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金井紫雲:美術と園芸を探求した碩学

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2023年9月23日
  • 読了時間: 12分

更新日:6月21日



日本の四季を彩る花々、そしてそれらを慈しみ、芸術として昇華させてきた日本人の繊細な感性。庭園、生け花、盆栽、そして絵画の中に息づく花卉文化は、単なる植物の知識を超え、自然との共生、移ろいゆく美を慈しむ日本の精神性を深く映し出しています。この豊かな文化の奥深さを探る旅は、時に一人の人物の足跡を辿ることで、より鮮やかにその本質を浮かび上がらせます。明治から昭和にかけて、美術と園芸という二つの領域を横断し、その真髄を探求し続けた一人の碩学がいました。その名は、金井紫雲。彼の生涯と業績を辿ることは、近代日本における花卉・園芸文化の発展と、そこに息づく日本人の美意識を深く理解するための道標となるでしょう。   



1. 金井紫雲とは:美術と園芸を探求した碩学の肖像


金井紫雲(本名:金井泰三郎)は、明治21年(1888)に群馬県で生まれ、昭和29年(1954)に66歳でその生涯を閉じた、大正から昭和にかけて活躍した著名な美術記者、評論家、そして研究者です。彼の活動は、日々の美術報道に留まらず、美術史、美術評論、さらには盆栽や花鳥画といった日本文化の深奥に関わる分野での専門的な研究と著作活動にまで及びました。   


特に、都新聞社での長年にわたる美術記者および学芸部長としての経歴は、当時の美術界に対する彼の影響力の大きさを物語っています。金井紫雲は、ジャーナリズムの実践と深い学識を結びつけた、まさに「学者ジャーナリスト」と呼ぶべき存在でした。単なる情報伝達者ではなく、その深い知見をもって文化事象を分析し、その本質を広く社会に提示する役割を担いました。彼の活動は、専門的な内容を一般の読者にも分かりやすく伝えるという点で、当時の文化理解を深める上で重要な役割を果たしました。   



2. 歴史と背景:大正・昭和を駆け抜けた「学者ジャーナリスト」の軌跡



2.1. 生涯と時代背景:近代日本の文化変革期に生きて


金井紫雲が活躍した大正時代(1912~1926)から昭和時代(1926~1989)初期は、日本が近代化を急速に進め、西洋文化の流入と日本固有の伝統文化の再評価が同時に進行した激動の時代でした。美術界においても、洋画の導入と日本画の新たな展開が模索され、多様な表現が花開きました。このような文化的な変革期において、美術の動向を正確に捉え、その意義を深く考察する紫雲の存在は、当時の美術言説において不可欠なものでした。   


この時期、都市化の進展と共に、園芸趣味もまた大きな変化を遂げていました。かつて武家が主な担い手であった園芸は、次第に町人や商人など庶民へと広がり、鉢植えなどが手軽に楽しめる文化として浸透していきました。大衆の植物への関心の高まりは、金井紫雲が花卉や植物に関する著作を手がける背景ともなりました。紫雲の著作は、こうした社会の文化的なニーズに応えるものであり、単なる学術的探求に留まらず、当時の人々の生活や趣味と密接に結びついていたと言えます。彼の活動は、生きた文化の潮流の一部として、当時の社会に深く根ざしていました。   



2.2. 経歴と研鑽:独学で築き上げた知識の広がり


金井紫雲は、都新聞社で長年にわたり美術記者および学芸部長を務め、当時の美術界に大きな影響力を持っていました。紫雲のジャーナリズム活動は、深い学術的探求によって裏打ちされており、逆にジャーナリズムの現場で培われた時代感覚が、紫雲の研究に今日的な視点を与えていたと考えられます 。この二つの側面が融合することで、紫雲の言説は単なる速報性を超え、深い洞察と権威を持つに至りました。   


特筆すべきは、彼が明治35年(1902)に上京後、「独学で研鑽」を積んだ点です。この強靭な自己学習能力こそが、後の広範な知識と多岐にわたる著作活動を支える基盤となりました。彼は文学界の巨匠である坪内逍遙や田村江東から薫陶を受けたとされています。この独学の精神は、彼が与えられた情報を処理するだけでなく、自らの好奇心と探求心に基づいて深く学び続けた人物であることを示しています。この自律的な学習姿勢こそが、彼の著作が単なる事実の羅列ではなく、深い洞察と精神性を伴う内容となった根源と言えるでしょう。   


さらに、紫雲は自ら綜合美術研究所を創設し、図画教育奨励会との関わりも深く、美術教育の分野にも貢献しました。これは、知識を蓄積するだけでなく、それを社会に還元し、文化の普及と発展に積極的に寄与しようとした実践的な側面を示唆しています。紫雲は、専門的な知識を一般の人々にも分かりやすく伝えることに貢献し、花卉/園芸文化の裾野を広げたと言えます。   



2.3. 主要著作の誕生:花鳥画と園芸の百科事典


金井紫雲の主要著作の中でも特筆すべきは、全4期48巻にも及ぶ大著『藝術資料』(昭和11年(1936)~昭和16年(1941)刊行)と、その編纂の基礎となった『東洋画題綜覧』(昭和16年(1941)~昭和18年(1943)刊行)です。   


『東洋画題綜覧』は、故事伝説、歴史上の事件など多岐にわたる東洋画題を本格的に解説した事典であり、約3000の画題について解説が付されています。この膨大な資料調査が、『藝術資料』の編纂に繋がりました。『藝術資料』は、過去の美術作品から当時の現代作品までを視野に入れた画題資料集であり、特に花卉・園芸文化との関連で注目すべきは、その構成です。第1期は「植物」、第2期は「鳥類」、第3期は「動物」、第4期は「魚類」をテーマとしており、植物に関する巻では、桜、牡丹・芍薬・藤、燕子花・花菖蒲・卯の花、柳・躑躅、竹、蓮・睡蓮、秋草、菊、紅葉、松、梅、春の花といった具体的な花々が取り上げられています。   


さらに、紫雲は『花と鳥』、『花鳥研究』、『東洋花鳥図攷』、『鳥と芸術』、『趣味の園芸』といった、より直接的に花卉/園芸に焦点を当てた著作も手がけていました。これらの著作は、紫雲の植物や花鳥画に対する深い関心と専門知識を示すものです。   


紫雲の多岐にわたる著作の中から、特に花卉/園芸文化に焦点を当てたものを以下に示します。これらの著作は、彼の専門性と関心の深さを一目で理解するのに役立ちます。

著作名

内容概要(特に植物・花鳥関連)

『藝術資料』

植物、鳥類、動物、魚類をテーマとした画題資料集。特に第1期が植物。

『東洋画題綜覧』

故事伝説、歴史上の事件など多岐にわたる東洋画題を解説した事典。

『花と鳥』

花と鳥に関する著作。

『花鳥研究』

花鳥に関する研究書。

『東洋花鳥図攷』

東洋の花鳥図に関する考察。

『鳥と芸術』

鳥と芸術の関係を論じた著作。

『趣味の園芸』

園芸に関する著作。

『藝術資料』が「植物」を第1期に据え、全48巻という膨大な規模で「画題資料」を集成している点は、彼の植物や花鳥画に対する関心が単なる趣味の範疇を超え、学術的な体系化を目指していたことを示唆します。これは、紫雲が「美術と園芸を探求した碩学」であることの具体的な証拠であり、紫雲の研究が日本の花卉文化の「百科事典」的な役割を果たした可能性を示唆しています。また、『藝術資料』が『東洋画題綜覧』の調査資料を基に編まれたという事実は、彼のジャーナリズム活動が、単なる速報性だけでなく、深い学術的探求に裏打ちされていたことを示しています。ジャーナリズムの現場で得た時代感覚が、彼の研究に今日的な視点を与え、読者にとってより魅力的な内容となったことは、彼の「学者ジャーナリスト」としての独自性をさらに際立たせています。   



3. 文化的意義と哲学:花鳥画と盆栽に息づく自然への敬意と美意識



3.1. 芸術と園芸の融合:日本文化の深奥への貢献


金井紫雲は、美術記者としての活動を通じて、美術史や美術評論の分野を牽引するとともに、特に盆栽や花鳥画といった日本文化の深奥に関わる分野で専門的な研究と著作活動を行いました。紫雲の著作、特に『藝術資料』の「植物」や「鳥類」の巻、そして『花と鳥』、『趣味の園芸』などの専門書は、当時の芸術家や園芸愛好家にとって貴重な資料となり、花鳥画の題材研究や盆栽の鑑賞眼を深める上で大きな影響を与えたと考えられます。   


紫雲は単に美術作品を批評するだけでなく、その「歴史やモチーフ、関連する文化事象について深く掘り下げた研究」を行いました。このアプローチは、花卉/園芸文化が持つ芸術的・歴史的価値を再認識させ、その精神性を現代に伝える上で重要な役割を果たしました。金井紫雲が花鳥画や盆栽といった分野を深く掘り下げたことは、単に「美」を追求するだけでなく、その背景にある「歴史やモチーフ、関連する文化事象」を解き明かすことで、鑑賞者が作品や植物を見る眼差しをより豊かにしたと言えます。これは、単なる視覚的な楽しみを超え、文化的な奥行きを理解するための教養を提供し、読者の発見を促すことに繋がるものです。彼の著作が専門家だけでなく、園芸愛好家にも読まれたであろうことは、『趣味の園芸』という著作名からも推測できます。紫雲は専門的な知識を一般の人々にも分かりやすく伝えることに貢献し、花卉/園芸文化の裾野を広げたという側面も持ち合わせていました。この知識の普及は、当時の園芸趣味が大衆に広がる潮流とも合致しています。   



3.2. 『藝術資料』にみる植物への眼差し:自然への深い敬意


金井紫雲の代表作『藝術資料』が、その第一期を「植物」に充てていることは、植物を単なる画題としてだけでなく、独立した研究対象として深く捉えていた証拠です。この著作に収録された桜、菊、梅などの具体的な植物の解説は、当時の園芸愛好家が植物の美しさや特性を理解し、その鑑賞を深める上で貴重な情報源となりました。これは、単なる植物の図鑑を超え、当時の園芸文化の精髄と、そこに込められた深遠な哲学を現代に伝える貴重な遺産と言えるでしょう。   


紫雲の著作は、当時の人々の植物への関心の高まりに応えるものであり、芸術的革新と大衆の需要が合致した結果生まれた、時代の潮流を象徴する作品であったと考えられます。『藝術資料』の「植物」巻が、単なる美術作品の図録に留まらず、当時の「園芸文化の精髄」を伝えているという解釈は、金井紫雲が芸術と実用性、あるいは鑑賞と栽培という二つの側面を統合的に捉えていたことを示唆しています。これは、紫雲の著作が美術愛好家だけでなく、実際に植物を育てる人々にも価値を提供した可能性を示しており、彼の活動が文化全体に与えた影響の広さを裏付けるものです。   



3.3. 自然との共生思想:移ろいゆく美を慈しむ日本の精神性


金井紫雲の著作群、特に花鳥画や園芸に関する深い探求は、単なる知識の羅列ではなく、自然への深い敬意と、それを芸術として昇華させる日本の美意識を体現していました。紫雲は、花や植物が持つ生命力、そして四季折々の移ろいの中に、人生の機微や普遍的な美を見出そうとしたと考えられます。これは、日本人が古くから育んできた、自然と共生し、その変化の中に美を見出す繊細な感性の源流に触れるものです。   


紫雲の活動は、植物を「知る」だけでなく、「慈しむ」という、日本の花卉/園芸文化の核心を成す精神性を深く掘り下げたものでした。そこには、生命への慈しみ、そして困難を乗り越えるための知恵が息づいています。紫雲が花鳥画や園芸を通じて追求したのは、単なる特定の様式や技術だけでなく、その根底にある「自然への深い敬意」や「移ろいゆく美を慈しむ日本の精神性」といった普遍的な美意識であったと解釈できます。これは、紫雲の著作が時代を超えて価値を持つ理由であり、現代の読者が日本の花卉文化に触れる際に感じるであろう発見の感情に繋がります。紫雲の活動や著作のテーマから読み取れる「自然との共生」「生命への慈しみ」「美の追求」といった精神性は、日本の花卉文化が単なる美の追求に留まらない、より深い哲学を持つことを示しています。   



3.4. 「学者ジャーナリスト」としての貢献:文化普及と学術的権威の確立


金井紫雲の特筆すべき点は、ジャーナリストとしての情報発信力と、研究者としての深い洞察力を兼ね備えた「学者ジャーナリスト」であったことです。紫雲の日々の美術報道活動は、その深い学術的探求によって裏打ちされており、これにより紫雲の言説は大きな権威と深みを持つことになりました。学術的な探求に裏打ちされた権威と、ジャーナリズムで培われた時代感覚や情報発信力による親しみやすさを両立させた点が、紫雲の活動の最大の強みであったと言えます。このバランスが、当時の文化界で大きな影響力を持てた理由であり、現代においても彼の著作が参照される価値を持つ根拠となっています。   


同時に、ジャーナリズムの現場で培われた時代感覚は、紫雲の研究に今日的な視点を与え、専門的な内容を一般の人々にも分かりやすく伝えることを可能にしました。紫雲は綜合美術研究所の創設や美術教育への貢献を通じて、美術文化の普及と発展を能動的に志向しました。紫雲の「学者ジャーナリスト」としての役割は、学術的な専門知識と一般大衆の間の橋渡し役であったと解釈できます。紫雲は、難解になりがちな美術や文化の深奥を、ジャーナリズムという媒体を通じて平易な言葉で伝え、多くの人々の知的好奇心を刺激し、文化への理解を深めることに貢献しました。この両側面が相互作用することで、金井紫雲は近代日本の美術言説において、学術的な厳密さと大衆への浸透力という二つの側面から、比類ない貢献を果たしたと言えるでしょう。   



結び:現代に受け継がれる金井紫雲の遺産


金井紫雲が残した膨大な著作群と、その「学者ジャーナリスト」としての足跡は、近代日本の美術史、特に花卉/園芸文化の発展において計り知れない価値を持っています。紫雲の研究と普及活動は、単に過去の美を記録しただけでなく、自然への深い敬意と、それを芸術として昇華させる日本の美意識を、時代を超えて現代に伝えています。   


今日、私たちが庭園で花を愛で、盆栽に心を寄せ、あるいは花鳥画に日本の四季を感じる時、そこには金井紫雲が解き明かそうとした、自然と共生する日本人の精神性が息づいています。紫雲の遺産は、日本の花卉/園芸文化の奥深さを再認識し、未来へと繋いでいくための確かな道標となるでしょう。紫雲の活動は、花卉文化が単なる植物の知識に留まらず、私たちの心に深く響く日本の伝統そのものであることを雄弁に物語っています。





主な著書



盆栽の研究


金井紫雲は、大正3年(1914)に『盆栽の研究』という書籍を出版しました。それまでの書籍が盆栽の培養法のみを記していた中、紫雲が表現する「文学的趣味」を加味して書かれた斬新な内容です。 ※ 盆栽とは何ぞ~盆栽の趣味 一部抜粋

金井紫雲 著『盆栽の研究』,隆文館,大正3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/951413




花と芸術


昭和4年(1929)に『花と芸術』という書籍を芸艸堂から出版しました。標題から目次にわたり、花が描かれた日本画や撮影された花を挿入したり、文学と美術におけるその芸術性の研究を試みています。


※ 標題と自序 一部抜粋

金井紫雲 著『花と芸術』,芸艸堂,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1177955




樹木と芸術


昭和5年(1930)に『樹木と芸術』という書籍を『花と芸術』と同じく芸艸堂から出版しました。構成は『花と芸術』と同じ姉妹編として出版しました。絵画に描かれた樹木45種が収めてあります。


※ 目次 一部抜粋

金井紫雲 著『樹木と芸術』,芸艸堂,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189718




草と芸術


昭和6年(1931)に『花と芸術』、『樹木と芸術』に続き本書を出版しました。やはり、花や樹木を取り上げながら、草(類)が気にならない訳がなかったようです。装丁意匠に、川合玉堂・森田恒友・鏑木清方・前田青邨が協力しています。


※ 自序 一部抜粋

金井紫雲 著『草と芸術』,芸艸堂,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1173863






参考







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