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「植物文学」の提唱者、松田修:古典に息づく草木の物語

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 5月25日
  • 読了時間: 9分

更新日:5月26日


本稿は、日本の学術界において「植物文学」という独自の分野を提唱し、その確立に多大な貢献を果たした松田修(1903-1990)についてまとめました。



生涯と経歴


松田修は1903年6月28日に山形県で生を受けました。氏の学術的基盤は、1928年に卒業した東京帝国大学農学部で築かれました。この農学部での学びは、氏が後に文学と植物学を融合させた「植物文学」という分野を開拓する上で、不可欠な専門知識と科学的視点を培いました。   


卒業後、日本赤十字子供の家園長や東京大学講師などの職を務めました 。氏のキャリアにおける特筆すべき活動の一つは、1953年(昭和28年)に本田正次、佐藤達夫らと共に日本植物友の会の設立に貢献したことです。この団体は、植物に興味を持つ人々を対象とした愛好団体であり、「植物から学ぶ」をモットーに、植物知識の普及、観察会の開催、植物文学および植物美術の振興、そして会報「植物の友」の刊行など、多岐にわたる活動を展開しています 。学術的な探求に留まらず、一般市民への植物知識の普及啓発にも尽力した彼の姿勢は、専門分野の知見を社会に還元しようとする強い意志の表れと言えます。   


私生活においては、経済的な困難に直面した時期があったことが伝えられています。彼は「積みあげた夥しい植物標品、書籍の間に座して茫然として執達吏たちの所業を見まもるばかりだった。一度などは、遂に家財道具の一切が競売に付されてしまい、翌日は、食事をするにも食卓もない有様だった」と記しており、研究への情熱と献身が、時に厳しい現実と隣り合わせであったことが示唆されます。このような個人的な苦難を乗り越えながらも、学術的探求を続けた彼の姿勢は、その知的貢献が単なる職業的義務を超えた深いコミットメントによって支えられていたことを物語っています。彼の経歴は、厳密な科学的訓練と人文科学への深い洞察力が融合した学際的な基盤の上に成り立っており、その研究は個人的な困難にも屈しない強い精神力によって支えられていたことがうかがえます。松田修は1990年2月26日に86歳でその生涯を閉じました。   



主要著作


松田修の著作活動は多岐にわたり、日本の「植物文学」という分野の確立に決定的な貢献をしました。氏の代表作として広く知られているのは、1980年に講談社から刊行され、2009年には講談社学術文庫として再版された『古典植物辞典』です 。この辞典は、日本の主要な古典文学作品に登場する上代の植物名を網羅的に収録し、豊富な用例を引用しながら詳細な解説を加えています。


『古典植物辞典』以外にも、氏の植物文学に関する著作は多数存在します。これらは、氏の研究の広範さと深さを示すものであり、植物と日本文化の多様な側面を探求しています。   



主要著作一覧

刊行年

書名

出版社/叢書名

関連情報

1958年

『万葉の花』

-

-

1958年

『古典植物辞典』

講談社学術文庫

(初版は別年)

1960年

『植物と伝説』

正文館

-

1960年

『野の花・山の花』

現代教養文庫

-

1960年

『花ごよみ』

現代教養文庫

-

1964年

『花の歳時記』

現代教養文庫

-

1966年

『万葉の植物』

保育社〈カラーブックス〉

-

1969年

『県花県木』

保育社〈カラーブックス〉

-

1970年

『万葉植物新考』

社会思想社

1934年春陽堂版の増訂版

1971年

『植物世相史―古代から現代まで』

-

-

1976年

『古典の花―植物文学研究とエッセイ』

-

-

1980年

『古典植物辞典』

講談社

2009年講談社学術文庫版

不明

『カラー歳時記野草』

カラーブックス 224

-


これらの著作群、特に『古典植物辞典』が文庫本として広く流通し、専門家による丁寧な考証がなされている事実は、氏が自身の専門的な学術研究をより多くの人々に届けようと意図していたことを示唆しています。これは、高度に専門化された植物学や文学研究の枠を超え、植物に関する知識とその日本文化における位置づけを一般に普及させるという、氏の学術的使命の重要な側面であったと評価できます。彼の著作は、専門的な植物学の知見と日本の豊かな文化的背景を結びつける重要な架け橋としての役割を果たしました。



植物文学研究の特徴と業績


松田修は、日本の古典文芸に現れる上代の植物を研究する中で、「植物文学」という新たな学術分野を提唱しました。このアプローチは、文学作品に登場する植物を単なる背景や比喩として捉えるのではなく、その植物が持つ文化的、実用的な意味、そして当時の人々の生活や自然観との関連性を深く掘り下げて分析するものでした。   


『古事記』、『日本書紀』、『風土記』、『万葉集』、『古今和歌集』、『枕草子』、『源氏物語』といった日本の主要な古典文学作品を対象に、植物の登場とその意味を詳細に分析しました。氏の研究は、各時代の文学作品における植物の描写が、当時の社会や文化、人々の自然との関わり方をどのように反映しているかを明らかにしました。   



古典文学作品における植物登場数と特徴

作品名

登場植物数

主要な特徴

古事記

77種類

日本全土の山野に自生、緑樹崇拝、花記述少ない

日本書紀

85種類

日本全土の山野に自生、渡来植物増加、緑樹崇拝、花記述少ない

風土記

各風土記で論じる

各地の植物を論じる

万葉集

182種類

実用的価値(食用、薬用、染料、建築・工芸・衣料用)重視、万葉人の生活に大きな役割、日本人初の植物記録として注目

古今和歌集

76種類

山野の自生植物から庭園・宮廷栽培植物へ移行、縁語や掛詞に植物・花を使用

枕草子

117種類

類纂的記述、植物自体より色彩・故事・古歌など文芸に盛られた植物が主、作者の美意識を反映

源氏物語

116種類

作者の植物への深い知識と興味、巻名に植物を使用し人物・内容と効果的に関連付け

   

氏の詳細な分析は、古典文学作品における人間と植物の関係性が時代とともにどのように変化していったかという、重要な文化的変遷を浮き彫りにしました。例えば、『万葉集』においては、登場する182種類の植物のほとんどが実用的価値を持つものであり、当時の人々の生活に不可欠な役割を果たしていたと論じています。これは、万葉の時代の人々が植物を食用、薬用、染料、あるいは建築・工芸・衣料用として直接的に利用し、自然と密接に結びついた生活を送っていたことを示しています。松田は、当時の日本に存在した植物を「身近に肌で知り、日本人として初めて記録したもの」として万葉集を高く評価しました。   


一方、『古今和歌集』や『枕草子』では、山野に自生する植物の記述が多かった『万葉集』と対照的に、庭園、特に宮廷近辺で栽培されていたと思われる植物が多く登場すると指摘しています。これは、平安時代の宮廷文化において、植物が実用性だけでなく、その色彩や美しさ、あるいは故事や古歌と結びつけられた文学的・美的な対象として認識されるようになった変化を示唆しています。さらに、『源氏物語』では、作者が個々の植物について深い知識と興味を持っていたと論じ、物語の巻名に植物が効果的に使われ、登場人物や内容と合わせて物語に深みを与えていることを明らかにしました。   


これらの分析を通じて、日本の古典文学が単なる物語や詩歌の集成ではなく、当時の人々の生活様式、自然観、そして文化の進化を映し出す貴重な歴史的資料であることを示しました。氏の研究は、実用的な側面から美的な側面へと、人間と植物の関係性が時代とともに洗練されていく過程を、文学作品というレンズを通して鮮やかに描き出しています。



学術的背景と文学・植物学界への影響


松田修の学術的背景は、東京帝国大学農学部で植物学を修めたことにあります。この科学的な素養が、日本の古典文学研究に携わる上で、当時としては画期的な学際的アプローチを可能にしました。氏は、文学作品に登場する植物を単なる象徴や背景としてではなく、植物学的な知見に基づき、その生態、実用性、そして当時の人々の生活との具体的な関わりを考証しました。   


この独自の学際的アプローチは、文学界と植物学界の双方に大きな影響を与えました。松田は「植物文学」を提唱することで、文学研究に新たな視点をもたらし、植物学と文学の間に橋渡しを行いました。特に、万葉植物の研究においては、松田修や小清水卓二のような植物学を専門とする研究者が登場したことで、それまで文学専門の研究者に偏っていた万葉植物研究の自然科学的な側面が大きく強化されたと評価されています。彼らの登場以前は、万葉植物の研究は主に国文学者の手によって行われており、植物の生態や実用性といった科学的な側面が十分に考慮されない傾向がありました。   


松田の著書『万葉植物新考』(1934年)や小清水卓二の『万葉植物 写真と解説』(1941年)は、著書の中に植物の生態写真を加えた初めての例であり、これは研究の視覚的証拠と科学的厳密性を高める画期的な試みでした 。これらの著作は、単に植物名の考証に留まらず、万葉植物を通して上代の自然観、風土、生活、そして植物の活用法などを深く掘り下げて分析しました 。   


松田修の研究は、万葉集研究史において重要な転換点となり、国文学以外の専門家による学際的な研究の道を拓きました。氏の学際的なアプローチは、後続の研究者たちに多大な影響を与え、植物と文化の関係性を多角的に捉える研究の基礎を築いたと言えます。単に文学作品中の植物を特定するだけでなく、その植物が当時の人々の生活や文化にどのように組み込まれていたかを、科学的かつ人文的な視点から解明しました。   


また、氏は日本植物友の会の設立者の一人として、学術研究の成果を一般社会に普及啓発する役割も果たしました 。これは、氏の研究が学術の枠内に留まらず、より広い社会における植物知識の理解と文化的な豊かさに貢献しようとする彼の姿勢を示しています。氏の業績は、専門分野の垣根を越えた探求が、いかに新たな知見と深い理解をもたらし得るかを示す好例であり、日本の文化史、植物学史、そして文学研究史において、その貢献は高く評価されるべきものです。   



さいごに


植物文学者 松田修は、東京帝国大学農学部で培った植物学の専門知識と、日本の古典文学への深い造詣を融合させ、「植物文学」という独自の学術分野を提唱し、その確立に貢献した先駆的な研究者です。

氏の研究は、『古事記』から『源氏物語』に至るまで、各時代の文学作品に登場する植物を網羅的に分析し、その実用的価値から文化的・美学的意味合いまで、多角的に解明しました。特に、『万葉集』における植物の実用性への着目や、時代とともに変化する植物の描写が人々の自然観の変遷をどのように反映しているかを明らかにした点は、彼の分析の深さと独自性を示すものです。これらの分析は、文学作品が単なる創作物ではなく、当時の社会や文化、そして人間と自然の関係性を映し出す貴重な歴史的資料であることを示しました。

松田修は、日本植物友の会の設立にも貢献し、学術研究の成果を一般社会に普及啓発する役割も担いました。彼の著作、特に『古典植物辞典』は、その学術的厳密さと一般へのアクセシビリティを両立させ、後世の植物文学研究に多大な影響を与えました。

彼の学際的なアプローチと、文学と科学を結びつける独自の視点は、日本の文化史、植物学史、そして文学研究史において、特筆すべき貢献として高く評価されるべきです。松田修の生涯と業績は、専門分野の枠を超えた探求が、いかに新たな知見と深い理解をもたらし得るかを示す重要な事例であり、現代の学術研究においてもその意義は色褪せることはありません。




参考






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