以下の点が挙げられます。
実用的な内容:当時の園芸技術を詳細に解説しており、現代においても参考になる情報が多く含まれています。
豊富な挿絵:多くの植物や園芸用具が挿絵で描かれており、視覚的に理解しやすい構成となっています。
幅広い植物:万年青、松葉蘭といった当時人気の高かった植物だけでなく、松、柳、梅など、様々な植物の栽培方法が解説されています。
詳細な解説:接木や挿木といった繁殖方法だけでなく、培養土の作り方や道具の手入れ方法など、細部にわたるまで丁寧に解説されています。
金生樹譜別録
『金生樹譜別録』は、『金生樹譜』の元となった万年譜、松葉蘭譜など7冊のシリーズ本の別録として出版された園芸書です 。
内容は、上巻では盆栽に力点を置き、様々な鉢を紹介しています 。 中巻では各地の銘木を図説し、下巻では接木、挿木、実生など繁殖法や、園芸用具、培養土などを解説しています 。
『金生樹譜別録』では、様々な接木技術が紹介されています 。
金生樹譜に掲載されている植物
『金生樹譜』では、多岐にわたる植物が取り上げられています。 特に、上巻では鉢植えの植物に力点が置かれ、万年青、福寿草、百両金、蘇鉄、南天などが紹介されています 。 中巻では、松、柳、梅といった樹木が中心的に扱われています 。 下巻では、接木の対象として、オモト、キク、アサガオなどが挙げられています 。
その他にも、石菖、ブッソウゲ、山丹花、日日草、茉莉花、使君子、千年木などが登場します 。 また、温室で栽培する植物として、麒麟角、石花、サボテン、ハマオモト、ハシカンボク、松葉蘭などが挙げられていて、多種多様な植物が網羅的に扱われていたことが伺えます。
金生樹譜の挿絵・図版の特徴
『金生樹譜』には、植物や園芸用具、温室などの図版が多数掲載されています 。 これらの図版は、当時の植物や園芸の様子を伝える貴重な資料となっています。 図版の特徴としては、写実的な描写が挙げられます。植物の形態や特徴が正確に描かれており、当時の園芸家たちが植物をどのように観察し、理解していたのかを窺い知ることができます。 また、鉢や道具などの描写も詳細で、当時の園芸文化を理解する上で役立ちます。
金生樹譜の現代における評価・影響
『金生樹譜』は、江戸時代の園芸技術や文化を知る上で貴重な資料として、現代においても高く評価されています 。 特に、接木技術や園芸用具に関する記述は、当時の園芸技術の発展に貢献したとされています 。
本書で紹介されている瀬戸焼の鉢の多様性や、その詳細な描写は、江戸時代の園芸において瀬戸焼が重要な役割を果たしていたことを示唆しています 。 また、切接、割接、そぎ接など、多岐にわたる接木技術が紹介されている点は、当時の園芸技術のレベルの高さを示すものであり 、現代の園芸家にとっても、伝統的な園芸技術を学ぶ上で参考になる情報源となっています。
結論
『金生樹譜』は、江戸時代後期の園芸技術と文化を現代に伝える貴重な資料です。 本書の内容は、当時の園芸家たちの高い技術力と、植物に対する深い愛情を示すものであり、現代の園芸家にとっても多くの示唆を与えてくれます。
特に、『金生樹譜』の詳細な記述から、瀬戸焼の鉢が江戸時代の園芸において重要な役割を果たしていたこと、そして、現代の園芸技術にも通じる高度な接木技術が当時すでに確立されていたことが分かります。
本書は、江戸時代における園芸の隆盛を象徴するものであり、現代の日本庭園や園芸文化にも影響を与えていると考えられます。 今後、さらなる研究が進むことで、『金生樹譜』の価値がより一層明らかになり、日本の園芸史における本書の位置付けがより明確になることが期待されます。
上 巻
長生舎主人 編『金生樹譜別録 3巻』[1],[天保中頃]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2556746
中 巻
長生舎主人 編『金生樹譜別録 3巻』[2],[天保中頃]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2556747
下 巻
長生舎主人 編『金生樹譜別録 3巻』[3],[天保中頃]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2556748
参考
Library005 金生樹譜 / 岩瀬文庫の世界 Iwase Bunko Library
金生樹譜 別録 Kinseijufu Betsuroku (Book of Gardening) - 江戸東京博物館デジタルアーカイブス