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小原古邨:海を越えて花開いた花鳥画の世界

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2023年12月17日
  • 読了時間: 21分

更新日:5月24日


小原古邨は、明治末期から昭和初期にかけて活躍した日本の版画家であり、特にその花鳥画で国際的な評価を確立しました。古邨の作品は、繊細な描写と落ち着いた色彩が特徴であり、その芸術性は日本国内よりもむしろ海外で高く評価されてきました 。近年、日本国内では展覧会が開催されるなど、古邨の再評価の気運が高まり、改めて古邨の作品が注目を集めています。  


小原古邨の芸術家としての受容は、その生涯にわたって特異な様相を呈していました。古邨は生前から欧米のコレクターや美術館から支持を得ていたにもかかわらず、故国日本では長らくその名がほとんど知られることがありませんでした。この国内外における評価の乖離は、当時の日本の美術界が木版画を「美術品」としてではなく「職人技」と見なす傾向にあったこと、そして古邨の作品が主に海外輸出市場をターゲットとして制作されたことに起因します。明治期には写真や活版印刷の台頭により、木版画は報道としての役割を終え、国内市場は縮小の一途を辿っていました。このような状況下で、一部の版元は海外に活路を見出し、古邨のような絵師を起用して輸出向けの作品を制作しました 。  


しかし、近年になってこの状況は大きく変化しました。2018年に中外産業株式会社の倉庫から200点を超える大短冊形式の古邨作品が発見されたことが、日本における再評価の大きな契機となりました。これを皮切りに、茅ヶ崎市美術館や太田記念美術館などで大規模な展覧会が開催され、NHKの「日曜美術館」といった主要メディアで特集が組まれたことで、古邨の名は一躍広く知られるようになりました。この再評価の動きは、単に一人の忘れられた芸術家の発見に留まらず、近代日本美術史においてこれまで傍流とされてきた木版画、特に海外市場を意識して制作された作品群に対する新たな視点を提供するものです。それはまた、美術作品の価値がどのように形成され、時代や地域によってその評価が変動しうるかという、普遍的な問いを投げかけています。



生涯と初期の画業



生誕から逝去まで:生没年、出身地、本名、謎多き幼少期


小原古邨は、明治10年(1877)2月9日、石川県金沢市に本名・小原又雄として生を受けました 。彼の父親は加賀藩士で文書・記録の作成を担う人物であったとされていますが、古邨がわずか5歳の時に他界しています 。幼い頃から絵を描くことを好んでいたと伝えられていますが、その幼少期の足跡については謎が多く、詳細な経歴は今日に至るまで不明な点が多いとされています 。   


古邨の生涯は、明治から昭和という激動の時代と重なります。彼は昭和20年(1945)1月4日に68歳でその生涯を閉じました 。彼の晩年の活動は、第二次世界大戦の激化と重なり、版画制作が次第に困難になっていった時期とされています 。その謎多き生涯は、彼の作品が持つ普遍的な魅力と相まって、近年さらなる関心を集める要因となっています。   



日本画家としての出発:鈴木華邨への師事と初期の展覧会出品


小原古邨は、10代の頃に花鳥画を得意とした日本画家、鈴木華邨(1860-1919)に師事し、日本画の基礎を学びました。上京して華邨に学んだ具体的な経緯は明らかになっていませんが 、この師事によって、後の代名詞となる花鳥画の素養が培われたと考えられます。鈴木華邨は単なる画家にとどまらず、明治期の日本の殖産興業政策にも深く関わっていた人物であり、この師との出会いが古邨のキャリアに間接的な影響を与えた可能性も指摘されています。   


古邨が画家として公式にその名が確認できるのは、22歳となる明治32年(1899)のことです。この年、日本絵画協会と日本美術院が上野で共催した展覧会に『寒月』や『春色』といった作品を出品しました。その後も明治35年(1902)まで同展覧会への出品を続け、明治34年(1901)の前橋絵画展覧会や明治36年(1903)の奈良絵画展覧会など、東京以外の地域で開催された展覧会にも積極的に作品を発表しました。この初期の肉筆画の作品はほとんど現存していませんが、出品作の題名から『柿』、『金魚』、『木兎』といった花鳥画が中心であったことが推測されます。   


小原古邨が日本画家としてキャリアをスタートさせながら、後に木版画へと活動の軸を移した背景には、当時の日本の美術界における評価と経済的な要因が深く関わっていました。古邨は日本画家としての評価が「そこそこ」であり、もしその評価がもっと高ければ、今日知られる版画家としての古邨は存在しなかったかもしれないとされています。金沢から単身上京した彼には、有力な人脈も乏しく、画家として独り立ちすることに不安を抱えていたと考えられます。当時の美術界では、木版画の絵師は一段低い地位に見られる傾向があり、多くの日本画家がその道を選ぶことはありませんでした。   


しかし、古邨は版元からの誘いを受け、木版画制作へと踏み切ります。この転身の動機は、作品の「量産」を可能にすることにありました。海外での個展開催や絵の輸出によって作品が不足する状況が生じたため、増産策として版画が選択されたのです。この決断は、日本画で培った花鳥画の素養と、版画という量産可能な媒体を結びつけることで、彼の芸術活動に新たな活路を開きました。彼の初期の日本画での経験は、後の木版画作品における繊細な描写や構図の基礎となり、日本画のテイストを版画に落とし込むという独自の表現スタイルを確立する上で不可欠なものでした。このように、古邨のキャリアの転換は、個人の芸術的選択だけでなく、当時の美術市場の構造や経済的圧力、そして新たな技術の導入が複雑に絡み合った結果として理解することができます。   



木版画への転身と画風の確立



木版画制作の背景と「古邨」号での活動


小原古邨が木版画制作に本格的に着手したのは、明治末期のことです。彼は浮世絵師・松木平吉(大黒屋)のもとで木版画の制作を始め、「古邨」の号で作品を発表しました。この時期は明治38年(1905)から明治45年/大正元年(1912)頃と推測されており、同時期には秋山武右衛門(滑稽堂)とも連携して作品を制作していました。   


古邨が版画へと活動の場を移した主な動機は、作品の量産にありました。彼は日本画で培った繊細な表現技法を木版画に適用し、一見すると日本画と見紛うほどの淡い色彩と描写を版画で実現しました。この独自の表現スタイルが、彼の芸術的個性として際立つことになります。   



花鳥画に特化した理由と海外市場への着目


古邨の作品が花鳥画に特化し、その多くが海外輸出を目的として制作された背景には、当時の日本の木版画業界が直面していた厳しい状況がありました。明治時代末期には、木版画は写真や活版印刷の普及により、報道媒体としての役割をほとんど終え、美術品としても国内での需要が著しく減少していました。多くの伝統的な版元が閉業に追い込まれる中、松木平吉や秋山武右衛門といった一部の版元は、海外市場に活路を見出すことを決断します。   


版元らは、当時欧米で葛飾北斎や歌川広重といった浮世絵師の作品が高い評価を得ていたことに着目し、西欧市場に特化した作品制作の戦略を立てました。この戦略に基づき、戦争画や、西欧の鑑賞者には馴染みの薄い武者絵、吉原の花魁を描いた美人画などは除外され、風景画と花鳥画が主要なジャンルとして残されました。しかし、風景画は北斎や広重の作品がすでに広く知られ、復刻も多かったため、新たな市場開拓の余地が大きい花鳥画が選択されることになったのです 。   


古邨が花鳥画に特化したのは、版元側が欧米で売れやすい花鳥画のイメージを明確に持っており、それを古邨に注文する形で制作を主導した結果でした。これは、絵師と版元が文字通り共同で作品を創造していくプロセスであり、古邨の芸術活動は市場の需要と版元の戦略によって大きく方向付けられたことを示しています 。このような商業的な側面が、古邨の作品が海外で圧倒的な人気を博し、国内では長らく知られることのなかった状況を生み出す一因となりました。   



画風の特徴:繊細な描写、水彩画のような色彩、写実性と象徴性


小原古邨の作品は、その写実的な描写と落ち着いた色調が際立った特徴です。特に、鳥や動物、花といった自然界のモチーフを多く取り上げ、その繊細な表現と生き生きとした描写は、観る者を魅了する力を持っています。   


古邨の木版画は、まるで水彩画のような淡い色合いと、ぼかしの技法を巧みに駆使した繊細な表現が特徴です。これは、従来の浮世絵とは一線を画す「新版画」と呼ばれる技法によるものであり、古邨が日本画で培ったテイストを版画にそのまま落とし込むという、彼独自の個性を際立たせています。   


鳥の描写においては、単なる静止した姿を描くのではなく、「動き」の一瞬を捉えることに長けていました。例えば、《柳に小鷺》では枝にコサギが止まった瞬間が、《柿に目白》では柿の実に乗って踏ん張るメジロの脚の強さが表現されています。このような動的な描写は、彼の作品に生命感と物語性をもたらし、まるでアニメーションの一コマを切り取ったかのような躍動感を与えています。   


さらに、古邨の作品は単なる写実表現に留まりません。動物や植物が象徴的に描かれているものも多く見られます。例えば、孔雀と松は長寿を、虎は強さを、白鼠は富を象徴しており、これらの作品は美術品としての価値だけでなく、縁起物としての役割も担っていたと考えられています。また、鳥や動物のつがいや親子が頻繁に描かれることは、生命の尊さや家族愛といった普遍的なテーマを表現していると解釈できます。   



革新的な技法:伝統と西洋技法の融合、湿板写真の活用


小原古邨の作品は、伝統的な日本画の技法を基盤としつつ、西洋絵画の遠近法や陰影法を取り入れた独自の画風で描かれています。木版画制作においては、当時としては革新的な技法が導入されました。古邨はまず絹地に彩色した下絵を描き、それを湿板写真で撮影します。そして、現像した写真の乳剤面をガラス板から剥がし、版木に貼って彫り出すという手法を用いていました。   


この湿板写真の活用は、木版画の表現の可能性を大きく広げました。元の絵をそのまま縮小したかのような精緻な描写が可能となり、水彩画のような淡い色合いや、ぼかしの技法を駆使した繊細な表現が実現されました。これにより、古邨の作品は、従来の浮世絵には見られない「CGのような美しいグラデーションやレイヤーを重ねたような立体的な表現」という、当時としては画期的な視覚効果を生み出しました。   


古邨の作品の多くには、裏面に「忠」という文字の入ったスタンプが押されています。これは、摺りの状態が良いことを示すものと考えられており、作品の品質に対する高い意識と、制作過程における厳格な管理体制がうかがえます。   


古邨の作品は、新版画運動の文脈において重要な位置を占めています 。新版画は、伝統的な浮世絵の技法を継承しつつも、絵師の個性を前面に出し、彫り師や摺り師との共同作業によって芸術性の高い版画を制作することを目指した動きでした。古邨が湿板写真という当時の最先端技術を導入したことは、この運動における技術革新の一例であり、彼の作品が持つ独特の美しさと市場における競争力を高める要因となりました。この技術によって、彼の日本画のテイストが忠実に版画に再現され、西洋の鑑賞者が求める写実性と日本の伝統的な美意識が融合した作品が誕生したのです。この技術的な洗練と市場戦略の融合が、古邨の作品が海外で圧倒的な支持を得る基盤となりました。   



号の変遷と版元との協業


小原古邨は、その活動時期に応じて複数の雅号(号)を使用しており、それぞれの号は彼が協業した版元や制作された作品の傾向と密接に関連しています。彼の版画制作は、単独の芸術活動に留まらず、版元との緊密な共同作業の産物であり、この協業が彼の作品の方向性や市場での成功に大きな影響を与えました。



「祥邨」「豊邨」への号の変更と、主要版元との関係


小原古邨は、生涯にわたり主に以下の号と版元で活動しました。


  • 古邨(こそん): 明治末期から大正初期(1905年頃から1912年頃)に主に使用されました。この時期の主要な版元は、浮世絵師・松木平吉が営む大黒屋と、秋山武右衛門(滑稽堂)でした。古邨はこの両版元から300点を超える花鳥画を出版しており、これらの作品は主に海外輸出を目的として制作されました。この時期には、湿板写真を用いた版下作成技術が導入された可能性が指摘されています。   


  • 祥邨(しょうそん): 大正時代に入ると、古邨は版元を**渡辺庄三郎(渡辺版画店)**に移し、号を「祥邨」に変えました。昭和元年(1926年)頃には、渡辺版画店のもとで新版画として花鳥画を発表しています。この時期の作品も海外で非常に高い評価を得ており、渡辺庄三郎の積極的な海外展開戦略によって、その人気はさらに高まりました。   


  • 豊邨(ほうそん): 昭和に入ると、「豊邨」の号を用いるようになり、風景画や動物画など、より幅広いジャンルの作品を制作しました。この号での作品は、酒井好古堂と川口商会の合版から刊行されましたが、点数は比較的少なく、他の号の作品に比べて人気は低かったとされています。   


上記以外にも、滑稽堂や大黒屋が昭和5年(1930年)前後に閉店した後、ロバート・ムラーが古邨の短冊を復刻させる昭和15年(1940年)までの約10年間には、名古屋の「Matsumoto Print Works in Nagoya」という版元名が記された海外輸出向けの短冊や小版が制作され続けていました 。これらの作品の多くはポストカード大であり、国内にはほとんど現存していません。また、西宮與作版も「古邨」名で作品を制作しており、酒井・川口版よりも多くの作品を手がけたとされています。   



版元との共同作業が作品に与えた影響


小原古邨の版画制作における版元の役割は、単なる流通業者に留まらず、作品の企画、制作、販売戦略の全てにおいて中心的な推進力でした。欧米市場でどのような花鳥画が売れるかという明確なイメージを持ち、それを基に古邨に制作を依頼しました。この関係性は、古邨の作品が持つ一貫した美的特徴と、海外での成功に不可欠な要素でした。   


特に渡辺庄三郎は、関東大震災後の経営再建のため、新版画を「売れる版画」へと転換させる必要に迫られていました。彼は、海外での花鳥画販売戦略の要として祥邨(古邨)を起用し、国内外で積極的に展覧会を開催しました。渡辺は、祥邨の作品に他の作家の作品と比べて明確な価格差を設定し、購入しやすくする戦略をとった結果、海外の展覧会で祥邨の版画が最も多く購入されるという成功を収めました。   


古邨の肉筆下絵には、彫り師や摺り師への具体的な修正指示が書き込まれているものも存在します。例えば、《踊る狐》の試摺りには「毛ノスミ板ヲトル」(毛の墨板を取る)といった指示が見られ、毛並みをより柔らかく表現するための細かな調整が、版元主導のもと、彫り師や摺り師との綿密な共同作業によって行われていたことがうかがえます。これは、最終的な作品の品質と市場適合性を高めるための、厳格な制作プロセスの一部でした。   


このように、版元は単なるパトロンではなく、市場のニーズを読み解き、芸術家を起用し、制作プロセス全体を管理する「プロデューサー」としての役割を担っていました。彼らの輸出に特化した戦略は、古邨が花鳥画に特化する大きな要因となり、結果として彼の作品が海外で圧倒的な人気を博し、同時に国内では長らく「幻の絵師」として知られない状況を生み出しました 。この版元主導の商業的アプローチは、新版画運動の重要な側面であり、芸術作品の創造が、個人の才能だけでなく、産業的な構造や市場の動向によっても深く影響されることを示しています。   



作品に込められた世界観


小原古邨の作品は、その卓越した技術と、自然界に対する深い洞察、そして独自の詩情が融合した世界観を提示しています。彼の作品は、単なる写実を超えた生命の輝きと、見る者の心に訴えかける普遍的なテーマを内包しています。



モチーフの多様性:花鳥画に留まらない動物、虫、魚の表現


小原古邨の作品は花鳥画のイメージが強いですが、彼は鳥や花に留まらず、動物、虫、魚といった多様な生き物にも温かい眼差しを注ぎ、分け隔てなくその姿を描きました。   


例えば、彼の代表作の一つである《踊る狐》では、蓮の葉を頭にのせて踊るユーモラスな狐が描かれています。写実性の高い作品が多い古邨としては珍しく、擬人化された動物を描いたこの作品は、その丹精で美しい図柄の中にどこかユーモアを感じさせ、観る者の心を和ませます。また、《猿と蜂》では、一匹の蜂を捕まえてじっと見つめる猿の姿が、絵本の挿絵のように愛らしく表現されています。その他にも、《鯉二匹》や《金魚二匹》といった魚をモチーフにした作品も残されており、彼の自然界全体への深い愛情と観察眼が示されています。   



背景表現の妙:雨、月、雪などによる詩情豊かな画面構成


古邨の作品の魅力は、主要なモチーフである花や鳥、動物だけでなく、その背景に描かれる自然現象の表現にもあります。彼は、雨、月、雪といった情景を巧みに取り入れることで、作品に深い詩情と奥行きを与えました。   


特に雨の表現は多様で、その描写方法によって異なる季節感や時間帯、さらには空気感までを伝えています。《雨中の小鷺》では細い直線を用いることで激しい雨を表現し、《雨中の雀》ではぼかしの技法によって湿潤な空気を描き出しています。さらに、《雨中の鷲》では線を用いることなく、墨色を斜めに入れることで雨そのものを表現しており、それぞれの作品が持つ独自の雰囲気を際立たせています 。   


「月夜の烏」や「雪中群鷺」など、月光や雪景色を背景に取り入れた作品も多く、これらの自然現象が織りなす情趣あふれる画面は、古邨の芸術世界をより豊かに構成しています。古邨の背景表現は、単なる風景の描写に留まらず、モチーフとなる生き物の感情や物語性を引き立てる重要な要素となっています。   


   

国内外での評価と再評価の軌跡


小原古邨の芸術家としての評価は、その生涯において国内外で大きく異なる様相を呈していました。海外では圧倒的な人気を誇りながら、国内では長らく「幻の絵師」として知られることのない存在でした。しかし、近年になってその状況は劇的に変化し、日本国内でも彼の作品に対する再評価の動きが活発化しています。



海外での圧倒的な人気と国際的な回顧展


小原古邨の作品は、その繊細な描写と水彩画のような色彩、そして自然への温かい眼差しが、特に欧米のコレクターや美術館から高い評価を得てきました。彼の作品の多くが海外に輸出され、現地のコレクターや美術館に所蔵されています。その国際的な評価の高さを示すものとして、2001年にはオランダのアムステルダム国立美術館で、日本人作家としては初めてとなる大規模な回顧展が開催されました。また、彼の作品が『TIMES』誌に掲載されたこともあったと伝えられており、当時の欧米における彼の認知度の高さがうかがえます。   


海外の鑑賞者にとって、古邨の花鳥画は、若冲のような濃密な表現とは異なり、優しく淡い雰囲気で描かれており、普遍的な自然の美しさを感じさせるものでした。彼の作品は、日本の伝統的な美意識と西洋の写実性を融合させた「新しさ」を持ちながらも、親しみやすいモチーフと繊細な表現で、異文化圏の観客にも容易に受け入れられたと考えられます。   



国内における近年における再評価の動き


海外での圧倒的な人気とは対照的に、小原古邨は日本国内では長らくほとんど知られていない存在でした。当時の日本の美術界では、木版画は江戸時代で終わったものと認識され、明治以降の木版画は美術品として認められず、制作に携わる者は職人扱いされる傾向にありました。古邨自身も日本画家としては突出した評価を得られず、無名に近い平凡な画家と見なされていたため、古邨の花鳥画は国内市場でほとんど流通することなく、雑誌の口絵や挿絵に採用されることもありませんでした。   


しかし、近年になってこの状況は大きく変化しました。2018年に中外産業株式会社の倉庫から200点以上の大短冊形式の古邨作品が発見されたことが、日本における彼の再評価の大きな転機となりました 。この発見を契機に、神奈川県の茅ヶ崎市美術館で初めて本格的な展覧会が開催され 、NHKの「日曜美術館」で特集が組まれたことで 、古邨の名は一躍脚光を浴びることになります。その後も、東京の太田記念美術館や石川県立歴史博物館などで大規模な展覧会が相次いで開催され、画集も続々と刊行されるなど 、国内での認知度と評価が急速に高まっています。この再評価の動きは、彼が国内では無名であったにもかかわらず、欧米では「日本を代表する芸術家」として広く知られていたという、そのギャップ自体が大きな話題を呼んだためと考えられます。   



おわりに


小原古邨の芸術的軌跡を辿ることで、私たちは単に一人の画家の生涯と作品を知るだけでなく、近代日本美術史の多層性、そして芸術作品の価値が形成される複雑なメカニズムについて深く考察することができます。

古邨は、日本画で培った確かな描写力と花鳥画への深い理解を基盤とし、木版画という媒体にその才能を昇華させました。古邨の作品に見られる水彩画のような淡く繊細な色彩、そして鳥や動物の生き生きとした「動き」の描写は、伝統的な木版画の枠を超えた革新的な表現であり、当時の最先端技術であった湿板写真の活用によって実現されました。この技術と芸術性の融合は、彼の作品が海外市場で圧倒的な支持を得る大きな要因となりました。版元との緊密な協業は、彼の芸術活動を商業的な成功へと導く推進力となり、作品のテーマ選定から制作プロセス、そして販売戦略に至るまで、その全てが市場のニーズと密接に結びついていました。

彼の物語は、芸術作品の評価が、必ずしもその制作された国や時代の主流な美術史観によってのみ決定されるものではないことを示しています。海外で「日本を代表する花鳥画の名手」として称賛されながら、国内では長らく「幻の絵師」として忘れ去られていたという事実は、日本の美術史がこれまで見過ごしてきた、あるいは意図的に排除してきた側面が存在することを示唆します。特に、海外輸出を目的とした商業的な版画作品が、純粋な芸術作品として国内で評価されるまでに時間を要したことは、美術史の構築における価値観の多様性と、その変遷を浮き彫りにします。

近年の日本における小原古邨の再評価は、単なる懐古趣味に留まらず、近代日本美術史の再構築に向けた重要な動きと言えるでしょう。彼の作品は、日本の伝統的な美意識が、いかにして西洋の感性と響き合い、国際的な普遍性を持つに至ったかを示す好例です。また、芸術家、彫り師、摺り師、版元といった多様な役割を担う人々が共同で作品を創造する「新版画」の制作体制は、現代のクリエイティブ産業におけるチームコラボレーションの原型を見るかのようです。

小原古邨の作品が現代に問いかけるものは、多岐にわたります。それは、自然との共生、生命の尊厳、家族愛といった普遍的なテーマであり、時代や文化を超えて人々の心に響くものです。彼の花鳥画は、現代のデジタルアートやデザインにおけるグラデーションやレイヤー表現にも通じる視覚的魅力を持ち、新たなインスピレーションの源となり得ます 。今後、彼の作品は美術史研究の深化だけでなく、現代のクリエイティブ分野においても、その普遍的な美と革新的な表現技法が再評価され続けることでしょう。彼の作品が持つ「小さな命のきらめく瞬間」  を捉える眼差しは、現代社会においても私たちに豊かな示唆を与え続けています。   





柘榴に鸚鵡

Cockatoo and Pomegranate Alternate Title: 柘榴に鸚鵡 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, 20th century Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 9 3/4 × 6 11/16 in. (24.77 × 16.99 cm) Sheet: 10 × 6 15/16 in. (25.4 × 17.62 cm) Marguerite H. Niedeck Bequest (AC1996.85.1)
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柘榴に鸚鵡

Cockatoo and Pomegranate Alternate Title: 柘榴に鸚鵡 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, circa 1927 Prints; woodblocks Color woodblock print, embossed Image: 14 5/16 × 9 7/16 in. (36.35 × 23.97 cm) Sheet: 15 3/16 × 10 1/4 in. (38.58 × 26.04 cm) Anonymous gift (M.73.75.39)
Cockatoo and Pomegranate Alternate Title: 柘榴に鸚鵡 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, circa 1927 Prints; woodblocks Color woodblock print, embossed Image: 14 5/16 × 9 7/16 in. (36.35 × 23.97 cm) Sheet: 15 3/16 × 10 1/4 in. (38.58 × 26.04 cm) Anonymous gift (M.73.75.39)




枝垂れ桜と鶯

Bird on Weeping Cherry Alternate Title: Shidarezakura ni kotori Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, circa 1900 Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 9 1/4 × 9 3/4 in. (23.5 × 24.77 cm) Sheet: 9 1/4 × 9 3/4 in. (23.5 × 24.77 cm) Gift of Mr. and Mrs. Felix Juda (M.73.37.390)
Bird on Weeping Cherry Alternate Title: Shidarezakura ni kotori Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, circa 1900 Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 9 1/4 × 9 3/4 in. (23.5 × 24.77 cm) Sheet: 9 1/4 × 9 3/4 in. (23.5 × 24.77 cm) Gift of Mr. and Mrs. Felix Juda (M.73.37.390)




芒と鴨

Mallard Ducks Swimming by Pampas Grass Alternate Title: Susuki ni kamo Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, 1931 Prints; woodblocks Color woodblock print Image (Image): 14 5/16 × 9 3/8 in. (36.35 × 23.81 cm) Sheet (Sheet): 15 5/16 × 10 5/16 in. (38.89 × 26.19 cm) Gift of Chuck Bowdlear, Ph.D., and John Borozan, M.A. (M.2000.105.144)
Mallard Ducks Swimming by Pampas Grass Alternate Title: Susuki ni kamo Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, 1931 Prints; woodblocks Color woodblock print Image (Image): 14 5/16 × 9 3/8 in. (36.35 × 23.81 cm) Sheet (Sheet): 15 5/16 × 10 5/16 in. (38.89 × 26.19 cm) Gift of Chuck Bowdlear, Ph.D., and John Borozan, M.A. (M.2000.105.144)




南天と瑠璃鳥

Nandina and Flycatchers in Snow Alternate Title: Setchū nanten to rurichō Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, 1929 Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 14 5/16 × 9 1/2 in. (36.35 × 24.13 cm) Sheet: 15 5/16 × 10 1/2 in. (38.89 × 26.67 cm) Gift of Chuck Bowdlear, Ph.D., and John Borozan, M.A. (M.2000.105.147)
Nandina and Flycatchers in Snow Alternate Title: Setchū nanten to rurichō Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, 1929 Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 14 5/16 × 9 1/2 in. (36.35 × 24.13 cm) Sheet: 15 5/16 × 10 1/2 in. (38.89 × 26.67 cm) Gift of Chuck Bowdlear, Ph.D., and John Borozan, M.A. (M.2000.105.147)




月夜に咲く桜

Blossoming Cherry on a Moonlit Night Alternate Title: Tsuki ni hana Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, circa 1932 Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 14 1/4 × 9 1/2 in. (36.2 × 24.13 cm) Sheet: 15 5/16 × 10 5/16 in. (38.89 × 26.19 cm) Gift of Mr. and Mrs. Felix Juda (M.73.37.399)
Blossoming Cherry on a Moonlit Night Alternate Title: Tsuki ni hana Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, circa 1932 Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 14 1/4 × 9 1/2 in. (36.2 × 24.13 cm) Sheet: 15 5/16 × 10 5/16 in. (38.89 × 26.19 cm) Gift of Mr. and Mrs. Felix Juda (M.73.37.399)




雨に秋海棠と時鳥

Begonias and Cuckoo in the Rain Alternate Title: 雨に秋海棠と時鳥 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, early 20th century Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 13 11/16 × 7 7/16 in. (34.77 × 18.89 cm) Sheet: 14 5/8 × 8 1/4 in. (37.15 × 20.96 cm) Gift of Mr. and Mrs. Felix Juda (M.73.37.391)
Begonias and Cuckoo in the Rain Alternate Title: 雨に秋海棠と時鳥 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, early 20th century Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 13 11/16 × 7 7/16 in. (34.77 × 18.89 cm) Sheet: 14 5/8 × 8 1/4 in. (37.15 × 20.96 cm) Gift of Mr. and Mrs. Felix Juda (M.73.37.391)




雪の松に鷹

Goshawk on Snow-covered Pine Bough Alternate Title: 雪の松に鷹 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, first quarter 20th century Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 16 5/8 × 10 3/16 in. (42.23 × 25.88 cm) Sheet: 17 3/16 × 10 13/16 in. (43.66 × 27.46 cm) Gift of Mr. and Mrs. Felix Juda (M.73.37.394)
Goshawk on Snow-covered Pine Bough Alternate Title: 雪の松に鷹 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, first quarter 20th century Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 16 5/8 × 10 3/16 in. (42.23 × 25.88 cm) Sheet: 17 3/16 × 10 13/16 in. (43.66 × 27.46 cm) Gift of Mr. and Mrs. Felix Juda (M.73.37.394)




楓に瑠璃鳥

Bluebird on a Maple Branch Alternate Title: 楓に瑠璃鳥 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, 1935 Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 14 11/16 × 6 9/16 in. (37.31 × 16.67 cm) Sheet: 15 5/16 × 7 1/16 in. (38.89 × 17.94 cm) Gift of Chuck Bowdlear, Ph.D., and John Borozan, M.A. (M.2000.105.152)
Bluebird on a Maple Branch Alternate Title: 楓に瑠璃鳥 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, 1935 Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 14 11/16 × 6 9/16 in. (37.31 × 16.67 cm) Sheet: 15 5/16 × 7 1/16 in. (38.89 × 17.94 cm) Gift of Chuck Bowdlear, Ph.D., and John Borozan, M.A. (M.2000.105.152)




雪中梅に雀

Sparrows and Plum Blossoms Alternate Title: 雪中梅に雀 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, 1925 Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 16 5/8 × 10 5/16 in. (42.23 × 26.19 cm) Sheet: 17 × 11 1/8 in. (43.18 × 28.26 cm) Gift of Chuck Bowdlear, Ph.D., and John Borozan, M.A. (M.2000.105.155)
Sparrows and Plum Blossoms Alternate Title: 雪中梅に雀 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, 1925 Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 16 5/8 × 10 5/16 in. (42.23 × 26.19 cm) Sheet: 17 × 11 1/8 in. (43.18 × 28.26 cm) Gift of Chuck Bowdlear, Ph.D., and John Borozan, M.A. (M.2000.105.155)




藤花に蜂

Wisteria and Wasp Alternate Title: 藤花に蜂 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, early 20th century Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 13 1/2 × 7 7/16 in. (34.29 × 18.89 cm) Sheet: 14 9/16 × 7 9/16 in. (36.99 × 19.21 cm) Gift of Mr. and Mrs. Felix Juda (M.73.37.392)
Wisteria and Wasp Alternate Title: 藤花に蜂 Ohara Shōson (Japan, 1877-1945) Japan, early 20th century Prints; woodblocks Color woodblock print Image: 13 1/2 × 7 7/16 in. (34.29 × 18.89 cm) Sheet: 14 9/16 × 7 9/16 in. (36.99 × 19.21 cm) Gift of Mr. and Mrs. Felix Juda (M.73.37.392)




参考


小原古邨(佐野美術館) - 美術手帖


原安三郎コレクション 小原古邨展 -花と鳥のエデン- | 茅ヶ崎市美術館


小原古邨(太田記念美術館) - 美術手帖


「小原古邨展」茅ヶ崎市美術館〜日本の四季を描き出す木版画技術の粋 - とことこ湘南


小原古邨の花鳥版画について


小原古邨 | 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art


大正新版画の研究 -版元を中心とした美術の成立、構造と展開

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