top of page

空中斎、季節を織りなす:藤・牡丹・楓図にみる琳派の息吹

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 5月17日
  • 読了時間: 12分

本阿弥光甫(ほんあみ こうほ)による三幅対「藤・牡丹・楓図」は、江戸時代初期の日本の花鳥画を代表する傑作の一つであり、作者の洗練された美意識と卓越した技術を如実に示しています。本作は、春の藤、夏の牡丹、秋の楓という、それぞれの季節を象徴する花木を三つの掛軸に描き分けたものであり、東京国立博物館に所蔵されています。


これらの絵画は、その優美な構図、繊細な色彩感覚、そして特筆すべき「たらしこみ」技法の巧みな使用により、観る者に深い感銘を与えます。これらは高度な絵画技術の習得と洗練された美的感覚の賜物であると言えるでしょう。本作の重要性は、単に視覚的な魅力に留まらず、本阿弥一族の芸術的系譜、特に琳派の黎明期との関連性を探る上で貴重な手がかりを提供する点にあります。  


三幅対という形式で三つの季節を描くという選択は、時間の循環性と自然界の各相に固有の美を表現する伝統的かつ力強い手段です。この主題選択は、日本の文化および芸術における広範な関心事と共鳴します。春(藤)、夏(牡丹)、秋(楓)の組み合わせ は、単なる植物学的描写ではなく、季節の美の精選された表現です。この点は、自然、季節感、装飾的優雅さを重視する日本の芸術、とりわけ琳派の核心的理念と直ちに一致します。三幅対という形式は、変転と連続性の物語を可能にし、儚くも繰り返される自然のパターンに対する深い理解を反映しています。この注意深い選択と配置は、作者が自然の美と確立された芸術的慣習の両方に深く通暁し、それに自身の様式を注ぎ込んだことを示唆しています。  


員数:3幅 作者:本阿弥光甫筆 時代世紀:江戸時代・17世紀 品質形状:絹本着色 法量:各 縦109.0 横37.8 所蔵者:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-122?locale=ja



作者 本阿弥光甫(空中斎)について


本阿弥光甫(1601-1682年)は、京都の鷹峯光悦村で生まれました。この地は、彼の祖父である本阿弥光悦によって開かれた芸術村でした。光甫の幼名は三太郎といい、後に空中斎(くうちゅうさい)と号しました。  


光甫は、桃山から江戸初期にかけて多方面で活躍した芸術家、本阿弥光悦の孫であり、光悦の養子である光瑳(こうさ)の子です。この家系は、代々刀剣の鑑定、研磨、浄拭を生業とする名門でした。光甫は、祖父光悦が没する寛永14年(1637年、光甫37歳)まで、茶の湯、香道、書画、陶芸、彫刻など、多岐にわたる分野で直接薫陶を受けました 。この多様な教育は、光悦が育んだ総合的な芸術環境を反映しています。  


光甫は、刀剣鑑定に優れた才能を発揮する一方で 、画家、書家としても高い技量を示し、特に陶芸の分野では顕著な業績を残しました。彼が手がけた信楽風の焼物は「空中信楽」と称され、その薄造りの技法と独特の作風で知られ、しばしば「空中」の銘が施されました。代表作には「信楽不二絵茶碗」などがあります。茶の湯は織部流を能くしたと伝えられます 。  


信楽不二文茶碗「空中」彫銘 員数:1口 作者:本阿弥光甫作 時代世紀:江戸時代・17世紀 品質形状:陶製 法量:高8.9 口径7.2×6.7 底径4.1 銘文等:「空中」彫銘 所蔵者:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/G-5362?locale=ja




寛永18年(1641年)、光甫は法眼の僧位に叙せられました。これは、彼の芸術家としての卓越した技能が公に認められたことを意味します。また、加賀藩前田家から300石の扶持を受けるなど、有力な大名からの庇護も得ていました。  


文学的貢献としては、祖父光悦の言行録である『本阿弥行状記』の編集に関わったことが挙げられます 。これは、光悦研究における貴重な史料となっています。  




「藤・牡丹・楓図」の詳細分析


構図の特徴


本作は、掛軸の縦長の画面を効果的に活かしており、特に長く垂れ下がる藤の花房の描写においてその特徴が顕著です。これは植物の自然な成長形態を強調しています。三つの軸は、藤(春)、紅白の牡丹(夏)、楓葉(秋)という季節の推移によって主題的に結びつけられており 、この連続的な配置は、視覚的および概念的に調和のとれた統一性を生み出しています。  


筆致と技法


重要な特徴は、「たらしこみ」技法の適用です。これは、薄い色の墨や絵具が乾かないうちに濃い色のそれを滴下し、滲みや斑文の効果を生み出す技法であり、本作では特に樹幹に用いられ、質感と有機的な生命感を与えています。この技法は、俵屋宗達によって創始された琳派の顕著な特徴の一つです。花や葉は、「繊細な色感」をもって細心の筆致で描かれており、光甫の画技の高さを示しています。  


色彩と彩色


「繊細な色感」という表現 は、洗練され、微妙な色彩の使用を示唆しています。牡丹は「紅白」と記述されており 、夏の軸には鮮やかでありながら抑制の効いた色彩が用いられていることを示しています。藤は紫や緑、楓は秋の赤、橙、黄で描かれていると推測されます。幹のたらしこみに用いられた緑青は、特有の色調と質感をもたらしています。  


空間表現


日本の伝統絵画はしばしば遠近法的な空間よりも暗示的な空間を用います。掛軸の垂直性とモチーフの配置は、琳派の美意識に特徴的な装飾的な画面構成を重視した、層状の空間感覚を生み出している可能性が高いです。「縦長の画面を生かした構図」 それ自体が、空間構成の一形態です。  




図像と象徴:花々の言葉




春を象徴します。優雅さ、洗練、そして藤原氏との関連からしばしば高貴さを象徴します。垂れ下がる花房は、謙虚さや優美さをも示すことがあります。日本美術においては、その美しさが賞賛され、しばしば庭園の景物として描かれます。古くから愛され、『万葉集』などの古典文学にも登場します。  


本阿弥光甫 藤図
員数:3幅 作者:本阿弥光甫筆 時代世紀:江戸時代・17世紀 品質形状:絹本着色 法量:各 縦109.0 横37.8 所蔵者:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-122?locale=ja



牡丹


夏を象徴します。「花王」あるいは「富貴花」として知られ、繁栄、高い社会的地位、豊かさを象徴します。また、女性の美しさ、愛、情熱とも関連づけられます。描かれている紅白の牡丹の組み合わせは、華やかさと吉祥性を増しています。  


本阿弥光甫 牡丹図
員数:3幅 作者:本阿弥光甫筆 時代世紀:江戸時代・17世紀 品質形状:絹本着色 法量:各 縦109.0 横37.8 所蔵者:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-122?locale=ja




秋を象徴します。変化の美しさ、時の移ろい、そして特に紅葉狩りと関連して大切な思い出を象徴します。また、調和、そしてその鮮やかな色彩とは裏腹に、目立たない小さな花ゆえに遠慮をも表すことがあります。日本文化と深く結びつき、文学や武家の家紋にも見られます。  


本阿弥光甫 楓図
員数:3幅 作者:本阿弥光甫筆 時代世紀:江戸時代・17世紀 品質形状:絹本着色 法量:各 縦109.0 横37.8 所蔵者:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-122?locale=ja


季節の三幅対としての統一的表現


これら三種の植物を三幅対の形式で組み合わせること は、季節の調和のとれた推移を表現するための意図的な芸術的選択です。この主題は日本の美意識の中心であり、自然界との深いつながりを反映しています。それぞれの花が持つ特定の季節的連想と象徴的意味は、時間、美、そしておそらくは生命の儚くも循環する性質についてのより大きな物語に貢献します。  


季節による構成が主である一方、各花(藤の高貴さ、牡丹の豊かさ、楓の思索的な美しさ)の個々の象徴的属性は、教養ある江戸時代の鑑賞者には共感を呼び、単なる植物表現を超えた意味の層を加えていたでしょう。藤、牡丹、楓の選択は任意ではありません。藤原氏との関連を持つ藤は貴族性と洗練を示唆します。「花王」としての牡丹の地位とその富貴との結びつきは、願望と現世的成功を物語ります。楓の「大切な思い出」や「調和」との関連 は、より内省的、哲学的な次元を導入します。これらを合わせて見ると、この三幅対は、洗練された優雅さ、豊かな繁栄、そして調和のとれた内省という、理想化された人生の異なる側面を反映する視覚的な詩として解釈できるかもしれません。これは、日本の芸術にしばしば見られる深みに特徴的な、季節の単純な描写を超えた、より複雑な象徴的表現へと移行します。  



本阿弥光甫と琳派の伝統


本阿弥光悦(1558-1637年)は、俵屋宗達と共に琳派の創始者の一人とされます。光悦は書家、陶芸家、漆芸家であり、鷹峯に芸術村を築いた中心的な文化人でした。光悦の孫であり弟子であった光甫は、この琳派の黎明期の環境に直接身を置いていました。彼は光悦の芸術的多才性と美的感覚を受け継ぎました。  


「藤・牡丹・楓図」には、琳派の様式的要素が顕著に見られます。まず、琳派芸術は強い装飾性を特徴とし、しばしば大胆な構図、豊かな色彩(光甫の場合は「繊細」と評されますが)、そして文様や意匠への重点を置きます。光甫の作品は、花々の優美な配置により、この傾向と一致します。次に、前述の通り、光甫による「たらしこみ」技法の使用 は、宗達への直接的なつながりであり、琳派の重要な技法です。さらに、「繊細な色感」 と花葉の細密な描写は、琳派が追求した優雅さと洗練を反映しています。自然の形態を描写しつつも、琳派の芸術家はしばしば装飾効果のために要素を様式化し、抽象化しました。光甫が縦長の画面を活かし、モチーフを配置する方法は、強い意匠意識を示唆しています。最後に、「藤・牡丹・楓図」は絵画ですが、光甫が陶芸や書にも秀でていたこと は、「美術」と「工芸」の境界を曖昧にする、異なる芸術媒体を横断して活動する琳派の傾向を反映しています。  


光甫はまた、藤田美術館所蔵の「藤・蓮・楓図」三幅対も描いています 。夏の軸に牡丹の代わりに蓮(東アジア美術において同様に高い象徴性を持つ花)が描かれている点は注目すべき相違点です。これら二つの三幅対を比較分析することで、光甫の季節の主題や花の描写に対するアプローチのさらなるニュアンスが明らかになるかもしれません。  


特筆すべきは、後の琳派の巨匠である酒井抱一(1761-1828年)やその弟子鈴木其一(1796-1858年)が、光甫の「藤・蓮・楓図」を模写したり、それに触発された作品を制作したりしたことです 。MOA美術館所蔵の抱一の作品には、その落款に「倣空中斎之図」(空中斎の図に倣う)と明記されています 。このような模写は琳派において一般的な慣習であり、先達の様式を学び、敬意を表し、伝承する方法として機能しました 。  


抱一や其一のような著名な後代の琳派画家が光甫の作品を積極的に研究し模写したという事実は、光甫の地位を高めるものです。彼は単に光悦の遺産を受け継いだだけでなく、彼自身の創作が模倣に値すると見なされ、世代を超えて受け継がれる琳派の規範の一部となった芸術家でした。抱一や其一ほどの画家による模写 は、光甫の芸術的重要性の強力な指標です。琳派の伝承は、しばしば後代の画家が先人の作品を再解釈する、このような敬虔な模倣行為を通じて行われました 。光甫の「藤・蓮・楓図」が模範として選ばれたとすれば、それは彼の構図、技法(たらしこみや繊細な彩色など)、そして全体的な美意識が模範的であり、琳派様式の基礎をなすものと考えられたことを意味します。これは光甫を、琳派の伝統を積極的に形成し、その後期発展に影響を与えた重要な橋渡し的人物として位置づけ、単に光悦や後の江戸琳派の巨匠たちに隠れたマイナーな画家ではないことを示しています。彼の作品は「江戸琳派」復興の源泉となりました。  


琳派は、狩野派のような直接的な師弟関係による工房制度としての「流派」ではありませんでした。むしろ、光悦や宗達(そして後には尾形光琳)の様式を、しばしば世代間の隔たりを超えて敬愛し、復興させた芸術家たちによって特徴づけられます 。光甫の光悦との直接的な家族関係および師弟関係は、彼をこの系譜の初期かつ有機的な一部としています。資料は琳派の始まりを光悦と宗達に求め 、尾形光琳や酒井抱一といった後代の画家による復興を記述しています 。光悦の孫である光甫 は、特異な立場にあります。彼は遠くから「復興者」なのではなく、光悦の芸術精神と、おそらくはその技法の多くを直接受け継いだ人物です。したがって、彼の作品は光悦=宗達様式の初期の継続と解釈を代表します。抱一による彼の作品の後期模写 は、光甫の解釈が評価され、抱一が復興し発展させようとした「琳派の伝統」の一部となったことを裏付けています。これは、琳派の系譜のやや流動的でありながらも相互に関連した性質を浮き彫りにします。  




さいごに


本阿弥光甫筆「藤・牡丹・楓図」の不朽の意義


本阿弥光甫筆「藤・牡丹・楓図」は、その芸術的価値と歴史的重要性において、江戸時代初期の日本美術を代表する作品の一つとして評価されます。本作の卓越性は、まず、縦長の掛軸形式に合わせた優美な構図、特に藤の描写に見られる空間の巧みな利用に現れています。次に、樹幹に施された「たらしこみ」技法の見事な駆使は、質感と生命感を生み出し、琳派の技法を継承しつつ独自の表現へと昇華させています。さらに、花葉に用いられた繊細かつ洗練された色彩感覚は、季節の移ろいを調和的に描き出し、光甫の高度な技術と洗練された美的感覚を証明しています。  


歴史的に見れば、本作は初期琳派様式の花鳥画の典型例として、本阿弥光悦や俵屋宗達から受け継がれた美的原則を具体的に示しています。さらに重要なのは、光甫が単にこの伝統の継承者であっただけでなく、その作品が酒井抱一のような後代の琳派の巨匠たちによって研究され、模倣された影響力のある芸術家であったという点です。これは、光甫が琳派の伝承と進化において不可欠な環であったことを確立します。  


「藤・牡丹・楓図」は、藤田美術館所蔵の「藤・蓮・楓図」 と共に、光甫の絵画活動の重要な側面を代表し、彼の名高い陶芸(「空中信楽」)や刀剣鑑定の職務を補完するものです 。この三幅対は、琳派の創始者たちに続く世代における同派の独特な様式の継続と発展を示し、琳派の系譜における光甫の重要な初期の人物としての地位を確固たるものにします。  


光甫は確立されたジャンル(花鳥画、季節の三幅対)の中で制作し、芸術的遺産(本阿弥家、初期琳派)を受け継ぎましたが、「藤・牡丹・楓図」は単なる模倣ではありません。「繊細な色感」や特定の構図の選択は、彼個人の芸術的感性を反映しています。この作品は統合の具体化です。主題(季節の花々 )、形式(三幅対 )、技法(たらしこみ )は、既存の伝統と勃興しつつあった琳派様式に結びついています。しかし、光甫の「高度な技術」と「繊細な色感」 への一貫した言及は、独自の芸術的声を示唆しています。彼は単に光悦や宗達を複製しているのではなく、彼自身の洗練されたレンズを通して彼らの革新を解釈し、適用しています。抱一が光甫の特定の描写を模写することを選んだという事実は、光甫の解釈がそれ自身の明確な価値と魅力を持っていたことを意味します。したがって、この絵画は伝統の担い手として、そしてその伝統の中での光甫の個人的な芸術性の表現として、両方の意味で重要です。  


最終的に、本阿弥光甫の「藤・牡丹・楓図」は、江戸時代初期の日本美術の洗練された世界を垣間見せる、魅力的な作品であり続けています。その繊細な美しさ、技術的な熟達、そして美術史的重要性は、日本絵画および琳派の伝統の研究にとって、その不朽の魅力と重要性を保証するものです。





参考







bottom of page