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海を渡った日本の美:メトロポリタン美術館の尾形光琳『八橋図屏風』

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 5月22日
  • 読了時間: 8分

メトロポリタン美術館が所蔵する八橋図屏風は、江戸時代に活躍した日本の画家、尾形光琳の代表作です。本作品は、日本の古典文学『伊勢物語』に由来する「八橋」の主題を、琳派様式特有の装飾性と大胆な構図で表現した、江戸時代絵画の金字塔とされています。



上 右隻  下 左隻 Title: Irises at Yatsuhashi (Eight Bridges) Artist: Ogata Kōrin (Japanese, 1658–1716) Period: Edo period (1615–1868) Date: after 1709 Culture: Japan Medium: Pair of six-panel folding screens; ink and color on gold leaf on paper Dimensions: Image (each screen): 64 7/16 in. x 11ft. 6 3/4 in. (163.7 x 352.4 cm)Overall (each screen): 70 1/2 in. x 12 ft. 2 1/4 in. (179.1 x 371.5 cm) Classification: Paintings Credit Line: Purchase, Louisa Eldridge McBurney Gift, 1953 https://www.metmuseum.org/art/collection/search/39664


八橋図屛風
Title: Irises at Yatsuhashi (Eight Bridges) Artist: Ogata Kōrin (Japanese, 1658–1716) Period: Edo period (1615–1868) Date: after 1709 Culture: Japan Medium: Pair of six-panel folding screens; ink and color on gold leaf on paper Dimensions: Image (each screen): 64 7/16 in. x 11ft. 6 3/4 in. (163.7 x 352.4 cm)Overall (each screen): 70 1/2 in. x 12 ft. 2 1/4 in. (179.1 x 371.5 cm) Classification: Paintings Credit Line: Purchase, Louisa Eldridge McBurney Gift, 1953 https://www.metmuseum.org/art/collection/search/39664



作品の基本情報


メトロポリタン美術館に所蔵されている「八橋図屏風」は、正式名称を「Irises at Yatsuhashi (Eight Bridges)」と称し、日本の美術史における重要な位置を占める作品です。作者は、江戸時代中期の代表的な画家であり、「琳派」と称される画派の確立に大きく貢献した尾形光琳(1658–1716)です。


本作品は、金箔を全面に施した紙に、墨と色彩で描かれた六曲一双の屏風絵です。2012年の科学調査により、この作品の下地に全面金箔が施されていることが確認されており、その豪華さと視覚効果の源泉が明らかになっています。技法としては、インク、色彩、金箔、紙が用いられていますが 、特に橋の部分には琳派特有の「たらしこみ」の技法が多用されており、力強い幾何学的な形態に柔らかみを与えています。


作品のサイズは、各隻の画面部分が縦163.7 cm、横352.4 cmであり、全体では縦179.1 cm、横371.5 cmに及びます。この大画面は、作品の持つ装飾性と迫力を一層際立たせています。



『伊勢物語』と「八橋」の主題


八橋図屏風の主題は、日本の古典文学の傑作『伊勢物語』の第九段「八橋」に深く根ざしています。



物語の背景と在原業平の歌


『伊勢物語』の第九段では、主人公(一般的に在原業平と比定される)が、高位の宮廷女性との不倫の末に京都を追放され、東国へ旅立つ道中で「八橋」という場所に立ち寄る情景が描かれています。この「八橋」は、水路が八つに分かれ、それぞれに橋がかかっている景勝地として描写されており 、現在の愛知県知立市八橋町がその舞台とされています。  


この地で、燕子花の美しい光景に触発された主人公は、故郷を懐かしむ恋歌を詠みます。その歌は「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」であり、各行の最初の音節を縦に読むと「かきつばた」となる「折句」という高度な技巧が凝らされています。


かりごろも

きつつなれにし

つましあれば

はるばるきぬる

たびをしぞおもう


この和歌は英語に翻訳されていますが、原文の複雑な言葉遊びを完全に伝えることは困難です。しかし、翻訳者のジョン・T・カーペンターは英訳でも頭文字を取ると「IRISES」(アイリス、燕子花の英名)となるように工夫しています。


I wear robes with well-worn hems,

Reminding me of my dear wife

I fondly think of always,

So as my sojourn stretches on

Ever farther from home,

Sadness fills my thoughts.



作品における物語の表現と解釈


光琳の「八橋図屏風」は、垂直に伸びる燕子花の堂々とした姿と、対角線上に広がる角張った橋が特徴で、この『伊勢物語』の一節を直接的に参照しています 。作品は右から左へ鑑賞するように意図されており 、これは物語の進行方向と一致し、鑑賞者が物語の世界に没入することを促します。  


この作品における文学主題の視覚化は、光琳の革新的なアプローチを示すものです。作品は『伊勢物語』の特定の段落を直接的に参照していますが 、光琳は単に物語を絵にするだけでなく、それを「解釈」し、再構築しています。「八橋」は、水路が蜘蛛の脚のように分かれ、八つの橋がかかっている場所と描写されていますが 、光琳の作品は、「垂直に伸びる燕子花」と「対角線上に広がる角張った橋」を特徴としています 。この作品を、橋が描かれず、主に燕子花が象徴的に描かれている根津美術館の「燕子花図屏風」と比較すると 、その違いが明確になります。「八橋図屏風」において、光琳は単なる描写を超え、対角線上に配置された「角張った橋」を、力強く、ほとんど抽象的なデザイン要素として構図を支配させています。この幾何学的な抽象化は、様式化されつつも生命力にあふれる燕子花と組み合わされ、物語の挿絵を高度に装飾的で概念的に洗練された芸術作品へと昇華させています。これは、光琳の円熟した様式が、単純な描写を超えて「魅惑的なグラフィックの力強さ」を生み出していることを示しており、琳派が古典的な主題を再解釈する上での重要な側面を体現しています。光琳は、古典文学の情景を、自身の独自の装飾的センスと革新的な構図で再構築することで、視覚的な美しさと物語の深みを両立させているのです。



八橋図屏風の芸術的特徴と技法


八橋図屏風は、尾形光琳の芸術的成熟を示す傑作であり、その構図、色彩、そして独特の技法に光琳の革新性が凝縮されています。



構図、色彩、金箔の使用


本作品は、六曲一双の屏風に、垂直に伸びる燕子花と対角線上に広がる角張った橋が特徴的に描かれています 。画面全体は金地で覆われており、燕子花の鮮やかな青(群青)と緑(緑青)が際立っています。この金地は、光の反射によって作品に奥行きと輝きを与え、装飾性を高めています。2012年の科学調査では、この金地が全面金箔であることが確認され、顔料が細かい粒度から粗い粒度へと塗り重ねられ、その厚さが0.6mmに達することが明らかになりました。  


構図は「disarmingly simple composition and captivating graphic potency」(人を惑わせるほどにシンプルな構図と、魅惑的なグラフィックの力強さ)と評されており、その簡潔さの中に強い視覚的魅力を秘めています。橋の配置は稲妻のように画面を横切り、幾何学的な要素を大胆に取り入れています。これは、主題を明確に示しつつ、極めて現代的なデザイン感覚を提示するものです。  



燕子花の鮮やかな青(群青)と緑(緑青)



たらしこみ技法などの詳細な分析


橋の部分には、琳派特有の「たらしこみ」技法が効果的に用いられています 。これは、先に塗った絵の具が乾かないうちに別の絵の具を落とし、にじみやぼかしの効果を生み出す技法で、橋の力強い幾何学的形態に柔らかみと奥行きを与えています。この技法は、光琳が素材の性質を深く理解し、それを最大限に活用して視覚効果を高める能力を示しています。  


燕子花の描写においても、文様的な表現と博物学的なリアリズムが共存している点が指摘されています。花の色合いや形状、葉の表現には、左右の隻で微妙な違いが見られ、単なる繰り返しではない、計算された変化が施されています。右隻が単純な緑のベタ塗りであるのに対し、左隻の葉には緑に金泥が加えられ、影や模様を成している点も、細部へのこだわりと表現の多様性を示しています。  


八橋図屛風 たらしこみ部分
八橋図屛風 橋のたらしこみ部分



光琳晩年の画風と技法の変化


八橋図屏風は、光琳の晩年、特に50代半ばの作品とされており 、彼の画業の成熟期における新たな試みを示しています。この時期の光琳は、先行する画家たちの構図をさらに抽象化し、簡素化する傾向を見せています。本作品における橋の幾何学的な配置は、この抽象化への志向を明確に示しています。  


幾何学的に大胆な橋に「たらしこみ」を意図的に使用することは、単なる様式的な装飾ではなく、芸術的な「戦略的選択」と解釈できます。この技法により、抽象的な形態が持つ潜在的な硬さが和らげられ、有機的な燕子花や金色の背景と調和しています。これは、視覚的なバランスと質感の相互作用に対する光琳の洗練された理解を示唆しています。この作品が1709年以降、つまり光琳のキャリアの後期に制作されたことを考慮すると、これは光琳が大胆でモダンなデザインと、日本の伝統的な美意識(不完全さの美や自然な流れなど)を融合させようとする円熟した芸術的意図を反映していると考えられます。幾何学的抽象と有機的な柔らかさのこの融合は、輝く金地によって増幅され、彼の晩年の様式の象徴であり、作品の永続的な力強さに貢献しています。



さいごに


本作品は、単なる美術作品に留まらず、日本の古典文学、美術史などを多層的な物語を内包する傑作です。『伊勢物語』の文学的深遠さを、光琳独自の装飾的かつ抽象的な様式で視覚化したものです。垂直に伸びる燕子花と、稲妻のように配置された橋の構図は、物語の情景を直接的に表現しつつも、琳派特有の洗練されたデザイン感覚と力強いグラフィックの魅力を兼ね備えています。特に、金箔の全面的な使用や「たらしこみ」技法の巧みな応用は、光琳が素材の特性を最大限に引き出し、視覚効果を高めることに長けていたことを示しています。


今後も、この作品は世界中の研究者や美術愛好家にとって、尽きることのない探求の対象であり続けるでしょう。その美と歴史的意義は、未来の世代へと受け継がれていくべき貴重な文化遺産として、その輝きを放ち続けることでしょう。




参考







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