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日本初の百科図鑑:訓蒙図彙

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2024年5月5日
  • 読了時間: 6分

更新日:1月26日


訓蒙図彙:江戸時代の知の集大成


『訓蒙図彙』は、江戸時代前期の儒学者・本草学者である中村惕斎(なかむらてきさい)によって寛文6年(1666年)に著された、日本初の図入り百科事典です 。全20巻からなる本書は、天文地理から動植物、人物、器物、建築物に至るまで、当時のあらゆる知識を網羅しており、子供から大人まで幅広い層に利用されました。   



訓蒙図彙の特徴


訓蒙図彙は、その名の通り「訓蒙」を目的とした書物で、以下のような特徴があります。


  • 図解による解説:漢字の横に仮名で読み方を記し、和名と漢文による簡潔な説明を添えることで、子供でも理解しやすいように工夫されています 。   

  • 幅広い分野を網羅:天文、地理、人物、動植物、生活用品など、多岐にわたる分野の事物を扱っています 。   

  • 実用的な知識:当時の生活に密着した内容が多く、人々の日常生活に役立つ知識を提供しています 。   




訓蒙図彙が日本で初めて出版された百科図鑑と言われる理由


訓蒙図彙以前にも百科事典は存在しましたが、図入りで百科事典的な構成を持つものはなく、訓蒙図彙が日本初の図入り百科事典といえます。

訓蒙図彙は、それまでの日本の書物には見られなかった、以下のような点で画期的なものでした。


  • 図と解説の組み合わせ:従来の書物は文字が中心でしたが、訓蒙図彙は図を効果的に用いることで、視覚的に理解を深めることを可能にしました。これは、当時の知識普及において革新的なアプローチでした 。   

  • 百科事典的な構成:さまざまな分野の知識を体系的にまとめ、網羅的に解説することで、総合的な知識の習得を促しました 。   

  • 平易な記述:漢文だけでなく、仮名や和名を用いることで、より多くの人々が理解できるように配慮しました 。   


また、儒教の興隆に伴い世俗的な知識への関心が高まったことも、訓蒙図彙の誕生を後押ししました 。これらの特徴から、訓蒙図彙は日本で初めて出版された百科図鑑と言えるでしょう。   




訓蒙図彙の内容


訓蒙図彙は、初版では20巻からなり、1484もの事物を収録しています 。 また、「俗称」や「異称」も記載されており、合計で5千語ほどが収録されています 。   


内容は、以下の分野を扱っています 。   


Category

Description

天文

日月星辰、気象現象など。例えば、日食や月食の解説も含まれています 。

地理

山川、国郡、名所など

居処

宮殿、住宅、庭園など

人物

帝王、官吏、学者、庶民など

身体

人体各部の名称、機能など

衣服

衣服、装身具など

宝貨

金銀、貨幣、宝石など

器用

武具、農具、楽器、文房具など

畜獣

犬、羊、猫、鼠などの家畜や野生動物

禽鳥

鳥類。例えば、鵜、鶴、鴛鴦、鳰など

龍魚

魚類、水生動物など

蟲介

昆虫、貝類など

米穀

米、麦、稗、麻、蕎麦などの穀物

菜蔬

野菜

果蓏

果物

樹竹

樹木、竹

花草

草花

   

後に元禄8年(1695年)に出版された『頭書増補訓蒙図彙』では、雑類を加えて21類としています 。   




構成


訓蒙図彙は、見開き1丁ごとに4つの事物を配し、それぞれの事物を図解と解説で説明するという構成になっています 。図は、『三才図会』『農政全書』など、中国の類書を参考にしながらも、日本の事物を多く取り入れている点が特徴です 。解説は、漢字、仮名、和名、漢文を併用することで、幅広い読者層に対応しています。   




訓蒙図彙の凡例

訓蒙図彙の冒頭には「凡例」があり、その編集方針を知ることができます 。 凡例には、「事物の名称は、漢字で記すが、実際には和名を主とする」とあり、児童の初学書として和名を重視したことがわかります。   


近世に入り、中江藤樹や山鹿素行などの儒学者が、儒学思想に基づいた教育論を展開しました 。彼らは、家督を継ぐ者など一部の人間だけでなく、社会全体に目を向けた教育の必要性を説きました。このような教育環境や意識の高まりの中で、惕斎は、儒学思想に基づいた実用的な図解事典である訓蒙図彙を著したのです 。   




訓蒙図彙の著者:中村惕斎


中村惕斎(1629年 - 1702年)は、江戸時代前期の京都で活躍した儒学者です 。幼い頃から学問に優れ、独学で朱子学を修めました。25歳で家業を継ぎますが、学問への情熱を抑えきれず、30歳で家業を捨てて学問に専念する道を選びます 。   


惕斎は、教育にも熱心で、子供たちが楽しみながら学べるようにと、図解を用いた百科事典である訓蒙図彙を著しました 。また、女子向けの教訓書である『女児鑑』も著しています。これらの書物から、惕斎が子供たちの教育にいかに心を砕いていたかが窺え、その教育に対する情熱が訓蒙図彙の出版にも繋がったといえるでしょう。   




訓蒙図彙が後世に与えた影響


訓蒙図彙は、後世の出版物、文化、教育に多大な影響を与えました。


教育への影響


訓蒙図彙は、子供向けの教育書として広く普及し、寺子屋などでも教材として用いられました 。また、『和爾雅』や『和字通例書』といった書物でも訓蒙図彙が参考にされています 。訓蒙図彙の図解を用いた解説方法は、後の教科書や図鑑などの模範となり、視覚的な学習という新たな手法を確立しました。   


文化への影響


訓蒙図彙は、人々の知識欲を刺激し、広く啓蒙活動に貢献しました 。また、博物学や本草学などの発展にも寄与しました。   



出版への影響


訓蒙図彙の成功は、多くの類書を生み出すきっかけとなりました 。『好色訓蒙図彙』、『女用訓蒙図彙』、『人倫訓蒙図彙』、『唐土訓蒙図彙』、『戯場訓蒙図彙』など、さまざまな分野で訓蒙図彙の名を冠した図入り百科事典が出版されました。   


また、『正徳ひな形』のように、訓蒙図彙の項目分類の影響を受けた「雛形本」(ひながたぼん)も出版されました 。   


西洋においても、エンゲルベルト・ケンペルが『日本誌』の挿絵に訓蒙図彙の図版を使用するなど 、海外にも影響を与えました 。   




結論


訓蒙図彙は、江戸時代前期に出版された日本初の図入り百科事典であり、子供から大人まで幅広い層に利用されました。その図解を用いた解説方法は、視覚的な理解を促す画期的なものであり、現代の百科事典や教育資料にも通じるものがあります。訓蒙図彙は、後の教科書や図鑑などの模範となり、教育、文化、出版など、さまざまな分野に大きな影響を与えました。

訓蒙図彙は、単なる百科事典ではなく、当時の社会や文化を反映した貴重な資料でもあります。儒教の興隆と世俗的な知識への関心の高まり、教育の普及といった、当時の社会状況が訓蒙図彙の誕生に繋がったといえます。現代においても、訓蒙図彙を研究することで、江戸時代の人々の知識や考え方、生活様式などを知ることができます。



※ 果蓏、樹竹、花草のみ抜粋。




果蓏


中村惕斎 編『訓蒙図彙 20巻』[13],山形屋,寛文6 [1666] 序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2569352





樹竹


中村惕斎 編『訓蒙図彙 20巻』[13],山形屋,寛文6 [1666] 序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2569352





花草


中村惕斎 編『訓蒙図彙 20巻』[14],山形屋,寛文6 [1666] 序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2569353







参考



京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/    


早稲田大学図書館古典籍総合データベース https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/




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