伝説と芸術に息づく日本の蔓草:定家葛
- JBC
- 5月3日
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テイカカズラ(定家葛、学名:Trachelospermum asiaticum)は、日本の本州、四国、九州、そして朝鮮半島を原産とするキョウチクトウ科の常緑つる性木本植物です。初夏(5月から6月)に、甘い芳香を放つ白い花を咲かせ、咲き進むにつれてクリーム色へと変化します。茎から付着根(気根)を出し、壁や他の樹木にしっかりと食い込んでよじ登るその性質は、時に10mもの高さに達します。光沢のある濃緑の葉は常緑ですが、秋や冬の寒さにあたると美しく紅葉することもあります。一方で、キョウチクトウ科に属するため、茎や葉を切ると出る白い乳液には毒性があり、注意が必要です。
しかし、テイカカズラは単なる植物学的存在にとどまりません。その名は、ある強力な伝説に由来し、日本の文化、特に文学、演劇、芸術の領域に深く織り込まれています。古くは「マサキノカズラ(真拆の葛、柾の葛)」 や「イワツナ(石綱)」 といった名前で呼ばれていた記録もあり、日本の文化景観の中に古くから存在していたことを示唆しています。

伝説から生まれた名:藤原定家、式子内親王、そして絡みつく葛
テイカカズラ(定家葛)という名前は、この植物にまつわる最も有名な伝説に由来します。物語の中心人物は、鎌倉時代初期の傑出した歌人であり、『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の撰者としても知られる藤原定家(1162-1241) と、後白河天皇の第三皇女であり、自身も優れた歌人であった式子内親王(1149-1201)です。
伝説の核心は、定家の式子内親王に対する報われぬ、あるいは禁じられた恋情にあります。内親王の死後も、定家の彼女への強い想い、すなわち「執心」は消えることがありませんでした。そして定家自身の死後、その執心がテイカカズラという植物に姿を変え、内親王の墓に執拗に絡みついたと語り継がれています 。この伝説の舞台としてしばしば言及されるのが、京都市上京区にある般舟三昧院内の式子内親王墓とされる場所であり、近くには定家が営んだとされる「時雨亭」の跡地伝承も存在します。
小倉山荘図
小倉山は京都の嵯峨にある山で、ここに別荘を持っていた藤原定家を、彼を慕う式子内親王が男装して訪れたという伝説に基づく絵画。時雨の中、若衆姿の人物と供が小倉山の山荘を訪れようとするところです。

定家と式子内親王が歴史上の人物であり、同時代を生きたことは事実ですが、二人の間に恋愛関係があったという話は、歴史的事実として証明されたものではなく、あくまで伝説として扱われている点には注意が必要です。式子内親王が実際に心を寄せていたのは、浄土宗の開祖である法然であったとする説も存在します。しかし、伝説の真偽はともかく、定家が和歌の歴史において果たした役割の大きさ、そして式子内親王が当代一流の歌人であったこと は、この伝説に深みと説得力を与える背景となっています。
この伝説が長く語り継がれ、広く浸透していることは、日本文化における「執心(執着)」というテーマの持つ力の強さを示しています。これは単なる恋愛感情ではなく、死をも超越して対象(式子内親王の墓)に縛り付けられ、自己(定家)を異質な存在(葛)へと変容させてしまうほどの強烈な情念です。この物語は、仏教における現世への執着が苦しみの根源であり、悟りへの妨げになるという思想とも深く共鳴します。このテーマは、後に述べる能楽『定家』において、より明確に掘り下げられることになります 。テイカカズラ自身の、付着根でしがみつき、時には他の植物を覆い尽くすほどに強く繁茂する性質は、この逃れがたい情念を象徴する上で、これ以上ない自然界の比喩となっています。学術的な分析や能楽の解説においても「執心」「執着」という言葉が用いられることは、この解釈の妥当性を裏付けています。仏教的な苦悩や執着といった観念との結びつきは、この伝説が単なる悲恋物語ではなく、人間の感情や死生観に関するより深い文化的、哲学的関心に根差していることを示唆しています。したがって、テイカカズラという植物の名前とその背景にある物語は、単なる逸話ではなく、「執心」という複雑なテーマに結びついた、強力な文化的象徴として機能しているのです。

執心の舞台:能楽『定家』におけるテイカカズラ
藤原定家と式子内親王の伝説は、室町時代に制作された能楽『定家』によって、さらに深く、複雑な芸術的表現を獲得しました。作者は世阿弥、あるいはより可能性が高いとされる金春禅竹と伝えられています 。
この能は、旅の僧(ワキ)が、晩秋の京、千本のあたりで時雨に見舞われ、古い亭(ちん)で雨宿りをするところから始まります。そこに里の女(前シテ)が現れ、その亭が定家の建てた「時雨の亭」であること、そして定家を弔うよう僧に勧めます 。その後、女は僧を式子内親王の墓へと案内します。そこには、墓石を覆い隠すように葛がびっしりと絡みついています。女は、これが定家と内親王の忍ぶ恋の果て、死後も続く定家の執心が葛(定家葛)となって内親王の墓にまとわりつき、彼女を苦しめているのだと語ります 。そして、自らが式子内親王の霊であることを明かし、回向を頼んで姿を消します。
僧が法華経などを読誦して弔うと 、経の功徳によって葛の呪縛が一時的に解け、式子内親王の霊(後シテ)が美しい昔の姿(あるいは老いた姿)で現れ、感謝の舞(序ノ舞など)を舞います 。しかし、多くの場合、舞が終わると、あるいは夜が明けると、定家葛は再び墓に絡みつき、内親王は成仏しきれずに墓の中へと引き戻されてしまいます。この救済が完全には達成されない、曖昧で悲劇的な結末が、この作品の大きな特徴です 。
『定家』は、逃れられない愛と執心の苦しみ、そして愛される側の苦悩(伝説が定家の想いに焦点を当てがちなのに対し、能では式子内親王の視点と苦しみが中心的に描かれます )を深く掘り下げています。また、仏教による救済の可能性とその限界 、愛と記憶、苦しみが複雑に絡み合う様を描き出しています。
舞台上、テイカカズラは物理的かつ象徴的な存在として機能します。それは定家の執心の視覚的な表象であり、式子内親王を物理的に拘束し、彼女の解脱を妨げる障害物です。葛が一時的に解け、そして再び絡みつく様は、劇的な緊張感と、式子内親王の運命の最終的な曖昧さを映し出しています。
能『定家』は、既存の伝説を用いながらも、それを深化させ、場合によっては転覆させる側面を持ちます。僧侶による救済の祈りといった仏教的要素を取り入れつつも、式子内親王が最終的に葛の束縛へと戻る結末は、単純な救済物語としての解決を拒んでいます。これは、宗教的な介入によって救済が明確に達成されるという従来の物語形式への挑戦とも言えます。人間の執着の力が、精神的な解放の力に匹敵する、あるいはそれを凌駕する可能性を示唆しているのかもしれません。あるいは、式子内親王にとって、苦痛を伴うとしても永遠の繋がりが、完全な消滅よりも望ましい選択であったのかもしれません。このような解釈は、この能を、単なる教訓劇ではなく、人間の心理と執着の本質についての複雑で、ある意味では前衛的(ぜんえいせい)な探求として位置づけます。物語の結末が救済の達成ではないという点は、多くの資料で一貫して指摘されており 、これが単なる怪談や仏教説話を超えた、人間の深い感情の絆(それが苦しみをもたらすものであっても)の永続性や不可避性を描く、より深遠な心理劇であることを示しています。仏教的な枠組みを用いながらも、圧倒的な人間の感情の前ではその普遍的な効力に疑問符を投げかけるような結論に至る点が、この作品をより複雑で、観る者に強い印象を残すものとしています。
詩歌に響く面影:和歌と俳句におけるテイカカズラ
テイカカズラの文化的意義は、伝説や能楽にとどまらず、日本の詩歌の世界にも深く根を下ろしています。
和歌における古層
定家の伝説が生まれる以前から、この植物は和歌に詠まれてきました。古くは「マサキノカズラ(真拆の葛、柾の葛)」と呼ばれ、『古今和歌集』にその名が見えます。『日本書紀』に登場する「正木の葛」もテイカカズラを指すと考えられており、天照大神の岩戸隠れの際にアメノウズメノミコトが髪飾りとして用いたという記述は、古代の祭祀との関連を示唆しています。また、『万葉集』には「イワツナ(石綱)」という名前で登場する歌があります。これらの古名で詠まれた歌や、後に「定家葛」として詠まれた歌は、『古今和歌集』『新古今和歌集』といった勅撰和歌集や、『山家集』などの私家集にも見られ 、古くから詩的表現の対象であったことを示しています。例えば、『古今和歌集』には「み山にはあられふるらしと山なるまさきのかづら色づきにけり」と、秋の紅葉の様が詠まれています。
さらに、伝説の中心人物である式子内親王自身が詠んだ有名な和歌、例えば「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」 は、後世、定家との悲恋伝説と結びつけて解釈されることが多いです(ただし、これは題詠であり、内親王自身の心情を直接詠んだものではないとする説が有力です )。これもまた、テイカカズラと文学との間に、幾重もの連関を生み出しています。
俳句における感覚世界
俳句の世界では、テイカカズラはより直接的な感覚を通して捉えられることが多いです。その強く甘い香り 、捻じれたような独特の花の形(「花ねぢれ」「卍巴(まんじともえ)」などと表現されます )、壁や樹木を這い登る姿 、そして開花期である夏の季節感などが、俳人たちの句心を刺激してきました。
木の闇に定家葛は花ねぢれ 飴山實
定家かづら卍巴と咲きにけり 大橋敦子
いにしへを定家かづらの香にしのぶ 平野伸子
虚空より定家葛の花かをる 長谷川櫂
定家葛叶はざる恋昔にも 田中藤穂
これらの句には、花の香りや形といった感覚的な描写が際立つものもあれば、平野伸子や田中藤穂の句のように、「いにしへ(古)」や「叶はざる恋」といった言葉を通して、その名に纏わる定家の伝説を明確に意識したものも見られます 。
和歌が古い名前や文脈に言及したり、後世の解釈によって伝説と結びつけられたりするのに対し、テイカカズラを詠んだ俳句の多くは、香り、花の形、特定の場所での視覚的な存在感といった、直接的な感覚的観察を重視する傾向があります。もちろん、その名前自体が伝説の重みを帯びているため、俳句の中にも定家や「いにしへ」に言及する例 は存在します。しかし、多くの俳句は、自然や庭園における植物の即物的な経験に基づいているように見えます。これは、特に簡潔で自然描写に重きを置く俳句という形式において、劇的な物語性とはやや独立した形で、植物固有の美的特質が評価されていることを示唆しています。能楽において植物が伝説そのものを体現するのとは対照的に、俳句は、季節の一瞬や直接観察(写生)に焦点を当てることで、伝説的な背景と並行して、植物の具体的な美しさを愛でることを可能にしています。これは、テイカカズラに対する二重の認識、すなわち物語によって強く媒介された認識と、より直接的で感覚的な認識とが併存していることを示しています。
短歌におけるテイカカズラ
み山にはあられふるらしと山なるまさきのかづら色づきにけり 古今和歌集
岩綱のまた変若ちかへりあをによし奈良の都をまたも見むかも 万葉集(作者不詳)
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする 式子内親王
自然から芸術へ:デザインモチーフとしてのテイカカズラ
テイカカズラの文化的な影響は、文学や伝説の世界にとどまらず、視覚芸術、特に工芸デザインの分野にも及んでいます。
富本憲吉の「四弁花」
20世紀を代表する陶芸家の一人、富本憲吉は、テイカカズラの花を重要なモチーフとして自身の作品に取り入れました 。彼は、テイカカズラの花から着想を得て、「四弁花」と呼ばれる独自の文様を創り出しました。特筆すべきは、富本が自然界のテイカカズラの花が持つ5枚の花弁を、意図的に4枚の花弁のデザインへと変更した点です 。これは、陶磁器の表面に連続的、反復的なパターンを作り出す上でのデザイン上の判断であったと考えられます 。この象徴的な四弁花文様は、色絵や金銀彩で飾られた壺(飾壺)や蓋物(筥)など、富本の代表的な作品の多くに見ることができます 。富本憲吉の出身地である奈良県安堵町が、テイカカズラを町の公式な花として制定していることも、この植物と作家との深い繋がりを物語っています。
庭園デザインと盆栽
テイカカズラは、その生育特性から、日本の庭園においても実用的かつ美的な要素として活用されてきました。旺盛なつる性の性質は、フェンスや壁面を覆ったり、ネットに絡ませて緑のカーテンを作ったりするのに適しています 。日陰にも比較的強く 、剪定にもよく耐えるため 、様々な場所に植栽できる汎用性を持っています。地面を覆うグランドカバーとして用いられることもあり 、刈り込みによってサツキのように丸く仕立てることも可能です 。
また、テイカカズラは盆栽の世界でも愛好されています。特に、春から初夏にかけて芳香のある美しい花を咲かせることから、「花物」盆栽として高く評価されています 。葉に斑が入る園芸品種「ハツユキカズラ(初雪葛)」は、その色彩の美しさから寄せ植えやハンギングバスケットの材料としても人気があります 。

さいごに
本稿では、テイカカズラ(定家葛)が日本文化において持つ多層的な意味合いを探求してきました。その核心には、藤原定家と式子内親王を結びつける、執心をテーマとした強力な伝説が存在します。この伝説は、能楽『定家』において、愛と苦悩、救済の不確かさを巡る深遠なドラマへと昇華されました。また、テイカカズラは「マサキノカズラ」や「イワツナ」といった古名で古代の和歌にも詠まれ、近世以降の俳句ではその感覚的な魅力が捉えられてきました。さらに、20世紀の陶芸家・富本憲吉は、テイカカズラの花を「四弁花」文様へと抽象化し、現代デザインの領域へと接続しました。庭園デザインにおいても、その強健さと美しさから、実用的な価値を見出されています。
このように、テイカカズラは、その名前、物語、そして風景の中での物理的な存在(自生および植栽)を通して、日本の文化構造の一部であり続けています。それは、歴史上の人物、文学的伝統、そして愛や執着といった普遍的な人間のテーマへの生きた繋がりとして機能しています。
結論として、テイカズラは単なる植物以上の存在です。それは、何世紀にもわたる日本の文化的記憶、物語、そして美的感覚を内包する器であり、その芳香や姿に触れるとき、私たちは単に自然の美しさを感じるだけでなく、その背後に広がる豊かな文化の響きをも感じ取ることができるのです。