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琳派・酒井抱一の絵手本:鶯邨畫譜

江戸時代後期の絵師、俳人・酒井抱一(宝暦11年(1761)~文政11年(1829))は、尾形光琳に私淑し琳派の雅な画風を、俳味を取り入れた詩情ある洒脱な画風に翻案し江戸琳派の祖となった人物です。


書名の鶯邨(おうそん)とは酒井抱一の俳号で、49歳で移り住んだ根岸が鶯で有名だったことからきています。この資料は、絵手本として出版されました。


和の草花や縁起物を描いたもの、平安時代から続くやまと絵という伝統的な様式の人物画が収められ、特徴的な美しいグラデーションは、拭きぼかしという版木をしめらせて刷る錦絵の高度な技法によるものです。


『光琳百図』と『尾形流略印譜』同様、初版本(1815年)の表紙は波模様の雲母刷でした。波も光琳の代表的モチーフで、のちに「光琳波」と呼ばれるようになり、特に工芸の分野ではよく利用されています。


酒井抱一画の画譜。大本1冊。名古屋永楽屋東四郎の求板本。初板は、文化14年(1817)2月、江戸和泉屋庄次郎刊。文化14年首春の佐原菊塢の跋を添える。淡色摺り。抱一の自画を元に作製された画譜。画題は富士、糸桜、女郎花、梅、笛、桜町大納言、杜若、その他で、和の草花、公卿、官女、行事など。淡泊な色使いを基調に、拭きぼかしを施すなどして気品に満ちた世界を現出した。「文詮」「軽挙道人」「雨華道人」「鶯邨」などの印章はすべて抱一自身が使用していたものを模刻、押捺する。賛の句もすべて抱一の自筆板下。江戸琳派の領袖抱一が趣味を凝らした自製画譜として人気が高かった。当該本は、見返しに東壁堂(永楽屋東四郎)、奥付に須原屋佐助の名が見えるが、見返しに「鶯邨画譜」の書名を明記するので、板元は東壁堂で、奥付は売り広めの際に綴じ込んだものか。近世末期の摺り。(鈴木淳) 引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/2542559/1/12



抱一 筆『鶯邨畫譜』,須原屋佐助,[18--].

国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2542559


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