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明治31年刊行 芍薬の名品図譜:『芍薬花譜』

更新日:1月29日


美しい花容と豊かな香りで人々を魅了する芍薬。古くから中国より渡来し、日本では江戸時代に数多くの園芸品種が生み出され、愛好されてきました。明治時代に入ると、その美しさを後世に残そうと、様々な芍薬の図譜が刊行されました。その中でも、明治31年(1898年)に刊行された『芍薬花譜』は、当時の芍薬ブームを象徴する名品図譜として知られています。



出版に関する詳細情報


『芍薬花譜』は、明治31年に京都の「朝陽園」から発行された彩色木版画による芍薬の図譜です。著者は、園主の賀集久太郎です。彼は、本書のほかにも『朝顔培養全書』や『薔薇栽培新書』を出版しており、園芸に造詣が深かったことが伺えます。『薔薇栽培新書』では、薔薇や栽培に関する学術知識や技法、薔薇をテーマにした漢詩や俳句、西洋詩文まで収録しており、当時の薔薇文献としては画期的な栽培指南書として、当時の農業・園芸誌などでも紹介されました。   


図譜の内容は、様々な品種の芍薬が精緻な筆致で描かれており、花弁の繊細な陰影や葉脈の細部まで丁寧に表現されています。収録されている芍薬の種類は、当時の流行品種や古典品種など多岐にわたり、それぞれの品種の特徴が詳細に描写されている点が大きな特徴と言えるでしょう。   



芍薬花譜の文化的、歴史的な背景


江戸時代、園芸文化が隆盛を極める中で、芍薬は「花の宰相」と称され、牡丹と並んで高い人気を誇りました。特に、文化・文政期(1804年~1830年)には、江戸を中心に多くの園芸品種が作出され、庶民の間でも広く栽培されるようになりました。明治時代に入ると、西洋文化の影響を受けながらも、伝統的な園芸文化は継承され、芍薬の人気は衰えることなく、むしろ新たな品種が次々と生み出されました。   


このような時代背景の中で刊行された『芍薬花譜』は、当時の芍薬ブームを反映したものであり、人々の芍薬に対する関心の高さを示す貴重な資料と言えるでしょう 。また、精緻な図譜は、単なる記録としての役割だけでなく、芸術作品としての価値も高く評価されています 。   


明治31年は、明治維新から30年が経過し、日本が近代国家へと歩みを進めていた時期です。西洋文化が流入する一方で、伝統的な文化も見直され、新たな文化が花開こうとしていました。この時代、富国強兵政策や殖産興業政策が進められ、経済が発展していく中で、人々の生活も豊かになり、文化や芸術への関心も高まりました。園芸もその一つであり、芍薬のような美しい花を愛でることは、人々の心を癒し、豊かな生活を送る上での楽しみの一つとなっていました。



芍薬花譜の研究や評価

『芍薬花譜』は、当時の芍薬品種や園芸文化を研究する上で重要な資料として、多くの研究者から注目されています 。特に、図譜の精緻な描写は、当時の芍薬の品種改良や栽培技術を知る上で貴重な手がかりとなります 。また、美術史の観点からも、当時の木版画技術や彩色技術を研究する上で重要な作品として評価されています 。   



結論


明治31年に刊行された『芍薬花譜』は、当時の芍薬ブームを象徴する名品図譜であり、精緻な描写と豊富な情報量から、現在でも高い評価を得ています 。+

『芍薬花譜』は、明治時代という近代化が進む中で、日本の伝統的な園芸文化が依然として人々の生活に深く根付いていたことを示す証です。また、その精緻な図譜は、当時の植物学、美意識、そして印刷技術の高さを物語っています。




賀集久太郎 編『芍薬花譜』,朝陽園,明31.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12984894


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