江戸桜、紙上に永遠の春を刻む:『古今要覧稿』の桜図譜
- JBC
- 2024年3月8日
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更新日:6月6日
1. 序論:屋代弘賢と『古今要覧稿』の成立
1.1. 屋代弘賢:その学識と時代
江戸時代後期に活躍した国学者、屋代弘賢(1758~1841)は、近世日本の知の集積と編纂事業に多大な貢献を果たした人物です。江戸に生まれた弘賢は、塙保己一に国学を、山本北山に儒学を、冷泉為村に和歌を学ぶなど、広範な学問分野に精通していました。その学識は幕府にも認められ、書役から右筆へと昇進し、最終的には奥右筆格旗本として幕政の中枢にも関与しました。
弘賢の業績は多岐にわたり、師である塙保己一の『群書類従』編纂事業への参加、柴野栗山の『国鑑』編纂協力、そして幕命による『寛政重修諸家譜』の編纂従事などが挙げられます。これらの経験は、彼の文献調査と組織化の能力を一層高めました。弘賢は「該博な学識」で知られる碩学であっただけでなく、ロシアへの幕府返書を清書するなど能書家としても名を馳せ、さらには上野不忍池のほとりに5万巻の蔵書を収めた「不忍文庫」を設けた当代随一の蔵書家でもありました。
1.2. 『古今要覧稿』:百科全書的構想
『古今要覧稿』は、江戸時代後期に幕府の命(幕命)によって編纂が開始された大規模な類書(百科事典)です。編纂期間は主に文政4年(1821)から天保13年(1842)に及び、弘賢がその中心的役割を担いました。
2. 『古今要覧稿』:編纂、構成、歴史的文脈
2.1. 幕府の命と編纂の目的
『古今要覧稿』の編纂は幕府の直接命令であり、屋代弘賢が総判(編集主幹)としてその任にあたりました。当初は全1000巻という壮大な計画でしたが、弘賢が没するまでの22年間に560巻が完成し、幕府へ進献された後、編纂事業は中絶しました。このような大規模な百科事典の編纂事業は、知識の集約と体系化を目指す幕府の意図を反映しており、中央集権国家としての文化的・知的権威を示そうとする試みと解釈できます。長期にわたる編纂期間と投入された資源は、この事業の重要性を物語っています。
2.2. 構成と内容組織
『古今要覧稿』は、「諸事項を分類し、その起源・歴史などを古今の文献をあげて考証解説したもの」であり、「自然・社会・人文の諸事項」を網羅することを目指しました。その部門は、神祇、姓氏、時令、地理、草木、人事、器材、禽獣、装束、歳時など多岐にわたりました。各項目においては、まず総説を述べ、古文献の記述や関連する和歌を引用し、異名などを示すという体裁をとっており、その引用の豊富さと詳細さが高く評価されています。また、図版も重要な構成要素でした。例えば、動物の項目では中島仰山筆による82図の彩色画が添えられ、形状、行動、産地、効用などが説明されています。これは植物図譜に関しても同様の配慮がなされた可能性を示唆しますが、植物図の筆者については現存資料からは特定されていません。
2.3. 歴史的・文化的意義
『古今要覧稿』は、「日本初の本格的な類書」と評され、「質量ともに近世の類書を代表する業績」として、江戸時代後期の国書学(国学)や実証的研究の隆盛を象徴する存在です。古典籍に深く依拠しつつも、体系的な分類、詳細な記述、典拠の明示、そして特に自然誌的項目における図版の活用は、伝統的な学問手法と、当時発展しつつあった本草学(薬物学・博物学)に見られる経験的・観察的な方法論との接点を示しています。これは、日本の知的伝統における一つの過渡期の様相を呈していると言えます。
2.4. 保存と現存資料
幕府に献上された『古今要覧稿』560巻の正本は、弘賢没後の天保15年(1844)5月に発生した江戸城本丸火災により、その大部分が焼失しました。わずか4冊が難を逃れ、紅葉山文庫に収められたと伝えられます。しかし幸いなことに、弘賢自身が所蔵していた稿本(旧蔵本)が存在し、これには彼の蔵書印「不忍文庫」が捺されています。この弘賢旧蔵本(全178冊または179冊)は明治13年(1880)に内務省が購入し、現在は国立公文書館の貴重な所蔵資料となっています。その他、国立国会図書館、静嘉堂文庫、東洋文庫、無窮会図書館などにも写本や断簡が分蔵されています。特に『国書総目録』には、村野文庫所蔵の「桜の部」14冊をはじめ、各所に散在する草木部などの写本が記録されています。幕府正本の焼失という事実は、大規模な手稿資料の脆弱性を物語る一方、弘賢の私家版や他の写本の存在、そして近代以降の機関による収集・保存が、この貴重な文化遺産を現代に伝える上で決定的な役割を果たしたことを示しています。
3. 『古今要覧稿』における桜図
3.1. 桜図の所在:百科事典中の位置づけ
『古今要覧稿』における桜の図版は、「草木」の部門に収録されています。国立公文書館所蔵の弘賢旧蔵本では、「江戸桜」の図が冊次70に確認できます。同資料では椿が冊次82にあり、植物図が複数の冊にまたがって収録されていることがわかります。
特筆すべきは、『国書総目録』に村野文庫所蔵として「桜の部、一四冊」という記述が見られる点です。これは、桜が単に他の植物と同列に扱われたのではなく、独立した「部」として14冊もの分量を割いて集中的に記述・図示された可能性を示唆しており、桜という植物に対する編纂者の並々ならぬ関心の深さを物語っています。国立国会図書館のNDLイメージバンクでは、「『古今要覧稿』の桜図」と題したテーマページが設けられ、一部図版がデジタル公開されており、その内容の一端を窺い知ることができます。
3.2. 描かれた桜の品種分析
『古今要覧稿』には、19世紀初頭に知られていた多様な桜の品種が記録されています。
詳細が言及されている主な品種:
江戸桜:国立公文書館所蔵本の冊次70に図示されています。同館からはこの図の絵葉書も発行されています。NDLイメージバンクにも掲載されています。
十月桜:『古今要覧稿』には、「秋の末より冬の初めまで花を放つ。三月も時を失わず開く」とあり、元来は山桜の一種で10月の開花は狂い咲き(狂花)であると記されています。他の木々の狂い咲きとは異なり、毎年この時期に咲くのが特徴とされます。同書掲載の図は一重五弁の花として描かれており、現代の半八重が多い十月桜とは異なる場合があることが指摘されており、園芸品種の変遷を辿る上で貴重な情報を提供します。
有明:NDLイメージバンクにて『古今要覧稿』所収の有明の図が公開されています。この図は、御室有明などの品種と比較検討する際に参照されることがあります。
NDLイメージバンク掲載品種一覧(より):
NDLイメージバンクの「『古今要覧稿』の桜図」のページには、以下の多数の品種名が挙げられており、これらが図示または記述されていると考えられます。
雲の山、雪山、薄墨櫻、桐谷、来福寺車返、江戸單(江戸桜の一重咲きの意か)、法轉寺、江戸法輪寺、廊間、海棠櫻、千本櫻、異種千本櫻、九重櫻、浅黄、樺櫻、欝金櫻、楊貴妃、小手毬、大手毬、糸括。
十月桜に関する記述のような具体的な情報は、『古今要覧稿』が単なる花の図集ではなく、既知の桜の多様性を記録しようとした真摯な試みであったことを示しています。それゆえに、本書は江戸時代の園芸、品種の命名法、そして特定の栽培品種の歴史的変遷を理解するための極めて貴重な一次資料となります。十月桜の図と現代の品種との間に見られる相違点は、その歴史植物学的な有用性を示す好例です。
3.3. 桜図の様式と図像的特徴
『古今要覧稿』所収の桜図の具体的な画風に関する直接的な情報は限られていますが、江戸時代の植物画全般の傾向や比較可能な点から推察することは可能です。
まず、図版は百科事典の不可欠な要素として、「必要に応じて絵図や解説を加えています」と明記されている通り、単なる装飾ではなく、内容理解を助けるためのものでした。動物図が中島仰山による彩色画であったことから、重要な植物図である桜図も同様に彩色されていた可能性が高いです。江戸時代の桜図譜では、しばしば岩絵具が用いられ、色彩が良好に保存されている例が多いです。
江戸時代の植物図は、「植物を細密に写し取った『図譜』」が作られたとあるように、詳細かつ正確な描写を目指す傾向がありました。これは、百科事典の学術的性格とも合致しています。ただし、完全に科学的な図譜に徹するのではなく、当時の美術的様式や日本の伝統絵画の技法も取り入れられていたと考えられます。例えば、長谷川久蔵筆『桜図』(智積院蔵、本作は『古今要覧稿』とは直接関係ありません)の分析では、花を正面向きに描く、視覚的効果のために花を誇張して大きく描く、背景の中遠景を金雲や「すやり霞」で隠すといった伝統的手法、そして主題である樹木は装飾的・様式的に、手前の草花は写実的に描くといった対比的な表現が見られることが指摘されています。『古今要覧稿』の桜図が、こうした同時代の絵画的特徴をどの程度共有していたかは、実見による分析が待たれます。また、長谷川久蔵の作品では、胡粉を厚く盛り上げて花弁の立体感を出す技法も用いられています。
桜図の筆者については、動物図の中島仰山のように特定されておらず、彼が植物図も担当したのか、あるいは別の専門絵師が関与したのかは不明です。筆者の技量や専門性によって、図の質や様式は大きく左右されます。動物図の筆者が明記されているのに対し、植物図の筆者が(現存資料の範囲では)不明である点は、プロジェクト内での主題の序列や、あるいは膨大な植物図に対して複数の、あるいはそれほど著名ではない絵師が動員された可能性を示唆しているのかもしれません。
総じて、『古今要覧稿』の桜図は、百科事典としての記録・同定という学術的目的と、江戸時代の美的感覚や絵画技術とが融合したものであったと推測されます。色彩豊かに、ある程度の正確さをもって描かれつつも、構図や細部の表現には当時の絵画的約束事が反映されていた可能性が高いです。
3.4. 付随する解説文と百科全書的情報
『古今要覧稿』は、各項目について「考証解説」を加え、「古今の文献」を引用することを基本方針としていました。桜を含む植物の項目では、以下のような情報が含まれていたと考えられます。
名称(異名、地方名、雅名など)
当時の理解に基づく植物学的特徴
由来や分布
文化的意義(和歌における詠まれ方、名所との関連など)
実用的側面(薬用、材用など。ただし観賞用の桜では比重は低いかもしれません)
「十月桜」の項目はその好例です。特異な開花期(「秋の末より冬の初めまで花を放つ。三月も時を失わず開く」)、植物学的な位置づけの試み(「元来山桜の一種にして」)、その開花現象の解釈(「十月ひらくは狂花なりという」)、そして他の樹木の不時開花との区別(「狂花は諸木ともにひらけどもかならず年毎にひらくものにあらず。是一種の桜なり」)などが記述されています。
このように、詳細な図版と、慎重に調査・編纂された解説文とが組み合わされることで、『古今要覧稿』は知識伝達のための強力な手段となりました。解説文が図版に文脈を与え、図版が解説文を視覚的に補強するという相乗効果は、網羅的な理解を目指す百科事典にとって不可欠な要素であり、編纂における洗練されたアプローチを物語っています。
4. 江戸時代植物画の文脈における桜図
4.1. 同時代の植物図譜との比較
『古今要覧稿』の植物図、特に桜図は、孤立して生まれたものではなく、江戸時代における博物学、園芸、そして植物の詳細な視覚的記録への関心の高まりという大きな潮流の中に位置づけられます。
同時期に活躍した代表的な本草学者・画家に、岩崎灌園(1786~1842)がいます。彼の著作『本草図譜』(1828年頃成立)は、日本初の本格的な彩色植物図鑑とされ、鮮明な図と解説で知られています。『古今要覧稿』とほぼ同時期に編纂された『本草図譜』は、同じ知的環境の産物であり、両者を比較することで、図の精密さ、芸術的様式、対象種の範囲などについて興味深い知見が得られる可能性があります。
また、毛利梅園(1798~1851)の『梅園草木花譜』(文政8年(1825)序)も特筆すべき大著です。四季別に構成されたこの図譜の「春之部」には、多数の桜の品種が収録されており、その精密さと芸術性は高く評価されています。
江戸時代の植物画全般の傾向としては、本草学の発展に伴い、植物を「細密に写し取った」図譜が数多く制作されたことが挙げられます。園芸書や図譜では、現在では見られないものを含む多数の桜の品種名が記録され、その姿が詳細に写生されました。『古今要覧稿』は総合百科事典でありながら、その植物部門、とりわけ桜図は、こうした専門的な知識や図譜制作の隆盛の恩恵を受け、またそれに貢献するものであったと言えます。
4.2. 江戸時代における桜の文化的意義
桜は古来より日本文化に深く根ざし、儚さ、美、そして国民的アイデンティティの象徴とされてきました。花見はあらゆる階層の人々によって楽しまれる広範な社会的慣習であり、江戸時代には園芸技術の発展に伴い、数多くの栽培品種が作出され、普及しました。
『古今要覧稿』のような国家事業とも言える大規模な百科事典において、桜にこれほど詳細な記述と図版が割かれたのは、単なる植物学的関心からだけではなく、このような桜の持つ絶大な文化的・美的重要性、そして社会的な位置づけを直接反映したものでした。編纂者も読者も、桜の象徴性や花見の習慣を共有しており、桜図は同時代の人々にとって深い共感を呼ぶものであったに違いありません。
5. 桜図へのアクセス:現代の資料とコレクション
5.1. 国立国会図書館
国立国会図書館は、『古今要覧稿』の写本の一部を所蔵しています。特に同館のNDLイメージバンクには、「『古今要覧稿』の桜図」と題されたテーマページがあり、前述の品種リストにあるような具体的な桜図をデジタル画像で閲覧することが可能です。また、国立国会図書館デジタルコレクションを通じて、『古今要覧稿』全体のデジタル化資料にアクセスできる場合もありますが、特定の桜図を見つけ出すには、巻号や構成に関する知識が必要となる場合があります。
5.2. 国立公文書館
国立公文書館は、屋代弘賢の旧蔵本(全178冊または179冊)を所蔵しており、これが現存する『古今要覧稿』の最もまとまった形の一つです。冊次70収録の「江戸桜」の図はこのコレクションに含まれ、同館から絵葉書も販売されています。国立公文書館デジタルアーカイブでも『古今要覧稿』の画像が公開されており、氏家幹人氏による「『古今要覧稿』『庶物類纂図翼』絵図細目」という図版目録の存在も示唆されています。
5.3. その他のコレクション
『国書総目録』によれば、村野文庫が『古今要覧稿』の「桜の部」14冊という、桜に特化したまとまった部分を所蔵していることがわかります。この村野文庫の現所在地と閲覧可能性は、桜図の全体像を把握しようとする研究者にとって重要な情報となります。その他、静嘉堂文庫、東洋文庫、無窮会図書館などにも断片的な資料が所蔵されています。
6. 結論:『古今要覧稿』桜図の今日的意義
屋代弘賢編纂の『古今要覧稿』に収録された桜図は、幕府主導の大規模な百科全書プロジェクトの一環として制作され、当時の既知の桜の多様性を記録し、江戸時代の美意識と記録への情熱を反映した芸術的特質を兼ね備えています。
これらの桜図は、以下の点を理解する上で極めて重要な価値を持ちます。
屋代弘賢のような碩学の知的野心と、江戸時代の学術的水準。
日本における植物図および博物学研究の歴史。
19世紀初頭の園芸技術と桜の栽培品種の多様性。
日本社会における桜の深い文化的共鳴。
弘賢自身の努力によって保存され、近代以降のアーカイヴ機関による収集と保存、そして現代のデジタル技術によってますますアクセスが容易になっているこれらの図版は、歴史資料として今後も継続的な研究と鑑賞の対象となるでしょう。
『古今要覧稿』の桜図を詳細に検討することは、単に美しい花の絵を見る以上の意味を持ちます。それは、江戸時代の学術的方法論、芸術的慣習、国家の優先事項、園芸への関心を含む文化的価値観、そして知識保存の困難と成功といった、より広範な江戸時代の知的・文化的生活の諸相を映し出す小宇宙なのです。これらの図版は、日本の文化史を探求するための豊かで多層的な情報源として、その価値を失うことはないでしょう。
一部抜粋
屋代弘賢『古今要覧稿』[84],写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552374