怡顔斎桜品と怡顔斎梅品
松岡恕庵について
松岡恕庵(1668~1746)は、江戸時代中期に活躍した本草学者です。京都に生まれ、名は玄達、通称は恕庵、号は怡顔斎でした。
恕庵は18歳の時、浅井周伯の私塾・養志堂に入門し東洋医学を学びました。その後、儒学を山崎闇斎、伊藤仁斎に、本草学を稲生若水に師事しました。儒教の経典である『詩経』に登場する動植物を理解するために本草学を学び始めたと言われています。東洋医学、儒学、本草学といった多岐にわたる学問を修め、日本の本草学に博物学的な視点を導入した先駆者と言えるでしょう。
享保6年(1721年)には、江戸の本草学発展のための人材として幕府に招聘され、薬物鑑定に従事しました。質素な生活を送る一方で、膨大な蔵書を和漢に分類し、2棟の大書庫に収蔵するなど、学問への情熱は並々ならぬものがありました。
代表的な著書に『用薬須知』『本草一家言』『食療正要』『桜品』『菌品』などがあります。特に『用薬須知』は、動植物の品類、形態、産地、方言などを詳細に記述しており、博物学的な本草学の価値を高めたと評価されています。多くの門人を育成したことでも知られ、小野蘭山、戸田旭山などがその代表です。恕庵の没後、門人によって『用薬須知後編』が刊行されました。
怡顔斎桜品
『怡顔斎桜品』は、宝暦8年(1758年)に刊行された、桜の品種図譜です。恕庵の原撰で、芦田純永が見聞した内容を補って完成させました。彼岸桜から不断桜まで、69種の桜の品種を掲載し、花や葉の形、色、開花時期などを図とともに解説しています。
奈良時代から八重咲きの桜が栽培されていたことが知られていますが、品種がまとまって記録されるようになったのは江戸時代からで、水野元勝の『花壇綱目』(1681年)には40品種の桜が掲載されています。多くの桜図譜が出版された江戸時代においても、『怡顔斎桜品』は、その質の高さから高く評価されています。古典などを参考にした恕庵の姿勢が、質の高い図譜の完成に繋がったと言えるでしょう。
また、『怡顔斎桜品』は、恕庵の死後に門人によって刊行されました。
怡顔斎梅品
『怡顔斎梅品』は、宝暦10年(1760年)に刊行された、梅の品種図譜です。上下2巻からなり、上巻には主に白色の花を、下巻には紅色と雑色の花を、合わせて60種収録しています。これは、わが国最初の梅花図譜です。
怡顔斎桜品と怡顔斎梅品の成立背景・目的・影響
江戸時代は、園芸が盛んになり、多くの植物図譜が出版されました。恕庵は、儒教思想の「正名」と「格物」の観点から、本草学における名物学を重視し、「怡顔斎シリーズ」と呼ばれる動植物を品目別に解説した図譜を著しました。このシリーズには、『怡顔斎桜品』、『怡顔斎梅品』のほか、『怡顔斎竹品』、『怡顔斎蘭品』などがあります。これは、当時の博物学的な関心の高まりを反映したものであり、美しい図と詳細な解説で、人々に広く親しまれました。
『怡顔斎桜品』は、日本の桜の品種を網羅的に記録したものであり、後世の桜研究に大きな影響を与えました。また、『怡顔斎梅品』は、わが国最初の梅花図譜として、梅の品種の保存と普及に貢献しました。それらの著作には、共通して、日本の動植物を詳細に観察し、記録するという姿勢が見られます。恕庵の著作群は、日本の本草学、ひいては博物学の発展に大きく貢献したと言えるでしょう。
結論
『怡顔斎桜品』と『怡顔斎梅品』は、江戸時代中期の著名な本草学者である松岡恕庵によって著された、桜と梅の品種図譜です。これらの図譜は、当時の園芸文化や博物学的な関心の高まりを反映したものであり、美しい図と詳細な解説によって、人々に広く親しまれました。現代においても、これらの図譜は、桜と梅の品種の変遷や当時の文化を知る上で貴重な資料として、高く評価されています。
恕庵の著作は、日本の本草学の発展に貢献しただけでなく、園芸文化の発展にも影響を与えた可能性があります。現代において、これらの図譜がオンラインで公開されたことは、学術的な研究の発展だけでなく、文化の継承と普及という点においても、大きな意義を持つと言えるでしょう。
怡顔斎桜品
松岡玄達 撰 ほか『怡顔齋櫻品』,安藤八左衞門 [ほか1名],宝暦8 [1758]. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2536945
怡顔斎梅品
巻之上
松岡玄達『怡顔斎梅品 2巻』,河内屋喜兵衛[ほか4名],宝暦10 [1760]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2607870